第二十四話 「虚無の闇、消灼の光」

「待って!待ちなさいアリスちゃん!」

地下道の壁に反響し、後ろから響いてくる声にも振り向かないまま、アリスは壁が崩れた残骸が転がる階段を駆け上り、地

下通路出口を塞ぐシャッターに走り寄った。

そして、シャッターの下に僅かにあいている隙間に、俯せになって体をねじ込む。

崩れた壁の残骸が邪魔になって、ユウトが降ろした際に閉まり切らなかった隙間である。

保育士のフタバが、泣いている子供をあやしている内に、アリスはこっそりと子供達の輪を離れた。

アリスが居なくなった事に気付き、慌てて追いかけてきたフタバだったが、

「あっ!?あぁっ!アリスちゃん!ダメよ外に出ちゃ!」

ユウトが無理矢理閉めた、壊れて作動しなくなっているシャッターの隙間を通り抜ける事はできなかった。

床に伏せ、隙間から外を覗いたフタバは、自分を振り返っている幼女の姿を認める。

「ごめんなさい。でも、アリスは、ユウトの傍に居たいの…」

微かな笑みを浮かべたアリスの口が、続けて言葉を紡ぐ。

「だってアリスは、……あまり…………ないから…。…………は、ユウトと、タケシと、いっしょにいたいの」

フタバは言葉を失い、大きく見開いた目にアリスの顔を映す。

幼い子供が口にしても、あまり現実味のない言葉だったが、彼女にはそれがなぜか、真実かもしれないと思えた。

それほどまでに、幼女の笑顔は眩く、そしてどこか儚げに見えて。

「ばいばい!」

笑顔で手を振ったアリスは、踵を返して駆け出した。

「ま、待って!待ってアリスちゃん!」

フタバの悲痛な呼び声が当たっても、幼いその背は、止まらずに遠ざかって行った。



「全滅…だと?確かか?」

港に設置された、ラグナロクの本部仮設テントの中、ミドガルズオルムは衛生兵から負傷の手当てを受けながら、部下の報

告を聞いていた。

簡易デスクの上に座り、足を揺らしていたヘルは、興味を覚えたように目を細め、しなやかな人差し指を頬に這わせている。

竜人は低く押し殺した唸りを漏らし、呟く。

「百の兵が全滅…。…いや、有り得なくは無い、か…」

にわかには信じられなかったが、自分が率いた部隊もまた、たった二人の調停者によって壊滅させられている。

ミドガルズオルムは、たった今受けたその報告が間違いではないと確信した。

(どれほどのバケモノ揃いなのだ?ブルーティッシュとは…)

心の内で舌打ちしつつも、外面は平静を装い、ミドガルズオルムは新たな指令を発する。

「到着した増援から二百を抜き出し、川沿いに進軍させよ。橋は何としてでも落とせ」

それを聞いた部下がテントの外へと駆け出てゆくと、ヘルは机から降りる。

「私は外すわ。後は上手くおやりなさい?」

ヘルがそう告げると、治療を受けている竜人は頷くように会釈した。

「ご期待に添うよう努力します。お任せを、ヘル」

艶然と微笑み、テントを出たヘルは、笑みを消して胸の内で呟いた。

(もはや勝ちの目は無い、か…。ま、痛み分けに持ち込めればそれで良いわ…。バベルの出現程度は成して欲しかったけれど、

このままでは厳しいわね…。私も少し働いておこうかしら?)

