第十八話 「迫る黄昏」

「…ラグナロク…?」

「ああ。知っているか?」

ユウトに背を向けたまま尋ねながら、上着を脱いでクローゼットにかけたタケシは、異様な気配を感じて全身を緊張させた。

肌で感じている空気が、一瞬で冷たい水に変わったような錯覚を覚える。

鼓動が僅かに速くなり、手がじっとりと汗ばむ。

振り返った青年の視線の先に、首周りの被毛を逆立て、炯々とした光を両目に湛えた金熊が立っていた。

空気の感触が変質した原因は、タケシの相棒にあった。

その巨躯から滲み出すのは濃厚な殺気。俯き加減の顔つきは険しく、吊り上がった口の端からは犬歯が覗いている。

体を縛りつけ、息を詰まらせるような、禍々しいとすら言えるプレッシャーの中、タケシは声を絞り出す。

「…ユウト…?」

その声に、金熊ははっとしたように顔を上げた。

同時に、部屋に立ち込めた殺気が霧散し、まとわりつくようなプレッシャーがかき消える。

「どうした?」

「え?あ、うん…。何でもない。ちょっとイヤな事を思い出しただけ…」

取り繕うような笑みを浮かべ、ユウトはそう応じた。

一瞬前に浮かべていた険しい表情など、まるで幻だったように消え失せている。

だが、先程感じた殺気は気のせいではない事を、青年は汗ばんだままの手の平を見つめながら確認した。

戦慄。先程のユウトを見てタケシが抱いたのは、恐怖に近い感覚であった。

戦闘の最中にあっても敵意をあらわにする事が殆ど無い、穏やかな性質の相棒が、初めて見せた強い負の感情。

それは、青年の記憶がある中で、他者から感じた、最も強烈な殺意だった。

「知らないの?世界最大最悪の組織って言われてるのに、その実体は全く掴めていないっていう組織」

青年に説明し始めたユウトは、すでにいつも通りの穏やかな空気を纏っている。

「いくつかの組織の集合体だとか、ある組織の別名だとか、複数の組織が起こした事件から想像されてるだけの実在していな

い空想上の組織だ、なんて説まである。そのくらい謎だらけの組織なんだよ。結構有名なんだけどなぁ?」

「実態がよく解らない組織なのか?」

「まぁね。でも…」

ユウトの蒼い瞳は、再び暗い炎を灯した。

「ラグナロクは、潰れるべき存在だ…」

タケシの背を、また冷たい物が撫でていった。

「ユウト〜…」

二人は会話を中断し、ドアを開けて入ってきた女の子に視線を向ける。

眠たげに目を擦りながら、アリスがタケシの部屋に入ってきた。

「一緒にお昼寝するっていったのにぃ…」

30分程前に寝かしつけられたアリスだったが、ふと目が覚めてみると一人だったので、急に不安になったのだろう。

ベソをかいている幼女を慌てて抱き上げ、ユウトはその背中をさすりながらあやす。

「ごめんごめん!ちょっと用事があったんだ。また一緒にお昼寝するから、ね?」

廊下に出ながら、ユウトはタケシを振り返り、声を潜めて告げた。

「ラグナロクの事なら、ネネさんやヤマガタさんも詳しいよ。知りたかったら聞いてみて」

「判った。情報を整理しておく」

ドアが閉じられ、一人になると、タケシは自分の手のひらをじっと見つめた。

相棒とラグナロクという組織の間に、一体何があったのか?

そして、ラグナロクというその単語を耳にした時、自分が感じたあの感覚は何なのか?

