第二十二話 「混戦」(前編)

港制圧の為の橋頭堡となるビル群を奪い合う、前線でも屈指の激戦区。

絶え間なく銃声が鳴り響き、怒号と叫びが飛び交うビルの谷間で、

「………?」

横転したワゴンの陰に身を潜め、ハンディグレネードに特殊弾頭を装填していたレッサーパンダは、凍りついたように動き

を止めた。

「どうしたエイル?」

傍らでマシンガンのマガジンを交換していた、エイルらの部隊を指揮する隊長が、その変化を察して問いかける。

エイルは顔を少し上向きにし、スンスンと鼻を鳴らし始めた。そして、目を細くし、小さく二度頷く。

「…捉えたであります…」

「何?何を捉えたって?」

エイルは同僚の問いに答えず、目を細めたまま、何かの気配を探っているように息を殺し、せわしなく耳を動かす。

やがてエイルは首を曲げて、ある方向を見据えた。その視線の先は、前線の遥か向こう、港方面。

「…来るであります…。隊長、撤退準備を…」

「来る?何がだ?撤退とは?」

「…死せる戦士が…、来るであります…」

言葉の意味が理解できず、困惑している隊長に、エイルはボソリと告げ、立ち上がった。

「リーダーからの密命のため、詳しくは話せないであります。この事態が発生した場合の対処は、リーダーと打ち合わせ済み

でありますから、どうか、撤退を…」

傍らに降ろしていた、自分の胴体より大きなザックを背負い、両手にグレネードを携えたエイルは、

「では、往くであります」

ワゴンの陰から飛び出すと、怯む様子も見せずに、銃弾が飛び交う中を、僅かな躊躇いも見せずに駆け出した。

「おい!エイル!?」

交戦中の敵味方の中を駆け抜ける栗色の獣人の背に、隊長の声がぶつかるが、それでもその足は弛まなかった。

「撤退!撤退であります!」

仲間達に撤退勧告を発しながら、エイルは先ほど捉えた反応を目指し、単身で進撃を開始した。



「勝てる。僅差でこっちの勝ちだ」

トシキは押し戻し始めた前線で、折れた太刀を交換するタケシに呟いた。

「他地区の調停者達が、間もなく渡河して現れる。押し返せるぞ」

タケシは刀を召還したまま、鞘から抜く事も、身構える事もせずに動きを止めた。

「…空母の様子は?敵の増援はどうなっている?」

「ここから先の様子は不明だが…、空母からは増援がちらほら送られているようだ」

「その増援。なぜすぐに前線へ送られて来ない?」

「ある程度固めてからぶつけるつもりでは…」

トシキは言葉を切ると、タケシの顔を見据えた。

「何か気になるのか?バジリスク」

タケシは呼び出したばかりの刀を、結局は鞘から抜き放たないまま腰に挿して応じる。

「前線はこちらが押し返し始めている。意地でも港は確保しておきたいはずのラグナロクが、戦線を下げるデメリットに目を

瞑り、戦力を固める…?ここまでの戦い方を見るに、敵は兵力を消耗品として注ぎ込んでいる。これまでの流れで言えば小出

しにして来るはずだ。到着した増援を即座に前線へと送れない理由…、いや、送らない理由は…」

タケシの言葉の途中で、トシキは瞬き一つの間に振り向き、照準を合わせる事もせずに大型拳銃の引き金を引く。

50メートル程向こうの横転したジープの陰から飛び出し、二人にライフルを向けた敵兵は、正確に眉間を打ち抜かれて目

から上を吹き飛ばされ、声もなく仰け反った。

絶命しつつ銃口を空に向けて引き金を引き、自らの弔砲を奏でて倒れた敵兵を、一瞥したきり視線を戻すと、トシキは何事

も無かったようにタケシを促した。

「続けてくれ、兵を動かさない理由とは何だ?」

「…あるいは、到着した増援は既に、別の目的で動かされているのかもしれない。戦線維持よりも重要で、緊急を要する目的…」

「重要、かつ緊急…。向こうにとって、戦線を下げてでも得たいもの…」

トシキとタケシは視線を合わせた。

「ヤツらが欲しいのは時間か?増援の到着を遅らせる…。川にかかる橋を落としに行ったと?」

トシキが声を上げると同時に、タケシは踵を返した。

「またバイクを借りるぞ」

敵味方入り乱れる混戦の中を駆け抜けたタケシは、やがて前方から走って来る白虎と灰猫と遭遇した。

「ダウド…!良い所で会った」

青年は急停止すると、推測される敵の動きを二人に伝える。

「また単騎駆けするつもりか?」

「一人の方が速い。足止め程度は出来るはずだ」

青年の発想は、自分の身に及ぶ危険については考慮の外である。

良くも悪くも、自分自身を戦力として消費する覚悟ができている。

哀しいほどに青年の身に、心に染み付いている、兵士としての判断力と振る舞いは、倫理も道徳も無い数々の戦いを潜り抜

けたダウドをしてもなお、顔を顰めさせた。

「危険だ。やめておけ」

「危険は承知だ。だが有効な手段でもある」

その短いやりとりだけで、ダウドは青年を説得する事は不可能だと悟り、ため息をついた。

「…ここから回すより、支部の護りを割いて送った方が早いか…。支援部隊はすぐに送るが、おそらくかなり遅れるぞ?」

顎を引いて頷いたタケシに、ネネが心配そうな顔を見せる。

「いい?無茶はしないでね、フワ君?」

「了承した」

「本当に解ってるんだろうなお前?…ん?」

頷いたタケシに苦笑いしてみせたダウドは、懐に手を突っ込み、携帯を取り出す。

(…エイルからワンコール?…やはりエインフェリアが混じっているか…)