ソバージュのかかった灰色の髪をかき上げると、ヘルは唇を笑みの形にする。

しかしその目は微かにも笑わず、冷たい光を宿していた。



「応援が到着したら、アリスや子供達、保育士を保護して貰い、同行しろ。俺はこのまま川沿いに下り、増援があれば攪乱し

て足止めする」

いくらか疲労がとれ、小休止を終えて立ち上がったタケシは、刀を左腰に固定しつつユウトに告げた。

単騎で敵中に切り込むべく、再びバイクに跨った相棒に、ユウトは「一緒に退こう」と声をかけそうになったが、済んでの

所で飲み込む。

今は、互いがすべき事をしっかりと果たさなければならない時なのだと、自分に言い聞かせて。

「…解った。じゃあボクは一度…」

迷いを飲み下すように大きく頷き口を開いたユウトは、不意に言葉を切ると、耳をピクリと動かした。

風に乗って聞こえてくる声を、獣人としても桁外れに鋭い聴覚が捉える。

「…アリスの声だ!」

金熊は言葉と同時に振り返って駆け出し、タケシもエンジンを吹かしてその後に続いた。

しばらく走ると、ユウトの蒼い瞳が、薄暗い道をおっかなびっくり歩いてくる幼女の姿を捉える。

「アリス!」

ユウトが走りながら声を張り上げて呼びかけると、

「あっ!ユウト!」

心細かったのだろうアリスは、大きく一度しゃくりあげ、泣き出しながら駆け寄った。

駆け寄ってきた幼女に、足を緩めて太い金色の腕を伸ばすと、ユウトは小さなアリスを抱き上げる。

そのすぐ傍にバイクを停車させると、タケシは抜き身の刀を手にしながら周囲を素早く見回し、二人に害を及ぼす者が居な

いか確認した。

「どうして出てきちゃったの!?皆と一緒にいなきゃ駄目じゃない!」

アリスを抱き上げ、胸に抱いたユウトは、その服が汚れている事から、シャッターの下の隙間を這い出して来たのだと気付く。

大人は通れそうになかったが、子供であれば通れるかもしれない隙間。

引き留めようと保育士が追った所でシャッターは通れず、そして開けられない。しかしアリスは通過できる。

ユウトは地下通路への簡易バリケードとして、停止したシャッターを無理矢理引き下ろしたのだが、それが裏目に出た事を

悟った。

「だって…、ユウト帰って来ないんだもん…」

「…ごめんね。でも、これもお仕事なんだ。わがままを言っちゃ駄目だよ…」

ユウトはアリスの頭を撫でながら、タケシを振り返った。

「ボクはアリスを送り届けながら一度戻って、皆に何か声をかけてあげるよ。きっと不安がってるだろうし…」

「解った。くれぐれも気を付け…」

気をつけて行け。そう言おうとしたタケシは言葉を切る。振り返ったその視線の先には、明るみ始めた空。

ユウトは全身の毛を逆立てる。その視線の先には、黒々と続く兵士の列。

夜明け前の冷たい空気の中、ラグナロクの増援二百が、川沿いを北上していた。



「くそ!ここも行き止まりかよ!」

砲撃を受けたのか、上半分が倒壊した雑居ビルが道を塞いでいる有様を見て、アンドウは苛立たしげに舌打ちする。

ブレーキを踏んでジープを急停止させ、素早くギアを操作して切り返すアンドウの横で、

「この分では、他の車も難儀しているでありましょう」

エイルはそう呟いた後、何かを感じたように耳を動かした。

素早く周囲に視線を巡らせ、車外の様子を伺っているエイルに、

「…どうした?待ち伏せか?」

アンドウはハンドルを操作しながらも、声を潜めて尋ねる。

「…いいえ、気のせいだったようであります…」

レッサーパンダは怪訝そうに首を傾げ、耳をピクピク動かしながら応じた。

