幕間 ~Grand Cross~

 リボルバーのシリンダーをスイングアウトし、空っぽの弾倉を覗き込んで確認した金熊は、じっと、長年愛用して来たソレを

見つめる。

 早朝の日差しが窓から入り込むユージンの自室。銃の整備を終えた巨漢が座る椅子の背もたれには、羽織るばかりのジャケッ

トがかけられ、テーブルには傷だらけの年季が入ったトーチが置かれていた。

 ユージンのリボルバーマグナムは、構造的には普通の44マグナムである。シリンダーを含めて銃身の大部分がジオフロント

から回収した特殊合金で補強されているが、ダイバーが用いる武装としてはありきたりな、それほど希少ではない素材で作られ

ており、比較的安価である。

 銃はユージンの異能…雷電によって形成される純エネルギーの弾丸を装填し、撃鉄で起爆、本来放射状に拡散してしまうエネ

ルギーを収束させて射程距離を伸ばすと同時に、破壊範囲を絞るための武器だが、加えて継戦能力向上にも寄与している。

 究極的には武器に頼らない方が殲滅性能が高いユージンだが、異能は無尽蔵に使える訳ではなく、エネルギーの放出に伴い疲

弊してゆく。銃を用いれば弾丸一つ分の量に限定してエネルギーの放出を抑えられるため、より長く、疲労を抑えて行動できる。

 だが、雷電によって生成されるエネルギーの起爆力は、通常の銃器ならば数十回で破損してしまうほどの物。ソードオフタイ

プのショットガンを併用して持ち込む事もあるが、そちらも消耗品である。このリボルバーも金属疲労が蓄積し、少しずつ寿命

が近付いていた。愛着があるせいか、それが少しだけ金熊には寂しい。ひとも、道具も、いつかは自分から離れてゆく。

 横へ倒すように振った勢いでリボルバーをカシンと収納させると、ホルスターに収めてトーチと共に鞄へ入れる。通常の弾丸

は無いとはいえ拳銃には変わりないので、こうして収納した状態でゲートに移動する。

 腰を上げ、ジャケットを羽織り、部屋を出て階段を降りたユージンは、

「あ、おはようございます所長」

 ダイニングに入った所で、キッチンに立つ少年から挨拶された。

「おう、おはよう。…今日ぐれぇ寝とって良いんだぜ?」

 昨日南エリアから戻り、今日は休日。ユージンだけが単独で組合の依頼をこなしにゆくはずだったのだが、タケミはいつもの

ように早朝から台所に立っていた。

「あの…、夜中にアル君が来てたみたいで…、暑くて明け方に目が醒めちゃって…」

「またか」

 シロクマが少年の寝込みを襲う…つまり寝床に潜り込んで添い寝するのはいつもの事。察したユージンが呆れ顔になると、少

年はズシッと重いハンカチの包みを、おずおずと両手で差し出した。

「要らないかもって思ったんですけど…、おにぎり、作りました。潜霧中の御飯に…」

 荷物になる、邪魔になる、と嫌がられるかもしれないと内心ビクビクし、上目遣いで見つめる少年の手から、金熊はムンズと

おにぎり包みを取る。

「おう。有り難うよ」

 ユージンが目を細めると、タケミはホッとしたように肩の力を抜く。必要以上に気を使ったりあれこれ思い悩んだりして委縮

してしまうのは、腕前が上がっても変わらない。

「梅干しと、筋子と、ツナと、焼き鮭のハラミと、豚の生姜焼きの細切れです」

「豪勢じゃねぇか?早弁したくなっちまうな」

 機嫌良く笑って冗談めかしたユージンは、「手間ぁかけたな。ちゃんと昼飯に有り難く食うぜ」と言いながらバッグに包みを

しまい込んだ。朝はゲートを発つ前に腹ごしらえしてゆく。携帯できるおにぎりは潜霧中の腹ごしらえ用。現地で何か狩って食

うつもりだったので、一食分の労力が減った。

「コーヒー、すぐ入りますけど…」

「おう。一杯貰ってくか」

 タケミが寝ていると考えていながらもユージンがダイニングに来たのは、朝のコーヒーを飲んでゆくため。それが判っていた

少年は、テーブルについた金熊にドリップコーヒーを淹れてやる。

「遅くとも明日の夜には帰る。…というのも、そこまで探して見つからなかった場合は、腰を据えて頭数も揃えた捜索でなきゃ

無理になるからだ。長引くって事はねぇから、予定通り週明けからの土肥行きは支度しとけ」

 向き合って腰掛け、味わうコーヒーの香りがテーブルの上に溜まる。昨夜ダリアの店へ打ち上げに行った際に食べたガーリッ

クチップたっぷりのチキンステーキ臭が残っていないか、タケミは少し気を使いながら「はい…」と返事をした。

「アル坊は今夜から実家だな。ヘイジと二人になるが…、せっかくだ、出前頼むなり外食するなり、家事からも離れて羽伸ばし

ながら好きなモン食え。ほれ、久々にピザでも出前取ったらいい。で、美味ぇのがあったらワシにも教えろ」

 自分が不在の間、好きに過ごすよう少年に告げて、金熊はやがて部屋を出て行った。

 水上バイクの音が遠ざかるのを、小島の桟橋で聞きながら、少年はモーターボートに燃料を補給する。ユージンと自分に加え、

アルとヘイジも暮らすようになったので、水上の脚はなるべく予定を合わせて使わなければならない。

 もう一台、足が欲しいなとも思うのだが、安い買い物でもないし、ユージンにねだるのも気が引けて、もしもの時は水上タク

シーでもいいか、などと考えてしまう。月の小遣い八千円のおかげで、タケミは稼ぎが多くとも金銭感覚は狂わない。どこまで

も庶民派思考である。

(アル君はまだ起きて来ないだろうけど、ヘイジさんはそろそろかな…)

 そんなタケミの予想通り…、

「うぇっふえっふえっふ…」

 その頃シロクマは、タケミの部屋でタケミの布団を占領し、謎の笑みを浮かべて寝こけていた。抱き枕にされていた少年が脱

出したので、現在は身代わりに丸めた毛布が抱え込まれている。なお、ちょっと内容を説明するのが憚られるような夢を見てお

り、小刻みに腰を揺すっていた。

 さすがに夢の内容まで把握していないタケミがキッチンに戻り、朝食の支度をしている所へ狸が起きて来て、サーモンソテー

を主役にした朝ごはんが部屋を良い香りで包み…。

 

