第三話 「アリス」(前編)
「危険生物の密輸入…?」
交番地下にある取調室で、資料に目を通しながら青年が呟いた。
「信憑性の低い情報なんだが、事が事だ、見過ごす訳にもいかなくてなぁ…」
青年とは机を挟んで向かい側にかけた、少し太めの若い警官がタバコに火をつけながら頷く。
「信憑性の低さゆえに、あまり人員も割けない。…かといって、形だけ二人や三人あてがって、もしも本当だった場合に対処
できないようでは困る。…まったく、ジレンマだよ…」
「それで俺に?」
「ああ。お前なら十人以上の働きをするからな。悪いが頼みたい。それと、もう一人か二人、同行者を探すが…」
「必要有りません。足手まといになっても困る」
淡々とそう言ったタケシに、調停者監査官、種島和輝(たねじまかずき)は苦笑を返した。
「そう言うと思ったよ。だが密輸船と情報が入ったタンカーはかなりのでかさだぞ?一人で対処するのは厳しいだろう」
タケシは少しの間考え込み、警官に尋ねた。
「カズキさん。同行する調停者は、俺が選んでも構わないだろうか?」
昼時で混み合う、洒落た内装のカレー専門店。
その席の一つに、ウェイターがふらふらと歩み寄り、大皿を一つ置いた。
「はい!特別メニュー、スペシャルビーフカレー超特盛甘口!お待ちどう!」
運ばれて来た品を目にし、周囲の客からどよめきが上がる。
テーブルの上にダンッと置かれたのは、直径50センチはあろうかという丸い大皿。
そこにこんもりと盛ってあるライスは、量にして15合。
深めに作られた皿のふちから零れ出さんばかりにかけられたルーはおよそ3リットル。
「あれ、完食したヤツ居ないんだろ?」
「チャレンジした内の何人か、救急車で運ばれたらしいぜ…」
周囲のざわめきを気にも止めず、もはや暴力的と言えるボリュームのカレーを前に、オーダーした当の本人は嬉しそうに舌
なめずりした。
特盛カレーの異常なボリュームにも負けない、極めて大柄な熊獣人は、蒼い目を細めてスプーンを手に取る。
その体躯に比較すれば、この非常識な特盛カレーも、幾分かは常識的な量に見えた。
「それでは、準備がよろしければ開始致しますが…」
「制限時間30分でしたっけ?」
「はい、そうです」
「15分で食べたらお代わりしても良いですか?」
「あ、い、いやぁ、そういうルールにはなっていませんので…」
「そうですか。残念…」
「そ、それでは…」
ウェイターはストップウォッチを手に取る。周囲の客も、店員も、調理場のコック達すらも、固唾を飲んで見守る中、
「スタート!」
ウェイターが号令をかけた。と同時に、
『お〜と〜こぉ〜…、だぁったぁ〜ら〜…、あ〜とにはひぃ〜けぇ〜ぬぅ〜…』
緊迫した空気の中、有名演歌歌手の声が、店内に流れ出した。
客が、店員が、キョロキョロと辺りを見回す中、金色の大熊は右手にスプーンを握ったまま、羽織っていたベストのポケッ
トに左手を突っ込み、携帯を取り出して耳に当てる。
「はい、神代でーす!」
「…着メロ?」
「渋っ…!」
「どういう趣味?」
電話に出た大熊の周囲でひそひそと声が上がるが、当の本人は全くお構い無しの様子で、
「あれ、フワ君?珍しいねぇキミからかけて来るなんて…」
通話相手と何やら楽しげに会話を弾ませる。
「…え?うん、うん、空いてるけど、どうかしたの?…え?何?電波悪いみたい。聞き取り辛いや。もう一回…、あ!ごめん
ごめん!ボク今お店の中に居るんだった!外に出てからかけなおすね?…カレーも冷めちゃうし…。あ、いや何でも無い、こっ
ちの話!10分掛からないからちょっと待っててね?それじゃ、また後でっ!」
