聖夜の余り者

「サンタクロースは遍在する」

 肥った虎の中年が、地ビールの瓶を分厚い手で握りながら呟いた。

 虎とテーブルを挟んでいる、これまた肥った垂れ耳の兎が、伏せていた半眼を上げた。

 どちらも背が高いだけでなく、だいぶ恰幅が良い…と言えば聞こえは良いが、肥え太った肥満体の大男である。

 暖房がきいた、広々としていながら暖かい部屋のソファーセット。横幅も厚みもあるでっぷりした大男二人が席についている

と、六人掛け仕様のはずのソファーセットがワンサイズ下に見えて来る。

 簡単な炒め物を肴にクラフトビールを飲んでいるふたりは、どちらもラフな私服姿。とはいえ、フカフカした清潔なフリース

を着た上に毛糸のベストを羽織っている身なりの良い虎に対し、フレンチロップイヤーはあちこち菓子の油や食べこぼしで汚れ

たトレーナーとズボン姿。オレンジにも似た甘い柑橘系の香りがする毛艶の良い虎と比べて、ロップイヤーは枯れ葉のような匂

いがしており、皮脂でくすんだ毛並みの悪さが目立つ。

「世界中の何処へでも、誰へでも、祝福を配りにゆく」

 地ビールのラベルに目を向けながら虎が言う。厳かに、諭すように、ゆっくりと噛んで含めるように。

「だが、彼にクリスマスの贈り物をするのは、赤い衣装のサンタクロースではないだろう」

「………」

 肥えた兎は無言である。垂れた長い耳の基部を虎の方に傾け、その言葉を聞いている。

 ビール瓶を口元に寄せ、少し含んだビールをコクリと飲み下し、喉を湿らせて虎は続けた。

「誰にならば担えるのか。誰にならば叶えられるのか」

 聖句を読み上げる神官のように。

「誰かを笑顔にするのは難しく、誰かを幸せにするのはもっと難しく」

 誓願を立てる僧侶のように

「しかしほんの一握りの喜びを、与えられる者は必ず居る。誰にでも」

 黙したまま半眼で虎を見つめているロップイヤーは、相手が伝えたい事を察していた。

「仕方あらへんな…」

 大きく息を吸い、それから発した兎の声は、微苦笑に近い笑い混じりだった。

「ほな、なってみよか。サンタクロースに」

 

 

 

 会社の敷地をのっしのっしと踏み締めて、社員用出入り口に向かう大柄な人影。「おはようございます」と声をかけて来る若

手、中年、女性社員に、その都度「おはよう」と太い声で応じる虎は、晴れ渡った空を背に聳えるビルを見上げた。

(良い天気だが…、今夜も放射冷却で冷えそうだな)

