第二十三話 「混戦」(後編)

前線を目指していたラグナロク兵達は、制圧済み区域に一人で潜り込んだレッサーパンダと、単騎で切り込んだ白虎によっ

て壊滅的なダメージを受け、倒れ、あるいは逃走した。

ダウドとエイルを乗せたハーレーのエンジン音が聞こえなくなった後のビル街には、炎と黒煙を上げるラグナロクの車両群

の残骸が残された。

その中で、炎に炙られて焼け焦げた、高さ3メートル程の瓦礫の山から、カラリと小石が落ち、間近で燃えていた炎にくべ

られる。

その瓦礫がぐらりと揺れ、次いで隆起したかと思えばガラガラと崩落した。

その下から、槍を支えにして潰されるのを免れていた竜人が立ち上がる。

黒い竜人は周囲を見回し、部隊が壊滅した事を確認すると、憎々しげに舌打ちをした。

「ダウド・グラハルト…。噂どころではない、本物の怪物だな…!」

手にしたレリックの力をろくに引き出す事もなく、戦技だけで自分を圧倒してのけたブルーティッシュのリーダー。

呟いたミドガルズオルムは、一瞬にして容易く己を追い詰めた白虎の顔を脳裏に描く。

鍛えた技も、力も通じず、屈辱的な、完全なる敗北を経験し、歯をギリリと噛み締めたミドガルズオルムは、

「…ぐっ!」

口元を押さえ、体を折ると、その場で咳き込み始めた。

「ゲフッ!ゴハッ!…ガボォッ!」

押さえた口元から、どす黒い血が零れ落ちる。

堪らずに膝を折った竜人の足元に、吐き出された血が赤黒い水溜りを作った。

(力を使い過ぎたか…。くそっ!ただでさえ残された時間は少ないというのに…!)

なんとかダウドの猛攻を凌ぎ、逃げ延びる事に成功したミドガルズオルムだったが、刃を交えた代償は高くついた。

通常の獣人が持ち得るレベルを、遥かに超える身体能力を誇るエインフェリア。

その中でも破格の能力を誇るミドガルズオルムだが、それは製造された当時から持ち合わせていた物ではなく、後付けで付

加された力であった。

本来のポテンシャルを超える調整を受けたせいで、その体は自壊が始まり、放っておいてもそう長くは保たない。

その状況でもなお、立場を超える無理を承知で願い出て、首都攻略の司令官を勤めた事には、彼なりの理由がある。

自分と同じく、エインフェリアである弟の存在が、その理由であった。

優れた戦士の死体を再活性させ、製造されるエインフェリア。

彼らは生前の記憶を持たず、リブートされた後は全くの別人格を持つようになる。

それでも、素体となった体が兄弟のものであったミドガルズオルムと、もう一人の竜人とは、ただの同期製造組という事だ

けでなく、強い信頼関係で結びついている。

しかし、もう一方の竜人は、レリック適性こそそこそこ高いものの、他には何の能力も持たずに生まれてしまった、エイン

フェリアとしては失敗作に近い存在であった。

このままでは、弟はいずれ、戦力として消耗されてしまう。

そこでミドガルズオルムは、自分が戦果を上げる事で、弟の行く末を改善しようと考えた。

自分が目覚しい戦果を上げれば、ひいては自分と近い存在である弟の評価も変わる。

ミドガルズオルムは、組織が掲げる理想の実現とは別に、自分の願いを現実のものとすべく、自ら望んで繰り返し再調整を

受けた。

己の命を削られる事も、重々承知の上で。

(いましばらく…、しばらく保て…、俺の体よ…!)

