第一話 「蒼眼と黒瞳の出会い」
夕暮れに染まる奥羽の山々。
春の訪れで生命力に満ち満ちた、その雄大な景観を天より見下ろせば、下界と隔絶され、ひっそりと民家の寄り添う集落が、
若い緑の中にぽつんと見える。
その小さな村の最奥には、立派な塀に囲まれた広大な屋敷がどっしりと門を構えていた。
神代。そう表札が掲げられた屋敷の裏手、斜陽に照らされた濡れ縁に、一人の男があぐらをかいて座っていた。
左手には開かれた将棋の本。右手には歩が二枚。目の前には立派な将棋盤が据えてある。
目を細めて盤面を見つめるその男は、まるで小山のような体躯の巨漢であった。
濃紺の作務衣の袖から覗く腕は丸太のように太く、大きく開いた襟元から覗く胸は鍛え上げられた筋肉で山と盛り上がって
いる。あぐらをかいた脚を包む下穿きは、布地がはちきれんばかりに張っていた。
首も胴も腰もどっしりと太く、まるで岩石から槌とノミで荒々しく削り出したような、そんな無骨で、大きく、何処もかし
こも作りが大きい、見事な巨躯である。
特筆すべきはその巨体だけではない。物憂げに目を細めるその顔は、丸い耳を持ち、長い被毛に覆われた熊の顔。
斜陽に照らされ、燃えるような色合いに染まる巨体は、足の先から頭の天辺まで赤銅色の被毛に覆われている。
神代勇羆(くましろゆうひ)。それが、身の丈八尺を超える、この巨熊の名である。
「ユウヒ様ーっ!」
若い男の声が聞こえると、巨熊は盤面から目を離し、濡れ縁に面している障子に目を遣った。
ほどなく障子が開くと、比較的小柄な、若い柴犬の獣人が、片膝立ちの姿勢で恭しく頭を垂れた。こちらは群青色の作務衣
を纏っており、それがまた良く似合っている。
「何事だ、シバユキ?」
常に静かで、歩くときにも物音一つ立てないこの若者が、声を上げながら駆けて来る事など滅多にない。ユウヒは訝しく思
いながら、従者を見つめる。
「失礼致しました…!お嬢様からお手紙が届いたもので…」
「何?」
シバユキは再び頭を垂れてから主の前に進み出ると、一通の封筒を両手で差し出した。薄い桃色の封筒には、可愛いハート
形のシールで封がしてある。
封筒を受け取ったユウヒは、目を細めて宛名と差出人を確認する。記された字は、紛れも無く彼の妹のものであった。
「まったく…。長らく連絡が無いと思えば…、何処をほっつき歩いているのだ?」
ユウヒは便箋に押された消印を確認し、訝しげに眉を顰めた。
「…東護町とな…?」
「…で、奴らを野放しにしておくわけにはいかんと言うわけでして…」
さほど広くはないが、豪華な調度品の並ぶ部屋。分厚い黒檀のテーブルの上で両手を組み、ひげ面の男は自分の正面に座っ
た若い男の顔色を伺う。
若い男の年齢は二十歳前後に見える。しかし、その顔には幼さ、あどけなさといったものは全くない。
美しく整った顔立ちをしているが、その鋭い目と精悍な顔つきには、ハンサムと呼ぶのを躊躇わせる、鋭い何かがあった。
180センチ近いすらりとした体には、肌にフィットした濃紺のシャツの上に黒色の薄い上着、ゆったりした濃紺のズボン、
動きやすそうな黒いシューズを身につけている。
若い男の背後には一ヵ所だけ外と通じているドア、その両脇にはガッシリした体つきの黒服の男が二人、直立不動の姿勢で
控えていた。
「…どうか、引き受けてはもらえんでしょうか?」
ひげ面の男は50歳前後に見えるが、向かい合って座ったその青年に対し、下から伺うように尋ねる。
「承諾した」
青年が短くそう応じると、ひげ面の男は安堵したような顔になった。
「そうですか!いやありがたい!」
青年は立ち上がると、即座に踵を返した。
「あ、ええと、どちらへ?おもてなしの用意もできているのですが…」
「必要ない。仕事の前には極力何も口にしないようにしている」
青年がそっけなく言うと、ひげ面の男は困惑したように尋ねた。
「は、はぁ、そうですか…。え?それはこれから?」