 大きな体を揺すって歩きながら、虎はコートの襟元を軽く直した。十二月に入ってすぐに空気が冷え始め、今日は吐く息が白

くなっている。

 虎の名は黄之嶋文彦(きのしまふみひこ)。三十五歳独身。来年にでも社内最年少で部長に昇進するのではないかと噂される、

敏腕部長補佐。

 特筆すべきはその体型。骨太な体にできる限りの脂肪と筋肉を付着させて人型にしたような肉厚肥満のシルエットで、目立つ

ほど腹が出た丸い輪郭をしている。もっとも、虎縞模様に隈取された顔つきは厳めしい方で、声も太く、だらしない印象は無く、

むしろ太い体は貫禄があった。

「おはようございます!キノシマ補佐!」

 早歩きのペースで後ろから近付いてきた足音に続き、横に並んだ若い社員が挨拶すると、キノシマは横向きにした顔で小柄な

相手を見下ろし、「おはよう、シロキ君」と応じる。

「今日も良い天気ですね!」

「通勤し易くて大いに助かる。もっとも、窓際で日差しを背にしていると、温くて眠くなるのが困りものだがね」

 真顔で冗談交じりに返したキノシマに、「あー、判ります!」と応じた若者は、真っ白なスピッツである。

 モコモコした白い体とクリクリした黒目が愛らしい童顔の若者は、白木春日(しろきはるひ)。商品開発部に所属する勤続二

年目の新人だが、昨年末に発案した商品が今年夏の商戦でヒットとなり、若いながら実力が認められてきたルーキー。

 そのヒットの要因となったのが、企画部長補佐であるこの虎の一声だった。

 光る物はあるが詰め方が充分ではなく、発展を見込める余地を残していたシロキの商品案を、他の商品との競合に即時参戦さ

せず、時間をかけて煮詰めた上で市場に出す…。この提案のおかげで夏のヒットは成り立った。

 そしてそれには、シロキの上司である係長によるアイディアの追加や細部のブラッシュアップが加わった面も大きい。その事

を誰よりも知っているので、スピッツは入社二年目でヒットを飛ばしながらも、周囲の評価に溺れて酔う事も無く、依然として

謙虚なままである。

 もっとも、彼直属の上司である垂れ耳兎は、部下の才能とセンスを理解しているが故に、コケ方が派手にならずに済む段階…

つまり自分にフォローできる内に一度は失敗を経験させておきたいと思っているようなのだが…。

(天狗になる性格でもない好青年だ。カイグチが心配する事もないと思うが)

 調子に乗って崩れ易いタイプというものを、キノシマはよく知っているが、シロキはそこに該当しない性質である。

「ところでシロキ君」

「はい?」

「最近少し…。いや、何でもない」

「?」

 キノシマが思い直したように話を切り、シロキは小首を傾げる。

(少し太ったかな、と思ったんだが…。気のせいだろう)

 などとキノシマは考えた。しかし、フワフワした被毛のボリュームのせいで判り難いが、シロキは実際に少し太っていた。以

前は華奢だったのだが、今はややプニプニしている。これは職場の先輩に付き合った食生活が原因である。

 もっとも、かなりの肥満体であるキノシマから見れば、その程度は誤差の範囲。冬毛なのだろうと考えてスルーしてしまう。

「会議に上げる商品案はできたのか?」

 キノシマが商品企画会議に提示される新商品案の進捗を問うと、「はい!係長と共同でこねくり回した、自信アリの案が!」

と、シロキが尾を振った。

 シロキの直属の上司はキノシマと同期の社員。商品開発部の部門リーダーを務める、職人気質の係長。シロキにとっては憧れ

の業界人であると同時に、頼りになる上司である。シロキ発案の商品がヒットしたのも、そのサポートがあってこそと言えた。

「共同?君の発案商品だとカイグチは言っていたが…」

「でも結局一人じゃそこまでよくできませんでした!係長とチームみんなの共同開発です!」

 嬉しそうに、そして誇らしそうに応じたスピッツに目を細めて頷いて、虎は視線を前に戻し…。

「おはようございます!」

 張りの有る挨拶に「おはよう」と醒めた顔で応じる。

 挨拶して来たのは出入り口前に立つ、アラスカンマラミュートの警備員。大男のキノシマと比べても少し身長が高く、筋肉で

がっしりとボリュームがある体付きである。

 敬礼しながらも尻尾をブンブン振っているこのアラスカンマラミュートは、蒼崎仁弥(あおさきじんや)。

「アオサキさんおはようございます!」

「おはようでありますシロキ君!」

 マラミュートがスピッツと挨拶を交わすと、虎の眉が軽く上がった。気に入らない相手を無視するのに比べれば良い傾向なの

だが、態度が少し気になって。

 キノシマと話をしている相手には焼きもちを妬いて塩対応になるアオサキが、数ヶ月前からはシロキにも機嫌よく挨拶するよ

うになっている。

「昨夜はどうだったのでありますか?」

「昨夜?あ~、係長仕事があるって言って…」

「かーっ!つれないでありますね!もう十日ぐらい一緒してないのでは!?」

「そうかもです。最後は先週の頭だったから…」

「???」

 立ち話を始めたふたりを、歩きながら振り返って一瞥するキノシマ。

(いや、仲良くなるのは良い事だが…)

 スピッツに対するマラミュートの態度が、だいぶ軟化…を通り越して親し気になっている事を疑問に思いながらも、虎はその

まま社内へ入って行った。

 