だが、青年が、自分とユウトの過去に秘められた、ラグナロクとの因縁について知る事を、運命の車輪は、まだ許しはしない。



「だいぶ、疲れてるな…」

自分自身滅多に居る事の無い司令室を訪れたネネの顔を見るなり、ダウドは痛ましげに表情を曇らせた。

「他に有効な手が思いつかなかったとはいえ…、お前にばかり負担をかけ、済まないと思っている…」

疲労の色が濃い顔に微笑を浮かべ、ネネはダウドのデスクの上に、形の良い尻を乗せた。

いつもは優雅にくねる長い尻尾が、今は力なく下に垂れている。

「問題無いわ。それに、あと数日で洗い出しは終わるから…」

一刻も早く、悪用されている旧下水路を見つけ出し、手を打たなければならない。

ネネはその事を良く理解しているからこそ、消耗を覚悟の上で休み無く能力を酷使した。

その成果もあり、旧下水路全体の半分、内2割近くが、ネネの探査能力によってそのおぞましい実態を暴かれ、目下、調査

掃討作戦の対象となっている。

「それで、直通内線でも話せない内容というのは、何?」

ネネの言葉に、ダウドは表情を引き締め、低く押し殺した声で話し出した。

「黒伏のじいさんに確認した。ラグナロクが首都を狙っている」

その組織の名を耳にした途端、ネネの瞳が鋭い光を放つ。

疲労が溜まっているにもかかわらず、その瞳に宿る強固な意志の光は、いささかも衰えてはいない。

「旧下水路の件も、おそらくやつらが手引きしていたんだろう。警戒すべきは、地下だけじゃない」

「でも、地下の探索に多くのメンバーを当ててしまっているわ。首都内での事件も今の所は件数減少が見られないし、何処に

も人手が足りないわよ?」

「やれるとこまではやってやるさ。やるだけやって、それでもダメなら、あとは野となれ山となれ…、マーシャルロー発令の

進言もやむを得まい」

ネネはしばし黙り込み、ダウドの後ろ、窓の外に広がる首都の街並みを眺めた。

「…護りきれるかしら…」

「護るしか、ないだろう」

ネネはため息をつくと、ダウドに尋ねた。

「ラグナロクがこの首都を狙う理由…。貴方はどう思う?」

「スルトの野郎にすれば、俺が目障りだっていう十分過ぎる理由があるが…」

肩を竦め、冗談めかして応じたダウドは、言葉を切り、表情を硬くした。

ずっと抱えていた違和感の正体に、白虎はこの時にやっと気付いた。

「…くそっ…!そうか、バベルだ…!」

訝しげに首を傾げたネネに、ダウドは厳しい表情で続ける。

「奴ら…、首都のバベルを解放するつもりだ…!」

「ちょ、ちょっと待ってダウド?十分に承知しているとは思うけれど、帝のお膝元の、最も警戒されているバベルよ?ここを

狙うなら他国にも…」

「所在が解っていて、確実に「生きて」いるバベル…。他国にもそうは無い」

「でも皆無ではないわ。それに警護の面だけでなく、ここの封印自体もかなり強固な物よ?先々代の帝が終戦直後に封じ直し

た時は…」

「戦火で命を落とした、十万人以上の都民の遺留思念波でシールドされた」

「解っているなら…」

「だが、それでも封印は破られかねん。ヤツらはその下準備を粗方終えている」

例え何者であろうとも、最も厳重な封印と護りに固められた首都のバベルを、直接狙う確率は低い。ネネを初めとする神崎

家の面々、そして首都の護りを分担する関係者達は、長々とそう考えて来た。
だからこそ、ネネは何故ダウドがここまで確

信を持てるのかが不思議でならなかった。

そんなネネの目の前で、ダウドは机から取り出した図面を広げて見せる。それは、首都の地図に旧下水道のラインを重ねた物…、会議で提示された資料のハードコピーだった。

「見ろ…」

ダウドはボールペンを掴むと、ネネが見つめる前で、図面にいくつもの小さな丸を書き込んで行く。

その作業を見守っていたネネは、丸の正体に気付くと、目を細めて訊ねる。

「これは…、事件があった現場?」

「ああ。ここ数ヶ月で急増した、な…。しかも、俺が実際に出向いて、覚えている分だけだが…」

答えながら印を書き入れ終えたダウドは、最後に入り組んで走る旧下水道の、最も外側のラインをなぞる。

「気付かんか?」