その30メートル程上。砲撃を免れたビルの上に立った一人の女性は、切り返しを終えたジープを見下ろしていた。

「上手く隠してはいるけれど、強い精神波を持っている…。間違いなく、何らかの能力者…」

風になびく長い黒髪を右手で押さえ、レヴィアタンは感情を映さぬ黒い瞳で、二人が乗るジープをじっと見つめる。

その目が、不意に閉じられた。

「けれど、先に感じた物とは違うわね…」

来た道を引き返してゆくジープを見送ると、レヴィアタンは海の方向へと向き直った。

水平線が白み始め、間もなく夜明けが訪れる事を告げている。



アリスを抱いて走りながら、ユウトは辛そうに顔を歪めた。

タケシは一人、敵兵を足止めすべく死地に踏み止まった。

アリスを護る事、相棒と共に戦う事、二つの選択を迫られたユウトは、苦渋の決断を下し、今、地下鉄のホームへと引き返

している。

「ボクが戻るまでに死んじゃったりなんかしてたら、絶対に許さないからね?タケシ…!」

ユウトは苦痛に耐えるように歯を食い縛り、度重なる砲撃で廃墟となった街路を駆け抜ける。

その顔を、腕の中から見上げながら、アリスは哀しげに目を細めていた。



銃撃を受けたタイヤが破裂し、制御を失ったバイクが横転し、地面を滑る。

その後に、抜き身の刀を握った青年が音も無く着地した。

タケシは足止めの為に、敵兵二百の真っ直中に臆する事無く切り込み、離脱する戦法で攪乱を狙った。

だが、繰り返し仕掛けたその戦法は、三度目で失敗した。

ここまで酷使されてきたバイクのタイヤは、溝が無くなる程に磨り減っていた。

三度目もそれまでと同じように切り込み、そして離脱するつもりだったのだが、僅かなコントロールミスからバランスを崩

してしまい、立て直す一瞬の隙に、タイヤに銃撃を受けてしまった。

結果として、タケシは敵の中央で機動力を削がれ、完全に包囲される形となったのである。

四方八方から浴びせられる銃撃はしかし、タケシが展開した空間の断裂に捉えられて消滅する。

一斉に間断なく銃撃されれば、到底凌ぎ切れる物ではない。

だが、同士討ちを恐れて射線が下向きになっており、加えて一人という事もあって、散発的な攻撃で済んだのが幸いであった。

タケシは人間離れした目で銃口の向きから射線を見切り、銃弾を避け、あるいは消滅させつつ、警戒のために速度を落とし

て走行している車両に駆け寄る。

機動力を失い、離脱が困難になってもなお、足止めを継続する為に。

人間離れした走力と跳躍力を見せ、ジープのボンネットに飛び乗ったタケシは、右手に握った刀を運転席に突き込む。

フロントガラスに蜘蛛の巣状のひびが生じ、次いで内側がべったりと赤く染まる。

ドライバーの喉を貫いた血塗れの刀を引き抜くと、青年は素早く隣の車両へと跳躍した。

コントロールを失った車両が別の車両にぶつかって行ったその時には、タケシは装甲車の上に着地し、天井を空間歪曲で抉

り、中に潜り込んでいる。

青年が侵入した装甲車のガトリング砲が、味方車両へと向けられた。

連続して一繋がりになった、爆音のようなガトリングの発射音に続き、舐めるように掃射された弾丸が味方車両を破壊して

ゆく。

やがて、装甲車の側面を空間歪曲で抉り、飛び出したタケシのすぐ後ろで、味方の手によって打ち込まれたロケットランチャ

ーが、装甲車を爆発、炎上させた。

地面を転がってから立ち上がったタケシは、まるで猫科の肉食獣が疾走しているかのような、極端な前傾姿勢で駆ける。

そのすぐ後ろの地面を、マシンガンから放たれた数発の弾丸が抉っていった。