「…以上。年末の予定に変更が生じた場合は、速やかに報告して貰いたい」

 それから二時間ほど後の部内会議で、部長の横で進行を務めるキノシマが締めくくる。二つの課の責任者と班を預かる長達は、

神妙な顔で頷いた。

 いよいよ年末が近づくこのシーズン、企画部は前々から立てられている各部門の予定について、変更が無いか常にアンテナを

張って調整に備えていた。社内の舵取り役である企画部の仕事は、部門間の統制から広報への外部発信依頼、スケジュール調整

と多岐に渡る。何処かの部門の予定が一つ変われば他に影響する事もあるので、差し迫った要件が無くとも気を抜けない時期で

ある。とはいえ…。

「今年は例年になく、進行に余裕があるから…」

 キノシマとは対照的に体積が小さいポメラニアン部長が、一同を見渡しながら口を開いた。

「家族が居る社員は、サービスできるように気を配ってあげてね」

「だ、そうだ。特に小さな子供が居る妻子持ち」

 部長の言葉を引き取って視線を巡らせたキノシマは、少し目元を緩ませて告げる。

「よほど業務が逼迫でもしていない限り、部長の言葉をおろそかにしないように。今年は多少の無理なら利く。こういう時は、

責任者が責任を取る物だ」

 普段は気の緩みを許さない部長補佐がトップの意見に同調すると、一同が顔を綻ばせる。

 油断も手抜きもしないキノシマがこんな事を言うほど、今年の年末は予定に狂いが無く進んでいる。忙しい事は忙しいが、イ

レギュラーが発生しないだけで随分と楽になるのである。

 そうして会議が終わり、皆が会議室から企画部のオフィスに戻ると、昼休みの時間が目前になっていた。

「キノシマ君、今日のお昼は…」

「済みません。約束がありまして、少し出ます」

 部長の問いに応じたキノシマは、厚手のコートに袖を通しながら応じた。

「昼食ついでに、開発部の進捗状況にも探りを入れてきましょう」

「そ、そう…。頑張ってね…」

 少し寂しそうなポメラニアンを残して、補佐席を離れたキノシマは、黒ブチのハチワレ猫と二言三言交わしてから部屋を出て

行った。

 

 その十五分後…。

「何だって?」

 カウンターテーブルに窮屈そうな格好で出っ腹を押し付けて、だいぶ前屈みになっている虎が、隣の席の垂れ耳兎に見開いた

目を向けた。

「人事からそっちに報告行ってへんかったんか?」

 ジャーマングレーの被毛に覆われた、ずんぐりむっくりした肥満体の男は、眉根を寄せながら虎に訊ねる。似たような体型体

格のふたりが並んだせいで、カウンターの一角は妙に手狭な有様である。

「初耳だ」

「そら遅いわ…。連絡漏れやろな。係長級は情報共有しとるで」

 味噌の匂いが鼻孔をくすぐるラーメン屋のカウンターで、フレンチロップイヤーはお冷やに手を伸ばして引っ掴むと、一気に

飲み干した。

 キノシマと一緒に昼食に出ているこの男は、商品開発部の係長のひとり、灰口年一(かいぐちとしかず)。スピッツのシロキ

から見れば直属の上司にあたる。

 身長は平均よりやや高い程度だが、幅も厚みもあるでっぷりした脂肪太りなので、大男のキノシマと並んでいても遜色ないサ

イズ。加えて、兎のイメージからかけ離れた愛想の無い半眼に、低くて重い声質。口調もぞんざいな上に衣類もあちこちに薄く

汚れが見られる私服姿で、勤務時間中の勤め人には見えない外見である。

「編成の見直しによる部門の統合…。いや、配置が部内から変わらないとしても、統合される側のチームが抱えている案件はど

うなる?」

「まんま引継ぎか、業務整理や」

 仏頂面の兎が不機嫌に零す。いつも不機嫌「そう」な顔をしているカイグチだが、今日は本当に不機嫌であった。

 商品開発部の中ではチーム分けがされており、それぞれ係長がリーダーとなって新商品案などを取り纏め、開発に取り組んで

いる。その内の一つがカイグチのチームに統合される事となったのだが…。

「業務整理で減るモンはあっても、新規の予定が増える事はないで。年末年始の商品展開にも影響せんから安心しとき」

 新たに商品開発プランが増えたり前倒しになったりする事は無い。が、途中まで来ている企画の存続については、カイグチが

選定して判断する事になった。社内の予定に影響はないが、想定外の仕事が増えてしまったので個人的に忙しくなる。これで商

品開発の構想などに割ける時間が減ってしまうため、職人気質のカイグチは機嫌がよろしくない。

「おまけに部下が増えて大変やで」

 揚げ菓子の油で所々変色しているトレーナーの上から、皮下脂肪過多な出っ腹をボリボリ掻いてグチるカイグチ。その横で、

キノシマは眉根を寄せていた。

(ん?何か引っかかるな…。カイグチが忙しい事に関連して、何かあったような…)