たっぷり五分は話してから通話を終えた大熊に、ウェイターがおずおずと尋ねた。
「…あの…、仕切りなおしますか?」
「あ、済みません。でも大丈夫ですから」
大熊はにこやかに笑い、食事に取り掛かった。
「分かった。助かる。では、待っている」
10分待たずにかけ直されてきた通話を終え、携帯を畳んだ青年に、カズキは意外そうに言った。
「珍しいな、お前にしては随分長話だったが…」
「そうですか?…意識はしていなかったが…」
カズキは少し嬉しそうに微かな笑みを浮かべた。
「やっとダチができたか?」
「…ダチ…。確か「友人」という意味だったか…?」
タケシは少し考え込み、それから首を傾げた。
「どうなのだろう…?友人だろうか…?」
「いや、そこまで悩まれても…。俺はソイツを知らないし…」
警官は困ったように渋面を作った。
通話を終えて携帯をポケットに突っ込むと、ユウトは口の前に手を翳し、はーっと息を吐きかけ、
「…ちょっとカレー臭い?…ミントガム買ってこうかな…」
僅かに眉をしかめて、歩き出しながらひとりごちる。
「フワ君からの誘いだなんて…、よっぽど大きな事件なのかなぁ?」
青年の実力は良く知っている。
彼が自分に声をかけるという事は、臨む事件がそれなりに厳しいものだという事ではないだろうか?
そう考え、ユウトは浮つきそうになる気分を抑えて気を引き締める。
(…ん?なんでボク、浮かれ気味になってるんだろ…?)
ユウトは何故か気分が弾んでいる事に気付き、小さく首を傾げた。
「初めまして。神代熊斗です」
取調室に案内されてきた大柄な獣人を見上げ、カズキは差し出された手を握り返しながら頷いた。
「調停者監査官のタネジマだ。この春から東護に移って来たと同僚から聞いてたが…、タケシの知り合いだったのか」
カズキはユウトに座るように告げ、それからタケシに視線を向けた。
「驚いた…。お前、神将家に知り合いが居たのか?」
「…神将家?」
訝しげに目を細めた青年に、カズキが不思議そうな顔をした。
「何だ?知らないでつるんでいたのか?」
「はい。神将家という言葉も初耳です。それは一体?」
警官の問いに頷き、タケシはそう尋ねた。
「お前そんな事も知らないのか?中学辺りの授業でもさらっとやるのに…」
呆れたような顔で言ったカズキに、青年は珍しく困ったような顔をした。
「覚えている知識の中にはありません。義務教育を受けていない可能性もあるので…」
二人の奇妙なやり取りに、ユウトは首を傾げる。
「まぁ簡単に言うとだな…。八百年以上昔の戦乱で、帝に仕えて乱を平定した十二人の獣人が居た訳だ。その神将と呼ばれた
十二人の獣人を始祖とする直系の家が神将家で、それぞれの家は今でも帝家の直臣の立場にある。…まぁ、その家のお嬢さん
を前に、第三者の俺があれこれ説明するのもアレだ。悪いが後で直接説明してやってくれるかな?神代のお嬢さん」
「それは構いませんけど…」
ユウトは何故か居心地悪そうに、人差し指でぽりっと頬を掻いて呟いた。
「…危険生物の密輸…」
ユウトは資料に目を通し、訝しげに呟く。
「…これ、本当だとすればかなり大規模ですね…」
「ああ。だが、規模のでかさが逆に胡散臭くも思える訳でなぁ…」
困ったように呟いた丸顔の警官を前に、ユウトは眉を潜めて考える。
「根拠は弱いですが…、本当かもしれません」
呟いたユウトに、カズキとタケシが視線を向けた。
「ボク、ちょっと前まで首都に居たから気付いたんですけど、ここの港の港湾警備、規模も小さいし、警戒も少し甘くないで
すか?」
カズキは僅かに顔を顰める。
