「影と雷」
黒刀が白い霧の中に浮かび上がる。霧の湿気に濡れたその刀身から、少し薄まった赤がポタポタと、切っ先を離れ地面に落ち
てゆく。
日本刀を思わせる太刀を右手にぶら下げた男は、片足をコンクリート塊に乗せて踏みつけ、15メートルほどの緩い下り坂を
見下ろしていた。
身長は170台半ば程度。筋肉質なボディラインが判る濃紺のスーツを身に纏った男は、狼の頭部を象った黒いヘルメットを
被っている。そのヘルメットの細いレンズから、切れ長の目が見つめるのは、真っ白な蛇の頭部。
とはいっても、普通の蛇ではない。体長20メートル、首周りが大人の腕で一抱えほどもある蛇である。
真っ白な巨大蛇…、大蛇(おろち)と呼ばれるその危険生物は、暗所と霧中での活動に適応した進化を遂げており、眼が退化
して無くなっている。全身を覆う鱗は真珠色で、その巨躯もあって、目にした者には何処か神秘的な美しささえ抱かせる。
眉間に一刀、迎え傷。返して一刀、首落とし。
手負いだったとはいえ、たった二刀で仕留めた男は、大蛇のチロチロと前後していた舌の動きが止まり、絶命した事を確認す
ると、刀を一振りして返り血を飛ばし、鞘に納めてから両手を合わせ、合掌する。
「採らせて貰う…」
呟いた男が目を開けて見つめるのは、大蛇の口腔から覗く牙。超硬度セラミックを超える、危険生物の外殻を易々と破壊でき
る強度もさることながら、強力な毒液を注入する穴も備えている、一級品の希少素材である。
男の名は不破御影(ふわみかげ)、二十八歳の一等潜霧士。
物静かで思慮深く、責任感も強い。若いながらも仕事ぶりを評価されているが、腕前は勿論の事、その性格もまた信用の一助
となっている。しかし慎重過ぎる所が時に欠点にもなるというのが所長の評。
「おーい、ミカゲー!どうだー?」
霧の向こうから野太い声で名を呼ばれ、男は顔を上げた。
「ユー、ここだ」
男がトーチを高々と掲げ、灯して合図すると、大蛇を追い立ててここへ誘導した相棒が、巨躯を揺らしてドスドスと、足音も
高く歩いて来る。
「済んだか?」
「運良く骨の隙間で首を切り落とせた。頚椎も綺麗に回収できるし、たぶん苦しまなかったと思う」
近付くにつれて輪郭がはっきりしてきた相棒に、男はそう答えた。
霧を押しのけるようにして現れる巨躯は、2メートル50センチほどもある。濃紺のジャケットを前をはだけて裸体の上半身
に直接羽織り、同色のズボンを身に付けている巨漢は、赤金色の被毛を纏う大兵肥満の熊だった。
両袖を肘まで捲り上げ、胸も晒して臍も出している。腰にはリボルバー式の拳銃を一丁吊るしているだけの軽装だが、これで
戦車と正面からやり合えるだけの戦力を有する。
「そりゃあ上々。だが二人じゃ持ち帰れる分も少ねぇなぁ…。残りは情報流しても良いか?」
金色の熊…ユージンはミカゲと同じく二十八歳の一等潜霧士。豪快で陽気、腕っぷしの強さは界隈でもトップクラスとの評判。
良くも悪くもざっくばらんで、大雑把かつ大胆過ぎる所が玉に瑕というのが所長の評。
「ああ。他の潜霧団にお裾分けと行こう。確か、明日ジオフロントに降下予定の所があったはずだ。帰りに会えたら伝えるか、
メッセージを残すか…」
十五の歳から潜り続けて十三年。ふたりとも若いとはいえ、ベテランと言える経歴の持ち主であり、腕利きである。このジオ
フロントにツーマンセルで潜れるほどに。
「必要な物を優先して、持てる分だけ採取する」
「おう。とっとと解体しようぜ」
ユージンが大蛇の牙に手をかけて生首を起こすと、頷いたミカゲは腰のトーチを手に取り、上部に電動丸鋸をスライドアップ
させた。
ふたりの周辺には滑らかに光る金属のビルが立ち並び、頭上にはジオフロントの赤い空が、傾いた墓標のような数十階建ての
ビルの隙間から見える。
2千メートル近く上空…鍾乳石が無数に生えた天井には、この地下空間を照らす照明が埋め込まれている。それが空の赤さの