口元を拭ったミドガルズオルムは、苦痛を堪えて立ち上がる。

「ひどくやられたわね、ミドガルズオルム…」

その背に、場違いな程に落ち着いた声がかかり、竜人は驚愕しつつ振り向いた。

ミドガルズオルムから5メートルと離れていない位置で横転したジープ。

そこから投げ出され、腰の高さほどの瓦礫の上に、うつ伏せに倒れて絶命している兵士。

いつからそこに居たのか、ソバージュのかかった灰色の髪の美女は、兵士の亡骸の上に、椅子に腰掛けるように足を組んで

座っていた。

燃え盛る炎に肌を照らされ、妖艶な笑みを浮かべるヘルに、ミドガルズオルムはその場で跪き、頭を垂れた。

「申し訳ありません、ヘル…」

「まぁ、相手があのダウドでは仕方ないわね。一対一で向き合って、生き延びただけでも大した物よ」

「………」

中枢のメンバーを前に、無様な姿を見せてしまった。ミドガルズオルムは顔を俯けたまま、屈辱に肩を震わせる。

跪く竜人を見下ろしながら、ヘルは続けた。

「手は出さない事ね。正面からまともにぶつかりあってダウドを凌駕できた者は、たったの二人しか存在しないわ。…いえ、

今は一人だけね…」

ミドガルズオルムから視線を外したヘルは、バイクが走り去った方向を見遣り、真っ赤な唇の両端を、三日月のように吊り

上げる。

「…でも、いずれは殺してあげる…。私が描く未来に、貴方は不要な存在なのよ、ダウド…」

口を笑みの形にしながらも、しかし全く笑っていない目で、ヘルは白虎が去っていった方向を眺めていた。



金色の柔らかな被毛に覆われた丸い耳が、その音を捉えてピクリと動く。

地下通路の入り口のすぐ内側で、腕組みをして目を閉じていたユウトは、閉じていた目を見開いた。

砲撃音に混じる微かな音。それを感じ取ると同時に、金熊はすぐさま外へと飛び出し、大河の向こうへと視線を向ける。

川を渡る、明け方の強い風に乗り、川向こうから運ばれてくるそれは、待避を促すスピーカーの声。

「増援…、調停者だ!」

暗号化したメールをブルーティッシュ本部へ送信し、民間人への救助要請を出したのは、つい数分前。

来た方向も異なることから、要請した救助隊でない事は確かだったが、調停者であれば民間人の保護を優先する。

まだまだ距離はあったが、ユウトは安堵したように笑みを浮かべると、地下通路入り口に飛び込んだ。

階段の手前に設置されている、壊れた電動シャッターを掴み、逞しい腕で無理矢理引き下ろす。

崩れた天井と壁が足下で瓦礫となり、邪魔になって完全には締まらなかったが、隙間は狭く、子供でもなければ通り抜ける

のは難しい。

待ちかねていた救いの手の接近に、安堵から表情を緩めていたユウトの横顔が、茜に染まる。

「え…?」

川下の方へ視線を向けたユウトの蒼い瞳に、暗い川へと焼け落ちて行く橋が映った。

「うそ…!?まさか…、敵部隊が川沿いに!?」

金熊の呟きが終わらぬ内に、もう一つ手前の橋が崩落した。

(まずい…!まずいっ…!橋を落とされたら、増援どころか皆を避難させるのも不可能になる!)

心の内で呟いたユウトは、さほど離れていない位置にある、大きな橋へと視線を向け、ざわっと、首周りの毛を逆立てた。

(…いや、それどころじゃない…!川沿いに上って来ているなら、連中は必ずここを通る!)

敵軍の進路上に、今自分が立っているここすらも含まれている事を悟り、金熊は唸る。

(ボクの体は一つ…、ここに留まって護る?それとも打って出る?…ここで交戦して爆弾なんか使われたらまずい、ここは戦

場にできない…!…なら、打開策は…)

心を決めたユウトは、シャッターで閉ざした地下通路入り口を一瞥し、頷いた。

(囮の意味を含めた単騎突撃…。進軍ルートを逸らせれば良し、最悪でも援軍到着まで、ここへは一兵も近付けさせない…!)

