幕間 ~Mist Worker~
土肥の機械人形大量出現騒動から一ヶ月が経った。
しばらくは再発を警戒してどこのゲートでも潜霧士達がピリピリしていたが、三週間も過ぎた頃からはもう、雰囲気も以前の
物に戻っている。
夕刻の熱海、海の残照がまだ明るい時間帯に、巨躯の金熊は狸を伴って、熱海ゲートの地下…長城の真下を走る無機質なコン
クリート打ちっ放しの通路を歩んでいた。
長らく白神山地に送られて療養中だったヘイジは、つい先ほど熱海に入ったのだが、駅まで迎えに出たユージンによって連れ
て来られたのは、何故か事務所ではなくモール経由で長城の地下。理由はまだ説明されていない。
熱海ではゲート近辺に組合や関係施設が集中しており、地下通路で繋がっている。縦横無尽に張り巡らされたひとが通る連絡
路も勿論だが、大型の機材や荷物を運搬する設備も内包されているため、コンクリート剥き出しの通路はどこもモーター音やエ
ンジン音、換気の風や振動などのノイズが満ちていた。
「長城直下の貸倉庫押さえてはったんです?熱海のなんて他所より高うつきますわなぁ?維持費大変でっしゃろ」
「欲しくなった時にすぐさま簡単に借りられるモンでもねぇからな。いざという時ねぇと困る物は、多少の出費に目を瞑ってで
も押さえとくに限る」
ユージンは並んで歩くヘイジにそう応じる。個人で事務所を立ち上げて以降、金熊は大荷物や機材を扱う事はなかった。作業
機も所有していないので収納すべき品もあまりなく、そうそう保管スペースが必要になる事もなかったのだが、先代…つまり不
破潜霧捜索所時代から借りている地下倉庫は、もしもの時の為にずっと押さえてある。
もっとも、倉庫を手放さなかった事についてはユージン個人のノスタルジーも無関係ではない。当時大勢で荷物を運び込み、
機材の手入れもした倉庫は、若手が集まって与太話に笑い声を上げる雑談場所にもなっていた。
通路で数名の潜霧士とすれ違い、気さくに挨拶を交わすユージンの傍らで、ヘイジは会釈するに留めたが…。
(誰もワイの事責めへん?気にしてもおらへんかったな…)
熱海の潜霧士達は、悪く言えば現金で、良く言えば正直。土肥の事件では直接被害を被った訳でもなく、むしろ機械人形由来
の素材が値崩れしたおかげで装備品などを充実させられたので、特にヘイジに対する悪感情はない。何より、熱海の大将が仕事
仲間として迎えた潜霧士なのだから、悪く言うのは憚られる。
「白神山地はどうだった?」
「ええトコですわ。皆親切やし、住み心地えぇ部屋まで用意されて…」
ヘイジ自身も重傷で、治癒には時間が必要だった。どうせ療養するならと、ユージンの計らいで傷が癒えるまで白神山地で過
ごし、その間はタツロウと一緒に暮らす事ができた。
タツロウが暮らすために用意された住まいは、研究所からほど近い、農園添いの平屋の一戸建て…元は空き家だった物を改築
した、職員居住用レンタルハウスの一つ。居間が二つと寝室の三部屋に、台所と風呂場、トイレなどがついた簡素な家だが、少
年が暮らすには充分な広さで、バリアフリー化も行なわれていた。
ヘイジはそこで三週間ほど傷を癒していたが、十年間、ずっと病院に入っていた少年と、その保護者でありながら面会に行く
程度で、繋がりは深くとも長い時間を共にする事は無かったふたりである。一つ屋根の下で長い時間を共有できたのは、長年の
空白を埋めるのに一役買った。
タツロウと離れても大丈夫だと、安心できる材料にも事欠かなかった。
タツロウの家は研究所のホルスタイン婦人の家の隣で、食事の差し入れや日々の世話なども心配ない。タツロウの送迎は研究
所の力仕事担当…猪が受け持ってくれて、話し相手にもなってくれていた。近所の少年少女もちょくちょく興味深そうにタツロ
ウを眺めたり、話しかけたりしてくれた。猪が言うにはみんな一緒に学校へ行くのを楽しみにしているらしい。
白神山地には因子汚染者への差別がなく、獣人は特別ではなく、誰もが当たり前の顔をして暮らしていた。タツロウが人生を
取り戻すには、最適の場所だとヘイジも思った。
「ワシらも時々里帰りしとる。ヌシも一緒に会いに行ってやれ」
「おおきに…ホンマ…」
やがて金熊は太い通路に出て、高さ4メートルを超える大扉の前で足を止めた。
「ここだ。まずはヌシに見せるモンがある」
扉の脇にある生体認証システムにユージンが顔を近付け、虹彩を読み取らせてロックを解除すると、ゲート同様に密閉式の大