鋭い視線を向けて問うダウドに、ネネは顎を引いて頷いた。

「ほとんどの現場が、ラインの内側に…?」

「ああ。それともう一つ…。このライン、危険生物が放たれていた、「当たり」の水路と重なったりはしていないか?」

ネネは目を見開き、記憶と照合する。

「…何よこれ…?ほぼ当たっているわ…!」

「首都をほぼすっぽり囲むライン…。そのラインの内側で、ここ数ヶ月間に事件が急増…。ラインの内側の、ヒトと危険生物

の境無く、命の増減を見れば…」

「…このラインは、バベルを包囲する結界!?そしてこの結界は、死者の遺留思念波を増幅させる為の物…!?」

驚愕を隠せないネネに、ダウドは苦りきった表情で頷く。

「この規模を見るに、まだバベルの封印を中和して起動させるまでには足りんだろうが…、この後、大規模な市街戦で数千単

位の命が散ればどうなる?」

「最悪だわ…!」

「まだチェックメイト一歩手前だ。今の内に気付けて良かったな…」

自ら多くの現場に赴いて回るダウドだからこそ、地図を見た時に違和感を覚えた。

自分の主義がこんな所で実を結び、危機を知らせてくれる結果になろうとは、ダウド自身も予想していなかった事である。

行いが実を結んでたまたまもたらされた、ささやかなその幸運は、しかしブルーティッシュ、そして首都にとって、決定的

な危機を回避できるだけの大きな一手に繋がった。

白虎の視線を受けたネネは、ゆっくりとデスクから降りた。

「…神崎家の名で現存する全ての神将家に協力を要請するわ。首都への攻撃ともなれば、帝にも危険が及ぶ…。密かに首都入

りして貰い、帝居の護衛を担って貰うわね…」

「済まんが、頼む」

頷いて部屋を出て行ったネネを、硬い表情で見送ったダウドは、

「さてと…」

デスクの電話を取り、あるメンバーを内線でコールした。



20分程かけて添い寝し、やっとアリスを寝かしつけたユウトは、欠伸を噛み殺しながら幼女の顔を見つめる。

子守歌を歌ったり、御伽話を聞かせたりしている間に、ユウト自身も眠気を覚えてしまっていた。

(ここの数日あまり体を動かしてないし、食べて寝てばかりいるから体がなまって仕方ないや…。この調子じゃまた太っちゃ

うなぁ…)

ぼんやりとそんな事を考えながら、ユウトはそっと腹部をまさぐる。

そして、ゆったりとしたトレーナーの下の柔らかい脂肪の感触を確かめ、「ふぅ…」と、ため息をついた。

(少しダイエットしなくちゃね…。タケシも太ってるのなんて好みじゃ無いだろうし…)

そんな事を考えた金熊は、「ん?」と声を漏らした。

(なんでボク、タケシの好みなんか気にしてるんだろう?)

ユウトは目を細め、心の中で呟く。

(タケシはただの仕事仲間で、チームのリーダーだ。確かに大切な仲間だけれど、それ以上の事なんて…)

言い訳するように心の中を言葉で満たし、しばらくじっと考えた後、金熊は、親戚の少年に言われた言葉を思い出した。

「好きならとっとと言っちまった方が良いぜ?時間ってのは俺達の都合にお構い無しに流れてくだろ?待ってちゃくれねぇん

だ。焦り過ぎんのも問題だけどよ、いつまでも同じ関係で居てぇって、遠慮して、後回しにして、告白をずるずる先延ばしに

しても、結局いつか追い詰められちまうか、置き去りにされちまう」

顔つきも考え方も大人びていた、あの少年の言葉を反芻したユウトは、切なそうに息を漏らした。

(どうして…、好きになっちゃったのかなぁ…)

うすうす、気付いてはいた。

自分があの青年に対して、恋愛感情を抱き始めていた事には。

だが、これまでずっと、その想いからは意図的に目を背けていた。

今の関係が壊れてしまう事を恐れ、想いを心の隅へ押しやっていた。

以前、その親戚の少年にタケシへの恋心を指摘された時には、一時的な気の迷いだろうと、自分では思っていた。

しかし、心の片隅に押し込めたその想いは、時と共に薄れるどころか、しだいに強く、濃くなっていく。

(人間の男のひとを好きになっちゃうなんて…、想像もしてなかったなぁ…)

ユウトは目を閉じ、心地良いまどろみに身を委ねた。

(復讐なんか忘れて…、タケシと、アリスと、三人でずっと一緒に、暮らして行ければ、良いのになぁ…)