「行動は早く起こすに限る」
青年がドアの前に立つと、黒服の男達は慌てたように道をあけた。ドアを潜った青年は、肩越しに振り返って告げる。
「夜明けまでに済ませる。報酬を用意しておいてくれ」
次いで、ドアが閉じられ、青年の姿は消えた。
「…ボス、信用できるんですか?あんなガキ…」
黒服の一人が尋ねると、ひげ面の男は長く息を吐いてから言った。
「信用できるかどうかは分からん。が、腕は確かだ」
「一体何者なんです?奇妙な男でしたが…」
奇妙、そう言った男の顔には、怯えとも取れる色が微かに浮かんでいる。
「………と言えば分かるか?」
青年の名を聞き、黒服の男達の顔色が変わった。驚愕に震える声で、主に問いかける。
「じゃ、じゃあ、あれが…?」
「狙った獲物は確実に追い詰め、仕留めるっていう、あの…?」
ひげ面の男は微かな笑みを浮かべて頷いた。
「…ですがあの噂、本当なんですかい?…それに、本当だったとして、もしもブツの事がバレたら…」
「ブツを持ってるのは真能組と伝えた。なるべくなら、ある程度頑張った所でくたばってくれれば助かるんだがな…」
ひげ面の男の言葉に、黒服の男達は顔を見合わせ、納得したように笑みを交わした。
「消耗した所で総攻撃をしかける。真能組の奴らめ…、目にものを見せてくれるわ!」
ひげ面の男は顔を歪ませ、低い含み笑いを洩らした。
「…と言うわけでして、このままではこの界隈も、今までのように安泰とはいかなく…」
質素ながらも高級そうな調度品と茶器が置かれた、4畳半の狭いながらも上品な和室に、和服を身につけた一人の老人が、
見事な掛け軸を背にして座っている。
髪も顎に蓄えた立派な髭も真っ白な老人は、一度言葉を切り、その向かいに座った相手の様子を伺った。
老人と向かい合っている者は、かなりの巨躯であった。
立ち上がれば、上背は軽く2メートルを超えるだろう。
胸は分厚く、正座した脚も、その上に手を乗せる腕も、首までもが太く、胴も腰もさらに丸々として太い。薄い水色の半袖
シャツの上に、少しくすんだ色の白いベストを羽織り、同じ色のカーゴパンツを穿いている。
しかし何より特徴的なのは身体の大きさではない。その身体は、顔から指先に至るまでが金色の体毛に覆われており、頭部
は人間の形状とは大きく異なる。
頭頂付近についた丸い耳、前にせり出した鼻と口。それは人間の物ではない。
老人と向かい合っているのは、極めて大柄な熊の獣人である。獣そのものの顔立ちの中で、澄んだ蒼い瞳が静かな光を湛え
ていた。
「…我らにもメンツがあり、警察には助力を求められません。…どうか、内密に引き受けては頂けませぬか?」
老人は丁寧な口調と態度で、向かい合った相手に、懇願するように頭を下げた。
「…お話は判りました。あなた方が裏の秩序の乱れを嫌うように、不協和を憂うのはボクらも同じです。お引き受け致します」
外見に似合わぬ、高く澄んだ声で大熊がそう応じると、老人は深々と頭を下げた。
「ありがとうございます」
老人に小さく頷きかけた大熊は、席を立とうと尻を浮かせかけ、一旦膝立ちになった所で動きを止めた。
そして丸い耳をピクリと動かし、庭に面した障子の方へと蒼い瞳を向ける。
「どうか、なさいましたか?」
部屋の外の気配を覗っているような様子に、老人が訝しげに問うと、大熊は首を左右に振った。
「いえ…。けれど、今夜はできるだけ守りを固めておいた方が良いと思います」
そう告げると、大熊はゆっくりと立ち上がった。狭い部屋はその巨躯のせいで、なおさら狭苦しく感じられる。
老人に一礼し、ゆったりとした足取りで大熊が部屋を出て行くと、入れ替わりに二人の、いかにもその筋と分かる空気を纏っ
た男達が襖の向こうから現れた。
「…おやっさん、信用できるんですか?あいつ…」
男の一人が尋ねると、老人はため息をつきながら言った。
「お前達も、あやつの名は知っておるはずだがな…」
顔を見合わせた男達に、老人はぽつりと、その名を告げる。