敵の規模は不明。しかし、橋を落とすという大事な役割を果たしている事から、間違いなく大規模な部隊である事は察せら

れた。

それでも、ユウトに迷いは無かった。

固めた両拳が胸の前でガツンと打ち合わされ、蒼い瞳に決意の炎が揺らめく。

「命一つを武に込めて…、矢尽き刃の折れるまで…!」

呟いたユウトは、脚力のリミッターを解除し、砲撃音の出所目指して走り出した。



「負傷したって聞いたから、どんなもんかと思ったら…」

ハンドルを握るアンドウが助手席のエイルを横目で見遣った。

頬に大きな絆創膏を貼り付けたレッサーパンダは、テキパキとハンディグレネードの整備をしていた。

「リーダーが「怪我人だ!道開けろ!」な〜んて叫びながら戻ってきたから、よっぽどの重傷かと肝を冷やしたぞ?」

「かなり大袈裟ではありました」

顎を引いて頷いたエイルは、ウェストポーチに収納してあるグレネード弾頭を確認し始める。

「そもそも、自分は衛生兵であります。大概の場合は自分で手当てできるのであります」

実際のところ、エイルの頬の火傷は、鏡を見ながら自分で処置を済ませている。

継続戦闘可能、というよりも全く問題ないと主張するエイルを、無理矢理後陣まで送り届けたダウドは、

「もしも痕が残ったら…、あの竜人、本部正面にマッパで逆さ吊りにしてやる!」

などと言い放ち、物騒な光を両目に湛えて前線へと出て行ったものである。

「しっかし…、連中好き勝手しやがって…。移動も一苦労だ…」

ジープが走る道は、砲撃を受けて破壊された建物の瓦礫が散らばっているものの、アンドウは比較的マシな道を選んで走ら

せている。

通行可能な道を選択しなければいけないため、かなり遠回りを強いられてはいたが、アンドウはその内面の焦りを、顔には

出さない。

情報処理と分析を得意とし、様々な機器の扱いに精通するアンドウ。

状況制限付きとはいえ、一人で中隊規模の火器を操作可能なうえ、いざとなれば怪我人の治療も可能なエイル。

それぞれが拠点防衛に適した能力の持ち主である。

救援要請を知ったネネが下した判断は、小回りの利くジープ数台に少人数を分乗させ、それぞれ準備が整い次第救援に向か

わせるという、少々の危険を無視した速度重視の采配であった。

(子供だと?…ったく!特自の連中め、避難誘導ぐらいしっかりやれっつーの!)