 

 

「2億程度ならすぐに動かせるか…。手付として十分だろう」

 同時刻の南エリア。夜警から戻ったグレートピレニーズは、同じ班のメンバーを休ませた後も、本部のデスクで音声入力を活

用し、資料と報告を相手に奮闘していた。

 ジョウヤが確認しているのは長城の補修費用。ここに私財を投じて急ぎ対応を終わらせるつもりである。メモも取れないので

計算は全て脳内で行なうジョウヤは、こういった思考計算でも脳のカロリーを使う。そろそろ糖分が欲しいなと、突き出た腹を

少し切なそうに撫でるグレートピレニーズ。

 状況を見ながらとはいえ、ジオフロントに幾度も潜るジョウヤは大変な資産家。いざという時の為に蓄えているので贅沢はし

ないが、同時に金銭に執着が無いため、こんな状況になるとあっさり金を放出する。国や組合からの援助に対する感謝状はもは

や自室に保管できない量になっているほどだが、本人は名声にも興味が無いので頓着していない。

 ジョウヤが日々に求める楽しみと癒しは、美味いとは言えない保存食中心の食事と、霧のせいで偶然生まれた薫り高い紅茶程

度。それでメダカを世話する程度の時間があれば十分だと思うほど欲が無い。いや、無かったのだが…。

(う~ん…。疲れたのかな?あのスープスパゲッティがまた食べたくなって来た…)

 タケミがレシピを残して行ったので、再現は可能だと聞いている。パピヨン辺りに頼めば作ってくれそうだが、休ませたばか

りで呼び出すのも気が引ける。

 乾燥させた整形肉と小麦粉を練り合わせた、美味いとは言えない固形食を齧りながら、ジョウヤは「ウォールCとEは資金援

助が必要かい?」とオペレーティングシステムに問い、それぞれの被害状況と財源補填の予定を聞く。

「大丈夫そうか。じゃあ地元に集中だね」

 そう呟いて軽く苦笑いしたのは、弟の事を考えたから。

 兄を熱海に行かせるため、やる事を手早く片付けなければと、テンドウは張り切っているのだが…。

 

「異常なし。残存戦力の掃討も視野に入れた割に、残った機械人形は居ないようだ」

 アラスカンマラミュートが定期巡回しながら、濃い霧の向こうに視線を走らせる。

 チーム編成されていた機械人形達が、地殻変動の監視に来ていたのならば、目的を達したという事になるのだろう。あれから

新たに発見されるのは、以前と同様の単独行動する一つ目小僧、それも極めて少数だけとなっている。

「このまま落ち着くと良いのだが…」

 ホワイトシェパードが軽くため息をつき、ハスキーもうんうん頷いた。

「落ち着いたら熱海へ向かう日程を調整しなければ。兄者が他所へ行きたいなどとおっしゃるのは珍しい。必ず、問題なく、滞

りなく、熱海旅行を完遂する手助けを全力で果たす」

(…コイツ、ここ数日何か熱海熱海って、凄い乗り気だよな…)

 兄以外に執着を示さないテンドウがやたら張り切っているように見えて、ホワイトシェパードは眉根を寄せた。

(熱海かぁ…。団長が離れるなら、半数以上は居残りだな)

 ハスキーは自分は残る組でも良いなと、周辺を警戒しながら考える。

 豊かな所へ行こうとは、月乞いの誰も考えない。その腕があれば何処に移っても潜霧で稼げるが、その選択肢を選ぶ事は無い。

たまに行ってみたいなと思う事はあっても、そちらで働こうとも暮らそうとも思わない。全員がこの南エリア出身か、何らかの

因縁を持つ者なので、このゲートから離れたいとは思わない。

 月乞いに限らず、他の潜霧団も同様である。この過酷な土地にしがみ付いて霧に挑むのは、「ここでなければならない」とい

う意地があるからだった。

「このまま蒸気排出口付近まで足を伸ばす。道中の安全確認と、危険生物の駆除を行ない、日没前の帰還を目指す」

『了解』

 やる気があるテンドウの、だいぶ長い巡回ルートに付き合う二頭は、同時に敬礼の真似事をするように片手を上げて応じた。

「そういえば熱海ってさ」

 思い出したようにハスキーが、目線を少し上に上げて記憶を手繰りながら言った。

「お饅頭、美味いんだよね。前に食べた事あるの、薄皮のやつで、餡子の甘さもキツくなくて、美味かった」

「まんじゅう」

 テンドウがオウム返しに復唱し、記憶する。留守番メンバーに土産を考えなければ、という程度には、マラミュートも気が回

るようになって来ていた。

 

 

 