その名を耳にすると、男達の顔色は一瞬で変わった。畏怖すら覚えているかのような声で、老人に問いかける。
「じゃ、じゃああいつが…?」
「首都で…、竹羽組を潰したっていうあの…?」
老人は口元に笑みを浮かべて頷いた。
「な、ならまずいんじゃ?竹羽組は例のブツに手を出したのが原因で、あいつらに潰されたって…。バレたらウチも…」
「ブツを握っているのは紅華連の連中、そう伝えてある。わしらはただの依頼人じゃ。…もっとも、さすがに紅華連とやりあ
えば、あやつもただでは済むまい。そうなれば…」
老人は暗い喜悦に頬を歪ませた。
大熊は門を潜って通りに出ると、左右に視線を巡らせた後、暗い路地に向かって歩き出した。
黄金を溶かし込んだような見事な金色の被毛と、飛びぬけて大柄な体躯は人目を引く。
が、大熊は周囲の視線など全く気にした様子も無く、散歩を楽しむようなのんびりとした足取りで歩いてゆく。
しばらく歩いた先で人通りが無くなり、やがて大熊は大通りから離れた入り組んだ区画に入った。街灯もまばらな界隈には、
建設途中のビルがぽつんと建っている。
工事中のシートに入った阿武隈工務店という名を目にし、少し複雑そうな表情を浮かべると、大熊は顔の前で詫びるように
手を合わせた。
「ゴメンなさい。ちょっと使わせて貰いますね?」
周囲に人目が無い事を確認してから、大熊はそろりと工事中のシートを捲って潜り、建築現場へと入る。
「…ここで良いかなぁ?」
静かな大気の中に大熊の声が伝わって広がる。
誰も居ないはずの深夜の建築現場。しかし、大熊の声に応じるように、ビルの基礎となるコンクリートの影から、一人の男
が姿を現した。
青年と呼ぶべきだろう、長身の若い男だった。
(…この気配…。そしてちょっと妙なこの感じ…、さっきと同じだ…)
大熊は目を細めて青年を眺めると、口を開いて声を発した。
「屋敷を監視していたのはキミだね?紅華連の人かい?」
大熊の問いに、青年は首を横に振る。
「雇われの身だ。だから真能組がこんなバケモノを飼っている事も知らなかった。後で報酬を割増請求しなければならないな」
大熊は口の端を僅かに上げ、面白い冗談でも聞いたように笑みを浮かべた。
「バケモノは酷いなぁ…。奇遇だけど、ボクも雇われなんだ」
大熊の言葉が終わると同時に、青年は出し抜けに右腕をスッと横へ伸ばした。
腕が一振りされると、いつの間に、どこから取り出したのか、一振りの日本刀が右手に握られていた。
「真能組の屋敷、警備はそこそこ厳重だが、侵入できない程では無い。注意すべきはお前一人だろう」
青年は左足を前に、右足を後ろにし、両手で握った刀を肩に担ぐようにして構える。
「手を引く気があるなら立ち去れ。でなければ武器を取れ」
その言葉を聞いた大熊は、少し楽しげにニッと笑う。そして青年と同じく左足を前に、右足を後ろに引くと、右腕を脇腹に
つけるようにして拳を握り込む。左手は軽く開き、顔の前に来る高さで翳すように構えた。
「手を引くつもりはないよ。それと、お気遣いは無用だよ。この体がボクの武器だから」
青年が頷くと同時に、二人の間の空気が張り詰めた。
ピリピリとした空気の中、両者は10メートル近い間合いを保ったまま、じっと動かない。
時が止まったかのような睨み合いを、先に破ったのは青年だった。
唐突に地を蹴ったかと思えば、僅か二歩でトップスピードに達する。極端な前傾姿勢で突進すると、間合いぎりぎりで太刀
を横に薙いだ。
首めがけて振り抜かれたそれを、大熊は僅かに首を反らしてかわす。そしてすっと踏み込みつつ、後ろに引いていた右腕を、
刀を振り抜いた姿勢の青年の脇腹めがけて繰り出した。
ハンマーのような豪拳に対し、青年は右足を上げて拳に靴裏を合わせる。
そのまま拳の勢いに乗って跳躍すると、ふわりと宙を舞い、数メートル離れた、積み重ねられたブロックの前へと着地した。
曲芸師顔負けの、驚異的な身軽さと身のこなしであった。