アンドウは心の中で悪態をつきつつ、本部に届いたユウトからの救援要請に応じ、川縁り目指して車を走らせた。



たった一人でバイクを飛ばしていたタケシは、砲撃を行いながら川沿いを上ってゆくラグナロクの車両群、その最後尾を発

見した。

「予想以上の規模だな…。だが、何とか時間を稼がなければ…」

圧倒的な戦力差を前にも、タケシには、臆する様子は全く無い。

入り組んだ路地を巧みに利用し、気付かれないように接近する。

最後部の車両で索敵していた兵士の一人が、エンジン音に気付いたのか、タケシが接近してゆく左後方へと視線を向ける。

バイクの接近に気付いたその兵士が、声をあげつつ肩にかけていたライフルを構えるが、タケシは躊躇いなくアクセルを開

き、さらに加速させた。

そして、すっと上げた右手を、最後尾のジープへと向ける。

大きく開かれた右手が握り込まれると、ジープのボンネットがぼこんと抉れ、次いでエンジンが爆発した。

突然上がった火の手に、敵襲を悟った後部の一団が、戦闘態勢に入る。

速度を落とした車両群のまっただ中へ、青年は抜き身の刀を片手に、躊躇いなくバイクを乗り込ませて行った。



金色の大熊が、車両群の進路を遮るように立ちはだかる。

部隊長はユウトを敵と見なし、先頭のジープの荷台に立った兵士から、即座にロケットランチャーが打ち込まれた。

それが着弾する前にユウトは稲光のように動く。

飛来するロケット弾の脇を金色の巨躯が駆け抜けた。爆風を遙か後方に置き去りにし、金色の疾風が車両群へ迫る。

その機動力に驚愕するラグナロク兵達は、しかし接近を阻止すべく、ジープ等の上からマシンガンを斉射した。

迫る無数の銃弾。しかしユウトは素早く左右へステップしながらそれらを避け、避けきれない分は体の前面を覆うように展

開した力場で弾く。

驚愕を覚えるラグナロクの部隊へ、ユウトは真正面から攻撃を仕掛けた。

まるで、獲物を追う四足の肉食獣さながらの、極端なまでの前傾姿勢で疾走するユウトは、先頭の装甲車両へ迫りながら、

その金色の両腕を左右に大きく広げた。

「雷鋭爪(らいえいそう)!」

金熊の五指から、光の爪が伸びる。

力場の爪を発生させたユウトは、装甲車両の脇を駆け抜けつつ、素早く左腕を振るった。

圧縮され、高密度のエネルギー刃となった力場の爪は、鋼鉄の装甲を容易く切り裂く。

光の爪を装甲車内で切り離すと、ユウトは一瞬後に、圧縮させていたそのエネルギーを開放した。

力場が拡散し、装甲車の内部で熱と衝撃となり、爆破する。

爆発を背後に大きく跳躍し、手近な装甲車の天井へ着地しつつ、ユウトは右手の爪を真上から打ち込む。

打ち込まれた爪はまたしても切り離され、圧縮を解除されて拡散し、二台目の装甲車を爆破、炎上させる。

爆発直前に深々と突き込んだ腕を引き抜いて、さらにそこから跳躍していた金熊は、着地前には新たな爪を精製し終えていた。

装甲車も敵兵も、禁圧解除を繰り返すユウトの、あまりの速度に照準が間に合わず、さらに同士討ちを恐れてうかつに銃撃

できない。

懐に飛び込まれた装甲車両群は、一頭の大熊に翻弄される。

瞬く間に四台の装甲車を破壊したユウトは、次なる標的に部隊長の乗るジープを選んだ。

軽く見積もっても百を超える部隊を前に、臆することなく、躊躇うことなく、たった一人で戦いを挑む。

金色の熊の剛胆さと戦闘能力に、ラグナロク兵達は肝を冷やしたが、ユウト自身は一人で全滅させようとは考えていない。

敵を自分に引き付けて橋を護り、その間に対岸の調停者達を渡河させる事こそが狙いだった。