正体。大隆起を経てなお稼働している地熱発電と、表層に設置された太陽光パネルによる給電で、今も警告照明のまま地下空間
を照らし続けており、この乏しい光の下でも菌糸類は生育し、ここでしか見られないコケやカビ、キノコ類もある。
皮肉な事に、ここにも昼夜がある。太陽光による給電量が減ると照明の出力が落ちるため、ここでは夕暮れの明るさから赤提
灯が照らす夜道の明るさまで、光量が変化する。
ジオフロントは大雑把に、中央部と外周部の二つのエリアに分けられる。
二人が居る中央部の「大空洞」は、逆さにして皿に載せたプリンのような形状の空間である。
かつての栄華を偲ばせながらも、崩落した岩盤や倒壊した建造物などで大半が瓦礫の山と化し、地底湖に浸食されつつある、
赤い空と崩落点の亀裂を頭上に望む死の都。
大空洞部分は最大で高さ2千メートル。面積が直径29キロにも及ぶ円形。地上から見れば、表層から約4千500メートル
の深さにジオフロントの天井がある、文字通りの地底都市。
大隆起で崩落に見舞われながらも、なお大半が残ったその広い空間には、天井と底面を繋ぐ数十本の柱が立ち、その合間を縫
うように、無数の白い半透明のチューブがカーブを描いて走り、天井の中に消えてゆく。
地下空間は元からこうまで整っていた訳ではない。元々は入り組んだ鍾乳洞と、地殻変動で生じた亀裂などが繋がってできた
地下空洞で、現在の形になったのは、崩落防止の強度を計算し、アーチ状に構造材を埋設して、地下都市として整備した結果で
ある。
底面と天井を結び、内部にエレベーターを抱えた無数のシャフト。今も一部が崩れ落ちずに残る、ハイパーアクリル製の中空
パイプを通るエアロトレイン。既存の技術で建造されたコンクリート製の建物は破損が激しく、倒壊している物も多いが、今も
崩れず残っているビル群は、一つ二つ未来を先取りしたような、錆びず劣化しない金属質の壁と、電圧で可視方向と透明度を切
り替えられるガラスでできている。
崩落点を経由する各種侵入ルートの多くはこの大空洞に繋がっており、潜霧士達は天井部に出てからそのルート毎の手段で底
面まで降下していた。
そして大空洞を取り巻く外周部…地中設備群は「作業壁」と呼ばれ、ジオフロントの三分の二を占めている。
伊豆ジオフロントと言えば大空洞と地底都市の景観が有名だったが、それを支えるこちら側…つまり支えであり拡張工事の場
であった外周部の方が、よほど広大である。
地熱発電設備や取水設備、当時まだ拡張工事中だったエリア、ジオフロント外側の補強のために構造材を埋設していた作業エ
リア、地上への搬入搬出を担っていたエレベーターシャフトなど、迷宮のように入り組んだ構造が特徴。工場内部のような場所
もあれば、運搬トンネルのような空間や、暗渠のような水が流れる水路もある。崩落点以外のルート…埋まらずに残った搬入搬
出路や、空調設備、水抜き用の地上と繋がる空間はこちら側…作業壁に繋がっている。
かつて青白かった大空洞の天井照明や外壁の光は、赤い警告用非常灯に切り替わっているものの、その稼働中の光源の数は星
のように多く、無人になってなお、ひとの手で運用されている工場のような印象を受ける。
ジオフロントの名の通り、そこは正しく開拓線であった。地底を開拓するという意味もあったが、それ以上に、生命と進化の
可能性を開拓する最前線だった。挑戦的な先進技術と、制限の無い予算を投入して造られた、夢の残骸…。それが、今の伊豆ジ
オフロント。
だが、ふたりが今居るジオフロントの地面ですら、本当の終着点ではない。
この下にあるはずの、伊豆生命進化研究所の研究施設…、本当の「底」へのルートがまだ見つかっていない。大隆起後に投入
された自衛官等千数百名の人員と、ほぼ同数の潜霧士の命を捧げ、二十年も経ちながら、事態を解決する糸口はまだ誰にも掴め
ていなかった。
ミカゲとユージンは今回ふたりだけでダイブしている。それぞれ腕は立つが、慎重過ぎるきらいがあるミカゲと、豪胆さが行