表情を引き締めたダウドに、タケシとネネが何か問いたそうな視線を向けたが、

「問題無い。さて、お互いにやる事をやって、とっとと騒ぎを収めるか」

白虎は太い笑みを浮かべ、二人からの追求をはぐらかす。

「さて、野暮用ができたから俺も少し外す。ネネ、前線は任せる。タケシ、気をつけてな?」

「ええ」

「解った」

そして三人は、一度だけ頷きあい、その場を後にした。

ダウドはその場に留まり、ネネは最前線へ、そしてタケシは先程乗り捨てたバイクの所へと走る。

これが、マーシャルローの最中でこの三人が一同に会する、最後の機会となった。



疾走するジープの後部、荷台に仁王立ちになった黒い竜人は、行く手から響いてくる炸裂音や銃声、遠い声を捉え、口元を

綻ばせた。

戦場を目前に、血を滾らせるその竜人の姿を、その行く手に聳えるビルの一つから、二つの瞳が映している。

無人のビル、オフィスとして利用されているのであろうそのフロアでは、数時間前、人々が逃げ出した時の状況そのままに、

書類が床に散らばり、冷めたコーヒーが机の上に放置してある。

三車線道路を我が物顔で疾走して来るラグナロクの車両群を、窓際の壁に身を寄せて見下ろしていたエイルは、小さく呟き、

軽く目を閉じる。

「…状況、開始であります…」



前線へと至る占領を終えた区画を、悠々と進軍してゆくラグナロクの車両群。

その先頭を進むジープの助手席で、ライフルを構えて警戒にあたっていた男は、ビルの壁がはがれ、折り重なった瓦礫の下

の暗がりで、何かが光ったのを認め、銃口を向けた。

人の入れるようなスペースではない、その僅かな空間には、どちらかの兵士が捨てて行ったのか、ハンディグレネードがは

まり込んでいた。

警戒を解いた男が視線を前方に戻すと、その、一見放置されていたように見えたグレネードのトリガーが、カチリと引き絞

られた。

側面からナパーム弾の直撃を受け、先頭のジープが横転したのを皮切りに、車両群は四方八方から銃火に曝された。

無人と思われていたビルの窓から、ポッカリと口を開けた入り口から、瓦礫の陰や隙間から、一斉に銃撃が始まり、兵士達

は浮き足立ち、次々と倒れていく。

「落ち着け!止まらず、一気に突破せよ!」

飛び交う銃弾を意にも介さず、ミドガルズオルムは腕を上げて前方を示しつつ、銃撃の元の一つである右手側のビルの窓、

マズルだけが見えるライフルへ視線を向ける。

そして、手にした三叉の穂先を持つ槍を、

「穿て、ゲイボルグ…!」

大きく引き、そして鋭く宙を突いた。

穂先が燐光に包まれ、そこから三つの光弾が飛び出す。

三つの穂先、そのままの形をした鋭い形状の光弾は、窓と壁に穴を穿ち、ライフルを破壊し、銃撃を止める。

が、粉砕された壁の一部から覗けた向こう側には、人影は無い。

目を細め、再び槍を振るったミドガルズオルムは、吹き飛んだ瓦礫の下にも、やはり銃があるのみで人が居ない事を確認し、

口の端を吊り上げ、獰猛な表情を浮かべる。

「…なるほど…、何らかの能力、遠隔操作の類か…。反撃は無意味だ!無視して突破せよ!」

その時であった。号令を発したミドガルズオルムの頭上、破壊された窓とは反対側の左手側のビル、その三階の開け放たれ

た窓から、栗色の丸いモノが飛び出したのは。

加速をつけて窓から飛び出し、ジープの荷台で仁王立ちになっている竜人めがけて落下してゆくエイルは、アーミーナイフ

を逆手に握った両手に力を込める。

首筋と左肩、それぞれ鎧の隙間と継ぎ目から、頚骨と心臓を損傷させる位置に狙いをつけたレッサーパンダの攻撃は、しか

し寸前で止められた。

頭上に向かって突き上げられる竜人の槍。

その穂先が、引き戻したナイフで軌道を逸らしつつ、首を傾げて逃れたエイルの頬を浅く切り裂き、煙を上げる。

高熱の穂先で頬を焼かれたエイルは、僅かに落下軌道を変えつつ、ミドガルズオルムの首を目掛けて左手のナイフを振るう。

右腕を上げ、鉄甲でナイフを弾いた竜人の脇に着地したエイルは、息もつかずにそのまま足首めがけて右のナイフを振るう。

鎧の関節部を狙ったそのナイフはしかし、無造作に蹴り払われ、竜人は手元で素早く回転させた槍を、着地して屈んだまま

の状態のエイルの背に突き下ろす。

左手と両足をついた姿勢から、エイルの姿がかすんで消え、ゲイボルグは荷台の床を深々と抉り、ボシュっと音を立てて熱

と煙を発した。

「…リミッターカットが可能か…」

瞬間的に身体能力を跳ね上げ、残像すら残してジープの運転席の屋根へ移動したエイルの手には、腰の後ろから抜き放った、

ハンディグレネードが握られていた。

竜人が向き直ったその時には、ずんぐりした体型からは想像もつかない程の機動力を見せたエイルは、すでに狙いを定め終

えている。

その丸い指がトリガーを引き絞り、グレネード弾が発射された。

至近距離で放たれたグレネードの弾頭はしかし、残像を残して身を捌いた竜人をかすりもせず、後ろに続いていたジープの

運転席に飛び込む。

液体窒素が詰められたグレネードにより、氷漬けになったジープは、減速しつつ進路を変え、隣の車両に激突する。

司令官が奇襲者と交戦中である事に、何人もの兵士が気付いていた。

しかし、走行中のジープの上で交戦しているため、援護の為に銃口を向けるのも危険な状態である。

おまけに散発的に続いている銃撃に気を取られ、援護を試みる事すら困難な状況。

エイルは単身で、敵の真っ只中にありながら、敵司令官と一対一の状況を作り上げていた。

「リミッターカット…、おまけにレリックの適性…、そして、この不安定な気配…」

槍を構えるミドガルズオルムを前に、運転席の屋根で中腰になっているエイルは、目を細めて呟いた。

「エインフェリア、それも……………でありますね?」

風にさらわれたエイルの言葉に、ミドガルズオルムの目の色が変わる。

「…貴様。…何者だ?」

グレネードを腰の後ろに戻し、再びナイフを両手に握ったレッサーパンダは、無表情のまま口を開いた。

「エイル・ヴェカティーニ。ブルーティッシュの衛生兵であります」

目を細めた竜人は、エイルの顔をじっと見つめる。

(…ヴェカティーニ…?何処かで聞いた覚えの有る名だが…)