駆け抜けながら刀を口に咥え、両手を左右に振るったタケシのその左右で、荷台に手投げ弾を放り込まれたジープが爆発する。

「ほ…、本当に人間なのか!?アレは!?」

兵士の一人が、照準すら合わせられない程の速度で駆け回り、的確に、次々と車両を破壊してゆくタケシの姿を眺め、驚愕

と恐怖に顔を引き攣らせながら声を上げた。

タケシの見せる動きは、禁圧解除時の獣人にも匹敵する、驚嘆すべきレベルの物であった。

本来は黒色のはずの青年の瞳は、今は紫紺の輝きを宿し、排除すべき敵を次々と捉えてゆく。

しかしその変化には、ラグナロク兵達も、本人ですらも気付いてはいない。

飛び散る破片と、吹き付ける爆風。明るんだ空へ昇ってゆく黒煙。銃声と爆音、そして怒声。

夜明け目前の、明るさを増してゆく廃墟の中、タケシはただ一人、大軍を相手に刃を閃かせる。



灰色の残像を、数発の銃弾が貫通する。

「は、速…、げぅっ!」

十分な距離を保って銃撃をおこなったはずのその兵士は、銃口の先から消失したターゲットを目で探した次の瞬間、鳩尾に

アーミーナイフを突き立てられてくずおれる。

倒れた味方の左右で、慌てて銃を構えた二人の兵士は、一方は跳ね上げられた脚で顎を蹴り砕かれ、もう一方は素早く投擲

されたナイフが喉に突き刺さり、同時に地に倒れ伏す。

その場で鋭く身を捻った灰色の猫は、両腕を振って小振りな投擲用ダガーを周囲にばらまく。

扇状の範囲に投擲されたダガーは、一本残らず敵兵の体に突き刺さった。

あるいは目に、あるいは喉に、小振りな刃物は恐るべき精密さで的確に急所を捉え、全てに等しく死を贈る。

ネネの細身の身体は、禁圧解除によって驚異的な機動力を獲得し、その柔軟性と機敏さをもって、絶対的な回避能力を見せた。

乱戦の中、負傷者の救助に動いていたブルーティッシュの部隊は、運悪く、撤収間際に退路を断たれて孤立してしまっていた。

前線のほぼ全体を能力の範囲内に納めていたネネは、状況をいち早く把握し、被害が出る前にたった一人で現場へ急行し、

味方の救援に駆け付けたのである。

そして、三十名近いラグナロク兵は、ブルーティッシュのサブリーダーが到着してから三十五秒後に、完全に殲滅された。

敵の駆逐を終えたネネは、少し乱れた息を整えると、瓦礫を盾に応戦していた衛生兵や怪我人達に歩み寄る。

「もう大丈夫よ。慎重に引き上げましょう」

返り血の一滴も浴びていない、労うように微笑むサブリーダーの笑顔は、追い詰められていたメンバー達には、文字通り救

い主の笑顔であった。

「…それにしても、突っ込んで行ったきり音沙汰がないけれど…。一体何をしているのかしら?あの鉄砲玉…」

呟いたネネは、リーダーの気配が最前線にある事を確認し、そろそろ釘を刺すべきだろうと思案し始めた。

「リーダーらしく、少しは司令部に留まって欲しい物だけれど…」



タケシは冷静に周囲を、そして自分の状況を観察した。

青年を取り囲んだラグナロクの兵士達は、じりじりと包囲を狭めている。

敵の兵器を奪い、車両ごと爆破するなどして、すでに五十名近くの敵を屠ったものの、右手に握った刀は鍔に近い位置で折

れている。

左肩の内部に鉛玉が二発残り、腕はまともに動かす事もできなかった。

そして、能力を連続使用した負荷により、タケシの意志は無に浸食されつつある。

その両目からは既に紫紺の輝きは失せ、常の黒瞳に戻っていた。

(まだ、倒れる訳には行かない…。ユウトとアリスの元へ辿り着かせる事だけは、決して許されない…)