扉が、プシッと音を立てて隙間をあけ、スライドする。
扉を潜った所は狭い前室になっており、潜霧用のゲートと同じく、一枚目の扉が閉まり切って密封されてから、二つ目の大扉
がスライドを始めた。
気圧の変化を感じさせながら開いてゆく扉の向こうで、手前から奥へと天井の灯りがついてゆく。
そこは、奥行き40メートル、幅19メートル、高さ12メートルの広い空間…学校のちょっとした体育館規模の倉庫になっ
ていた。
いるらしい貨物用木箱など、雑多な物が壁に寄せて置かれているが、面積から言えばそれらの置き場所として使われている部分
は全体のごく僅かである。
ヘイジの目は、その中央に鎮座する、異形の機械に釘付けになった。
「こりゃ…、「レッドアンタレス」です…!?」
驚いた様子でヘイジが口にしたのは、照明によって床に濃く影を落とし、伏せるような姿勢で沈黙している大型作業機の名前。
前に向かって投げ出された二本の大型アーム。伏せる格好で接地しているボディの両脇では合計六本の重厚な脚部が、右の三
本は膝を立てるような格好で、関節のロックがイカれている反対の三本は伸びる格好で、それぞれ投げ出されている。後方には
のたくった蛇のように、関節構造のみで構成された作業肢が床に這っていた。
太い六脚と前方のアーム、そしてボディなどを覆うのは、あちこち塗装が剥げた赤い曲面装甲。所々外装が脱落しており、基
礎フレームや内部構造が剥き出しになっている箇所も多い。
どれほどの修羅場から戻ったのか、外装もフレームも無傷な部分は一つとしてないが、耐霧第一の造りなのでどこにも錆はな
く、まるで今しがた霧の中で力尽き、引き上げられたかのよう。
「もう骨董品みたいなモンやないですか…!」
思わず数歩進み出て、ヘイジは通常の作業機よりもかなり大きな機体をまじまじと見つめる。
その大きな作業機は、例えるならサソリやヤシガニなどに似ていた。移動を主目的とする六脚に、前方へ伸びるハサミのよう
な大型作業肢。そのカウンターウェイトの役目も兼ねる、尻尾のような多関節アーム。外装はスポーティーな車を思わせる曲面
デザインで、その点も生物的。多脚作業機としても異形である。
は、カヌーに乗り込むような格好になる半埋没式コックピットが、視界を確保するためのロールバーで囲まれていた。
「ああ。雑賀重工製、潜霧用重作業機。第二.五世代の「赤い徒花」だな」
腕組みしてそれを見つめるユージンは、何処か懐かしんでいるようにも見える表情。金熊がまだ仲間達とダイブしていた頃に
は機体のコンパクト化が進んでおらず、こんな武骨で大型の作業機が主流だった。
潜霧士が用いる作業機…別名ミストワーカー。それが誕生し、進歩してゆく中で、改良を重ねられ後継機が生まれ続ける名機
もあれば、ニーズにそぐわず消えていった機種もある。
中の一つで、もう二十年も前に生産が打ち切られた機種だった。
大穴探索が始まったばかりの頃、無線式の仕組みが誤作動を誘発するため、一昔前の方式に先祖返りする格好で、潜霧用の作
業機の開発が始まった。霧への対策も整っておらず、地図も十分に整備されていなかった時代、起伏が激しい瓦礫の大地を往く
第一世代の作業機は、自動運転機能の採用も困難で完全に手動。乗り手の目視と感覚に操作の全てが委ねられていた。
第二世代になるとオートバランサーや、霧の中でも有効な対物センサー、無補給での運転時間が長い高性能水素エンジンが開
発され、操縦ミスに対する安全性なども格段に上がった。
そして第三世代になってようやく、オペレーティングシステムによる機体の自動制御機能が搭載され、乗り手が操作に集中し
ている作業肢以外の制御は機体に任せられるようになり、操縦の負担はだいぶ軽減した。
現行の第四世代になると、高度化したオペレーティングシステムは霧の中での自動運転…巡行駆動を可能とし、乗り手は煩雑
な操作系から完全に解放され、作業と周辺警戒に集中できるようになった。サイズもコンパクト化が進み、高速移動や高低差が
ある場所での軽快さをウリにする機種も増えている。
そしてこのレッドアンタレスは、第二世代と第三世代の中間に位置する過渡期の産物。機体各所にセンサー類が配置され、前
世代に比べて運動性は格段に良くなっているものの、設計上最近のオペレーティングシステムには対応していない。あくまでも
乗り手が動かすという旧式の設計思想に基づいた構造になっている。