「立場上「はい、そうですね」とも言えないが…、首都と比べれば、まぁなぁ…」
「そこ、少し違うんです。首都近辺の港湾警備は、ここよりもっと緩いんですよ?」
「は?」
カズキは不思議そうに首を傾げ、タケシは興味を覚えたのか少し身を乗り出す。
「警備が緩いって…、だが首都じゃ密輸船騒ぎなんて滅多に…」
「はい、起こりません。…って言うのも、ブルーティッシュが睨みを利かせてるからなんです。だから実働ケースが減って来
てる首都近辺の港湾警備も、ここ数年で規模を縮小してます。そして、首都からそう遠くない港の方を重点的に警備してる。
ところが…」
「ここ、東護の港はその範囲に入っていない上に、警備が甘い…」
呟いたタケシに、ユウトが頷く。
「ここだけじゃないんだ。この東北南部、それから近畿、北陸、信越にも言える事なんだけど、首都と同じように公的機関に
よる守りが薄いの。本州北端や九洲、志国なんかみたいに、大きく離れた所はそうでもないのにだよ?政府はブルーティッシュ
が睨みを効かせてる範囲を広く見積もり過ぎてる。その目を掻い潜ろうとやっきになってる連中なら…」
「ブルーティッシュの守備範囲外、かつ首都圏へのアクセスが容易で、しかも港湾の守りが甘い場所を狙う、か…」
タケシが言葉を引き取ると、ユウトはこくっと頷いた。
「もちろん、バレれば同じ手は使えなくなる。だから今までは慎重に事に当たってきた。その努力の甲斐があって今まで露見
しなかったって考えれば、地方の港を利用して密輸の主導を取ってきた大規模組織が存在してると考えても、辻褄が合うよね」
「…なるほど、だが、今回のような垂れ込みは今までは…」
訝しげに首を傾げたカズキに、タケシは無表情に言った。
「カズキさんのような監査官ばかりではない。信憑性が低いと、告発自体を見過ごし、揉み潰していても…」
「…ありえる話だな…。俺も、タケシが居なければ調停者を募ってまで調査をしようとは考えなかっただろう…」
カズキは机の上の資料を難しい顔つきで睨みながら呟き、それから顔を上げた。
「改めて調停者を募るか…」
「いえ。まずは最初の予定通り、フワ君とボクとで探りましょう。あくまでも可能性があるってだけで、確実って訳じゃあな
いんですから」
ユウトはそう言うとタケシに視線を向け、青年は金熊の視線に一つ頷いて応じた。
「と、言うことです。今夜にでもさっそく潜入を試みます」
「…分かった。頼もう。だが、まずは調査だ。無茶は無しだぞ二人とも?」
警官の言葉に対し、青年と金熊は片や無表情に、片や気遣いに感謝して笑みを浮かべて、それぞれ頷いた。
その日の深夜、港から少し離れた突堤の脇で、用意してきたオール付きの真っ黒なゴムボートに乗り込み、タケシは陸の上
のユウトを見上げた。
「手はずは打ち合わせたとおり。まずは沖側から回り込み、タンカー内へ侵入する。何か質問は?」
「いっこだけ」
潜入捜査の為に全身を覆う金色の被毛を真っ黒に染め上げ、黒を基調にした衣類に身を包んだユウトは、ボートを見下ろし、
疑わしげに目を細めていた。
「これ、大丈夫?」
「新品だが、入水テストもおこなった。問題ない」
「いや、そうじゃなくてね…」
口ごもる大熊に、青年は首を傾げた。
「そ、その…、ボクが乗っても…」
「お前が乗っても?」
ユウトは恥かしげに俯き、ボソボソと呟いた。
「…沈まないかな?それ…」
タケシは目を細めてユウトを見つめ、それから乗っているボートを見下ろし、少し黙った後に頷いた。
「おそらく大丈夫だろう。積載重量400キロとなっている」
「そ、そう?なら大丈夫だね…」