 結局、朝に少し聞いたシロキとアオサキのやりとりと、今の情報が結び付きそうになって引っかかっている事には思い至らず、

キノシマは同期に訊ねた。

「整理をつける期限には、どの程度余裕が?」

「期限自体は先や。が、早めに済ましておかへんと、後々詰まってまう」

 途中まで進んでいる企画を破棄するか存続させるかは、年明けの一月後半までに決断すればいい。だが、その間に気を配りた

い事が多いのが問題だった。

 子供達がお年玉で狙う玩具は、メーカーとって年始の初戦。販売中の商品が年度末までのロングヒットになるかどうかや、年

始を跨ぐテレビ番組入れ替え期のタイアップ商品との兼ね合い、生産ロットの拡大か縮小を判断するためにも、注視すべき重要

な消費動向である。場合によっては経営戦略の見直しを年明け早々に迫られる可能性もある。

 そのタイミングで手が空いていないのは困るため、なるべく早く引継ぎ業務の可否を判定しなければならない。

「シロキには悪い事したわ」

 ボソッとカイグチが零し、キノシマは眉根を寄せて「ん?シロキ君にも影響があるのか?」と訊ねた。

「新商品の件は順調そうな口ぶりだったが…」

「仕事の方は問題ナシや。そっちはともかく…」

 軽い溜息に次いで、またトレーナー越しに腹をモソモソ掻きながらロップイヤーが唸った。

 クリスマスに時間が取れそうなら、何処かに羽を伸ばしに行きましょう。そう誘われて、二つ返事でオーケーしていたのだが、

ここに来て状況が変わってしまったのだと。

「アイツ、ちょくちょくワイをスパやら飯やら誘って来よる。おかげで自分の時間が減ってまうわ」

 不機嫌そうな顔でそう述べるカイグチの態度は、傍から見ればシロキの誘いをうざったく感じているように見えるが、

「…世話になっとる礼やて。金も時間も自分の為に使えばええのに、けったいなヤツやでホンマ」

 ムスッした顔なのは、この本音のせい。シロキが邪魔なのではなく、自分に構うよりも他の事…年が近い連中と一緒に遊ぶと

か、趣味の時間に充てるとか、そういった事に金も時間も使えば良いと思うので、いちいち難しい顔になってしまう。

「だいたいアイツ、ワイと出かけてもろくに奢らせへん。ワイが強引に払わんと基本割り勘や。上司が奢る言うたら二つ返事で

奢られとくモンやろ普通?アイツには甘えと図々しさが足りてへん。損な性分やろ?だいたい、ワイみたいな余りモンにかまけ

てへんで、同期の若い連中とでも若者らしいトコで遊んで回ったらええんや。遊園地とかゲーセンとかプールとか、流行りの遊

びがあるやろ?」

「だが断らないんだろう?」

「断ると寂しそうな顔しよるさかい。何なんやホンマ」

 ブツブツと漏らす愚痴の内容がやたら微笑ましいなと、キノシマは目尻に皺を寄せた。

「良い子だな」

「ああ、出来た部下やで、ホンマ…」

「へい!モヤシニラニンニクミソチャーシュー大盛りおまち!」

 威勢のいい声と共にカウンターに湯気立つ丼が置かれ、舌なめずりしたカイグチが「お先」と箸を割る。基本的に外部の者と

接触しない部署だからというのもあるが、カイグチは匂いが残る食事も躊躇しない。ニンニクがたっぷり入ったラーメンを、こ

れまたニンニクが利いた餃子を口に放り込みながら盛大に啜る。

 それからやや遅れて出て来た、淡白な鶏ガラ醤油ラーメンに分厚いチャーシューと山盛りモヤシをトッピングした太麺にキノ

シマも箸をつけ、フーフー冷ましながら食べ始める。

 同期という事もあって気の置けない同士のふたりは、一緒に昼食に出る事が多い。特に冬場はこうしてラーメンを食べに出る

日がちょくちょくある。

 一方シロキは…。

 