「こないなモンがまだ残っとるなんて…。何処で手に入れはったんです?」
そんなヘイジの問いで、ユージンは少し前の事を思い出す。この機体を預かった時の事を…。
「レッドアンタレスじゃねぇか!?懐かしいな…!」
倉庫の中心で蹲る、自分がまだ不破潜霧捜索所の所員だった頃に一時話題になった作業機を、ユージンは眉を上げて笑いなが
ら見つめた。その隣で…。
「エンジンを丸々交換する必要はあるが、主要駆動機器やフレームの大半は、使える状態で残っている。…外装も、耐久性はク
リアしている。無事な部分は、だが…」
作業服姿の狸が、ボソボソと囁くように応じた。
ここは熱海の地下モール。工房が所有する倉庫の一つに、ユージンは呼び出されていた。工房長のゲンジから内密にである。
「こんな品、何処で手に入れたんだ?」
「倒産した潜霧事務所が、ツケの代わりにと、ウチによこした。…金銭価値としては、まぁ、釣り合っていなかったが…、な…」
「懐かしくてオーケーした、って所か?」
「何故…そう思った…?」
「ヌシは結構ロマンチストな所がある。コイツを見て、自分が現役で潜霧しとった頃…工房を継ぐ前の頃がが懐かしくなった。
違うか?」
「…癪だが、正解」
「で、コイツがどうかしたのか?」
「…譲る…」
「ん?譲るって、いくらなんでもこんな代物、そんな軽く受け取る訳に…」
横のゲンジを見遣ったユージンは狸の半眼を見つめ、ニヤリとしながら納得した。身内に対して素直な態度を取れないのは、
どうやら自分だけではないらしい、と。
「愚弟が、迷惑をかけたし、これから世話になる。礼金と、それから詫びのような物、だな…。アイツが飛び出して行った時に、
縁は切ったが…。まさか熱海に活動の場を移す上に、得意先に所属するとは…」
「どう転ぶか判らねぇもんだな。人生ってのは」
「まったくだ…」
「…同業者が廃業した時に、コイツだけ引き取り手が無くてな。ワシが譲られたって所だ」
ヘイジの実の兄であるゲンジからは口止めされているので、出所を偽るユージン。ヘイジは特に疑う事も無く、「まぁ、今コ
レを好んで乗り回すモンはおらへんでしょうし」と頷く。
「最新式とは規格が合わへんトコ多いし、何より…」
レッドアンタレスの長所でもあり欠点でもあるのは、旧式機の主流であった機体のサイズと、重装甲故の重量。この作業機は
現行主流の作業機と比べても大型で、重さは倍にもなる。
重量を活かせる安定した地盤の上でなら、土木用重機顔負けの作業すらこなせるパワーは勿論、ハサミ型の作業肢は展開して
様々な用途に対応できる。尻尾に当たる第九作業肢は、柔軟性を活かして高所作業車のアーム代わりにもできる。
その一方で、足場が不安定な瓦礫の上では重量のせいで事故が起こる可能性も高く、機体の大きさのせいで狭い場所での取り
回しが不便なため、当時から軽快性を重視する潜霧士達からは敬遠されていた。
ただし、乗り手が少なく、実売数が伸びなかった理由は他にもある。
全九本にもなる作業肢類をほぼ手動で制御する、乗り手が強いられる操作難度。霧中活動に加えて要求される煩雑な操作への
集中力。パワーがあるだけに許されない作業ミスへのプレッシャー。それらが複合した搭乗難度がこの怪物を御せる者を制限し、
ポテンシャルを引き出せた乗り手は殆ど居なかったのである。
故に、レッドアンタレスは後継機が造られず、系譜は一代限りで途絶えた。設計思想を受け継いだ機種も現在まで一切開発さ
れていない。それが由来となって「赤い徒花」と呼ばれた。
「ヌシの作業機は大破しとったが、管理室が押さえたデータ類から、使える物は抜いてきた」
ユージンが顎をしゃくって示した先は、作業機の手前に置かれた小さなスチールデスク。その上にはプログラムのセッティン
グなどに使える携帯式作業用端末と、ケース入りのデータチップがいくつか置かれていた。
データチップの中身は、自爆を敢行したヘイジの愛機から回収できたデータ。機体その物は完全にスクラップになって修復不
能だったが、ヘイジのクセを学習している操作系サポートシステムや躯体バランサー調整データはサルベージできた。
「回収記録を見たが、ヌシが乗っとった作業機は雑賀重工製の第三世代がベースだったな?」
「旧式機のパーツも使うた継ぎ接ぎだらけで、もう非正規品の域でしたけど、まぁ一応そうですわ」
「大型で重量級だったな」
「そらまぁ安物の、重くてかさばる型落ちパーツで組み上げてましたからなぁ」