竜人が気を削がれたその一瞬の間に、エイルは背後に意識を集中していた。

はるか前方の電光看板、その中に仕込んだアサルトライフルの射程に、間もなく自分とミドガルズオルムが入る。

直接の奇襲で仕留め損なった際の追撃として、事前に用意しておいた仕掛けであった。

トリガーハッピー。

エイルは自分の能力の事を、そう呼んでいる。

具体的には、事前に手を触れ、マーキングをおこなった物に対してのみ発動できる念動力である。

例えば、先に触れたドアノブに働きかけ、かけわすれた鍵をかける。

例えば、先に触れておいた銃器を様々な場所に配し、トリガーを動かす。

一度にマーキングしておける数は二十数個。持続時間は十数分。干渉する強さはネズミが物を押す程度。

事前の仕込みが必要な事と、制限の多さがネックではあるものの、上手く使えば一人で数部隊を足止めできるなど、待ち伏

せや拠点防衛といった状況では強力な武器になる。

竜人の視界では、進行方向に配されたライフルが仕込まれた看板は、エイルの体に隠れて見えない。

射程に入ると同時に、エイルは飛び退きざまに銃撃を開始させるつもりであった。

が、ここに来てその仕込みが裏目に出る。

目隠しとなっていたエイルめがけ、竜人は槍を大きく引き、狙いを定めるなり、光弾を放った。

(…遠隔攻撃可能なレリックの所持…、加えて、まさかここまでの射程とは…、誤算でありました…)

素早く身を捌いたエイルの遥か後方で、看板はライフルごと破壊された。

こうなっては直接屈服させる他に手段は無いが、エイルは悟っていた。近接戦闘では、おそらく自分はこの男に勝てないだ

ろう事を。

体格に恵まれている訳でもなく、身体能力もそれほど高くないエイルにとって、禁圧解除は切り札であると同時に、乱用で

きない奥の手であった。

間をおかず三度も使用したせいで、酷使されたふくらはぎや太腿が、早くも痙攣を始めている。

対して、ミドガルズオルムの方は禁圧解除の副作用が全く見られない。

(リミッターカットの完全制御、さらに、レリックとの異様なシンクロ…。ここまでの力を引き出されたエインフェリアとな

ると、自分の手には余るでありますね…)