「ただいまーっス!」

「おかえり」

 マンションの玄関口に立ったアルが元気に挨拶すると、恰幅の良い雌虎が口角を上げた。

 シロクマが靴を脱ぎ捨てて上がるなり、ダリアは両腕を広げてハグし、背後に回した手で広い背中を撫でる。

「昨夜も聞いたけど、活躍したそうじゃないか?」

「えへへ…!もっとホメテ!」

 背丈と体重で追い抜いた養母を抱き締め返し、短い尻尾をピコピコ振るアル。

 タケミと一緒の毎日は幸せだが、それはそれ。養母と過ごす水入らずの週末も、アルにとっては幸福な時間である。

「良い匂いするっス!」

「昼飯用にシーフードグラタンの支度をしといたからね」

「そうじゃなくって、母ちゃんの匂いっスよ?香水は変わってないっスよね?」

「アンタ南エリアで女の喜ばせ方でも教わってきたのかい?」

 などと言いつつ、満更でもない様子で縞々の尾を振り、顔を綻ばせるダリア。

「ところで何だいその荷物?」

 虎が目を遣ったのは、アルが持ち込んだ大きな手提げの紙袋。取っ手がついたそれは有名百貨店の初売りの物だが、使い回し

なので中身は違う。

「母ちゃんにお土産の蜂蜜カステラっス!あとタケミが譲ってくれた激レアレトロゲーム機!…接続用の変換コネクタとかコー

ドとか買わなきゃ使えないっスけど…」

「そりゃあ良かったね。土産も有り難うよ。茶の時間になったら早速開けようかね」

「あ。あと南エリアの医者の先生…ドク先生から、ホゴシャにって預かってきたのもあるっス。カルテ」

「うん?」

 ハグを解いたダリアは、腰を据えて話を聞こうとアルをリビングに連れてゆき、マグカップでアイスココアを出してやって、

受け取ったデータチップを太い指で目の前に摘まみ上げ、顔を顰めた。

 実はダリア、ドクには少々苦手意識がある。

 元々医者や病院が嫌いというのもあるのだが、若かりし頃…まだ獣人化していない頃に、ドクからその無鉄砲ぶりをかなりき

つめに説教された事が幾度もあった。しかもそれが的を射た正論ばかりで、その後の成長にも良い影響を与えた事は疑いようも

ないため、頭も上がらない。世界広しといえども、マダム・グラハルトが強く出られない相手は、ドクと土肥の大親分と故不破

三厳ぐらいの物である。

「アタシあての小言じゃないだろうね?」

 顔を顰めながら端末に記録媒体を挿したダリアは、とりあえずアルの診察結果と所見についての保護者あて報告である事に安

堵し、「ドクさんもマメだねぇ…」と呟き、

(…「異能の覚醒が間近と思われる」…か…)

 所見内の一文に視線を走らせ直した。因子の測定値よりも、多くの獣人を見て、診て、看取って来たドクだからこそ、その言

葉には信憑性がある。

「…アンタ、異能の兆しとか感じたりしてないのかい?」

「まだキザシてないがちっスね」

 ココアを啜りながら呑気に応じたアルは、「異能って、身についたらすぐ使えるんスか?使い方とかどうやって覚えるんス?」

と訊ねた。

「まぁ、そうだねぇ…。突然身について、突然使える、としか言いようがないけど…」

 雌虎は頬杖をついて考える。どう説明すればアルに伝わり易いかと。

「だいたいの異能は、覚醒した直後から使い方が「解かってる」モンだ。魚が卵から孵った瞬間から泳げるように、どうすれば

良いかが解かる。感覚としちゃあ、そうだね…、「元々そうだった」って気付くような感じだったか…」

 ダリアは自分の異能が初めて発現した時の事を思い出しながら、息子にそう説明した。

 その時、ダリアはふと感じた。「あ、そうだ。風を使えばいいじゃないか」と。それはまるで何かの作業中に、手元にあった

ドライバーやらペンチなどの存在をそれまで忘れていて、はっと思い出したような感覚だった。

 方法に関しては考えるまでもなく、どうやれば使う事ができるかは感覚的に解かっていた。手かざし一つ、手触りや感触を確

かめるようにして、「普通に」異能を扱えた。

 勿論、異能の種類などによっては、より正確で精密な使用の為に習熟や研鑽を要する場合もあるが、単に使用するというだけ

なら発現したその時から可能になる。

 理論的には、因子汚染がステージ8に到達した時点で、肉体も脳もそのように最適化されて使用可能になる…という仮説が立

てられている。実際にステージ7と8では脳から検知される信号に差があるので、あながち間違いでもないのだろうというのが

ダリアの考え。

「早くビーム出ないっスかね~」

 呑気にのたまう息子の声を聞きながら、ダリアは端末に表示されている所見を読み返し、思う。

 そうなれば良いのに。

 アルに発現するのがビームが出るような異能だったら、何も心配要らないのに、と。

 

 一方、島からモーターボートで移動し、船着き場でアルと別れていたタケミとヘイジは、一緒に熱海市街地を歩いて地下モー

ルへ向かった。

 ヘイジはボイジャー2の整備があり、タケミも調べ物があるので、組合に顔を出して相場価格をチェックしたり、危険生物の

出没傾向を調べたりして、モールを中心に歩いてから普通の定食屋で昼食を摂り、午後からの別行動について話し合う。

「夕方四時くらいの集合でええ?」

「はい。桟橋で…」

 海が見える大窓傍の席で、二人は揃って頼んだ天ぷら蕎麦を啜る。

 タケミの用事はちょっとした調べ物など。ヘイジほど時間がかかる物ではないので、調味料を中心とした食用品の買い出しも

担当する。

「週明けからは土肥行きやさかい、こっちの用事は済ましとかんとあかん。遣り残しとか注意やで?ま、ワイが言わへんでも大

丈夫やけどなー」

 自信の無さはともかくとして、タケミは客観的に見てもしっかり者。ミスも忘れ物もほぼ心配無用なできた少年なので、年長

らしく気を回してやらなければと考えているヘイジですら、口出しは少なくて良いと判断するほど。逆にアルはあれこれ抜けが

あってちぐはぐなので、色々と配慮しなければならないが。

「あの…、土肥って今、お祭りの時期なんですか?」

 向こうで働いていたヘイジなら詳しいだろうと、タケミは狸に訊いてみる。

 ユージンの話では、店も多く出ているタイミングだから丁度良い、との事だったが…。

「せや、ええタイミングやで。何かを祭ったり、神社なんかのイベントやったりする訳やないけど、春夏秋冬、三ヶ月にいっぺ

ん出店も増やして割引なんかもして、街あげての祭りになるんや」

 ヘイジ曰く、これも土肥の大親分の地域振興の一環との事。地域の活性のため土肥に人を呼び込むべく、三ヶ月に一度のサイ

クルで一週間の祭りを開催している。

 その効果は現在の土肥の街並みと活気を見れば一目瞭然。開催されるようになって二十数年になるが、期間中はひとの出入り

が激増する名物的催しになっているのだと狸は説明した。店の安売りや宿の割引、夜市の開催に露天商の増加と、それはもう賑

やかで…。

(「大人の用向き」もあらかたサービス増し増しやったり、割引やら特典付きになっとるから、そっち方面でも金が落ちるて話

は…、タケミはんにはまだ早いし黙っとこうな)