「ヌシが作業機乗りになっとったのは渡りに舟だったぜ」
ユージンが横目でヘイジを見遣る。ニヤリと笑いながら。
「コイツも乗りこなせるか。ええ?」
「どうやろなぁ…。レストアしてみん事には何とも言えまへんで?」
そう応じる狸だったが、言葉とは裏腹に眼鏡の下の目は面白がっているように見える。
乗りこなす自信はある。何せ今まで乗っていた作業機は、資金を節約するために型落ちパーツとジャンク品で組み上げた、鈍
重で古臭いパッチワーク。自分の手足で操縦する旧式の操作法を踏襲した構造になっていた。
「望む通りにやってみろ」
そう言うなり、ユージンはB5版サイズのモニターパネルを差し出す。タッチパネル式モニター端末に表示されているのは、
あらゆる潜霧用品の注文を受け付ける潜霧組合のウェブショッピング。神代潜霧捜索所のクレジットカードが紐付けられたユー
ザーページだった。
「コイツは霧を渡りダイブを支える巡洋艦。ヌシにはコイツの操縦士として、ウチで「キャリアー」を担当して貰う。レストア
予算は上限なし、全部経費で落とす。金に糸目はつけねぇ。ヌシの好み、ヌシの考えで、ヌシが扱い易いように、コイツに息を
吹き込んでやれ」
「…了解ですわ、大将」
数歩進んだヘイジは、床に突っ伏してなお高さがある、サソリのような作業機…その顔にも見えるフロント部分を見つめた。
「よろしゅう頼むで?相棒」
外装に当てられた平手が、テンッ…と、張りのある金属音を響かせた。
パパパ~ンッ!と、破裂音に続いて紙テープや紙吹雪が下りて、狸は目をパチクリさせる。
「ウェルカム・トゥ・オフォスクマシロ!」
カラフルな三角のパーティーハットを被ったアルが、太い指で挟んで三連装にしたクラッカーから火薬の匂いをさせながら、
狸を歓迎する。
その隣では、丸っこい色白な人間の少年が、もじもじしながら「あの…、ようこそ、です…!」とはにかみ笑い。
「なは~!歓迎おおきに!えぇと、アルビレオはんやったな?それにタケミはん。よろしゅう頼んます!」
眼鏡に引っかかった紙テープを取りながらヘイジが応じるその後ろから、不意打ちを予期していたユージンがのっそりと玄関
に入る。
今日からヘイジもこの事務所の二階を私室とし、一緒に寝起きする仲間となる。それならば歓迎会だと言い出したのは、賑や
か好きのアルだった。
「じゃあ紹介するぜ?今日からウチの所員になる、二等潜霧士のヘイジだ」
「相楽平治です!…言うても二等らしい活動なんて十年間してへんけど~」
ヘイジが苦笑いし、ユージンが続ける。
「ポジションはキャリアーを予定しとる。が、それはともかく…」
金熊はニィッと笑い…。
「まずは、飯が冷めちまう前に歓迎会だ!」
ダリアに注文し、アルに運ばせた歓迎会用のメニューは、牛のタタキをネタにした寿司に、ローストビーフ、ポークソテー、
鶏の唐揚げに焼き鳥、そして新鮮な野菜をふんだんに使ったサラダ、シーフードグラタン、パエリア、ポトフなど。
タケミが温め直すだけで良い状態でダリアが寄越した料理はいずれも絶品。さらに酒飲み用に刺身やゲソ揚げもついている多
国籍メニューが乗った居間の食卓は、無軌道に注文した居酒屋のテーブルのよう。
「ヘイジはヌシらがヨチヨチ歩きだった頃からダイブしとるベテランだ。先輩として頼りまくれよ!」
食欲を刺激する多種多様な料理の匂いが入り混じるリビングで歓迎会が始まったかと思えば、あっという間に各種料理が減っ
た。既に清酒の四号瓶を二本空けたユージンは、だんだん酔って来て声が大きくなっている。そして態度もユルユルになってき
ている。
(所長、こんなに機嫌が良いの久しぶりだな…)
と、隣のタケミも嬉しくなった。この三週間…特にここ一週間ほど、ユージンがソワソワしている事に少年は気付いていた。
ソワソワといっても、「楽しみで落ち着かない」という様子だったので、ヘイジが来るのを心待ちにしていたのは間違いない。
「特にアル、ヌシはチェイサー経験が浅い。後ろに控えるキャリアーが相談できる相手なら心強いだろう。ええ?」
「イエス!ベテラン大歓迎っス!頼りにするっスよ!」
「せやけど、ワイここ十年は単独潜霧しかしてへんかったんや。アルはんもタケミはんもお手柔らかに頼むで!」
陽気に笑って応じるヘイジ。こちらもだいぶ酒が回っている。
元々人懐っこい性分なので、少年達ともすぐさま馴染んでいる狸だが、個人的に最も気になっていたのは他でもない、面識が
