第十一話 「類似点」
「おかえり、ユウト!」
リビングに入るなり、ジャンプして飛び付いて来たアリスを抱き止め、ユウトは笑みを浮かべた。
金熊があまりにも大きなため、跳ねる高さが足りず、アリスはユウトの腰の辺りに抱きつくような格好になっている。
「ただいまアリス。良い子にしてた?」
「うん!」
抱き止められたアリスは、大きな熊に頭を撫でられ、くすぐったそうに目を細めると、柔らかい腹に頬ずりした。
「タケシは?」
「ごほんをよんでるー」
ユウトの問いに応じるアリスの言葉は、流暢でよどみがない。
初めは言葉も知らなかった好奇心旺盛な幼女は、ユウトの期待通り、たったの数ヶ月の間に、すっかり同年代の子供と同程
度の知識を身に付けていた。
危なげなく外を連れて歩けるようになった事もあり、ユウトも最近では面白がって、親戚の熊少年に紹介された銭湯に連れ
て行ったり、時にはゲームセンターに連れて行ったりと、様々な場所へ連れ出すようになっている。
アリス自身も外出を楽しみにしており、ユウトが不在の時にはタケシに連れられて、相楽堂やカズキの居る交番など、普通
の子供はさして面白くもないであろう場所を、実に楽しげに見物して回っていた。
「夕飯は食べた?」
「たべたー!」
「それじゃあ、タケシとお話があるから少し待ってて。終わったらお風呂に入ろうか」
「うん!」
ユウトは抱っこしていたアリスをソファーの上に降ろすと、ドアを潜って資料室に向かった。
「ただいまタケシ」
ドアを潜って現れた大熊を、資料室の机に尻を乗せ、足を組んで座っていた青年が、資料から顔を上げて迎えた。
「椅子があるじゃない?机の上に座らないの!」
「おかえり。獲物と首尾はどうだ?」
ユウトの注意を流し、タケシは仕事の成果を尋ねる。
机に座るなと何度注意しても全く聞かないので、すでに諦めかけている大熊は、特に気を悪くした様子も無く応じた。
「相手はクレイリザード。もちろん問題なし。十二月に入ってからずいぶん冷えてきたからね、変温タイプの危険生物は動き
が鈍くなってて楽だよ。…ところで、何を調べてるの?」
タケシは手にしていた資料の束を、歩み寄り、資料を覗き込んだユウトに手渡す。
「南米で起きた事件の資料だ」
「南米?なんでまたそんなとこのを…」
訝しげに首を捻り、資料に視線を落としたユウトは、数行読み進んでから青年に尋ねた。
「…米国のハンター達が、任務中に集団幻覚を見た…?これがどうかしたの?」
この情報に相棒が興味を示す理由が、ユウトにはさっぱり分からなかった。
「覚えているか?アリスを救出したあの事件で、俺達はチョッキを着た白い兎を見ている」
ユウトは記憶の中に鮮明に焼き付いている、白兎の事を思い浮かべた。
「俺が二度、お前が一度目にした、最後にはロケット弾の爆発に巻き込まれて消えたあの兎…。その後の調査でも痕跡は見つ
からなかった」
「それは…、あの爆発で跡形もなく…」
「船の親玉は、一応大きく四つと、無数の断片に分割された状態で確認されたがな」
ユウトは青年が何を言いたいのか理解し、頷いた。
「あの兎は、爆発で跡形も無く消えた訳じゃない…。そういう事?」
「今になってそう思い直した。その記事を読んでからな」
促されたユウトは、再び資料を読み始める。
資料を読み進むにつれ、やがてユウトの目が大きくなり、その口からは呻き声が漏れ始めた。
資料は、四ヶ月前に南米の大都市で起こった事件の顛末が綴られたものだった。
危険生物の取引が行われているという情報を掴み、地元警察署の依頼で多数のハンターが取引現場を押さえに向かった。
激しい抵抗は受けたものの、任務そのものは成功、危険生物が流出する事は無かったが、その現場で取引されようとしてい
た「商品」の中に、奇妙なモノが混じっていた。
それは、五歳程の幼女だった。
ハンター達は言葉も理解できず、怯える幼女を保護、連れ帰ったが、その最中で奇妙な現象が起こった。