着地したと同時に青年は素早く右手へ飛ぶ。一瞬前まで青年が居た空間を、大気を粉砕しながら豪腕が通り過ぎ、積み上げ
られていたブロックを青年の代わりに積み木細工のように撒き散らす。
大熊は青年の跳躍を追い、その巨躯からは予想もつかない程の速度で間合いを詰めていた。
立ちこめる粉塵の中で、白刃と拳が交錯する。それはまるで、舞い踊るかのような見事な立ち会い。
下から逆袈裟に振り上げた刃は大熊の頬を掠め、金の毛を数本斬り散らす。
上から振り下ろされた剛拳は青年の頭を掠め、漆黒の頭髪を宙に舞わせる。
拳を紙一重でかわした青年の身体が、つんのめるように一瞬ぐらりと揺れると、そこへ大熊の右脚が跳ね上げられた。
青年はぎりぎりで体勢を整え、素早く身を捌いてこれをかわすが、その頭上から振り下ろしに変えた大熊の踵が襲いかかる。
ドォンという轟音。どれほどの破壊力を秘めていたのか、全体重を乗せた大熊の踵は、足場に敷かれたコンクリートにめり
込み、周囲に深々と亀裂を入れていた。
驚異的な瞬発力で素早く飛び退り、踵落としをかわした青年は、再び粉塵の中につっこみつつ水平に刀を振るう。大熊のベ
ストとシャツが裂け、胸元の金色の被毛があらわになる。
次いで胸元へ突き込まれた切っ先を、大熊は素早く身体を捻ってかわし、回転の勢いそのままに反撃の後ろ回し蹴りを繰り出す。
青年は身を低くして蹴りをやり過ごすと、片足立ちの大熊に対し、低い体勢からその喉元めがけて刀を突き出した。
しかし、熊の首筋に肉薄したその刃は音高く弾かれ、青年は飛び退って再び間合いを外す。
首と刃の間に差し入れ、刃を弾いた大熊の腕が、薄闇の中でぼんやりと光っていた。
「能力者だったのか…。エネルギーで体をコーティングする身体強化系…、確かエナジーコートと言ったな。…それも刃を弾
く程とは…、つくづく、とんでもないバケモノだ…」
青年は油断無く構え直しながら呟き、その頭を軽く振る。
(拳が頭の近くを通っただけで、一瞬意識を飛ばされかけた。直撃したら首から上が無くなっても不思議ではないな)
「その言葉、そっくり返すよ。身内以外にここまで凌がれるのは初めてだ。まるで影でも相手にしてるような気分だね」
大熊は燐光を発する両腕を構えの位置に戻すと、右手で軽く胸に触れる、微かにひりつく痛みがあった。
(切っ先は触れてない…、なのに薄皮一枚斬られた。刀が速過ぎて真空刃が飛んでるのかな?厄介だねぇ…)
青年は刀を引くと、開いた左手を大熊めがけて突き出す。
嫌な予感を覚えた大熊が素早く首を捻った瞬間、青年の手が握り込まれた。
大熊が傾がせた首のすぐ横で、バスケットボール大の球状に景色が歪んだ。次の瞬間、風船が破裂するような音と同時に大
気が振動し、歪みが消える。衝撃で千切れ飛んだ金色の毛が、はらはらと宙を舞った。
「今のは…、重力波?いや、衝撃波?…どっちも違うな…、初めて見る能力だ…!」
驚いているような、感心しているような声で、獣人は衝撃を受けた左頬をさする。
「…ディストーションの効果を初見で看破したのは、記憶にある限りお前が初めてだ」
「褒めてもらって光栄だけど、何も無い所から刀を取り出したのを見てたからね、何か能力を持ってるんじゃないかなぁ、っ
て目星は付けてた。運が良かったよ」
(原理も正体も分からない。でも、一発でも貰うのは危険だな…。他にも隠し球があるかもしれないし…。…なら…!)
獣人は左腕を前に、右腕を大きく後ろに引く。
まるで弓を引き絞るかのようなその体勢から、大熊は鋭く一歩踏み出しつつ右拳を突き出した。
大きく踏み込んでの正拳突きと同時に、その拳が眩い光を放つ。
咄嗟に身を伏せた青年の上を、衝撃波を伴った閃光が駆け抜け、その体を突風が叩いた。
伏せた青年の上を通過した光は、ビルの壁面に当たり、大きくヒビを入れる。
(…まさか…、加減したとはいえ、雷音破(らいおんぱ)まで避けるの…!?)