ユウトはほっとしたように、しかしやや引き攣った微妙な笑みを浮かべると、おそるおそるボートに乗り込んだ。
「まぁ、万が一沈んでも距離はさほどでもない。泳いででも行ける。大して困らないだろう」
「…沈んだら…非常に困るんだけど…」
タケシがボートを繋いでいたロープを解きにかかると、ユウトは顔を顰めながら、消え入りそうな小声で呟いた。
「後部に回り込もう、側面は窓が多く、見晴らしも良い」
「了解」
暗視スコープでタンカー上の様子を探りながら指示するタケシに、ユウトは静かに力強くオールを漕ぎながら応じる。
ボートはほとんど音もなく、滑るようにして、港に黒々とそびえるタンカーの背面へと回り込んだ。
「この辺りでいいだろう…」
タケシはユウトにボートを停めさせると、先端にフックをつけたロープを頭上で振り回し、タンカーめがけて放った。
強化プラスチックにラバーコーティングが施されたフックは、タンカーの甲板に巡らされた手すりに音もなく絡みつく。
「やるねぇ」
碇を水面に沈めてロープの反対側を固定しつつ、ユウトは小さく口笛を吹いた。
最初にタケシが、次いでユウトがロープを伝って這い登り、タンカーへの侵入を果たす。
フックを外し、闇の中ではほとんど見えない黒いピアノ線で手すりから吊り下げ、目立たぬようにカモフラージュすると、
二人はタンカー後部の救命艇の影に身を潜めた。
「俺は右舷から、お前は左舷からだ」
「了解。ところでさ、フワ君?」
立ち上がりかけたタケシは、ユウトに呼び止められて再び屈み込む。
「キミはチームに所属しようとか思わないの?」
青年は頷き、低い声で告げた。
「少々事情があってな。あまり人付き合いは得意ではない」
「そっか…」
ユウトはそれ以上は問わず、二人は救命艇の影から静かに出て、移動を開始した。
壁に巡らされた太い配管の影に身を寄せ、ユウトは丸い耳をピクピクと動かした。
こっそり覗き見るその先には、作業服姿の男が二人。
「…だ。後は任せる」
「分かった。気をつけて警備するよ。そういえばそろそろエサの時間だな…、うるさいんだろうなぁ下は…」
「仕方ないさ。ま、朝には出航だ。警備がキッツイのも今夜だけの辛抱だよ」
「へいへい。んじゃお疲れさん」
男達は崩れた敬礼をすると、そのまますれ違って歩き出した。
ユウトは耳を澄まして一方の男、「気をつけて警備する」と言っていた方の足音の行く先を探る。
二人の足音が十分に遠ざかったのを確認すると、全身を黒一色に統一した大熊は、するりと物陰から抜け出す。
そして、先の男の後を追い、影のように密やかに移動を開始した。
一方、ユウトと同じように見回りの目を盗んで甲板上を移動し、交わされる会話を拾っていたタケシは、携帯が小さく振動
した事に気付いて物陰に身を寄せた。
周囲の気配を探ってから携帯を取り出し、届いたメールを確認する。携帯には、調停者間で用いられる暗号に変換された、
ユウトからのメッセージが届いていた。
『目標は「下」。じきにエサの時間。これから警備を担当すると思われる男を監視中。タンカーは朝に出航予定。猶予無し。
どうしよう?』
文面に込められた重要な情報を脳に刻み込み、タケシは素早くボタンを押して返信した。
「応援を要請している時間が惜しい。詳しい位置を特定。後、可能であれば対象だけでも処分。不可能であればタンカーを航
行不能にし、騒ぎに乗じて脱出。他の調停者の協力を要請する」
『了解。男が甲板下へ向かった。可能な限り追跡してみる』
間もなく届いたユウトからの返事を確認すると、タケシは頭に入れてきたタンカーの見取り図を思い浮かべた。