き過ぎて粗雑なユージンは、短所を補い合う名コンビ。普通ならもっと大人数で挑むべきジオフロントだが、このふたりのペア
であれば、所長も2名だけでの捜索を許可する。
潜霧計画は最長一週間の予定で、今日は五日目。明日には引き上げに入る。貴重な素材などは手に入ったが、本来の目的…さ
らに下へ行くための手掛かりは今回も見つからなかった。
「尾骨は惜しいが…、帰りのゴンドラに積めないな。諦めて置いていこう」
「だな。勿体ねぇが仕方ねぇ」
いくらユージンが怪力でも、運べる量には体積上の限度がある。持ち運べる数の回収袋に収まる量だけで我慢しなければなら
ない。
「大牙は二本とも傷一つねぇ。これでヨウコの十字槍も新調できるな。また喜ぶ顔が見れるじゃねぇか。ええ?」
サイズの割りに驚くほど軽い牙を手に取り、同じ事務所の同僚の顔を思い浮かべたユージンがポンポンと手の上で弾ませなが
ら言うと、
「………頚椎は、俵の親父殿が欲しがっていたな」
少しの沈黙を挟み、ミカゲは目線も上げずに採取を続けながら応じる。
その様子を、軽く眉を上げて見下ろしたユージンは、つまらなそうに視線を横に逃がした。
「機械人形がアヴェニューを巡回してるのを見かけたぜ。狒々(ヒヒ)共もねぐらに移動し始める頃合いだ。ワシらもそろそろ
引っ込もうぜ」
「ああ…」
空が暗くなる。地上では日没が迫っている。ふたりは作業を急いで済ませ、その場を離れた。
ジオフロントには、濃い霧の中で育った危険生物だけでなく、今も稼働している自律警備システムや、駆除用の機械などが徘
徊している。
しかし、活きているのはそれらだけではない。建物の中には機能の一部が稼働中の部屋を抱える物もあり、公共交通機関の跡
などには当時の避難所などが利用可能な状態で残っている事もある。また、機械の巡回ルートに入っておらず、危険生物の侵入
も防げる、崩れた建造物なども存在する。有毒ガスなどの発生に備えて取り付けられている空気清浄機能が、今でも地熱発電の
供給で稼働している所もあり、そういった部屋はドアを閉めて密閉すれば数分で霧も除染される。
潜霧士達はこれらを「セーフルーム」と呼び、補修したり様々な品を持ち込んだりして、ジオフロント探索の拠点としている。
採取作業を終えた二人が向かったのは、かつてはジオフロント内にいくつもあった案内所の瓦礫。二階建ての案内所は大隆起
の揺れて潰れ、屋根が地面の高さまで来ているが、緊急時用の丈夫な避難スペースが半地下構造だったため、内部はまだ利用で
きる。
ビル等にも使われている金属壁で覆われたそこは、5メートル四方の空間で、天井までは3メートル弱。ユージンには少々息
苦しい狭さだが、持ち込まれている機材のおかげでそれなりに快適な休息が可能。
安全を確かめるユージンに続いて、ドアを潜ったミカゲがロックをかけるが、これは危険生物の侵入を防ぐ事だけが目的では
ない。誰の目も届かない所だからこそ、欲に目がくらんだ同業者にも注意しなければならない。獲物の分け前などを回して相互
協力関係を作る不破潜霧捜索所などとは「遣り方」が違うダイバーも多いのである。
「除染機入れるぞ」
多目的作業ツールであるトーチはこんな時も役に立つ。ライトモードにして灯りをともしたユージンが、明るくなった部屋の
中にある、空気清浄機のような機械の電源を入れた。
この部屋の本来の配電設備はもう死んでいるが、持ち込まれた除染装置が地熱発電のケーブルを引き込んで使用可能にされて
いる。浄水装置もあり、少量だが真水も確保できる。そして缶詰などの保存がきく食料も、事務所名やチーム名などが記された
コンテナに詰め込まれて設置してある。設備は基本的に所属関係なく共用され、食料や飲料に関しても困った時は使ってよい事
になっていた。
こうして各所のセーフルームはジオフロントにダイブした潜霧士達の手で、改修及び維持され、前線基地となっている。
「そろそろ除染も済んだか?」