あったユージンについてである。
かつての印象は、豪放磊落な命知らず、若干大雑把だが面倒見がいい巨漢という物だった。今回の件で、あれこれ先んじて手
を回して事を収める老獪な手腕や、所長として様変わりした威厳ある印象を垣間見て、以前とかなり違うと感じていたのだが…。
(こうして見ると、そんなに変わってへんなぁ。若頭とハシゴ酒してた頃と同じ顔してはるわ)
酒が入って態度が和らぐと、以前と全然変わらない顔や態度になっていて、昔が懐かしくなった。
「そういやぁ…、タケミはヤベちゃんトコの作業機に慣れとるが、アルはあんまり一緒に潜霧してねぇか…。丁度いい、ヘイジ
の作業機組み上げには多少の力仕事も要る。手伝いがてら見物して、「こういうモンだ」ってのを間近で見とけ。タケミも、こ
れからは作業機が通れるかどうか考えたルート選定が必要になる。しばらくは感覚を慣らしながら注意だな」
「イエッサー!」
「はい!」
タケミは一度ヘイジとペアで潜霧行動した…つまり生死を共にした経験があるので、他の多くの者に対するような警戒混じり
の臆病さによる距離の取り方をしなかった。ユージンの古い知り合いというバックボーンも知り、トラマルから破門の経緯やひ
ととなりについても聞かされた今となっては、警戒するどころか信頼に足る人物という評価になっている。
そして元々誰に対しても開けっ広げでフレンドリー、「開放的過ぎて割かしヤバい」と養母にも言われるほどのアルは、顔を
合わせて秒単位で馴染んでいる。そもそも価値基準がタケミナンバーワンのシロクマにとって、少年の命の恩人は自分にとって
も恩人。その上で一緒にメシを食ったら「もうマブフレンドっス」と脳みそは判定している。
(ま、上手く行くだろうよ)
満足げなユージンが新しい酒瓶を取って栓を開け、ぐびっとラッパ飲みする。
最初はヘイジも少しギクシャクするかもしれないと金熊は思ったのだが、若い二人が友好的な上に、面倒を見るように言った
からか、後輩を見守るような面持ちで会話に応じている。
(作業機のレストアが終わっても、しばらくは微調整で浅い潜霧を繰り返す必要がある。アルを逐一同行させりゃあ、霧に慣ら
す事にも繋がる。ダイバーズハイの兆しを掴む、とっかかりになるだろう)
ヘイジは長年、単独潜霧での物品漁りや素材収集を主な仕事にしてきた。しばらくは病み上がりの体の慣らしと、作業機が組
み上がってからの試運転など、短いスパンで浅めの潜霧を繰り返す事になるが、これが「丁度いい」。大穴内での活動経験が不
足し、知識も今一つで、ダイバーズハイの発現が見られないアルを同伴させれば、良いトレーニングになる。
(年内に南の遠征もできるな…。三等の昇級試験資格にも、十分な実績を確保しなきゃならん。体勢が整い次第、ハイペースで
中距離ダイブするか)
宴は続く。
たらふく飲んで食って、賑やかに楽しんで、大人二名はそのままリビングで酔い潰れ、二日酔いに苦しんで…。
そして、三週間後。
「こちら、ご注文の水素エンジン用触媒です。1ダースですね?」
査定所の若い女性職員が、ペンライトのような円柱状装置が十二本入った小箱を差し出すと、オイル汚れだらけの作業用オー
バーオール姿の眼鏡狸は「おおきに!」と笑みを浮かべて受け取る。
女性職員は倉庫の中心に鎮座する大型作業機を見つめ、「すごい重量感ですね…」と感心したように漏らす。かなり大柄なシ
ロクマが脚の一本を磨いて関節から漏れた余分な潤滑オイルを拭き取っているが、2メートルほどの北極熊と比べても相当なサ
イズだった。
ボディ本体だけでも軽ワゴン車のようなサイズで、そこから最大伸長3メートル近くにもなる重厚な太い六脚と、車を簡単に
解体できそうな大鋏を備えた二本の腕、そして多関節構造で触手のように自在に動く尾が生えている。
移動用の脚はクローとローラーの複合式で、地面の状況で個別に切り替えできる。尾は先端がまだ接続アタッチメントのまま
だが、そこはオプションの付け替えで様々な用途に活用可能なハードポイント。全身の外装は分厚く、ボディや脚の側面などに
は、機体に登る手掛かりにできるフックやロールバーが設置されていた。当然、限界積載量もそのサイズに見合うだけあり、相
当な重量を積み込んでも行動に支障は無い。
作業用の機械ではあるのだが、見上げた女性個人の印象としては、ちょっとした要塞のようでもある。