余裕の無い状況下で、どうしたものかと他人事のように思案していたエイルは、ピクっと耳を動かし、自分の後方、車両群

の進行方向へと向けた。

微かに届いた、獣の咆哮を思わせる低く轟くエンジン音が、レッサーパンダに援軍の到着を伝えた。

詰め寄りながら振り降ろされた槍の一撃をサイドステップでかわし、突き込まれた穂先を屈んで避けた後に即座にジープの

天井を蹴り、足元を払う一撃をかわすエイル。

続け様の三連撃を回避されたミドガルズオルムは、禁圧解除で大きく跳躍し、信号機の上に着地しようとしたエイルに、ゲ

イボルグの穂先をピタリと定める。

視線が一瞬絡んだその刹那、竜人の顔が苛立たしげに歪んだ。

「ちぃっ!」

光が灯ったその穂先は、しかしエイルにとどめを刺すには用いられず、飛び退きながらエイルが放った液体窒素入りグレネ

ードを撃墜する。

ジープと己の身を守るために一手割いたその時には、エイルは信号機の上に着地し、態勢を整えていた。

振り返ったエイルの瞳が、車両群の行く手からたった一台で疾走して来る、援軍の姿を捉えた。

煌く銀と黒の対比が鮮やかなハーレー。それに跨る筋骨隆々たる白い虎は、背負っていた黒い巨剣を右腕一本で翳し、

「…吹き飛ばせ、ダインスレイヴ!」

一声吼えると同時に、前方を薙ぎ払うように、水平に一閃した。

黒い刀身から発された不可視の衝撃波が、殺到する車両群を飲み込む。

荒れ狂った衝撃波が、隊列の前方三分の一のジープを、木の葉のように弄び、切り刻み、破砕した。

破壊され、横転し、炎を上げる前列に、避け損ねた後続の車両が追突し、被害が拡大する。

後方を走っていた車両はなんとか停車したものの、車両の残骸と燃え盛る炎で、進路は完全に封鎖された。

剣のただ一振りで一団を半壊状態にしてのけた白虎は、アクセルを緩めずに炎の中へと突っ込む。

手にしたダインスレイヴが低く唸ると、まるでダウドに触れる事を恐れるように、炎はバイクの進路から退き、道を空ける。

大気操作によって炎の壁を難なく突破するダウドの前方で、エイルはトリガーハッピーを解除し、ちらりと竜人を見遣った。

エイルの下を走り過ぎ、炎と事故車両に行く手を阻まれたジープの上で、ミドガルズオルムはバイクに跨る虎の姿を凝視し

ている。

「黒い巨剣…。それに、あの姿…。あれがダウド・グラハルトか…」

炎を食い破り、事故車両の間を抜けて疾走するハーレーが、竜人のジープに迫る。

金色の瞳が槍を携えた竜人の姿を映し、すぅっと細められる。

「エインフェリアだな…。やっぱり来ていやがったか…!」

素早く突き出された槍から、三条の光弾が飛翔する。

が、ハンドルを巧みに操り、バイクを斜めに倒したダウドの僅か上を、それらは高速で飛び過ぎて行く。

「バカな!?」

ミドガルズオルムの顔が驚愕に歪み、口からは感嘆の響きすら伴う呻き声が漏れる。

(初見でゲイボルグの力を見破った!?いや、見てから反応し、バイクの上で避けたのか!?)

竜人の驚嘆が冷めやらぬ内に、ダウドの駆るハーレーは車両に肉薄していた。

斜め後方に下ろした、先端を地面に引き摺る寸前の位置から、黒剣が跳ね上げられる。

ジープのボンネットを、運転席を、そこに居た者を抵抗も無く断ち割り、ダインスレイヴは竜人の首筋目掛けて宙を走った。

「っくぅ!」

ゲイボルグを斜めに構え、黒い巨剣を柄で滑らせ、何とか受け流したミドガルズオルムの巨躯が、勢いを殺し切れずにジー

プの荷台から弾かれる。

(柄ごと首を落とすつもりだったんだが…、なかなか頑丈な槍だな、反応も悪くない…)