 湯屋に春売り、風俗関係の商いも大盛況になるという事に関しては、少年達にはまだ話さなくて良いだろうと判断するヘイジ。

向こう側ではトライチなどが少年達の世話役引率役に就くだろうから、未成年に不適合なコンテンツと接触する心配は無い。

「タケミはんもアルはんも、昇級に充分な実績は積めたんや。試験に備えて勉強は必要やけど、まだまだ先やさかい羽伸ばして

もええやろ。仕事を一時忘れて楽しんだらええで。…せや、ジュウゾウはん…試刀担当の河馬やけど、何度か会うとるんやって?」

「は、はい。アドバイスとか色々、お世話になって…」

「刃物と「対物切断」の専門家やさかい、「コツ掴めそうかも」て言うとった逆胴の事、意見聞いてみたらええ。何なら南エリ

アの土産話とかも聞かしたって?あの子は土肥から滅多に出ぇへんから」

 あっちもタケミと同じで友達が少ないので、たまには同年代と雑談でも…と思ったヘイジだったが、友達少ない組である点に

は言及しないでおいた。

「はい、そうしてみます…!」

 あの河馬なら斬り方についてアドバイスしてくれるかもしれない。コツが掴めそうなあの斬術の、最適化に繋がる意見がもら

えるかもしれない。

 素直に頷いたタケミの表情を見て、ヘイジは目を細める。仄かな微笑を見るに、どうやらタケミはあの河馬の事が苦手ではな

いらしいと感じて。

 

 そして、一旦別行動になった後でタケミが向かったのは、地下モールにある潜霧組合熱海支所だった。

『認証、「ウォルフ」』

 認識票をサーチしたドアが開き、少年は組合内の情報閲覧室に入る。そこは組合内でデータベースを検索し、調べ物ができる

部屋で、漫画喫茶などのような狭い個室にリクライニングチェアとモニターが設置されており、密閉されて音も漏れず外からも

見えないので、快適に調べ物などに集中できる。

 ここは調べ物をするだけでなく、有料になるが潜霧用の最新地図などもダウンロードでき、潜霧計画の立案やルートの構想な

ど、デスクワークにも向いている。無料のドリンクバーや軽食サービスもあるので、金が無いフリーダイバーにとっては計画立

案の拠点兼事務室として重宝されている。

 椅子についてモニターを前にしたタケミは、認識票を読み取らせて機器のロックを外す。閲覧できる情報には等級に即した制

限がかけられている上に、アクセス中の退室ができないようドアもロックされるため、情報漏洩の恐れは無い。

 今回タケミが調べたかった事は…。

(ダイビングコード検索…、「ウォーリーセブン」…)

 デスク上にはホログラフィック式の入力パネルが、設置されたキーボードのような位置に像を結んでいる。そこにタイピング

するように入力して検索すると、モニターに潜霧士情報が、開示されている限りの範囲で表示された。

(四等潜霧士、「ウィルバー・ブルペキュラ・山岸」…。キタキツネの獣人なんだ…。生年から考えると、サツキ君が言ってた

「ヤマ兄ちゃん」って、きっとこの人だ…)

 さらに情報を呼び出したタケミは、主な探索歴、危険生物討伐経歴などに目を走らせ…。

(な…、何この戦歴…!?)

 目を見張った。機械人形の討伐数と内訳の異常さに。

 そもそも四等潜霧士は、探索許可範囲から言って自ら探さない限り機械人形と遭遇し難い物なのだが、このダイバーは…。

(組合の追記がある…。「討伐申告を行わないケースが多々あるため討伐実数は不明」…?つまり…、えぇと…。本当の討伐数

は、記録以上っていう事!?)

 

 一方その頃、ヘイジはボイジャー2の整備のため、調達した部品類を持って倉庫に潜っていた。

 南エリアでの運用において、ボイジャー2はユージンの要求通り、機械人形と戦える水準の性能を発揮した。これには手塩に

かけてリビルドしたヘイジも満足である。

 だが、少年達と共闘して破壊したあの時、気になる点があったのも確かである。

(苦労はしたけど、ハサミで捕らえるのは可能や。問題はその後…)

 コックピットに座り、モニターに当時のアームクローの駆動データを出し、入念に調べる。足長を捕らえた際の、クロー側に

かかった抵抗力。加圧に対する内側からの反発で生じる、関節部の負荷。

 捕まえはしたが脱出される恐れは否定できない。手足がフリーなら関節部などを破壊されて離脱されてしまう可能性はある。

抵抗を許さずに瞬時にクローで潰すのは、現時点でのパワーと素材では難しい。時間をかければ圧断する事も可能だが、そんな

余裕があれば機械人形が逃げる。

(となると、逃がさへんように何か工夫しとかなアカン…。問題はどうやるか、何をやるか、やな…)

 あれこれ考えてはみたが、案は浮かぶものの構造との兼ね合いで選択肢は絞られてしまい、ひとまず候補案だけ纏めて後回し

にしたヘイジは、

「…そろそろ時間や…」

 ボイジャー2から降りて倉庫の入り口に向かい、近くの作業机に追加で椅子をセットする。それから間もなく…。

「お邪魔するよ」

 ヘイジがロックを解除した気密扉を抜け、ワイシャツにスラックス姿の恰幅が良いアライグマが姿を見せた。

「御足労頂きましてすんまへんなー」

「いや、こっちの依頼だ。それにグレートウォールにもついでの用事がある」

 ヘイジが引いた椅子に腰を下ろしたマミヤは、手渡されたチップ…記録媒体を早速端末に挿し、素早く目を通す。

「実際に見て来た感想ですけど、途中で気付いた事も含めてええ報告ができますわ」

 狸は作業机を挟んで座ると、見聞して回った南エリアの現状等についてアライグマに告げる。搬入物資の内訳や在庫、運送の

手数料などについてのデータを確認しながら、報告を聞いていたマミヤは、

「道路開発用地の取得については目途が立った。グレートウォールに行くのは管理室へ経過報告をしに行くからだが…」

「そらお早いこって」

「急ぎもする。やるべき事は山積みだ」

 ヘイジの目が、光の反射で白くなった眼鏡の奥で鋭くなる。薄々感じてはいたが、今回自分が噛んだ道路開発の件…南エリア

の状況改善に絡んだ情報収集は、おそらく「もっと大きな何か」の一端でしかないと、マミヤの発言で確信した。

「…予想していた以上に勘が良いな」

 ヘイジの様子で内心を察したマミヤは、あっさりと認めた。「国策規模の大規模な計画がある」と。

「事の発端はユージン君だ。戦力が充実していた二十年前を逃し、十年前の事故でも力を削がれたが、今や潜霧士の質も数も全

盛期と並ぶ勢いだ。「今が好機だ」と彼は言う」

 ヘイジは気付く。マミヤの声は聞こえるが、倉庫の空調の音が消えている事に。

(先生の異能…。音が外に通らへんようにしてある…)