ジャケットを脱いで上半身裸になったユージンが振り返ると、腕部のディスプレイを確認していたミカゲは、おもむろにヘル
メットに手をかけた。
外された狼型メットの下から現れたのは、精悍な若い男の顔。
因子汚染率はステージ2。まだ獣化の兆候が見られない人間男性。
人間の姿のままこのジオフロントまで潜って来られる者は極めて少ない。人間のままでは多くがここに至るまでに命を落とす。
そして、命を落とさなかった者も霧に浸食され、獣化が進行する。霧が齎す唯一と言って良い恩恵…獣化進行による身体性能の
上昇や異能を獲得を経ずに、ミカゲはここに到達している。
黒絹のような美しい髪と切れ長の目は母親譲りで、目鼻立ちも整っている。しかし優男と言うほど弱々しさはなく、キリリと
した男前。
本人は、エラが張って獅子鼻の、弁当箱のようとも形容される厳めしい父の角ばった顔に似せたくて、真似て髭など生やして
みた。が、どうにも若過ぎて顎髭が生え揃わず、今はやっと生え揃った口髭を整えるだけで我慢している。これがまたそれなり
に様になっていて、品の良いバーテンダーや英国紳士のようにも見える顔になっていた。
「持ち込んだ飯と保存食は、今日食う分でトントンだな」
ユージンが食料の残量をチェックしながら缶詰を並べ始めた。古い物から口をつけて、持ち込んだ新しい物を置いて行くのが
潜霧士達のサイクル。缶詰と乾燥食料をいくつか物色して、テーブル代わりのマットの上に並べる。
その後ろでミカゲは武装を解いてスーツを脱ぎ、過ごし易いアンダーウェア…タンクトップとボクサーパンツに着替える。こ
の部屋は空気清浄機のおかげでマシだが、大規模空調設備がのきなみ狂ってしまったジオフロントは地熱の影響で常に熱帯、休
息時は薄着が推奨される。
「浄化済みの水は、明日飲む分だけ残して使っちまって良いだろう。そら」
ユージンが洗面器に保存ボトルに小分けしていた水を注いで差し出すと、「先に使え」とミカゲは遠慮した。が…。
「ワシの体を先に拭っちゃあ、ヌシが使う分がなくなっちまうぜ?良いから使え」
「………」
無言のミカゲ。ユージンは少し考え、「後にするか」と洗面器を引っ込める。
「食え」
蓋を開けた鯖の缶詰と、コンビーフを差し出したユージンは、水に乾燥食料と錠剤を溶いて常温のスープも準備する。彼らの
携帯食は普通に流通している缶詰が主だが、栄養補助のための合成スープの素や、各種ビタミンを配合したドロップ、栄養補助
用の錠剤などを併用する。圧縮カロリーとも言えるそれらは美味いとはお世辞にも言えないが、体力勝負の潜霧においては生命
線である。
質素な食事に取り掛かると、ユージンはブロック状の味気ない乾燥食料をモソモソ齧りながら、ちらりとミカゲの顔を窺った。
缶詰に視線を落として食事する若者は、無言である。しかしミカゲはそういう習慣の男という訳ではなく、普段ユージンと食
事している間は雑談が絶えない。必要ではない時に黙っている事を除けば、日頃から声に出してのコミュニケーションを意識的
に取る。余裕がある状況では頻繁に軽口を叩く。今は特別、珍しいほど静かなのである。
(ワシがヨウコの話に触れたからか…。神経質なこったぜ)
金熊は理由を察し、呆れ顔になった。
とはいえ、「こういった事」に関してミカゲが神経質なのか、自分が無神経なのかはよく判らない。ただ、気を付けようとし
ても大雑把な性分はなかなか直らないので、自分のがさつな部分も大きいだろうなと、ユージンは思う。
(いつかは切り出さなきゃいけねぇ話だ。いい機会なのかもな…)
所長は潜霧組合の会合があるため、今回はダイブしていない。理事の一人なので欠席できないのである。
主力の一人であるダリアと、最近彼女とツーマンセルを組む事が多い女性潜霧士のヨウコは、不破潜霧作業所に入ったばかり
の新人…六等潜霧士達を引き連れて各種実地訓練を連日行っている最中。
他の所員達も表層が対象となる依頼をこなしているので、現在ジオフロントに潜っている所員はふたりだけ。