仕留めそこなったものの、ジープを大破させて運転不能にしたダウドは、竜人の力を分析しつつ、視線を上に上げた。

いささかも速度を落とす事無く駆け抜けるハーレーの後部に、信号機の上から飛び降りたエイルが着地する。

「怪我は無いか?」

「足がプルプルしている以外は、問題無しであります」

「そうか。ご苦労だった…ん?」

応じたエイルを反面だけ振り返ったダウドは、言葉を切り、バイクを急停車させると、エイルの顔をじっと見つめる。

「…お前…、頬…」

「避け損ねたであります。かすり傷なので、問題な…」

頬を走る焼けた傷の傍に、ダウドの指がそっと触れると、エイルはビクっと体を震わせ、顔を顰めた。

ゆっくりと、頬の傷の周囲をなでた後、白虎は無言のまま、のっそりとバイクから降りた。

一方、荷台から落ちたミドガルズオルムは、地面に激突する寸前に身を捻り、着地はしていたものの、叩き落された屈辱に、

ギリリと歯を噛み鳴らしていた。

そこへ、彼を荷台から叩き落した張本人が、肩に巨剣を担ぎ、ジャリッ、ジャリッと地面を踏み締め、歩いて来る。

ラグナロクの兵士達が遠巻きに包囲する中、無造作な足取りで進んで来るダウドを睨み、竜人は槍を構えた。

「…おい…」

足を止めた白虎の口から、恐ろしく低い声が漏れた。

「切り傷ならいい…、十歩譲って切り傷はまぁセーフにしとこう…。獣人はすぐ塞がるからな…」

やや俯き加減のダウドが、突然何を言い出したのかが理解できず、ミドガルズオルムは眉根を寄せる。

「だが…、火傷はアウトだ…。火傷はな…。…てめぇ…」

ダウドは顔を上げ、ギヌロっと竜人を睨む。

その凄まじい怒気と迫力、殺気に飲まれ、兵士達は銃を構えたまま身動き一つできなくなっていた。

「嫁入り前の娘の顔に、よくも根性焼きなんぞしてくれたなぁ?もしも跡でも残っちまったらどうしてくれんだゴルァアっ!?」

腹の底にビリビリ響く、とんでもない大音量の怒声に、兵士達は身をすくめ、ミドガルズオルムですら無意識に一歩後退する。

身内の女性の顔に傷をつけられたダウドは、半ばキレかかっていた。

「楽に死ねると思うなよ…?覚悟できてんだろうな?あぁんっ!?」

眉間に深い皺を刻み、口の端を下げて、チンピラのような口調で恫喝したダウドは、剣をぶんっと一振りする。

それだけで、白虎を囲む円周状に突風が荒れ狂い、包囲していた兵士達が吹き飛ばされ、へたり込む。

腕で顔を覆い、なんとか踏ん張ったミドガルズオルム目指し、ダウドは足を踏み出した。

一足。たった一歩踏み出したその足を助走に、ダウドの体が高速突進を開始する。

瞬き一つの間に間合いが消滅し、ミドガルズオルムの眼前に、斜め下から剣を振り上げようとするダウドの姿が現れる。

ギンっという音と共に、半身になって身を捌いた竜人の左肩のアーマーが斬り飛ばされた。

紙切れのように鎧を切り裂いた巨剣は、宙でピタリと静止し、そこから跳ね返るように急降下する。

「ぬぅ!?」

焦りの声を漏らしつつ身を捻った竜人の右の角の先が、振り下ろされた巨剣に切断されて宙に飛んだ。