だいぶ大掛かりだと女性職員も感じるが、ユージンから「機械人形と殴り合っても帰って来れる機体が理想」と聞いているの
で、戦闘も想定すればこの戦車じみた重量感にもなるかと納得する。
「えぇと、サカキはん…やった?あんさんと同い年ぐらいの機体やさかい、見るの初めてやろ?」
「はい。カタログで資料は見ましたが、実物は…、すごいですねぇ…!」
元々重工で堅牢な躯体は、色も変わって外装も一部変更され、オリジナルよりも重々しく見える。
実際の所、ヘイジの好きなようにカスタムさせたユージンが一つだけ出した注文…「機械人形とやり合える」という点を叶え
るに当たり、一部のフレームと外装は特注仕様になった。本来の物よりも機動性を落とさないよう、軽量で丈夫で高価な装甲を
メインにしてあるので、費用はだいぶかさんでしまっている。
「ヘイジさん、第五肢の最終チェックオッケーっスよ~!オイルもう何処も出なくなったっス!」
作業を終えたアルが歩いて来ると、「ほな、触媒セットするで」とヘイジが箱を見せる。
「こいつは基本的に水素エンジン駆動…大穴内やと霧を食って動きよる。けど、水素エンジンは反応用の触媒がセットで稼働す
る仕組みやさかい、このスティックが必要になるんや」
「燃料じゃないけど必要な物…。エンジンオイルみたいなモンっスか?」
「ピンポンや!一本あたりの対応時間はだいたい九十六時間やけど、コイツの水素エンジンは特別製やさかい、フルスロットル
やったらその半分しか保たへん。一本で四十八時間…つまり二日分や。ま、予備2ダースまでセットできるようにしてあるから、
省エネ運転せぇへんでも48日間無補給での運転が可能やで」
「何でそんなに積み込めるようにしてあるんス?」
「遭難対策や。どっかで地下に落っこちたら大変やさかい」
「理解!遭難対策ダイジ!」
「あと、有事の際には爆弾になるわ。落盤爆破用のダイナマイト代わりとか」
「デェ~ンジャラァ~ス…」
「ほな、セットの仕方教えるで~。その内にアルはんにも操縦教えたろな!」
「ラジャー!」
元々乗っていた作業機も八割方手を入れて組み上げ、メンテナンスも全て自分でこなしていたヘイジなので、クラフトはお手
の物。重量物も扱うので小型クレーンなども駆使する作業になったが、時々アルが手伝いに来ては生身でクレーン代わりに働い
てくれたので、予定の三分の二の日数で組み上げは完了した。
何せ手伝ったシロクマは機械もメカもロボも大好きなので、自社所有になる武骨な作業機に大興奮。暇さえあれば倉庫に顔を
出し、熱心に協力していた。
作業に戻る狸と北極熊に、女性は「それじゃ私は戻りますが…」と声をかけた。
「午後からのファーストダイブ、お気をつけて!」
「おおきに!」
「サンクス!」
シロクマと狸がそれぞれバールとスパナを持つ手を上げて応じ、女性は微笑んで会釈し…。
扉で前後を挟まれた長方形の部屋。
行く手の扉の先には霧が待つ。
両側の扉が閉ざされて密閉された、四方が金属張りの部屋は、しかしこれまで神代潜霧捜索所が利用してきた徒歩潜霧士用の
通常ゲートではなく、広めの空間が確保された大型密閉室付きのゲート。
部屋の中央部が黄色と黒の警告色ラインに囲まれたエレベーターになっており、地下運搬口に乗り入れられた作業機が、低い
駆動音と共にせり上がって来る。
「お待ちどうさんですわ!システムオールグリーン、吹け上がりも上々、いつでも行けまっせ~!」
ずんぐりしたサソリかヤシガニを思わせる大型作業機に搭乗し、階下の搬送路から上がって来た狸が、先に前室で待機してい
たメンバーに声をかける。
ヘイジは潜霧用の衣類を、皆と色合いを揃えた紺色基調のツナギに変えており、腰には土肥の大親分から再び渡された赤鞘の
ドスを帯びている。
テムともリンクしていた。
装いを新たにしたのはヘイジだけではない。レッドアンタレスをベースにしたその乗機…元は赤かった機体もまた、カスタム
と合わせてカラーリングを一変させている。
本体も純正外装も既に生産されていないので、装甲版が脱落している箇所については別物を装着した。センサー類も互換性が
ある限りはなるべく最新の物に変え、フレーム部分も金属疲労などが認められた部位はユニット単位で入れ替えた。
そうしてヘイジの設計でカスタムされ、新生したレッドアンタレスは、おおまかなシルエットこそオリジナルを踏襲しながら