タケシは折れた刀を放し、激痛が走る左腕を無理矢理上げ、両手を胸の前で向かい合わせる。

意識するでもなく、自然に、その姿勢になった。

全てを消し飛ばす事ができれば…、そう考えた青年は、何故かその姿勢を取っていた。

青年の黒瞳に、今一度紫紺の輝きが舞い戻る。

向かい合わせて開かれた青年の両手の間に、野球ボール大の黒々とした闇が生じる。

後に、相棒によってエンドオブザワールドと名付けられる事になる力。

これが、全てを無に帰すその禁忌の技の、初めての発動であった。



ゾクッと、唐突に悪寒が背筋を駆け上がり、ユウトは脚を止めて振り返った。

遙か後方で、明るみ始めた空を背景に、黒いドームが発生していた。

「何…?あれ…」

呟いたユウトの声が震える。

神将の血が、戦士の習性が、獣人の本能が全力で警告を発している。

アレは、極めて危険なものだと。

恐怖。その黒いドームを呆然と眺める金色の大熊は、全身を細かな震えが襲うのを感じていた。

アリスもまた、黒いドームを見つめて震えている。

幼女もまた、その闇のドームがコワい物だという事を、理屈抜きに悟っていた。

周囲の空気が急激に、ドームに向かって吸い込まれるように動いてゆく。

空間歪曲に伴って出現するものと良く似た、見つめているとクラクラ来る闇。

相棒の能力との類似点を抜きにしても、ユウトはそれがタケシの力によるものだと確信した。

「タケシぃっ!!!」

ユウトは悲鳴に近い声を上げ、来た道を引き返し始めた。

絶対的な無。

ユウトは幻のように朝日に霞み、消えてゆく黒いドームを見据えながら、そこから感じる力の事をそう認識していた。

空間歪曲を連続して使えば、副作用とも呼べる精神衰弱により、タケシは休眠状態に入る。

あれだけの大事を引き起こす力を使えばどうなってしまうのか?ユウトの胸の内で不安が膨れ上がる。

アリスをしっかり抱き締めたまま駆け戻ったユウトは、黒いドームが消失した跡地を目にし、低く呻いた。

直径500メートル程にわたり、建物も道も消失し、土がむき出しの更地と化している。

「まるで…、世界の終わりみたいだ…」

隕石でも落ちたかのように抉れた大地を見据え、ユウトは呟いた。

車両の一台も、敵兵の一人も、そこには残ってはいなかった。

ただ、表面をはぎ取られ、土がむき出しになった更地の中心には、スプーンですくい取った後のアイスのように、一際深く

抉れた跡が残されている。

「ユウト…?タケシは…?」

不安げな幼女の問いに、しかし金熊は答える事ができなかった。

誰も居ない。何も無い。風が吹き抜ける更地を見回し、

(うそ…。うそでしょ…?何処に行ったのタケシ…!)

ユウトは泣き出したいような気分で青年の姿を探す。

「…あ…」

小さく声を漏らしたユウトは、アリスを地面に下ろすと、クレーターの縁から内側へと駆け降りて行った。

穴の中心に、こんもりと土が盛り上がっている。

良く見れば、それは土まみれになったひとであった。

ユウトは全速力で駆け寄ると、土まみれになったその体を抱き起こした。

「タケシ!タケシぃっ!しっかりしてっ!」

ユウトの声に、目を閉じたままの青年は応えない。

意識は無かったものの、深く、長い呼吸が規則正しく繰り返されている事を確認し、ユウトはほっと息を吐き出した。

生きていた事に安堵しながらも、慎重に青年を抱き上げたユウトは、アリスの元へと引き返す。

肩に銃創があり、出血が酷く、顔色が悪い。

タケシの消耗が異常に激しい事を見てとり、ユウトは肩の止血だけは、大急ぎでその場で済ませた。

青年を背負い、アリスを抱き上げると、ユウトは改めて周囲を見回す。

(一体、何が起きたの?敵兵は?車は?建物は?…やっぱり、タケシの能力…?)

金色の熊は、肩に顎を乗せさせた青年の顔をちらりと横目にし、

(意識の無いあの状況で、先に敵が見つけていたら殺されてたかもしれないのに…。…ボクらを護るために?こんなになるま

で力を使ったの?タケシ…)

心の内で、そう問い掛けていた。

(無理しちゃって…。そんなになるまで頑張られたら、ボクだって、頑張らなきゃいけないじゃない…)



「アリス。ここでじっとしてて。タケシを見ていてあげてね?」

崩れて外壁だけになった民家の影にアリスとタケシを隠れさせると、ユウトは幼女の頭を撫でた。

「ユウト…、またどこか行っちゃうの?」

「タケシがこんなになるまで頑張ったんだ…。ボクもきちんとお仕事しなくちゃ」

ユウトはアリスに微笑みかけると、じっとしているように念を押して民家から離れた。

(まだ制御が不完全だ。失敗したらどうなるか判らないし、出来るだけ離れて使わなくちゃ…)