幼女を護送している最中に、衣類を着た白兎や、縞模様の大きな猫、帽子を被った男や、甲冑を着込んだ騎士などが現れ、
護送を妨害し始めたのである。
応戦するも、突如出現したそれらの存在にはハンター達のいかなる攻撃手段も通じず、逆に「敵」側からの攻撃は熾烈を極
め、ハンター達を追い詰めた。
「敵」は数分間の交戦の後、突如として、煙のように姿を消した。
ハンター達が負った傷以外には、一切の痕跡を残さずに。
保護された幼女は「敵」との交戦の際に死亡していた。
幼女の身元については不明。
詳しい素性を知ると見られる取引の首謀者は、売り手側、買い手側共に、制圧の際に死亡していた。
「…どういう事…?…これ…」
ハンターを襲った幻覚現象についての資料であるため、保護し、しかし死なせてしまった幼女についての記述は、僅か数行
に留まるものだった。
しかしユウトは、その資料の中からアリスを保護したあの事件との類似点が、奇妙な程に多い事を読み取り、驚いていた。
「…白兎…。俺達は、資料にある騎士や猫については確認していないが、あまりにもアリスのケースと酷似している。南米で
の事件だ。カズキさんが偶然気付き、連絡をくれなければ、俺も見過ごしていただろう」
ユウトは資料をタケシに返し、厳しい顔つきで腕組みをする。
「カズキさんは、何て?」
「「似ていると思わないか?」とだけ言っていた」
厳しい顔つきのままで唸るユウトに、タケシは問う。
「お前は、アリスにどんな商品価値があると思う?」
青年が口にした「商品価値」という言葉には強い反発を覚えたものの、ユウトは務めて冷静に思考を巡らせた。
「カズキさんやキミが言ってたように、そういうのを好むお金持ちに売るつもりだったんだと考えていたけど…」
タケシは頷き、自分も同意見であった事を示す。
「南米で保護されたアリスと同じような境遇の女の子…。ハンター達を襲った幻覚現象、そして「敵」…。おまけに、こっち
でも同じくボクらが見た白い兎…」
ユウトはぶつぶつと呟くと、何かに思い至ったように顔を上げた。
「その子は狙われていた…?その幻覚でハンター達を攻撃した何者かに…?」
自分が口にした言葉に怯えるように、ユウトは小さく身震いした。
「そして、もしかしたらアリスも…!?」
タケシは目を細めて熟考しながら口を開いた。
「あくまで可能性だが、ゼロではない。類似性を鑑みれば、ただの偶然と割り切るのは危険かもしれない。南米で保護された
幼女の件が、俺の推測通りに狙われたものだとして、その理由も、…同じく、アリスが商品として取引されようとしていた正
確な理由も、俺達には解らないのだからな」
タケシの言葉で頭痛でも感じたように、ユウトは手で額を押さえた。
「…アリスには、ボクらが考えていた事とは別の価値が有るって事…!?そして、アリスはその南米の女の子と同じヤツに狙
われる…!?」
「あくまで可能性の話だ」
淡々と意見を述べるタケシとは対照的に、大熊は苛立ったように荒々しく息を吐いた。
「アリスの事を、ボクらは何も知らない…!狙われる理由すら見当がつかない…!」
「まだ狙われると決まった訳ではないが、あの白兎が、資料にある騎士や猫と同類の輩と考えれば、気は抜けない」
そう呟いたタケシは、珍しく、微かに表情を曇らせた。
この数ヶ月、ユウトと、そしてアリスと共に暮らす事によって、青年は少しずつ人間味が増していた。
たびたびユウトやカズキに指摘されてきた事だが、今では本人も、自分が少しずつ変わっている事を自覚している。
頼る者も、守る者も無く、たった一人で、ただただ空虚に日々を送って来た青年にとって、今やユウトは背中を預けあう相
棒であり、アリスは守護すべき大切な存在となっていた。
だからこそ、自分が死地に赴く際に思考を巡らせる時よりもなお慎重に、タケシは思考を巡らせる。
外から見れば冷徹なほどに感情を排し、まるで精密機械のように情報から様々な推測を導き出す。
幼女の身に危険が及ぶかもしれない。その可能性を、決して過少には見積もらずに。