大熊は幼女を優しく抱き、栗色の髪に鼻を寄せ、ゆっくりと眠りに落ちて行く。

しかし、ユウトのそのささやかで穏やかな願いは、結局、叶う事は無かった。



「開いているぞ」

ダウドがノックに応じると、司令室のドアを開け、小柄でずんぐりむっくりした、栗色の獣人が入室し、一礼した。

「お呼びでありますか?」

「ああ。ナイショの話だ。鍵をかけてこっちに来い、エイル」

白虎は席を立つと、ソファーに移動し、顎をしゃくる。

白衣を纏った若いレッサーパンダは、リーダーの言葉に頷くと、表情の無い顔でドアを一瞥する。

次の瞬間、ノブの根本がカシャッと、微かな音を立てた。

手も触れずに施錠したドアから視線を外すと、エイルはソファーに歩み寄り、

「失礼するであります」

と、一言断ってから、ダウドの向かい側に腰を降ろす。

「日常生活で力を使うなって、何回も言ってるだろうが…」

「あ。うっかりでありました」

渋い顔で言ったダウドにサラリと応じると、エイルは白虎の顔を見つめて用件を問う。

「それで、どのような御用でありましょうか?」

「もう話は伝わったと思うが、ラグナロクが来る」

簡潔に言ったダウドに、エイルは特に感情の動きを見せる事無く、顎を引いて小さく頷いた。

「で、ユミルに協力を要請できんか?」

「…それは…、ほぼ間違いなく、拒否されるでありましょう…」

やや口ごもりながら発せられたエイルの返答に、ダウドは「だろうな…」とため息をついた。

「あいつはいつでも中立だからな…。取引相手にはなっても、味方に引き込むのは、やはり無理か…」

「残念でありますが…」

「仕方ない、敵に回られないだけマシと割り切って、今まで通りの接し方で行くか…」

ガリガリと頭を掻きながら呟いたダウドは、自分を見つめているエイルに告げた。

「ヤツからラグナロクについての目ぼしい情報を買い取ってくれ。一応、ついでにダメモトで口説いてみてくれるか?」

「了解であります。が…」

「解ってる解ってる!俺が嫌いなんだろあいつは!」

「は。残念ながら」

「ったく…!」

苛立たしげに顔を歪めたダウドに、エイルは首を傾げた。

「何故なのでありますか?」

「昔、あいつが取っておいたプリン食った事、まだ根に持ってやがるのかもな…」

投げやりに応じたダウドに、エイルは頷く。

「…おい。念の為に言っておくが、本気にするなよ?」

「話半分、でありますね?」

特別感情を交える事も無く、サラリと応じたレッサーパンダに、ダウドは呆れたようにため息をついた。

「お前なぁ?物には言いようってものが…、まぁいい…」

ダウドは小さくかぶりを振り、表情を改める。

「それと、ヤツらが来たら、悪いが前線に出て「視て」欲しい」

「視る…、で、ありますか?」

尋ねたエイルは、何かを悟ったように僅かに目を見開き、それから頷いた。

「…エインフェリア…、でありますね?」

「ああ。連中を確実に判別できるのは、今の所、俺とお前だけだ。ネネですら、一風変わった手練って程度にしか認識できん

からな。早めに叩いて潰せば、後の戦闘が楽になる」

「了解であります」

頷いたエイルに、ダウドはニヤリと、不敵な笑みを浮かべながら続けた。

「手に負えないようなら無理はするな。あくまでも探すのがお前の役目だからな?見つけたら遠慮なく俺を呼べ」



タケシとユウトにもダウドの口から事情が説明され、二人は快く協力を引き受けた。

そして、表面上は平静を保ったまま、慌ただしく、水面下でラグナロクの襲撃に備えた準備が進められる。

数日の内に、秘密裏に各地の調停者への協力要請が取り付けられ、神崎家からの密使によって、各地の神将家から続々と応

援がかけつけた。

静かに、しかし素早く、滞りなく、ブルーティッシュのラグナロク迎撃作戦は、四日間の内にその準備を完全に終えた。



首都中心部のとある駅。晴れているにもかかわらず、雪がちらつく夕空を見上げ、

「ほぼ一年ぶりの首都ですね…」

濃紺の作務衣を纏った、比較的小柄な薄茶色の犬獣人が、白い息を吐き出した。

「新春のお茶会まであと僅かな今…、まさかこのような用件で早めに来る事になろうとは、思ってもおりませんでした…」

その前方に立つ、極めて大柄な男が、同じように夕暮れの空を見上げる。

巨躯に纏うは紋付袴、独特の雰囲気を持つその男に、駅前を行き交う人々が好奇の視線を向ける。