ダウドは息をつく暇も与えず、振り下ろした黒剣を、斜め上に跳ね上げる。

これはかわしきれないと悟ったミドガルズオルムは、槍を立てて剣を受け止めた。

が、ダウドの膂力に抗し切れずに、受けた槍ごと吹き飛ばされる。

宙で体勢を整え、膝立ちで着地したミドガルズオルムの前に、すでに追い縋り、肉薄していたダウドの、袈裟懸けに振り下

ろす一刀が襲い掛かる。

槍を水平にし、剣を受け止めたミドガルズオルムの膝が、足が、アスファルトを陥没させて地面にめり込んだ。

一撃でも食らえば即死は免れないであろう、間断無く繰り出される猛虎の連撃。

それをかろうじて凌ぐミドガルズオルムの背を、冷や汗が伝い落ちる。

自分の一撃を防ぎとめた竜人と、間近で視線をぶつけあい、ダウドは獰猛な、そして不敵な笑みを浮かべる。

「ほう、リミッターカットができるのか…。なら…」

ダウドが僅かに目を細めた瞬間、ガクンと、ミドガルズオルムの腕が下がった。

「こっちも解除だ」

筋肉が、骨格がギシリと音を立て、白虎の腕が一気に力を増す。

一瞬で三倍近くにまで増したダウドの腕力に押し切られる形で、ミドガルズオルムの体が後退し始める。

歯を食い縛り、剣を防ぎとめるだけで精一杯のミドガルズオルムは、屈辱的な事ではあったが、噂に聞くダウド・グラハル

トが、自分を遥かに上回る強者である事を認める。

そして彼は、得物であるレリックに命じた。

「む?」

槍の穂先に光が灯った事に気付き、視線を僅かに横に向けたダウドは、思わず舌打ちをした。

水平に寝せて剣を受け止めていた槍の穂先、光弾の射出口は、半壊したジープのボンネットを向いている。

直後、放たれた光弾がジープに突き刺さり、爆発を起こした。

素早く巨剣を引き、その広い身幅を生かして盾にしたダウドは、苛立たしげに口元を歪ませつつ、大気を操作して周囲の炎

を押し退ける。

剣をぶら下げて立ち上がったその時には、既にミドガルズオルムの姿は消えていた。

「逃げ足の方は大したもんだ…」

呟いたダウドの元に、ハーレーを走らせて駆けつけたエイルは、逃げ散ってゆく生き残りの兵を見回しながらバイクを降り、

リーダーに声をかけた。

「気配は消えたであります」

「ああ。俺も捉えられなくなった。ムカつく程に逃げ足が速いな…。ここで仕留められなかったのは、少々痛いかもな…」

「…彼の事でありますが、リーダーは、妙な気配とは思わなかったでありますか?」

「妙な気配?」

聞き返したダウドは、ハーレーに跨りつつ呟いた。

「…そういえば、ノイズ交じりのような…、不快な感触はあったかもな…」

「おそらくでありますが、彼は調整に失敗しているであります」

ダウドは動きを止め、エイルの顔を見つめた。

「推測の範疇の話になるでありますが。自壊が始まっている可能性も…」

「なるほど…、あの能力の高さは、無茶な調整の結果か…」

ダウドはエイルの後ろ襟を掴み、仔猫でも扱うように持ち上げてバイクの後ろに乗せると、

「とりあえず一度帰還だ。その可愛いほっぺ、ちゃんと冷しておけよ?」

「了解であります」

剣を片手にぶら下げたまま、ハーレーを発進させた。