「少し引っかかるのだが…」
しばし黙考した後にそう切り出し、タケシはユウトに自分が疑問に思っている事を尋ねた。
「事件当夜以後、アリスが何者かに狙われた事は無いな?」
「うん。河祖下に帰っていた時を除けば、ボクらの内どっちかが必ず傍に居るからね。狙われたなら間違いなく気付くよ」
「そうだな。…だが、この沈黙の期間が気になる。単に諦めただけ…、あるいはアリスの生存に気付いていない…、または、
俺達の心配が全て取り越し苦労だったという事ならば、有り難いが…」
タケシは一度言葉を切り、それから眉間を押さえた。
アリスの身に及ぶ可能性がある危険について、何らかの対策を練ろうにも、情報が足りない。
ユウトは苛立ちを押し殺すように、ギリッと歯を食い縛る。
大切にしている幼女が、正体不明の脅威に晒されている事が、大熊には我慢ならなかった。
「…現時点では、対策を練るにも情報が少な過ぎる。俺達は、共に暮らしていながら、アリスの事を何も知らない」
青年の言葉に頷き返したユウトは、そこでふと、ある事を思いついた。
「…調べられるかもしれない…」
「何?」
「ボク…」
聞き返す青年に答えようと、口を開いたその時、
「ユウトー!?まだぁー!?」
痺れを切らしたのか、リビングからユウトを呼ぶアリスの声が廊下に響いた。
「話は後でまた、アリスが寝付いてからするとしよう。行ってやれ」
「うん。ごめんね」
タケシと厳しい表情で頷き合ったユウトは、アリスに心配事を勘付かれないよう、表情を緩めて資料室を出た。
「ねぇアリス」
「なぁに?」
アリスを抱きかかえ、広い浴槽に浸かっていたユウトは、幼女の顔を見下ろして尋ねた。
「船に乗る前の事で、何か思い出せた事は無い?」
アリスは眉根を寄せて考えた後、首を横に振った。
「…そう…」
アリスが言語や一般常識を学習し始めたのは、ユウトとタケシの手によって救出されてからの事である。
言い換えれば、それから人間らしい知識を身に付け始めたため、タンカーに幽閉される以前の記憶は、赤子のような曖昧な
情報受領によって記憶され、漠然とした思考形態で蓄積された物になっている。
ようするに、ユウトが何を聞いても曖昧で抽象的な記憶しか引き出せないのである。
「アリス、もしも…」
ユウトは尋ねかけ、そして言葉を切った。アリスは押し黙った大熊の顔を見上げ、首を傾げる。
「なぁに?」
「ううん。ごめん、何でもない…」
「へんなの〜」
コロコロと笑うアリスに笑い返し、ユウトはそっと、ため息を吐き出した。
(もしも…、本当のお父さんやお母さんが分かったら…、両親のところに帰りたい?)
その質問を、ユウトは呑み込んだ。そして、愚問だと、心の内で自分を罵る。
両親が見つかれば親元に帰す。
受け入れ施設が見つかれば、そちらに預ける。
自分達と一緒に居れば、いつまでも一般人の生活は送れない。
アリスの為にもそれが幸せな事なのだ。
そう、ユウトは自分に言い聞かせる。
アリスが愛おしい。
だが、自分の満足の為にアリスを手元に置いておく訳にはいかない。
それは愛情ではなく、ただのエゴだと、ユウトは自分を戒める。
「ユウト。ゲンキない?」
自分を見つめるアリスが顔を曇らせている事に気付き、ユウトは笑みを作った。
「ううん。ボクはいつだって元気だよ!ねぇアリス。皆でちょっと旅行に行こうか?河祖下に行った以外は、この町から出た
事なんてほとんど無いもんね」
「りょこう?」
「遠くへお出かけする事。ボクの知り合いに、アリスを会わせてあげたいんだ」
「ユウトのしりあい?くまさん?」
パッと顔を輝かせる、熊が好きな幼女に、ユウトは苦笑しながら首を横に振った。
「ううん。猫さんと虎さん。とてもいい人達だよ」
その夜。アリスを寝かしつけたユウトは、パジャマを着たままそっと部屋を出て、資料室に入った。
すでに待っていた青年は、プロテインをたっぷり溶かし込んでクリーム色になっているコーヒーを啜りながら、ユウトの話
を聞き、少なからず驚いていた。