 マミヤの異能についてはヘイジも一端しか知らない。公式には「音波に干渉する遮断フィールドを展開する異能」という事に

なっているが、おそらくそれが全てでは無いだろうと確信している。必要でさえあれば、公式記録すら欺く程度の事はやる男だ

と理解しているので。

(単なる防音やったら大将が「究極の異能の一つ」なんて言わへん。おそらく、先生が干渉できるんは音に限らへん)

 雑音が取り除かれ、マミヤの声だけが聞こえる卓上で、ヘイジは…、

「数年以内に、東西南北の長城から「崩落点までの直通道路」を建造する。ジオフロントへの降下を容易にするために、な」

 絶句した。思い描いたのは、大穴のほぼ中央に位置する崩落点へ、四方から伸びる高架道路が描く十字。その想像を補完する

ように、マミヤは計画名を口にする。

「「プロジェクト・グランドクロス」…。全「潜力」をもってジオフロントを制圧する電撃作戦に必須となる、命の架け橋。こ

の建造の前段階として、外周全ての長城と、戦力の移動及び運搬の経路の整備は欠かせない。私やタネジマ君、そしてユージン

君が近年各地で改善すべき点を洗い出していたのは、全てこのためだ」

 アライグマはそこで手元の端末から視線を外し、ヘイジの目を覗き込むように見つめる。

「数年…。現一等潜霧士五名が現役で揃っていられ、マダム・グラハルトが衰えていないこの数年の内が、霧の底へ到達する最

後のチャンスだと、ユージン君は考えている」

 ヘイジは相槌すら打てなかった。

 最大戦力が揃っている内に勝負をかける…。しかし考えてもみれば、ユージンが元からそのつもりでいた事は明白だった。

(プロジェクト・グランドクロス…。大将はここ数年、このために全地区に手回しをしとったんや…。いや、違うで!)

 ヘイジは十年以上前に聞いた言葉を思い出した。

―上手く行きゃなァ、全部いっぺんに片付くぜェ?グフフフフ!―

 あの時自分にそう言った男は、きっとこの計画を知っていた。この計画自体は、おそらくあの頃から存在していたのだ。

(大将が若頭とつるんではった頃…!ジョウヤはんが失明する前…!十年前の大規模流出さえなければ、もっと前に準備ができ

とったんや…!)

 そして確信した。むしろ足踏みしていたここ数年は、タケミを引き取ってからの深いダイブを交えない年月は、ユージンは少

年を最優先にしていた。タケミに、残せるだけの物を残し、渡せる限りの物を渡すための日々だった。

(大将はタケミはんを優先した…。大穴に潜るために生まれて来たような御人やて、皆に言われるほどの潜霧士が、霧よりもタ

ケミはんを取った…。けど、それは「いつまでも」やない…。せやから大将は、タケミはんを一人立ちできるようにして…!先

生やワイに後を託せるように手ぇ回して…!)

 自分が居なくなっても。

 思えばあの金熊は、ちょくちょくそう言っていた。

 

 

 

 長城が光を遮り、すり鉢状の大穴には、闇が溜まるように夜が訪れる。

 崩れたビルの二階部分までだけが風化に取り残された廃墟の外壁に、大きな金の熊が背を預けて座り、携帯コンロの火にかけ

た小さな鍋を見つめていた。

 ユージン単独であれば、宵越しの際にもテントを必要としない。気を紛らわせるためにコーヒーさえ飲めれば良いので、暖を

取る規模の火も防寒具も必要ない。

 湯が沸くのを待ちながら、最後に取っておいた鮭のハラミおにぎりを手に取り、かぶりつく。

「…どうだ?「きょうだい」」

 その呟きに応じるように、ユージンの傍らで濃い霧が流動し、数字と文字を浮かび上がらせる。

「そうか。だいたい予想通りだが…、それにしたって判らねぇ」

 ちらりと金熊が目を遣った先には、暗がりに溶け込むように袋が三つ寝かされている。

 死体袋に収められた三名、それが今回の捜索対象。ジオフロントから上がって来る予定を大幅にオーバーし、捜索依頼が出さ

れた「地図士」達である。

 危険生物に食い荒らされて損傷が激しかった遺体を、依頼通り三人とも見つけて収容したユージンは、検分した際に確認して

いた。彼らが収集して来たはずの地図データが無い事を。

 大穴内の地図情報は、閲覧に制限がかけられる機密事項。それ自体が高値で取引される地図情報…特にジオフロントに関する

情報を金銭目的で狙われる事が無いように、地図士の個人情報は伏せられ、表向きは潜霧士としてダイブしている。

 販売担当などの店舗要員はともかく、誰が現地実働員なのかは、ユージン達一等潜霧士などの一部のダイバーや、政府関係者

を除けば把握できていない。今回の依頼がユージン宛に直接舞い込んだのは、こういった理由からである。

 だが、遺体からは地図データが持ち去られていた。損傷具合から危険生物に襲われたと思える死に様だが実際には違い、偽装

である。

 何者かがこの三名が地図士であると確信した上で襲い、データを奪った。それも、二等潜霧士相当の腕利きばかりのマッパー

三名を纏めて始末して。

「ヌシらは何を見た?ホシ(犯人)は何を持ち去った?ええ?」

 コーヒーを淹れたユージンはのっそりと腰を上げて、死体袋の枕元に湯気立つカップを置く。慰霊というよりは、せめてもの

労いだった。

(殺害犯は不明…。足取りも判らねぇ…。「きょうだい」でも把握できねぇ以上、打つ手はねぇな…。仕事はここまでだ)

 再び火の傍に戻り、カップにザラザラと粉末を落とし、濃いコーヒーを淹れたユージンは、一口啜ってから霧に閉ざされた空

を見上げる。

「なぁ「きょうだい」。時間ばかりかけちまうなぁ、ワシは…」

 その呟きに、霧の文字は答えない。

(…眠っちまったか…。無理させちまった。ゆっくり休め…)

 軽く目を閉じて苦笑を浮かべ、金熊はズズッとコーヒーを啜った。

 