「航行不能にするのは簡単だが…、まずは確認が必要か…」
甲板で見た男の後を追い、階下へと忍び込んだユウトは、通路のそこかしこに居る警備兵の目を盗み、慎重に奥へと進んで
行った。しかし…、
(だんだん警備が厳重になって来てる…。こっそりつけるのも、そろそろ限界かな…)
曲がり角からこっそりと奥を覗き、ユウトは蒼い目を細めて男の行く手を見据える。
男は通路に設けられたゲートの前に立ち、そこの見張りと敬礼を交わすと、カードリーダーで身分照合をおこなって奥へと
進んでゆく。
ユウトは素早く頭を巡らせ、そして決断した。
「気付かれずに侵入するのは限界。見張りを排除し、速やかに探索する」
タケシにメールを送り、ユウトは見張りが居るゲートまでの距離を再確認した。
見張りを排除して進めば、そう時間を置かずに侵入に気付かれる。
メールの内容を見れば、タケシならこれから起こる騒ぎに対処した行動を取ってくれるだろう。ユウトはそう確信していた。
奇妙な事に、会ってからそれほど時間の経っていないあの青年に、ユウトは信頼を覚えている。
何故信頼できるのかと問われれば、確たる理由は思い浮かばない。
自分でも、何故あの青年を信頼できるのかは良く分からない。
だが、腕も確かで、判断力にも優れているあの青年ならば、背中を護るのも、護られるのも悪くは無い。ユウトはそう思い
始めていた。
口元に浮かんだ苦笑を消し、表情を引き締めると、ユウトは通路の角から飛び出す。
脚力の禁圧解除によって一気に加速したユウトは、自分に気付いた見張りが口を開き、腰のホルスターから拳銃を抜き放つ
直前に、その眼前へと到達した。
顔面を鷲掴みにするようにして開けられた口を大きな手で塞ぎ、同時に、抜きかけられた拳銃を上から押さえ、トリガーに
滑り込もうとしていた男の人差し指と引き金の間に、太い小指と薬指を入れて発砲も暴発も阻止する。
そのまま男の鳩尾に力を加減した膝を叩き込んで昏倒させると、金の大熊は素早く男の上着をまさぐり、カードキーを抜き
出した。
「さぁて、手早く倉庫見学させて貰おうかな…」
ユウトからのメールを受けたタケシは、丁度その時、逆さまになっていた。
細いワイヤーで甲板の手すりからぶら下がり、タンカーの脇に並んでいる窓から中を覗き、人の居ない部屋を探していたの
である。
足にワイヤーを巻きつけ、クモのように逆さまにぶら下がりながら、青年は器用にメールの内容を確認し、作業を急ぐこと
にした。
手近な窓から中を覗き、空室である事を確認すると、タケシはその窓にひたりと手をあてた。
一瞬手の周囲が歪んだ後、キシッという僅かな音と共に、分厚い窓が縁ごと消失する。
空間歪曲で窓を消し去ったタケシは、室内に滑り込み、足からワイヤーを外してドアに歩み寄る。
腕を一振りして刀を召喚し、ドアの向こうの気配を探ると、タケシはゆっくりとドアを開け、タンカー内の通路に足を踏み
出した。
見張りを次々と、無音の内に無力化し、先ほど見かけた男に追いついたユウトは、辿り着いた先の貨物部屋で、その騒がし
さに顔を顰めた。
(エサの時間か…。ま、危険生物だって生き物だ、お腹は減るもんね…)
ユウトは積まれた荷物の影から、いくつもの鉄の檻に囚われている異形の生物を眺めた。
獅子顔に蟻の体を持った奇妙な生物。
羽が四枚、足が二対ある大きな鷲。
蛇の体にムカデを思わせる何本もの足を備えた生き物。
顔の中央で大きな目が二つ、縦に並んだ類人猿風の生物…。
(ちょっとちょっと…。危険生物…、それも希少種ばっかりじゃない?しかも…、にぃ、しぃ、ろぉ、やぁ…全部で20以上
も居る!?)