「なぁ、ミカゲ」
手早く飯を食い終えて、若者が食事を終えるのを待ってから、ユージンは口を開いた。
「明日には引き上げだが、体力、余ってるか?」
口の端を上げ、目を細める。濡れた眼光を受けたミカゲは、少し目を大きくしてから元に戻し、頷いた。
「そうかそうか。水を使い切るのは後にして…」
腰を浮かせたユージンは、空になった缶詰などをシートごと部屋の端に寄せると、のっそりとミカゲに近付き、中腰で身を乗
り出して頭に鼻先を近付ける。
そして、前髪をかき上げて露わにした額に、軽く口付けした。
「ジオフロント籠りも今日までだ。邪魔が入らねぇところで、スケベしようぜ…」
眼前でベロリと舌なめずりする金熊の口元。乾燥食料のクッキーのような匂いが混じる息と共に吐かれた言葉に、ミカゲはや
やあってから頷いて…。
トーチの灯りを消された室内は、機器類の通電を知らせるランプ類と、出入り口を示す非常灯の弱々しい光だけになる。
暗闇の中、点在する乏しい光源に照らし出されるのは、重なる二匹の雄の影。
股を広げて仰向けになっている巨大な熊が、湿った熱い息を漏らして喘ぎながら、「ミカゲ…」と相棒の名を呼ぶ。
「撫でてくれ…」
「ん…」
ユージンが広げた脚の間、下側から仰向けの熊を眺める格好のミカゲは頷いて、汗で湿って光の反射を強めているユージンの、
仰向けになってなお盛り上がり、張りのある腹に手を這わせ、胸の方へと撫で上げる。
犬がそうであるように、ユージンは仰向けになって腹や胸を撫でられるのを好む。これは獣化が大きく進んだ者達にも見られ
る傾向で、うなじや背中をさすられたり、尻尾の付け根を摘まむように撫でられたりするような、スキンシップを好む者はそれ
なりに多い。
盛り上がった肉厚な胸の、被毛の中に埋もれている乳首を指先で撫でられ、吐息の音を激しくさせたユージンは、股間のモノ
をいきり立たせた。
ほどにもなる陰茎。根元が厚い肉に埋まっているので全長こそ短く見え、体の大きさに比較すれば小さく思えるが、勃起時のサ
イズは相当立派な部類。
ミカゲの指が肉厚な胸を揉む。密生した被毛と厚い脂肪の奥に、弾力のある筋肉がミッシリと詰まっている胸は、乱れた呼吸
で普段より高く上下している。
世界中の誰よりも、ユージンが感じるポイントや好む弄られ方を、把握しているのがミカゲだった。
振り返れば、十三の頃からこんな事を始めた。「こういった事」をするようになるまでが、子供らしいじゃれ合いの延長線上
にあった。よくある、成長期に伴う体の変化を、身内同士で話したり見せあったりという所から、スキンシップと合わさって、
互いの秘所を弄らせる行為に発展していった。それが交尾の真似事になるまで時間はかからず、成人する頃には情事で夜を明か
す事も珍しくなくなっていた。
最初は、気持ち良い事に気付いたが故の好奇心から、性欲の発散の手段という認識を経て、今では殆ど習慣のようになってい
る。ただ、これが恋慕の情による性交かどうかという点については、ふたりとも懐疑的である。肉欲以外の物は確かにある。し
かし、自分が相手に抱く気持ちを何と呼べばよいのか、お互いに判らない。恋愛感情であるか否かも含めて。
幼少期から一緒に、分け隔てなく育てられたふたりには、血の繋がりはなくとも兄弟愛がある。背を預けあう代わりの居ない
相棒として、優れた潜霧士として、友愛や敬愛、信頼の気持ちもある。しかし余りにも距離が近過ぎて、共にした時間が長過ぎ
た。互いを想う気持ちは確かにあるが、それは恋愛というほど大仰な物ではなく、「当たり前の何か」に落ち着いているのでは
ないかとユージンは思う。
薄明かりが照らすミカゲの筋肉質な体を、金熊は薄目で見る。
二つに割れた逞しい胸。腹筋が浮き上がっている腹部に、筋肉で臀部までのラインが盛り上がっている太い腰。鍛え抜かれた
体はプロレスラーのようでもあり、英雄の姿を彫刻した見事な像のようでもあった。