ユウトは飛ぶように地を駆けながら、まだ身につけたばかりの奥義の使用を決意した。



「千五百だと…」

駆け付けた伝令から新たに港に降り立った敵兵の数を報告され、仮設司令部であるテントに戻ったダウドは、すぅっと目を

細めた。

「間もなく北と東から援軍が到着するわ。十分に対応可能よ」

ネネは自分を納得させるように、頷きながら言う。

激戦を潜り抜けながらも、二人とも手傷は負っておらず、さして消耗もしてはいない。

「なら少し減らしておくか…。なぁ?ダインスレイヴ」

ダウドは手にした黒剣の腹をポンと叩く。

「私も、そろそろ一暴れして来ようかしら…」

ネネはそう呟くと、腰の後ろに止めてあるナイフの残数を確認した。

「り、りり、リーダー!大変です!」

入れ替わりにやって来た、先のメンバーとは別の伝令が、慌てた様子で二人の前に駆け寄った。

その顔は、極度の恐怖と緊張で歪んでいた。

「無線っ…傍受してっ…!と、特っ…、特自がっ!敵の援軍を確認した特自が…!」

「おい落ち着け、特自がどうした?」

「横州河基地から反応弾を発射させるそうです!標的は、首都港です!」

ダウドとネネは、一様に硬直した。

周囲の兵も、しんと静まりかえる。

「…なん…だと…?」

長い沈黙の後、ダウドは口を開いた。

その金色の瞳は赫怒に染まり、握り締めた拳がわなわなと震える。

「あんなものを…、この首都で使うってのか…?」

ギリリと歯を食い縛る音が、周囲のメンバーの耳に届く。

「警官達も残ってる。じきに応援の調停者達も来る。俺達だってまだ戦ってるってのに…!」

「まずいな…」

トシキは目を細めて静かに呟く。

「前に出てるウチの連中は殆ど獣人…。どんなに頑張っても…、結局、獣人だったらどうなっても良いって、そういう事なの

かよ…」

トシキの傍に控えていた黒犬が呟いた言葉がきっかけとなり、周囲のメンバー達の間にざわめきが広まって行く。

「…まずいな…」

トシキはそう、小さく繰り返した。

(こんな事で…、我らの夢は潰えるのか…?打つ手は無いのか?…こんな時、貴女ならどうしますか?隊長…)

獣人が大半を占めるブルーティッシュの前衛を切り捨てる。

政府がそんな判断を下し、多数の犠牲者が出たとなれば、あるいはブルーティッシュに理想を見い出していたメンバー達も、

政府を見限り、認識票を手放すか、首都を離れるかもしれない。

トシキは戦況そのもののみならず、瞬時に戦いの後の事にまで思いを巡らせていた。

(ラグナロクの直接攻撃より、よほど危険だ…。どうせなら敵の攻撃であれば…。…ん?)

違和感を覚え、凍りついたように固まるトシキ。

その頭の中に浮かんだ考えを、突拍子の無い考えだと、歴戦の勇士はかぶりをふって追い払った。

(いや、ありえない事だ…。冷静なつもりだが、やはり俺も焦っているのか?どうかしているな…)