も、外装色はユージンのジャケットやタケミのスーツ、アルのタイガーカモフラージュの迷彩服に倣い、神代潜霧捜索所カラー
の紺色とディープブルーに塗り替えられた。
そして識別コード…いわば作業機に与えられるダイビングコードは、ユージンの希望でヘイジの元の乗機をモチーフにして登
録されている。
「おし、行くぜ」
「はい!」
「イエッサー!」
「了解や!」
ユージンにタケミが、アルが、ヘイジが応じ、壁に設置されたスキャナーが赤い光を投げかける。
赤金色の巨漢の足元からスカーフェイスまで、胸の認識票を含めて赤い走査線が照らす。
『認証。ダイビングコード「雷電」』
濃紺のダイビングスーツを身に付けた丸い体躯と、黒狼が巻物を咥えているようなヘルメットを、走査線が通過する。
『認証。ダイビングコード「ウォルフ」』
シロクマの特注サイズコンバットブーツと濃紺基調の迷彩戦闘服、鞘ごと背負った大刀を、走査線が下から上へなぞる。
『認証。ダイビングコード「3A(スリーエー)」』
そして、巨躯の作業機と機上の狸…セット登録されている二件分を、走査線が纏めて識別する。
『認証。ダイビングコード「ムジナ」。及びミストワーカー「ボイジャー2(ツー)」』
音漏れ対策のシーリングを通した、モーターが低く唸るような駆動音と共に、ボイジャー2と名付けられた作業機が前面のメ
インセンサーを青白く発光させ、多脚の先のローラーを滑らせて這うように前進。先を行く三名に続き、開いた最終扉の向こう
へと進む。
霧が煙る大穴へと、総勢四名と一機になった潜霧団は、フルメンバーでの最初のダイブを敢行した。
同時刻。伊豆半島南エリア、元南伊豆町、ウォールD中央ゲート。
「兄者!」
ゲートを潜り、除染を受けに向かう最中、駆け寄るブーツの重々しい足音に垂れた耳を震わせて、グレートピレニーズが足を
止め、振り返る。
戦闘服姿の巨体ではあるが、太った大きな体が横揺れする歩き方に、ゆったりした歩調、落ち着きのある動作と穏やかな表情
のおかげで、相手に威圧感を与えない大男である。
歩く姿にも動作にも特に違和感が無いので傍目には気付き難いが、駆け寄ったマラミュートに向けられたその目は瞳孔まで白
濁しており、薄い赤紫を虹彩に名残として留めるだけ。男の視力は完全に失われている。
「どうかしたのかい、テンドウ?」
盲目のグレートピレニーズが太く穏やかなバリトンボイスで問い、マラミュートは、「は!」と背筋を伸ばして応じる。どち
らも身長190センチを超える大男だが、ガッシリと分厚い体型で筋肉質なマラミュートと比較しても、グレートピレニーズの
方が大きい。腹がポッテリと迫り出している肥えた体つきな上に、長毛な分だけボリュームがある。
「潜霧計画では午前に戻るはずだった一一丸潜霧団が、まだ戻っていないと!」
「110番…、マライアの所だね」
「たぶん!」
力強く応じるマラミュートだが、返事の内容その物はだいぶ曖昧。同エリアで活動しているどの潜霧団の代表格が誰なのかす
ら、若干あやふやなのがこの男である。
「ルートが被っていた隊も、移動中に姿を見ていないとの事!」
グレートピレニーズは拳を顎の下に当てて考え込んだ。
ここは南エリア、伊豆最南端のゲート。全く似ていないこのふたりは兄弟で、通称「岬の狛犬」。ともに歴代十名しか存在し
ない一等潜霧士。グレートピレニーズの「字伏常夜(あざふせじょうや)」と、アラスカンマラミュートの「字伏天道(あざふ
せてんどう)」。潜霧団「月乞い(つきごい)」のナンバーワンとツーである。
周囲を行き交う潜霧士達は、どこか軍や特殊部隊を思わせる装備で身を固めている。コンバットスーツにベストなど、企画が
共通しているそれらは、他国の軍から型落ちを纏めて払い下げられた物。長城を越える霧の流出が日常茶飯事で、流通も滞りが
ちで物資も食料も不足する事が多い南エリアでは、潜霧作業専用の品も十分に揃え辛い。装備の補給も滞る事が多いので、十全
ではない備えで身を固める事を強いられるケースも多い。
さらに特徴的なのは、見える範囲に人間が一人も居ない事。組合の職員もカウンターの受付も潜霧士も全て、獣化が完全に進
行している。
潜霧上りのダイバーが行き交う中、息遣いや歩調などの気配だけで疲弊具合を把握したグレートピレニーズは、頼めるだけの
余裕があるチームが近くに居ないと判断し、腰に帯びているトンファーに軽く触れた。
「…心配だな。確認に行くよ」