素早い反応と正しい判断に驚嘆する大熊に、青年が身を起こしながら口を開いた。
「…お前には驚かされてばかりだな…。今のは纏っていたエネルギーを放出したのか?エナジーコートとは、こんな芸当もで
きるものなのだな…」
(いくらなんでもこれは無いな…、避け損ねたら即、戦闘不能だ…)
青年は口元を僅かに吊り上げた。大熊の口元にもまた笑みが浮かんでいる。
命のやり取りをしているにもかかわらず、二人は心の底からこの戦いを楽しんでいる自分に気付いていた。
(しばらく味わう事の無かった、心地良い緊張感だ。が、惜しむらくは…)
(世の中は広いな、兄さんやダウド以外にもこんなに強い人が居るなんて。でも…)
「惜しいな。お前程の使い手が、レリック秘匿行為に荷担するとは…」
「残念だよ。キミぐらい腕が立つ人が、何で調停者じゃないのか…」
二人は同時に呟き、そして互いの言葉に耳を疑った。
「何だと?」
「今なんて!?」
同時に聞き返した二人は、そろって目を見開く。
「真能組が、レリックを秘匿し横流ししている。そう紅華連から聞いたが…」
相手の反応を覗うように青年が言った。
「…それは妙だね?ボクは紅華連がレリックを不正取引してると組長さんに聞いたんだけど…」
相手の反応を探るように大熊が言った。
やがて、青年と大熊は同時に構えを解く。
「一時休戦にしてくれないかな?先に依頼主に確かめなきゃいけない事ができちゃったみたい」
「同感だ。虚偽の依頼で調停者を騙していたのならば…」
構えを解いて互いに歩み寄った二人は、共に、両目に剣呑な光を湛えていた。
「真能組の方が近いね…。組長さんに確認しに行くけど、一緒に来る?」
「そうだな。それで、騙されていたとしたら、どうする?」
「叩き潰すよ。跡形もない位に。で、そっちはどうするの?」
「そちらが済んだら、すぐにでも紅華連へ事情を聞きに行く。来るか?」
「うん。で、騙されてたら、どうするの?」
「斬り刻む。二度と組み上がらない程にな」
二人は建設現場の外へと、肩を並べて歩き出した。
「まったく…。自分の間抜けさに呆れるばかりだ…」
「ま、結果的には一晩に二つのレリックを回収できたわけだし、成果として見れば、そう悪くもないよ」
時刻は昼の少し前、穏やかな海を見渡せる小高い展望広場で、二人は穏やかな太平洋を眺めていた。
「…この辺りは最近騒がしいみたいだし、きっと仕事も多いだろうって目星をつけて首都圏から移って来たんだけど…、実際
多いの?」
「そうだな。おかげで俺のようなはぐれ者でも、食うには困っていない」
傍の自販機に硬貨を入れながら尋ねる大熊に、手すりにもたれかかり、海を眺めていた青年が頷く。
「首都は、事件が少ないのか?」
「事件自体はそうだね。ブルーティッシュが睨みを効かせてるから。事務所も持たないフリーの調停者に仕事を頼もうなんて
考える人は少ないし、そもそもフリーの集まりレベルで対処できるような小規模犯罪グループは、大概は首都で事を起こそう
とは思わないしね。ブルーティッシュが怖くて。…はい」
大熊の声に振り向くと、青年の目に、宙を舞うペットボトルが飛び込んできた。
青年はお茶の入ったボトルを掴むと、笑みを浮かべている大熊に視線を向ける。
「お疲れ様っ。そんなので悪いけど、奢るよ」
青年はボトルを獣人に向かって軽く翳す。
「遠慮無く貰おう」
二人はしばし無言のまま、海を眺めて茶を飲む。
やがて、先にボトルを空にした大熊が、ポツリと呟いた。
「はぁ…。こんな事なら、真能組から前金で貰っとくんだった…」
「同感だ。お前のようなバケモノと刃を交えたと言うのに、割に合わないどころの話ではない」
「それはお互い様だよ。…それと、バケモノっての止めてくれない?」
「済まない。これでも賛辞のつもりだったのだがな」
大熊が眉を顰めて抗議すると、青年の口元が微かに弛んだ。
あるかなしかの微笑…、この青年が初めて見せる穏やかな表情に、大熊は一瞬目を丸くした後、口元に笑みを浮かべた。
二人は同時に踵を返し、海に背を向けて歩き出す。そして、数歩進んだ所で足が同時に止まった。
「そういえば、まだ名前も教えてなかったよね?」
「ああ、俺もまだ名乗っていなかったな」
二人は顔を見合わせる。大熊は照れているような笑みを浮かべ、青年の顔にははっきりと判る苦笑があった。
「俺の名はタケシ、不破武士(ふわたけし)だ」
青年が名乗った。
「ボクは神代熊斗(くましろゆうと)。ユウトって呼んで」
大熊が名乗った。
神代熊斗と不破武士。
後にそれぞれアークエネミー、バジリスクの名で呼ばれる事になる上位調停者達の出会いは、拳と刀を交える事から始まった。
後に、自分達がこの町でチームを組む事になろうとは、この時の二人はまだ、想像すらしていなかった。