大小様々、多種多様な生物が収められた檻は、目に見える範囲でも両手の指の倍近くあった。
入っている他に、その倍以上の数の空の檻がある事から、大半はすでに取引を終え、国内に運び込まれたものと推測できる。
(…ん?あの男、何処に…?)
一瞬呆気に取られていたユウトは、追ってきた男が貨物室の最奥にある扉へと歩いて行くのに気付き、目を細めた。
(奥にまだ何かあるの?)
ユウトは物陰を慎重に移動し、男が入っていった扉に縋りつくと、僅かに開いたままになっていた隙間から中を覗いた。
まず男の横顔が見えた。その前には分厚いガラス。
そしてその向こうには、調度品の整えられた小奇麗な部屋があった。
ユウトは場違いなものを目にして驚き、両目を大きく、丸くする。
ガラスの向こうの部屋には、六、七歳に見える、幼い女の子の姿があった。
可愛らしい水色と白を基調にしたフリル付きのワンピースを身に付け、自分の半分はあるテディベアを抱き、絨毯の上にペ
タンと座り、怯えたような顔でガラス越しに男を見上げている幼女…。
危険生物を密輸するタンカー内ではあまりにも場違いな光景に、ユウトは一瞬我を忘れかけた。
タンカー内部へと侵入を果たしたタケシは、見張りの目をかいくぐり、ユウトの居る貨物庫方面へと進んでいた。
ユウトが通った直後であり、所々設けられたゲート脇には見張りが倒れている。
タケシがすぐに後を辿って来ると確信していたのだろう。使ったカードキーは見張りの体の上に放置されていた。
巡回がやって来て状況を見れば、即座に警報が鳴る。猶予はほとんど無い事を重々承知し、青年は足早に奥へと踏み込んで行く。
発見の報告はまだ届いていないが、警備が厳重である事を鑑みても、危険生物が居る可能性は非常に高い。
ユウトと合流し、確証を得た後、隔壁を空間歪曲で撃ち抜きながら最短移動。その後、タンカーを航行不能にしてから一時
撤退する。それが青年の思い描いているシナリオだった。
しかし、入り組んだ通路を、大まかな見取り図の記憶と照らし合わせながら急ぎ駆け抜けていたその最中、青年は視界の隅
にあるものを捉えて急停止する。
反射的に刀を構え、横手の通路へと向き直った青年の視線の先に、奇妙な姿があった。
「……………?」
T字になった通路の突き当たりに、それは居た。
濃紺のチョッキを身につけた小柄な、白いモノ。長い耳に、片眼鏡。
場違いな雰囲気のソレを目に、青年は刀を構えながらも戸惑う。
(危険生物…?こんなタイプは俺の知識に無いが…)
タケシの視線の先に居るのは白い兎。
しかし獣人ではない。普通の兎を直立させたような、そんな形状の、つるんとしたマネキンのような存在だった。
顔には目も鼻も口も無く、ノッペリとしている。五指を備えた小さな手には、丸い懐中時計が握られていた。
(敵意は感じられない…、俺を警戒している様子も無い…、いや、それどころか…)
兎はしばしタケシに顔を向けていたが、ぴょんと跳ねて曲がり角の向こうへ姿を消す。
我に返り、素早く駆け寄ったタケシが曲がり角の先を覗き込んだ時には、兎はすでに姿を消していた。
そこに何かが居た痕跡も、気配も、全く残さずに。
兎の姿が消えた先には、見張りが倒れているゲートがあった。
ゲートは閉まっており、開いて通過したのであれば青年も気付くはずだったが、開閉の気配は感じられなかった。
たった今目にしたモノの情報を整理しようとタケシの脳が働き始めたその時、周囲が赤い光で照らされた。
けたたましい警報が鳴り響き始め、青年は侵入が露見した事を察する。
疑問を棚上げにしたタケシは、空間歪曲でゲートを破壊し、全速力で通路を駆け始めた。