「いえ!兄者の許可があれば、俺が!」
胸をドンと叩いた弟に、ジョウヤは僅かな間をおいて「そうだね。頼むよテンドウ」と頷き、単独での再潜霧を許可した。
おおよそ大穴表層には、弟を殺せる危険生物も機械人形も居ないのだから。
が…。
「無事で何より!しかし…」
兄の許可を得て潜霧上りからすぐさま折り返し、帰投が遅れている同業者の元へ馳せ参じたマラミュートは、担いだ超重量の
ハルバードで肩をポンポンと叩きながら眉根を寄せた。
「何があったのだ?」
海の方へと流れてゆく霧の中、疲労困憊の様子で廃墟の壁に背を預けている四人組の周囲には、まだスパークを散らしている
機械人形が二体横たわっている。
それぞれ頭部…顔面と胸部中央に穴が空き、外装を抉って内部まで届く致命的な損傷を受け、機能停止したその二体を見つめ
ながら、負傷した腕に包帯を巻いている雌の黒豹が口を開く。
「「ウォーリーセブン」だ…。不意を突かれて危ない所だったが、彼のおかげで誰も死なずに済んだ…」
「…あの「野良」か…」
テンドウが面白くなさそうに顔を顰め、そして天を仰ぐ。
太陽が遠い。霧が濃い。今日は午後から濃霧注意報が出ている。
「この辺りに出るのは珍しい。霧に紛れて獲物を追い、流れて来たのか…」
まるで間欠泉のように、濃密な霧が地面から吹き上がる。
伊豆半島で最も地殻変動が激しく、年間平均5メートル前後の隆起と沈下を繰り返す南エリアは、かつて大隆起の際に港湾が
そのまま持ち上がり、地表になった部分。
地割れや、かつての地下構造は勿論、本来は海へ排水するための物だった埋設孔や暗渠が、そのままポッカリと口を開け、ジ
オフロントから霧を噴き上げている。
南エリア特有の景観として挙げられるのは、地上に佇む船影。
当時接岸していた貨物船や客船など、大型船から小型の船舶までが、海底ごと持ち上げられて霧の中に浮かんでいる。遠目に
見れば、それはさながら霧の海を彷徨う幽霊船のよう。
その中の一つ、元は豪華客船だったのだろう窓が並ぶフェリーの手すりに、甲板に立った人影が左手を乗せていた。
白い生地がくすんだレインコートのような外套を着込み、フードを目深にかぶっている人影は、顔は見えないがどうやら獣人
のようで、尻からは先端だけが白い、フッサリと豊かな茶色い尾が垂れている。
特筆すべきは右手の得物。男は独特な形状の銃器を握っている。
それは、ストック部分を省いたウージーサブマシンガンにも似た銃身を、グリップを中心に上下対称に連結したような形状。
前腕を挟み込むように二つの銃身を持つそれは、一体どのような弾丸を使用しているのか、銃口の直径が30ミリほどもある。
夕暮れが近付き、赤味と暗さを増してゆく霧の中、彼方に目を凝らしている男の顔を一陣の風が撫でた。
フードがはためき、背中に落ちると、その下から現れたのは丸みを帯びた青年の顔。一見すると何の種か判り難いほど肥えて
いるが、狐の獣人である。
アーモンド形の目は磨いた銅板のような赤金色。口を閉じたその横顔には表情が浮かんでおらず、何を思っているのか想像も
できない。
ずんぐりまん丸く太った狐の背後…船の甲板には、ここで野営しているらしく簡素な三角屋根のテントが入り口を開けている。
その前では何らかの機械からはぎ取ったと思われる鉄板が敷かれ、生乾きの枝が固形燃料で燻られて煙と火を昇らせ、簡素な
脚で支えられた網の上のケトルを熱していた。すぐ脇に立つ簡素なテーブルセットには、包装されたままの手のひらサイズの固
形物…カロリー確保のみを考えられた吐き気がするほど脂っこい固形食糧と、危険生物からはぎ取った赤味肉…血抜きして加工
した燻製が置かれている。
機械人形…一つ目小僧からささやかな戦利品としてはぎ取った金色の指輪のような部品、常温超電導コイルが二体分、燻製肉
の脇に無造作に転がっていた。
テントは手すり寄りに設置されているが、その向こう…広い甲板は、客船がまだ海に在った頃の名残としてベンチが各所に配
置されている。その中央近辺には、傷んだ床に突き刺さる格好で、大口径の対物ライフルや、射出機能を備えたスパイクランス、
高圧電磁ブレード内臓のスピアや、対生物用チェーンソー、日本刀などの、いずれも壊れたり錆びたりしている七本の得物が立
ち並んでいた。
まるで、墓標のように。
肥った狐の赤金色の瞳は、船の上からじっと見ている。
霧の海の向こうに聳える、南の最終防衛線である長城を、いつまでも…。