「実りはあった。そう考えてええんやな?」

 美術品が並ぶ部屋で、蝋燭に照らされた男の顔を見つめながら、顔面の治療痕に金属補強を施された狼が問う。

「お陰様で大いにあったとも。もう一度行く必要はないほどだ」

 応じる男の言葉で、狼は軽く眉を顰める。

「何度か行く予定やったんか」

「必要であれば、だがね。もっとも、組織の幹部として仕事は「一応」しなければいけない身だ。気軽に行く事はできないが」

「まるで、そっちの方が「ついで」やて、言うとるように聞こえるで」

 男はあっさり「そうとも」と頷き、狼の方が鼻白む。

「私には私の目的がある。組織の方針と噛み合わない事については、済まないが私事を優先させて貰いたいというのが正直な所

でね」

「………」

 狼は無言で目つきを鋭くした。薄々、組織の方針や理念を最優先としていない気はしていたが、こうまで堂々と認められると

逆に警戒する。

「ああ、心配は要らない。君達はその目的上、私のスタンスを明らかにしておいた方が良いと考えた次第で、他意は無いよ。他

の同僚にあれこれ干渉されず、私個人の采配で働いて貰える人手は少ない。これからも働いて貰う事になるし、組織内で私の立

場が危うくなったら離脱できる程度にアンテナを立てて貰っておいた方が良い」

「マジラさん。…こっちがその話を手土産に、他の幹部のトコに転がり込むとは考えへんのか?」

「考えないとも。君は利口だし、何より自由さを重視する」

 ピクリと狼の眉が上がった。

「他の幹部はまぁ…、良く言えば純粋で、組織の理念に殉じる覚悟を定めている。その一方で頭が固く、他の理念や思想、価値

観を認めない。君達は押し付けられた異なる価値観を強要され、それに従って生きる事を望まないタイプの生き物だろう?そん

な物は、息苦しくて死んでしまう、と…」

「…つまり、信用しとる…と言いたい訳か?」

 狼の問いに、男は「いいや」とおどけて肩を竦めた。

「されても困るだろう?私はただ、君達が他につくメリットがないという事実を、君達の合理的な判断性に照らし合わせた上で

そう結論付けているだけだよ。証明された数式に近い確かさでね」

 どうにもやり難いなと顔を顰めた狼に、男は笑いかけた。「必要だから身を寄せている。その点では、君達と私は同じ、組織

を利用する立場だ。そういう意味では似た者同士と言える」と。そう語る男の顔は、何の構えも無く身内同士で当たり前の雑談

をするような気安さで、口調の軽さとは裏腹に、逆に信憑性がある。

「さっき、組織内でアンタの立場が危うくなったら…て言うとったな。そうなる予感か、そうさせるヤツに、心当たりでもある

んか?」

「おや。心配してくれるのかね?」

「ジブンらの身は心配しとる」

「結構。そのくらいビジネスライクな距離感が、私達には相応しい」

 男は肩を竦め、「まぁ残念ながら、他の幹部の中には私を目障りに感じている者も居るからな。利用させて貰っている立場で

贅沢だが、仲良くしたいのだが…」と溜息をついた。少し寂しそうだが、これが演技でも何でもなく本気で寂しいと感じての発

言なので、ますます狼にはこの男の事が判らなくなる。

「おっと、済まない内線だ」

 男は卓上の、ダイヤル式の西洋電話を模したインテリアを兼ねる電話機に手伸ばす。通話の相手はいつも鼠のマスクを被って

いる右腕の獣人だった。

「ふむ…。なるほど、随分と強硬な手段に出たものだ。地図師殺しとなれば一等潜霧士が捜索に当たるだろうに、痕跡を残さな

いだけの自信があるのか…」

 物騒な話が聞こえた狼は、しかしその程度の事はやる組織だろうと納得もする。厳重な出入り管理がある大穴に、私兵を送り

込み独自に調査するほどの力と土台を持つのだから。

「ああ、その通りだ。そこまでして得たかった…あるいはマッパーズギルドや潜霧士、政府に知られたくなかった、重要な情報

か物品があるとも取れる。ふむ、その両方という線もあるか。あちらには渡さず独占したい何か…。私の方でも探りを入れてみ

よう。他にも掴んだ情報はあるかな?」

 数度頷き、男は「うん?」と少し声を大きくした。思わず、といった様子で椅子から腰を浮かせている。

「暗殺計画…、それはまた穏やかじゃないな。本当に土肥に送り込むと?」

 話しながら男は狼に目を向けた。

(土肥やと?…暗殺…)

 狼が思い浮かべるのは土肥の大親分。確かに、「裏側」にも独自の繋ぎを有する土肥の元締めは、組織から見れば動きを制限

せざるを得ない障害である。まともな手段で除外する事は難しいが、暗殺であれば…。

「なるほど。もう実行者の手配に動いているのか…。判った、ご苦労だったね。引き続き頼む」

 受話器を下ろした男は、右手を机に置いたまま、顎に左手を当てて思案する。少し身を乗り出す格好になったせいで、暗がり

に灯る卓上の蝋燭に、その顔がはっきりと照らし出されていた。

 灰色の髪。灰色の瞳。細面の肌は青白い。年齢的には四十代半ば過ぎとの事だが、整った顔には皺ひとつなく、十や二十鯖読

んでも相手が納得してしまいそうな容姿である。

 美男子と言って良い顔立ちなのだが、しかしその顔は、毛色のせいか肌色のせいか、どこか人形のような作り物めいて見える。

「暗殺やて?物騒な話やないか」

「ああ、そうだな実に物騒だ」

 狼の言葉に頷いた男は、視線を上げて瞳を見つめる。

「古巣の話だ。気になるかな?」

「生きる糧を得るための場所やった。感傷を覚える程の執着は無いわ」

 未練の無さが口調にも表れている狼に「それは結構」と顎を引いて、男は考え込む。

「もし君達が行きたいと言っても許可はできないからな。流石に西エリアでは君達の素性がすぐにバレてしまう。変装だって効

果は薄いだろう」

「判っとる。行こうとも思ってへん。で、何をそんなに考えとるんや?」

「いや…、目的だよ。リスクとメリットのバランスと言ってもいい。土肥に仕掛ける事で得られるメリットと、失敗した際のリ

スクさ。我々がこれまで手出しして来なかったのは、単純に土肥の大親分そのものが脅威だから…つまり手を出すには厄ネタ過

ぎる存在だからだ。…いや待てよ?もしかすると…」

 マジラはふと何か思いついたように言葉を切り、黙考した。

「…有り得るか…」

「何がや?」

「「逆」かも、という事さ」

 男は肩を竦めたが、狼には意味が分からなかった。

「しかしまぁとりあえずは、だ。君達には別件の備えとして待機しておいて欲しい」

「別件?」

「難しい事じゃない。私が動けない状況だったとしても、地殻変動の状況を確認して欲しくてね」

「あらかた調べたやろ?」

「いやそうじゃない。「次の分」さ」

 狼が眉根を寄せ、それからハッと目を見開く。

「近い内に来る「本震」後の状況をね」

 