飛び抜けて大柄な男だった。身長は250センチを越えている。

背が高いだけでなく、体そのものが、手足や指に至るまで、分厚く、太く、大きい。

まるで小山のようなその巨体を目にした通行人は、一様に驚き、そして感嘆の表情を浮かべる。

獣人差別が根強いこの首都でもなお、嫌悪の視線を浴びる事が無い。

動かぬ山々がそこに在るだけで人を魅了するように、この男にもまた、人の目を引き付けずにはおかない魅力があった。

その極めて大柄な熊の獣人は、赤銅色の被毛に覆われた顔を夕陽に照らされながら、何かを思い起こすように目を細めた。

「ユウヒ様。如何なされましたか?」

動こうとしない主に、犬獣人が声をかける。

「…司狼(しろう)の事を思い出していた…」

懐かしさと、一抹の寂しさすら漂わせるユウヒの声に、犬獣人は目を伏せた。

「覚えておるかシバユキ…。あの日も、小雪がちらついていたな…」

シバユキは記憶を辿り、今と同じように主に従ってやって来た、四年前の首都での出来事を思い起こす。

「そうでしたね…。身を切るような…、そんな寒い日でございました…」

しばし黙って空を見上げた後、ユウヒは雪駄をつっかけた足を踏み出す。

そして階段を登って来る老人に気付き、大きな体が通行を妨げないよう、少しだけ横に動いた。

人の良さそうな柔和な笑みを浮かべて会釈した、長身で痩せ形、白髪の老人は、大事そうにペット用のケージを抱えていた。

ユウヒは半透明のプラスチックで作られたケージの中に、ちらりと目を遣る。

ケージの中には、真っ白な仔猫が一匹、手足を抱え込むようにして蹲っていた。

見上げた白猫と目が合った際に、ユウヒは何かを感じ取ったように、微かに目を細める。

だが、結局は特に何も言わず、そのまま老人とすれ違った。

シバユキは猫には目をくれることもなく、老人の脇を足早に抜け、主の斜め後ろに付き従う。

「首都に来るたび、なにかにつけて驚かされるのはいつもの事だが…。ふむ…。此度はまた飛び抜けて珍しい…」

歩きながら一人ごちたユウヒに、シバユキは小首を傾げて尋ねた。

「はい?何か、妙な事でもございましたか?」

「いや、今の我らとは関わりのない事だ…。まずは帝の元へ。ご挨拶を終え次第、神崎の当主を訪ね、今後の方針についての

説明を乞う」

頷いたシバユキを伴い、ユウヒはクリスマスソングの鳴り響く、首都の雑踏へと踏み入った。



「ねぇ、アリス…」

机に広げた紙にクレヨンで絵を描いているアリスに、ユウトは静かに声をかけた。

「なーに?ユウト」

夕焼けに染まる街並みを、窓から眺めていた金熊は、幼女を振り返って尋ねた。

「今でも、ボクとタケシの事、好き?」

「うん!」

画用紙から顔を上げ、笑顔で頷いたアリスに、ユウトは笑みを返す。

「ボク達三人で、ずっと暮らしたい?」

「うん!」

頷いた後、アリスは不安げな顔をした。

「ユウト?もしかして、アリスどこかに行かなきゃいけないの?」

「あ、ごめん、違うよ。そういう意味で聞いたんじゃないんだ。…ただ、アリスも、ボクと同じ事を考えてるのかなって、気

になっただけ」

安心させようと微笑むと、ユウトは窓から離れ、アリスに歩み寄った。

「アリスが良いなら、ボク達とずっと、一緒に居ようか?」

幼くして育ての母を喪い、生きている間は身近に居た生みの母に気付けなかった。

そしてまだ男も知らない19歳のユウトには、母親という存在がどんなものなのか、漠然としかイメージできていない。

それでも、自分がアリスを想う気持ちは、きっと母性から来るものなのだろうと、そう考えていた。

「うん!アリスは、ずっと、ず〜っと!ユウトとタケシと一緒に居るっ!」

満面の笑みを浮かべたアリスを抱き上げ、ユウトは愛おしそうに頬ずりした。

そして、何気なくテーブルの上に目を遣る。次の瞬間、画用紙に描かれた絵を映し、蒼い目が大きく見開かれた。

「アリス!?こ、これって…?」

『ユウト!居るか!?』

驚愕を滲ませるユウトの声を遮り、室内スピーカーから館内放送でダウドの声が響き始めた。

「ダウド?一体何?」

白虎の声が緊張を孕んでいる事に気付き、ユウトは驚愕を押さえ込んでスピーカーを見上げ、気を引き締める。



十二月二十四日、午後七時。クリスマスイブに浮かれる首都に、黄昏は訪れた。