「つくづく運が良かったでありますね!」

「はい!」

 昼食に出たイタリア料理店で、マラミュートとテーブルを挟んでいた。

 深夜から朝の警備当番だったアオサキは、シフト変更の都合で今日の日中から明日の朝までは休み。シロキと待ち合わせで昼

食を一緒にしている。

 普段はコンビニ弁当を出勤前に買って来ていたり、近場の牛丼をテイクアウトしたりと、職場に戻って食べる事が多いシロキ

だが、ここ数ヶ月はこうして勤務時間あけのアオサキと時折食事していた。

「人気宿でありますからして、二ヶ月前で予約が取れた時点でラッキーだったのであります」

「キャンセルとか出たタイミングだったんでしょうね!あれからずっと空きが出てませんから!」

 などと、ラザニアとミートソースパスタを食べながら和気藹々と会話を弾ませるふたりのテーブルには、「厳選宿特集」と記

された旅行情報誌の特集号が乗っている。

「もう三週間もないでありますね!」

「はい!先週改めて確認した時も、予定大丈夫って言ってましたから、日頃の御礼も兼ねて…」

 ニコニコしているシロキを、「ファイトでありますよ!」とアオサキが力付ける。

 実はシロキ、アオサキの勧めでカイグチと一緒に温泉旅行へ行く計画を立てていた。

 時折カイグチをスパへ連れて行くシロキは、ある時ロップイヤーが旅行ポスターになっている大浴場露天風呂を目にし、「あ

あいうトコで風呂に浸かったら気持ちええやろな」と呟いたのをしっかり聞いていた。それがきっかけで、いつか天然温泉に一

緒に行けたらなぁ…などと思っていたシロキに、アオサキが吹き込んだのである。「行っちゃうでありますよ!」と。

 勿論これはアオサキからすれば、キノシマに接近する者ことごとくを引き離したいという個人的な事情による物。しかしそん

な事を知らないシロキは、マラミュートの焚き付けですっかりその気にさせられてしまい、促されるまま一緒に温泉宿を調べ、

予約を取っていた。

 上手くそそのかせた、と満足していたアオサキだったが…。

「行くまでが目的ではないでありますよ?満足させて、「また一緒に来よう」まで言わせてナンボであります。そのためにも使

えるオプションは全部使う…。貸切風呂事前予約もその一つであります!」

 今はもう真剣に本気で計画の成功を望んでいる。

 邪魔者の排除が目的だったアオサキは、途中からシロキに親近感を覚えてしまった。

 シロキがカイグチを特別視し、恋愛感情を抱いている事は重々理解していた。しかし、その真意が相手に伝わらないままカイ

グチの周囲をチョコチョコうろついている青年の姿を眺めている内に、キノシマにそっけなくされる自分と重なって見え始めた

のである。

 そうして親身に、本腰を入れてアオサキがサポートし、下調べを入念に重ねた旅行計画は、しかし本人達が問題点と認識して

いない大問題を抱えていた。

「ビックリするかなー、係長!」

「ビックリさせてナンボのサプライズでありますから!」

 そう。

 宿まで抑えてプランのチョイスも完了しながら、カイグチ本人にはまだ「クリスマスの予定空いてますか?」としか声をかけ

ておらず、ロップイヤーは計画の事を全く知らないのであった。

 

 その、昼休み後の事…。

「シロキ、ちょっとええか?」

「はい!」

 雑多な物や資料が山積みになった、室内で一番汚い机の、薄汚れたロップイヤーに呼ばれたスピッツは、ウキウキとデスクに

歩み寄る。

 年末も近付いて、皆が予定を早く片付けて余裕を作ろうと忙しくする中、誰もふたりのやり取りに気を向けていない。近付い

たシロキに、カイグチは炭酸飲料のボトルを片手に話しかける。

「この前話しとった、クリスマスの話やけどな」

「はい!」

「忙しくなりそうやし、日程ずらそ」

 固まるスピッツの表情に、ボトルに視線を向けてキャップをあけているロップイヤーは気付かない。

 サプライズのつもりでいるシロキが、詳細を話していなかった事があだになった。旅行のつもりで聞いていないカイグチは、

日程をずらせる物と思っている。

「年明けでどないや?」

「は、はい…」

 シロキの元気が無い返事を聞きながらも、カイグチはその顔も見ず、深刻さに気付けないまま、炭酸ジュースをゴクゴク飲む。

ガッカリさせてしまったな、という程度の認識しかない。まさか宿泊込みでの予定を立てているなどとは夢にも思っていないの

で、捉え方にだいぶ開きがある。

「済まんな。何処行くつもりやったん?」

 シロキは一瞬口ごもり、それから「す、スパとか良いかなって思ってたんです!あはは!」と作り笑いした。

「ちょっと贅沢な食事して、お風呂で、疲れとか取れたらって…」

「そら悪かったな。年明けたら美味いもんでも食いに行こか」

 埋め合わせの約束をされて、自分のデスクに戻るシロキは、

(あと三週間…切ってたのに…)