 同時刻。南エリアと崩落痕の中間地点、地下空洞には至らない、地中を無数に走る鍾乳洞の一つ。

「…どういう事かナ」

 発光する粘菌のおかげで、うすらぼんやりとした灯りがある洞窟の中、大柄な影が呟いた。

 太い指がついっと、壁面を走る亀裂をなぞる。真新しい亀裂はその表面部分から、撫でられただけで砂粒のように細かな破片

をパラパラと霧に落とした。

 昔話に登場するような蓑を背負い、腰の筒に畳んだ和傘を収め、下駄をはいたその男は、熊と見紛うような巨躯の狸。高さも

あるが恰幅も厚みもあるので、薄明りの中に影が浮かんでいると、霧に滲んだ輪郭はやたら丸っこく見える。

「ここも予想が外れた…って言うより、どうにもおかしいよ」

 狸は分厚い胸の前で腕を組むと、耳を倒し困ったような顔になって考え込む。

「思ったより範囲が狭過ぎるし、規模も軒並み想定以下だナ。ボクの勘が外れたっていうだけなら全く問題ないけど、そういう

甘い話じゃなさそうだネ。これはたぶん…」

 ぶつぶつとひとりごちる大狸の背後から、そっと近付く影があった。

 霧に溶け込む真珠銀の体表。駆動音が全く漏れない特殊樹脂でシーリングされた球体関節部。そして、二足歩行する人型であ

りながら、長過ぎる、そして細過ぎる頸部…。

 「ろくろ首」。音も無くそろりと伸びる、大部分が胴体に収納された首が特長の機械人形。

 頸部収納時の外観は一つ目小僧などと変わらないオーソドックスな人型だが、直径5センチほどの柔軟性が高いケーブルネッ

クを、30メートルほども伸ばす事ができる。顔の上半分には蜘蛛のように、大小サイズ違いのセンサーアイが多数並んでおり、

一つ目小僧や手長足長とは別格の索敵性能を誇る。

 強靭で柔軟なケーブルネックは人工筋肉とも呼べる伸縮性の特殊樹脂を内蔵しており、それ自体が対象に巻き付いて絞め殺す

事も可能。しかしその最大の特色は、伸ばして接近させた頭部が散布する強酸である。

 ろくろ首が顔の下半分を、まるで昆虫の下顎のように左右に分割展開させる。シャワー状散布形態に調節された口内のノズル

が、狙いを狸の後頭部に定める。

 直後、霧が荒れた。

 気紛れな秋の旋毛風が前触れも無く巻き起こったかのように、洞穴の一角で霧が巻いたのは、壁の亀裂を検分していた狸が急

激に動いたせい。

 下駄の歯で踏み締めた左足を軸に反転。抜刀するように右手で引き抜いた和傘が、頭上に真っ直ぐ振りかぶられ、振り向きざ

まに鋭い物へと変化した双眸が、自身に迫ったろくろ首の複合センサーアイを見つめた。

 そして、轟音。

 攻撃態勢に入った上位機種の機械人形が、まともに反応さえできない一瞬の動作。洞窟内を荒れ狂うのは、粉塵と霧と衝撃波。

 立て続けに鳴った二度の轟音の後、反響を残して洞窟内に静けさが戻る。

 やがてもうもうと立ち込めた粉塵が落ち着いた後に現れたのは、振り下ろした和傘を腰の筒に戻す大狸と、その眼前の地面…

まるで隕石が落ちたかのような擂鉢状の窪み。

 直径1メートル程度の極小クレーターの中心には、先端…頭部を丸ごと失っているケーブルネック。

 そして15メートルほど離れた壁面には、和傘で殴打された胴体部分が半ば千切れかけた状態で、めり込んで機能停止してい

るろくろ首。

 野球のスイング後のフォローモーションを思わせる、太い胴体を大きく捻った状態の大狸は、何事も無かったように和傘を腰

の筒に戻し、また壁面に歩み寄って罅割れを調べ始めた。

 振り向きざまにろくろ首の頭部を打ち据えて叩き落とし、瞬時に詰め寄って横薙ぎのフルスイングを胴体に叩き込み、真珠銀

の装甲ごと内部フレームまでひしゃげさせる…。和傘の強度もさる事ながら、威力自体も尋常ではない。ワゴン車一台を大破さ

せ、宙に浮かしつつ横転させることも可能なほどである。

「最近は機械人形が随分働き者だよ。あの四人は無事かナ?まぁ、三人はマッパーだし、帰るだけなら滅多な事はないだろうけ

どネ」

 先に道を示して送り出してやった四人組の探索者の事を思い出す大狸。

「…「次の揺れ」が来る前には、大穴には居ないはずだよ」

 