「知り合いが居たのか?あのブルーティッシュに…」
「サブリーダーが神崎猫音(かんざきねね)さんって言うんだけれど、家同士の付き合いがあってね」
「知っている。セレスティアルゲイザーの異名で知られる、女性調停者だな。確か猫の獣人だったか…」
「うん。神崎家もボクの家と同じ、神将家なんだ。で、首都に居た頃は、ボクも色々お世話になってたわけ」
ユウトは自分とブルーティッシュの縁について簡単に説明すると、計画を話し始めた。
「ブルーティッシュには最先端の各種能力検知機器が揃ってる。それこそ科学防衛庁も顔負けの充実ぶり。その機器類でアリ
スを調べて貰おうと思うんだけど…」
「アリスが何らかの能力を持っていると、そう考えているのか?」
「キミの言葉じゃないけど、あくまで可能性としてはゼロじゃないと思ってる。それに、能力者じゃなくとも、アリスが何ら
かの特殊な遺伝子…、ボクらが気付いていないだけで、先天的な特徴や、偶発的に現れた特徴を持っている可能性もある。希
少な存在として取り引きされようとしていたって考えれば、検査してみる価値はあるように思えたんだ」
「なるほど…。アリス自身の情報は確かに不足している。現状では優先すべき一手かもしれない」
頷いたタケシは、ユウトの顔を見つめた。
「判った。そういう事ならばブルーティッシュを頼ってみよう。明日にでもあちらと交渉し、日程の調整を頼む。決まり次第
すぐにもカズキさんに連絡し、事務所は休業にしよう」
「了解っ!…調べて原因が判れば一安心…。でも、妙な結果が出ないなら、その方が良いんだけど…」
「どんな結果が出ようと関係ない。アリスが守護すべき対象である事実は、アリスが何者であろうと変わりない」
青年の言葉に、ユウトは少し驚いたように目を見開く。
「アリスは俺達の手で護る。あれの親が見つかるその時まで。そうだな?」
「そうだけど…。…んふふっ…!そう…、そうだよね…!」
タケシに応じながら、ユウトは少なからず安堵していた。
タケシはアリスを護りたい。態度こそ少々そっけないが、やはり自分と同じなのだと、大熊は改めて実感する。
頼りになる相手が居る。その事が、アリスの事となると冷静さを欠きそうになるユウトを落ち着かせた。
守護すべきアリス自身についての情報が少な過ぎる事が、最大の不安材料だった。
だが、首尾よくアリスの事を調べる事ができれば、これで打開策が見えてくるかもしれない。
行動の指針が決まれば、後は動くだけ。
ユウトは気分が軽くなったのを感じながら、タケシと就寝の挨拶を交わし、眠っているアリスの元へと戻って行った。
「ユウトぉ〜…」
ユウトが自室のドアを開けると、不釣合いに巨大なベッドの上で身を起こし、ぐずついているアリスの姿があった。
「ドコいくのぉ〜…?」
緊急時であれば、ユウトは夜に仕事に出る事もある。
それを知っているので、アリスは部屋を抜け出したユウトが出かけるのかと思い、不安になっていた。
ぐずるアリスに、ユウトは優しく微笑みかける。
「何処にも行かないよ。ボクももう休むところ。ほらほら、一緒に寝るから泣かないの!」
ユウトはベッドの前で屈み込むと、アリスの目尻の涙を拭う。
そして幼女を抱きかかえると、大きな体を仰向けにし、広いベッドに横たえる。
小さなアリスはユウトの上に寝そべる形である。
ユウトの自室は、アリスとの共同使用になっている。
眠るのも一緒なら入浴も一緒。はたから見ればほぼ母娘にも見える。
アリスは安心したのか、ぐずるのをやめ、ユウトの首に腕を回し、首周りのふさふさした被毛に顔を埋める。
ユウトの丸みを帯びた腹を足でポンポンと軽く蹴り、しばらくリズムを取っていたが、やがてそのリズムはゆっくりになり、
そして止まり、アリスは睡魔に負けて眠りに落ちる。
天使のような微笑を浮かべる幸せそうなその寝顔を、目を細めて眺めながら、これまでに何度も自分に言い聞かせてきた言
葉を、ユウトは胸の中で呟く。
(…アリスは、幸せにしてあげなくちゃ…)