「アリスや他の皆は、ボクが必ず護る!橋だって死守して見せる!」

ユウトは猛々しい雄叫びを上げ、その咆吼で敵軍を射竦めながら突撃した。



長く伸びた車両部隊の前方で爆発が起こったのと、後方で爆発が起こったのは、ほぼ同時の事だった。

ユウトとタケシが車両から昇る煙を目にし、友軍の存在を知るのは、それぞれ五台の車両を破壊した後の事であった。



「車両群前方に味方…?ブルーティッシュ支部の部隊が到着したのか?」

タケシは呟きながら、次々と空間歪曲を放って敵を仕留め、駆け抜けざまに刀を振るって命を刈り取りつつ、バイクを走ら

せた。



「車列の後ろの方から、誰かが攻撃してる…?ブルーティッシュの追撃が来てたんだ…!」

ユウトは呟くと、部隊長を失って混乱を始めた敵軍の中を、兵達を蹴散らしながら突っ切り始めた。



「タケシ!?」

「ユウトか?」

バイクを横滑りさせて止めた青年は、駆け込んで来た相棒の姿を認めて驚いた。

銃声が響き渡る中、合流すると同時に、ユウトは光の障壁を展開し、二人めがけて撃ち込まれた銃弾の雨を防ぎ止める。

「アリスは無事に避難させられたのだな?」

「それが…、ううん、話は後!まずはこいつらを何とかしなくちゃ!」

一人では厳しいが、二人ならばなんとか可能である。

そう考えた二人は、部隊の足止め作戦を、殲滅作戦へと変更した。



後退し始めた戦線を、離れたビルの頂上から、冷ややかに見下ろす影があった。

小柄なその影は、目を細め、他人事のように戦場を観察している。

「ロキ」

「ご苦労様ですレヴィアタン。いかがですか?」

少年は振り返りもせず、背後から響いた女性の声に応じる。

「ミドガルズオルムは、橋を落として西側からの増援を足止めした後、兵を一気に投入して封印点を奪取するつもりのようね。

力押しだけれど、悪い判断では無いわ。ただし…」

「ただし、負けが確定しているこの状況でなければ、ですか」

ロキの言葉に頷くと、レヴィアタンは夜明けの風に踊る長い黒髪を手で押さえる。

「どうやら、ダウド・グラハルトと交戦したようね…。なんとか命拾いはしたものの、彼はいまだ敗北を認めていないわ。神

将達とすら、まともに戦うつもりでいるもの」

「愚かですね…。あの自信は一体どこから来るのか…」

ロキは呆れたようにため息をつくが、レヴィアタンは物憂げに目を細めて呟く。

「…自信…?どうかしら…」

ロキはゆっくりと振り返り、レヴィアタンを見遣る。

「彼に残された時間は、あまり多くはないわ。だからこそ、生きた証を刻もうと必死になっているのよ」

レヴィアタンはロキの顔を見つめ、静かな口調でそう続けた。

「…死ぬなら一人で死ねば良い物を…。まぁ良いでしょう、バベルの姿ぐらいは拝めそうです。もう少し粘ってみますよ」

「私は少し戦場を見て来るわ」

「先の、おかしな気配が気になるのですか?」

聞き返すロキに、レヴィアタンは軽く目を閉じて頷いた。

「ええ、あの強力な思念波の元を…」

「ブルーティッシュの能力者でしょうかね。術師にしては随分と乱れた波長でしたが…」

呟くロキに、レヴィアタンは薄く目を開けながら答えた。

「タイプアリスの思念波パターンに、良く似ていたわ」

「…ふむ…」

ロキは小さく顎を引き、興味深そうに顎に手を当てる。

「興味深い話ですが、アレは全て処分されたはずですよ?」

「処分寸前にウルが連れ出した二名以外はその通りよ。一名は南米で死亡が確認されたけれど…」

「まったく、馬鹿な真似をしてくれた物です。…で、もう一方が生き残っているかもしれない。だから確認と処分に行くと?