股間からはヘソのすぐ下まで反り返っている陰茎。まるでボディビルダーが力を込めた腕のように血管が浮いており、顔に似
合わず凶悪な太さ。単純比較では体格で上を行くユージンよりも大きい。
「んっ…!」
軽く首を捻って顔を横向きにするユージン。その太い脚の付け根が交わる位置で、ミカゲの指が体内に侵入している。
肛門をほぐして広げ、馴染ませる手付きには慣れが感じられる。そうしてもぐりこませた指先で、前立腺を巧みに刺激する様
も手慣れていた。
「ミカゲ…、そろそろ…入れてくれ…」
しばし喘いでいたユージンが、我慢できなくなった様子で声をかける。亀頭が丸々と膨れ上がって充血した陰茎は、先走りで
根元まで濡れそぼっていた。
「ああ、行くぞ…」
既に硬くなっていたミカゲの陰茎が、ユージンの尻に押し当てられる。
ユージンがググっと圧を感じたのも一瞬の事、その尻は最も太い部分をヌポッと飲み込み、ミカゲのソレを受け入れる。
「んぐ…!んっ…、んぅ…!」
一気に奥まで侵入されたユージンが鼻の奥を鳴らして息を零し、腰を打ち付けるように股へ密着させたミカゲも、フーッと長
く息を吐く。
そういう事をずっと繰り返してきたから、ユージンのソコとミカゲのナニは良い具合に馴染んでいる。受け入れはスムーズで、
締め付けは適度で、互いが快感を覚えるポイントを熟知していた。
ユージンが尻の穴を閉めるように力を込めれば、ミカゲは陰茎を吸引されているような締まりを味わい、鍛えられた体に浮い
た玉の汗が音も無く伝い落ちる。
ミカゲが締まった尻にえくぼを浮かべて腰を突き出せば、ユージンは挿入された熱い肉棒が敏感な部分を突いて来る感覚に酔
い痴れる。
お互いの体を隅々まで味わい尽くし、飽く事無く行為に耽って来たふたりは、阿吽の呼吸で相手を刺激し、快楽を引き出す。
やがて、ミカゲが少し腰を引き、勢いをつけて押し当てると、グリッと腸壁内を擦り上げられたユージンがルルルッと獣のよ
うに喉を鳴らした。
腰を打ち付ける音が暗闇に響き、上気した息が重なって籠る。ユージンの巨体はしとどに濡れて、狭い密室はたちまち湿度が
上がる。
「そ、こ…!」
言葉少ない熊の声から意図を汲み、ミカゲが腰を少し動かして角度を変えた。
「んあぁ…!」
グリッ、グリッと感じる部位を刺激され、切なそうな声を漏らす金熊。鈴口からはダラダラと透明な液体が零れ続け、尻の谷
間へ、ミカゲとの結合部へ、汗と混じって流れてゆく。
「ユー…。体位を…、変えるか…?」
そろそろ気分も上がって来たようだと見て、ミカゲが促す。厳めしい顔を恥じらうように背けて、しかし顎を引いたユージン
は、ミカゲが一度陰茎を抜くと、「んっ…!」と顔を顰めて呻いた。
それからゴロリと寝返りを打つように態勢を変えて横臥すると、ミカゲは背後に回って寝そべる。
ふたりとも同じ方を向いて横臥するその恰好は、後側位…いわゆる窓の月と呼ばれる体位である。
体位も色々試してきたが、ユージンが好むのは後ろから犯される体位。どうも、喘ぎ顔を見られずに済むからというのがその
理由らしい。ノッている時や酒が入っている時は正常位のままでも良いので、正面でも後ろでも気持ち良い事に変わりはないら
しいが。
右脚を曲げる形で上げたユージンの尻に、ミカゲは再び挿入する。今度は腕を胸に回して乳首を弄りながらの挿入である。
横向きになって一層出方が目立つ腹が、突き上げと呼吸で激しく上下する。
「んぁ…!お、奥まで…、届く…!」
いよいよ刺激も蓄積し、堪らず声を漏らすユージン。深々と貫かれ、中を掻き回される快感が、脳髄まで駆け上がって瞼の裏
に火花を散らす。
「あ、あ、あ…!下っ腹に…、下っ腹にヅクヅク響くぅ…!」
鼻の奥にかかった声を漏らし、ヘソの下を押さえる金熊。奥まで突かれる刺激が後ろから抜けてきて、腹側に感じられるほど
の前後運動。グッ、グッと、動きに合わせるようにユージンが尻を締めて、ミカゲもいよいよ昂って来る。
「ミカゲ…!もっと撫でて…、もっと弄ってくれぇ…!」