「…まだ大丈夫よ!」

ネネは首筋の毛を逆立てながらも、ダウドの腕をポンと叩き、大きく頷いた。

希望と、信頼を、その両目に湛えて。

「帝の元に、止められる人達が居るわ!」



「…承知した…!」

通話を終えたユウヒは、傍に控えたシバユキに携帯を返す。

「シバユキ、リョウフウ殿をお呼びして来てくれ。火急の用だと」

「は!」

素早く駆け去ったシバユキは、程なく一人の獣人を連れてきた。

天を指す、ゆらりと揺れる長い耳。元は茶色だった被毛は、今ではほとんどが白くなっている。

羽織袴を身に着けた、歳経た兎の獣人。神将が一人、神田涼風(かんだりょうふう)は、老いを感じさせない軽快な足取り

でユウヒの傍らに歩み寄る。

「リョウフウ殿、一つ風を読んで頂きたい。どこぞのたわけが、我らが君の目と鼻の先にかんしゃく玉を放るつもりらしいので」

「ほっほっほっ!反応弾じゃったか?あれをかんしゃく玉と言うか。相も変わらず剛毅な事よのぉユウヒ」

歳経た兎が愉快そうに笑うと、ユウヒはぐっと身を屈め、帝居の屋根に跳び上がった。

ずしんっと、屋根を震わせて着地し、仁王立ちになったユウヒの傍らに、着物をはためかせたリョウフウが足音も無く舞い

降りる。

同様に跳躍し、すとっと屋根に着地したシバユキが、二人のすぐ後ろに片膝をついて控えた。

見晴らしの良い屋根の上に立ったリョウフウは、白んでいる空を見上げ、目を細めて長い耳をピンと立てる。

「シバユキ、ナガサを」

「はっ」

ユウヒの言葉に頷いたシバユキは、主の傍らに進み出ると、自分の背に縛りつけている細長い包みの帯をほどいた。

そして、包みの先端を縛る紐を解くと、両手で掲げ持ち、うやうやしく差し出す。

差し出された包みから覗いた黒革巻の柄を掴んだユウヒは、それを引き抜き、すぅっと細めた眼の前に翳した。

それは、黒革が巻かれた鞘と柄を持つ大振りな刃物であった。

眼前で水平に翳したそれを両手で掴むと、ユウヒは刀身をゆっくり抜き放つ。

現れたのは、鉈のように分厚い、しかし日本刀のように鋭い刃を備えた、片刃の短刀。

短刀とは言っても、叉鬼山刀(またぎながさ)と呼ばれるその刃物は、刃渡りは30センチ程もある、分厚くごつい一振り

に仕上げられている。

特筆すべきは、その刀身が美しい金色である事。

ユウヒ達神将家の者はヒヒイロカネと呼び、調停者達はラインゴルドと呼ぶ、金色の金属で作られた短刀は、夜明け間近の

弱い光を浴びただけで眩く輝いた。

「捉えたぞい。右へ一歩、仰角30度じゃ!」

「承知。では少しばかり下がっておいて頂こう」

鞘を無造作に襟元に突っ込んだユウヒは、老いた兎とシバユキを下がらせると、左手でしっかりと山刀を握り、後ろに引い

て身構えた。

直後、周囲の気温がぐっと下がり、ユウヒの周囲で地面に霜がはった。

次いで、金色の刀身は太陽のように激しく輝き出す。

周囲から吸収したエネルギーと、自身が宿す生命力で刃をコーティングすると、

「数えるぞい」

「心得た」

リョウフウの投げかけた言葉に頷く。

「構え!ひ…、ふ…、っていっ!」

「奥義、雷切(らいきり)!」

老兎の合図と同時に、巨熊は光り輝くその刀身を、真後ろから頭上へ振り上げ、大きく踏み出しつつ、力を込めて振り下ろす。

ユウヒが放った超高密度のエネルギー刃は、稲妻のように宙を走った。

音速を遙かに超える速度で、光の帯となって首都の上空を駆け抜ける。

そして、港へ向かう途中のミサイルを中央から正確に切断し、爆砕した。

炸裂すれば、ミトコンドリアを反応させて生物の体を自己発火させる波動を発する、特殊爆弾を搭載した殺戮兵器はしかし、

その効果範囲に地上を捉える前に、超高熱のエネルギー刃によって焼き尽くされた。

首都そのものには何の被害を及ぼす事もなく。



「帝のご様子は、いかがでしたか?」

「それはそれは…、たいそう不快なご様子でおられた」

「無理も無いわい。もしもアレが落ちれば、ネネちゃんのトコの衆まで大変な目にあっとったからのお」

ミサイル撃墜の報告を終え、庭に戻ったユウヒは顔を顰め、リョウフウは肩を竦めて、それぞれシバユキの問いに応じた。

ネネの頼みとはいえ、独断でミサイルを破壊したユウヒは、帝にその事を報告しに行った。

咎められる事はあるまいと思いつつも、一応はリョウフウも口利きをするつもりで同行したのである。

神将達が仕える対象、帝は、リョウフウの予想通りユウヒを咎める事はなく、むしろ現場の者をないがしろにした特自の判

断に怒りを顕わにしていた。

「将クラスの首が飛ぶかもしれませんね」

「じゃとしても、当然の報いであろうよ」

意地悪く笑いながら辛辣な口調で言ったシバユキに、リョウフウはカラカラと笑いながら同意する。

ユウヒは二人から視線を外し、海の方を見遣ると、風に混じる微かな気配に目を細めた。

(敵も、味方も、多くの命が喪われた…。このままでは、御柱の贄が埋まってしまうやもしれぬ…)