あれらの耐用年数は既に過ぎているでしょうに」

ロキの言葉に、しかしレヴィアタンは答えぬまま踵を返す。

「スルトは、何故この作戦を許可したのかしら?貴方が指揮を執っていれば、あるいは…」

ロキは肩を竦め、口元だけを笑みの形にする。

「私はスルトに警戒されています。間違って功でも立てられたら堪らないのでしょう。それに、何を考えているのかヘルがや

けに乗り気でしたし。…まぁ、アレはいつでもスルトの味方をしますが…」

そこでロキは、呆れているとでも言いたげに、ひょいっと肩を竦めて見せた。

「それともう一つ。ダウド・グラハルトに、今のラグナロクの力を誇示したかったのかも知れませんね。本腰を入れていなく

とも、これだけの事が出来るぞ、と…。まるで子供の喧嘩です」

ロキの言葉にため息を漏らすと、レヴィアタンは屋上の縁まで歩き、そこから宙へと足を踏み出した。

しかし落下する事は無く、何も無い空中にそのままピタリと静止し、ロキを振り返る。

「…シノブは貴方の誘いを受けるつもりのようだけれど、私は反対よ」

「まぁ、姉君としてはそうでしょうね。それとも、それは親心というヤツでしょうか?」

からかうように言ったロキには応じず、レヴィアタンはゆっくりと、地上に向かって下降を始めた。



『…応答せよ!第十一大隊、応答せよ!』

瓦礫に乗り上げ、斜めになった車両の助手席。

フックから外れてぶら下がっている通信機から、ノイズ混じりの音声が響いている。

その通信機を、一人の青年が掴んだ。

通信機を口元に寄せ、スイッチを押し込みながら、タケシは口を開く。

「…おそらくこの部隊の事かと思うが、通信できる者は既に居ない」

落ち着いた青年の言葉に、通信機からの声は戸惑い混じりの物になる。

『ど、どういう事だ?所属と階級を報告し、状況を説明せよ!』

「所属はカルマトライブ。階級とは少し違うが、限定中位調停者だ」

タケシの言葉に、通信機は沈黙する。

「部隊は俺達が壊滅させた。だから通信に応じられる者は居ない」

沈黙した通信機にそう告げると、青年はそれを助手席のシートの上に放り出した。

「いくらか脅しになるかな?」

傍の地面にあぐらをかいて座り込み、車両から奪ったクッキー型携帯食料をモソモソと咀嚼しながら、ユウトは相棒に尋ねる。

「さあな。だが、少しでも抑止力になる可能性があるのならば、丁寧に対応してやった甲斐があると言える」

ユウトの傍に歩み寄りながら応じた青年は、差し出されたクッキーを受け取ると、口の中に放り込みつつ腰を下ろす。

車両群は、たった二人の調停者の手によって壊滅した。

百人を越えるラグナロク兵達は、あるいは倒され、あるいは逃げ去っている。

倒れている中には、生きている者は一人も居ない。

動けなくなった者は逃げ去る味方によって留めを刺されるなど、捕虜を残さない徹底した引き方であった。

ラグナロクに深い憎悪を抱くユウトだが、その行動方針を目の当たりにした事で、気分が沈んでいた。

敵を退ける事に成功はしたものの、二人もまた消耗しきっている。

ユウトは力場の展開と禁圧解除を繰り返したせいで疲弊しており、タケシは能力の使い過ぎで思考力が鈍り始めている。

お互いに大小無数の傷を負っており、命が危険になるほどの深傷こそ無いものの、動きには支障が出始めていた。

いくらかでも足しになればと、二人はラグナロクの車両から薬や食料をかき集め、互いの情報を交換しながら小休止をとっ

ている。

ユウトがここまでの状況を簡単に説明すると、今度はタケシが戦況について話し始めた。

傷の手当てをしながら話を聞いていたユウトは、額を掠めた銃弾が残した裂傷を見つめ、痛ましそうに眉尻を下げた。

(…どうしてかな…。怪我なんて見慣れてるのに、タケシが傷ついてるのを見ると、自分の傷よりも痛く感じる…)

飲料水で洗い流したものの、煤や油、土で汚れた指で触れるのは躊躇われ、ユウトは青年の額に鼻先を近付け、傷口をそっ

と舐めた。

痛んだのか、青年が言葉を切り、微かに身じろぎしたのを感じながら、ユウトは小声で囁く。

「ごめんね?すぐ済むから、ちょっとだけ我慢してて…」

傷周りに付着する煤などの汚れを、ユウトは乾いた血ごと、丁寧に舐め取ってゆく。

車両内から見つけた飲料水を使って拭う事もできたが、ユウトは何故か、こうしてやりたいと思った。

タケシは目を閉じ、傷の痛みと、こそばゆい刺激とを味わいながら、胸の内から湧き上がる奇妙な感覚を噛み締める。

護りたい。二人は互いに、強くそう思った。

危機的な状況下だからなのか、互いが抱く常の想いとはまた少し違う何かが、二人の胸を満たしている。

夜明け直前の寒空の下。味方どころか、自分達以外には動く者とて無い戦いの跡地で、二人は束の間の小休止を、静かに寄

り添って過ごした。