普段の豪放さはどこへやら、巨熊の声は切なげでもあり、甘えるようでもある。
必死に懇願するユージンに応え、ミカゲの手は乳首から離れた。分厚い胴を跨いで弾む腹を撫で、窪みの深いヘソに指を突っ
込んで持ち上げるように引っ張り、手を離すと、デプンと落ちた腹が床を打って弾んだ。
「も、もっと!もっと深く…!強く…!突いてくれぇ…!」
半開きの口から舌を垂らしている熊が良い反応を見せ、ミカゲは愛撫を繰り返し、焦らしながらその手を下の方へ。
「ここに…来るのか?」
ミカゲが臍の下に手を当てる。後ろから貫かれるユージンが、「はぁ…!そ、ソコに…!抜けて来る…!」と呻いた。ミカゲ
の長大な逸物は深々と埋め込まれてもなお存在感がある。下っ腹が張って、そこが内側から突かれるような感覚を覚える。
「だが、こっちの方が…もっと、弄って、欲しいだろう…?」
息を乱すミカゲの手が、先走りでドロドロになっている陰茎に触れると、ユージンはきつく目を瞑って「んあぁっ!」と絞り
出すような声で喉を鳴らした。
掴むなり、今度は焦らさずしごき始める。挿入しているモノも変わらず前後運動を続け、締め付けられて刺激を与えられてい
る。手の中で脈打つ太いソレを、ミカゲは自分の物であると錯覚しそうになる。
グッチュグッチュと音を立てているのは、結合部か、それとも握られた陰茎か。
内側から当たって下っ腹にヅンヅン響く刺激に耐えかねて、ユージンは歯を食い縛る。ミカゲの突き上げで分厚い肉が、密生
する被毛が波打つ。四分の一程度しか重さが無い人間に犯されて巨体が弾む。
ミカゲもまたきつく目を閉じ、ユージンの陰茎をしごく手にも力がこもる。先端で抉るように前立腺を擦り上げながら突き続
ける陰茎は、包み込む肉の壁が適度に締め付け、動くだけで痺れるような快感を背骨まで伝えて来る。
「い、イキそうだ…!ヌシも出してくれ…!ヌシので、腹ん中…!いっぱいにしてくれぇっ!」
「よし、い、イクぞっ…!全っ部…!飲み込んでみせろ…!」
ひと際大きく腰を引き、一気に突き込むのを皮切りにスパートをかけるミカゲ。ズッチュズッチュと速いペースで湿った音が
響き、巨体を揺さぶられながら喘ぐユージンが、尻をギュッと締める。
「あ、あ…。あっ…!」
「ユー…、イク…!イクぞ…!」
達するのは同時、射精も同時、腸壁に当たるミカゲの射精を感じながら、ユージンの肉棒も床にバタタッと濃厚な精液を吐き
出す。
たちまち濃厚な雄の匂いが部屋に立ち込め、汗の香りと混じり合った。
残らず精を吐き出して、後ろからユージンにしがみ付くミカゲが、やっと陰茎を掴む手から力を抜く。
腹の中に注がれた体液の熱さを感じながら、ユージンは脱力して喘ぐ。
「たっぷり…、出たぜ…!」
同じくミカゲも、脳の芯が痺れるような感覚に陶酔しながら呟く。
「ああ、出た…」
やがて大熊は身を捻り、ミカゲを圧し潰さないよう気をつけながら仰向けになると、相棒の腕を掴んで自分の上に引っ張り上
げる。そして…。
「「こういう事」は、今日で辞めにしようぜ」
唐突な言葉に、胸の上へ引っ張り上げられたミカゲが目を見開いた。
「ワシに応える、婚約者に向き直る、どっちもやろうとするからヌシは板挟みになる…。だろう?」
「…誤魔化すのは無理だな…。やっぱりお見通しか。図星だよ…」
素直に認めたミカゲの額に、ユージンは軽く口付けする。バカだなぁ、とでも言いたげな苦笑いを浮かべて。
ミカゲは先日、同僚のヨウコと婚約した。
父の勧めでもあるし、ミカゲ自身も気に入っている同僚…。女に興味を見せなかったミカゲが、惚れ込む腕の潜霧士である。
もっとも、腕前が無ければ惚れない辺りミカゲも大概アレなのだが…。
婚姻自体にはミカゲも乗り気である。だが、自分が所帯を持ったらユージンはどう思うのだろうか?他に女が居る…ではなく
男が居る。恋心うんぬんを抜きに肉体関係を持っている相手が居る。この状況は婚約者に対してもどうなのだろうか?