 大隆起後の伊豆半島には、無数の小島が浮上している。財力があればそちらに家を建てたりもするため、海上タクシーや海上

宅配は産業の一つとして確立していた。

 神代潜霧捜索所も、出前を取る時は海上宅配サービスが届けてくれるのだが…。

「まいど!ピザバットさんからお届け物でーす!」

 体格が良い肥満体のイリエワニが、ニコニコしながら三段重ねの箱を両手で差し出した。

 恐竜かと思うような重量感がある巨体で、水上バイクを駆るため、着用しているのはウェットスーツ。おかげで肥満体のムチ

ムチしたボディラインがよく判る。

「あ、どうも、です…」

 初めて見る顔にタケミは戸惑う。というのも、いつも来ていたのは犬獣人…テンターフィールドだったからである。

 伊豆半島の水上宅配は、障害物や岩礁も覚えなければいけない性質上、どうしても習熟と慣れが必要で、配達エリア毎に担当

が決まっている。担当者がポンポン変わるような事は無く、届けに来るのは基本的にいつも同じ顔。他の配達人が来たのはタケ

ミの経験上初めてだった。

 初めて来た鰐だが、配達人の制服でもあるウェットスーツの左胸に「effect delivery」のロゴが入っているので、正規配達人

である事は間違いない。

「あ、城ケ崎から異動で地区担になりましたんで、よろしくです!」

 二十代半ばか後半か、そんな年頃の鰐はタケミの戸惑い顔を見ると、愛想よく笑って説明した。獣人としても大柄な部類に入

る2メートル越えの大男なのだが、牙がズラリと並んだ大口をカパッと開ける笑顔は不思議と怖くない。いつも朗らかに機嫌よ

く笑っている…そんな印象の笑顔だった。

「よ、よろしくお願いします…。あの、前のひとは…」

 事故でもあったのかと心配になったタケミは、

「何か良い条件の所からヘッドハントあったみたいで、そっちで海上運送の仕事やるみたいですよ。ああ、アイツ後輩なんです

けどね?いやー、収入追い抜かれた!うはははは!」

 豪快に笑う鰐は、厳つそうな顔と巨体に反して気が良い男のようで、タケミは少しホッとする。

「あの…、もしかして、お兄さん…、東北の方出身だったりしますか?」

「え?何で判ったんですか?」

 実は鰐のイントネーションなどに微妙な訛りがあったり、所々濁音が抜けきっていない発音になったりしていたのだが、本人

は気付いていないらしい。

「ボク、秋田出身で…」

「え!?そうなんですか!オレは福島なんですよ!会津若松出身!もしかしてオレ訛りとか残ってます?いっや~!はっず~!」

 鰐は入江出海(いりえいずみ)と名乗ると、懐っこく笑いながら片手を上げ、肩からかけた防水バッグを揺らして立ち去った。

「タケミは~ん、オニオンスープそろそろええで~」

「あ、は~い!」

 配達人を見送ったタケミは、両手でしっかりピザの箱を持ったまま、肥った体を少し横揺れさせながらとてとてとダイニング

へ戻る。

「節約生活もたまにはお休みや!タマネギとブロックベーコンた~っぷりなスープ、ワイの数少ない洋食レパートリーやさかい、

堪能したってやー!」

 たまにはタケミも食事当番を休まなければと、エプロン姿の狸が腕を振るったスープとマッシュポテトで、ふたりの少し奮発

した夕食が彩られる。

「配達人と何かあったん?」

「配置変更で新しい配達の人でした。会津出身だって…」

「ほ!疎開組でもないのに東北民なんて珍しい。まぁ大親分も実家が岩手で、大隆起まではあっちで暮らしとったそうやし、ワ

イの周りにはちょいちょいおるけど。どんなひとやった?」

「獣人で、体が大きい…ヘイジさんお鍋が!」

「わお!吹いてまう吹いてまう!鎮まれ~!鎮まりたまえ~!」

 一方…。

「配達ワニ~♪配達ワニ~♪貴方のお宅にこんばんワニ~♪」

 歌詞がだいぶ適当なオリジナル作業ソングを口ずさみながら、運送コンテナを取り付けてある大型水上バイクに跨ったイリエ

ワニが、

「例え火のなか霧のなか~♪…おっと!」

 夕暮れの海へ漕ぎ出そうとしたタイミングで、受信して振動した端末を取り上げた。

「あいあい!イリエで~す!もしも~し?」

 応答した鰐の、笑みに彩られていた顔から、表情がスッと消える。

「…もう「仕事」は受けねぇって、言ったはずだぜ?」

 藍色の瞳が剣呑に、硬質な光を湛えていた。

 

 

 

 大きな木製のたらいのような円形の檜風呂から、かけ流しの湯が溢れる音が長閑に浴室に響く。

 湯気立つ中、湿った床に胡坐をかく大きな猪の背中や肩を、膝立ちの格好で泡立てたスポンジで洗っているキジトラ猫が、「

では、担当を申し付かります」と頷いた。

「二人ともオメェに懐いでっからな。よろしぐしてけろ」

 ハヤタの念押しに再び頷いたトラマルが、スポンジを脇腹の方に動かしながら床についている膝の位置を動かすと、大猪は応

じるように右腕を上げて、洗い易いように姿勢を変える。

「クマシロ潜霧捜索所の滞在は三日ほどになるそうです。前回と同じくつきっきりになりますから、その間はお世話に抜けが出

ますので」

「んだな。まぁ、そいづぁしかだねぇべ」

 トラマルはハヤタの腋の下から脇腹を擦り洗いし、大猪が上げた右腕を潜り、あぐらをかいている太腿に右手を乗せて上体体

重を支えた。そうして四つん這い…否三つん這いの姿勢になりながら、デンと突き出た腹部や分厚い胸を、肉の割れ目や段の下、

臍の穴まで丁寧に洗ってゆく。あまりにも体格差があるせいで、座った巨漢に子猫が体をこすり付けて甘えているようにも見え

る、微笑ましい光景である。

 隅々まで洗うトラマルの手つきがこそばゆくも心地良く、ハヤタの目尻に皺が寄り、時折巨体が震える。その息遣いを聞きな

がら、トラマルも上機嫌に尾を揺らしていた。

 時間帯は深夜。潜霧の予定に、地区内のいざこざの調停や、他の一家の親分達との会合、地域の寄り合い等々、毎日多忙なハ

ヤタにとって、こうして気心知れた側役と一緒にゆっくり湯を楽しんでくつろげる時間は日々の栄養剤。

「その間、湯あみも御一緒できない日が出るかもしれませんが…」

 手を休めないまま上目遣いに窺ったキジトラ猫に、頷く動作のまま顔を下ろした大猪が、額へキスを落とした。

「その間ぐれぇは我慢すってば。寂しいげどもな」

「…そうですか」

 チョンと軽くおでこに触れる程度の口付けで、耳を左右に倒したトラマルが嬉しそうに微笑む。

 桶から湯が注がれ、巨体から残らず泡が流されると、ハヤタはトラマルをひょいっと抱き上げて、軽く抱き締める。抱き上げ

られて足をぶらぶらさせる格好になっているトラマルの腕は、ハヤタの太い、文字通りの猪首に回っている。

 今度は唇を重ねる格好で軽く口付けしながら、ハヤタは湯船の縁を跨ぎ、抱き上げたトラマルと一緒に肩まで沈む。たちまち

溢れた湯がもうもうと蒸気を上げ、温泉成分が混じった湯の香りが充満する中で、

「かくまったお客様の件ですが…」

 トラマルはハヤタの耳元に口を寄せ、一時の水音に紛れる小声で手短に、抱えたトラブルの火種の様子を手短に伝えた。

「…わがった。現状維持、ただし監視は外すな」

「心得ました」

 中天の月に雲がかかる。

 朧月がか細く、土肥の眠らぬ街を照らしていた。