そんな思いが頭の中でグルグル回って、ミカゲを時々無口にさせていた。
「ならどうすりゃあ良いか…?答えは決まってるぜ。ワシが引き下がればいい」
ユージンはさっぱりした口調でそう言い切った。
ミカゲが時々悩んでいるのを見て、ずっと考えていた事。話せる機会を伺っていただけで、腹はとっくに決まっている。
それで良いのか?そんなミカゲの視線に対して、ユージンは…。
「なぁに、スケベしたくなったら、その都度土肥に行って好みの奴を見繕うさ。そんな時は、「出張」の口裏合わせはよろしく
頼むぜ?」
軽い口調でそう言い放った。未練など全く窺わせずに。
「背中」
「おう」
トーチの灯りが照らす部屋の真ん中で、あぐらをかいているユージンが、ミカゲに言われて背を丸める。後ろに回り込んだミ
カゲが当てた、絞った濡れタオルの冷たさが心地良い。
気に病んでいるのだろう、ミカゲはまだ口数が少なかった。
だがユージンはもう心配しない。結論は出た。あとはミカゲが飲み込んで受け入れるだけ。気にはするし引き摺りがちだが、
受け止めたらもう動じないのが、この「弟」の強みでもある。
引き取られて、一緒に育てられて、ずっと見て来た男である。幸せになって欲しいし、育ての親に孫の顔を見せてやって欲し
いとも思う。
分厚い胸の中には、シクシクと沁みるように疼く物がまだあるが、その内に落ち着くだろう。
汗をかいた巨躯を丁寧に拭ってやりながら、ミカゲは口を開いた。
「私は、ユーより先に身を固める事に、引け目も感じていた…」
「おっと珍しいな?遠慮がある間柄とは思ってもなかったぜ」
「茶化さないでくれ。…だが、その引け目は結局、誰のためにもならないんだな…」
「そうだな。気を使われた所でワシも困るだけだぜ。ええ?」
「そうだよな…」
「そうだ」
「そうか…」
「そうとも」
「うん」
「うんと来たか。その心は?」
「もう悩まない」
「んふ。それでこそだぜ」
部屋の中にふたりの含み笑いが響く。
それは、ある種の関係の解消であり、一つの繋がり方の終わりでもあるのだろうが、ふたりともさっぱりした顔だった。
これからも共に潜る。これからも背を預け合う。相棒という関係性には何ら変わりがない。
「スケベしたら腹減ったぜ…。缶詰もうちっと食っても良いか?」
「良いさ、次は少し多めに運び込もう」
やがて再びトーチの明かりが消え、空気清浄機が情事の残り香も薄れさせて…。
数日後…。
「ミカゲー!トンテキ食いに行…」
熱海沿岸部、不破潜霧捜索所の近くの海際。暮れなずむ防波堤の上に座る人影に、そう呼びかけたユージンは、言葉を切って
飲み込む。
振り向いたミカゲの向こうにも一人、ショートボブに髪を切り揃えた人間の女性が居て、一緒にこちらへ顔を向けていた。
「いや、邪魔したー!何でもねぇー!」
水入らずの所を邪魔するのは野暮だと、ブンブン手を振って謝り、ジャケットのポケットに手を突っ込んで踵を返したユージ
ンは、軽くため息をつく。
自分ももう少し、気を回せて見逃さない、空気が読める男にならなければいけないな、と。
ひとりで夕飯に行こうと、事務所前を抜けて飲食店街へ足を向けたそこで、金熊は丁度事務所から出てきた巨漢のインドサイ
…後輩にあたる二等潜霧士に目を止める。
「マゴイチ、トンテキ食いに行こうぜ」
別に眠くない時でも眠そうに見える半眼の、固太りな巨漢は表情も変えずにユージンに目を向け…。
「おす。ゴチんなります」
「返事が自然にえげつねぇなヌシは…」
「おす?」
ぼんやりした顔のまま目をぱちくりさせ、太い首を捻る犀。
「悪気が全くねぇトコが、なおえげつねぇぜ。ええ?まぁ奢るつもりだがよ」
「他も呼ぶすか?」
「勘弁しろ…」
「じゃあ人数少ねぇ分頑張って食うす」
西瓜でも丸呑みしたような腹をポンと叩く犀。「ヌシは…」と呆れ顔になった金熊だったが、気を取り直したように苦笑いの
顔になり、後輩の肩に手を置く。
「ああ、食え。たらふく食ってたっぷり休め。食わねぇ奴と休まねぇ奴は使い物にならねぇと、所長も言うしな。…まぁヌシは
心配要らねぇが」
堤防の上で連れ添うミカゲ達の影に背を向け、ユージンは後輩を連れて歩き出す。肩で風を切り、まだ少し疼く胸を、意識し
て殊更に大きく張って。
それはタケミが生まれる二年前の事。
ダリアが引退し、ゲンジが相楽製作所の副工房長に就任し、字伏夫妻がジオフロントから遺体で引き上げられる年の事。
タケミの祖父が現役で、ユージンが所員で、最も仲間が多かった、不破潜霧捜索所の黄金期の話である。