 もっと引きつけてから明かそうとしていた、自分の立てた予定の杜撰さを悔やんだ。

 

 

 

「何ででありますか!?」

 翌日夕刻、社員用通用口前。退社するシロキから事情を聞いて、アオサキは目を剥いた。

 定時はやや過ぎて、退社する社員もまばらになった時刻。とっぷりと暮れた空には星に代わって人口の灯りが輝き、冷え込ん

だ空気が光の穂先を鋭く見せる。

「仕方ないんです…。仕事だから…」

「仕事」

 鸚鵡返しにその単語を繰り返し、ポカンとするマラミュート。

「部内で、編成とか、配置の変更があるから…、予定が詰まる前に、新しい体制に備える準備をしておいた方が良くて…。係長

は、年明けも色々仕事あるから…」

「仕事」

 また同じ単語を繰り返すマラミュート。

「仕事の邪魔をしたらいけないですから…。クリスマスは諦めます…」

「仕事…」

 ボソッと、アオサキが低い声で呟く。その瞳はすっかりしょげて伏し目がちになっているシロキの顔を見つめながら、激しい

感情の色に染まっている。

 それは、怒り。

 苛立ちでも、不満でもない、純然たる怒りの色がマラミュートの瞳を輝かせる。

「仕事。仕事。仕事仕事仕事仕事!どいつもこいつも二言目には仕事仕事と、流行の口癖でありますかっ!」

「え…」

 突然声を大きくしたアオサキに面食らったシロキは、腰を少し曲げてズイッと顔を突き出す格好で目線の高さを合わせてきた

マラミュートの、鼻面に無数の小皺を刻んだ怒りの形相にたじろいだ。

「楽しみにしていた予定が仕事に押し退けられて、不平不満は無いのでありますか!?意中の相手を仕事に取られて、それでも

我慢しなければいけないのでありますか!?」

 それはアオサキの本音である。が、キノシマ相手にはこの事で不平を言っても、激怒するには至らない。

「仕事がなければオマンマの食い上げでありますが、ひとは仕事だけで生きている訳では無いのであります!ワーカーホリック

どもにはそれが判らんのであります!」

 自分の不満だけならば、愚痴は零しながらも渋々我慢できるマラミュートは今、目の前のスピッツのために憤慨していた。

「自分には偉いひとの仕事は分からないであります!政治も相場も判らないであります!しかしそれでも解かる事は二つばかり

あるのであります!」

 剣幕に圧されて口をパクパクさせながらも声が出ないシロキに、アオサキは背筋を伸ばして胸を張り、見下ろして告げる。

「一つは、自分の人生を自分の為に使って良い事!もう一つは、誰だって幸せを望んで良い事!これらだけは!突撃しか能が無

かった自分にも解かったのであります!シロキさんはどうでありますか!?」

「え…、僕は…」

「あんなにも楽しみにしていたでありましょう!?仕事を優先されて悔しいでありましょう!?」

「………」

 言葉を重ねられて俯いたシロキは、絞り出すような声と共に肩を震わせた。

「悔しい…です…」

「一緒に行きたかったでありましょう!?駄目になって残念でありましょう!?」

「残念…です…」

「覚悟を、決めていたのでありましょう!?」

 最後の確認で、シロキは顔を上げた。

「決めて…ました…!」

 涙に潤んだスピッツの双眸を真っ直ぐ見つめ、アオサキは力強く頷く。

「それなら自分に任せるであります!」

 そしてマラミュートはビルを見上げた。企画部の部屋には灯りが薄く点いたまま。部長補佐はまだ帰宅していない。

「二度も覚悟を決め直す…、そんな酷な事はしなくて良いのであります」

 

「ん?」

 数人の部下と残業していた…というよりも期限が近い書類を纏めている部下に付き合い、そのチェックと代理決裁を行なって

いたキノシマは、スーツの懐に手を突っ込み、内ポケットで振動したスマートフォンを取り出した。

 長めの振動が三度連続で、間隔が短く繰り返されるバイブパターンは、アオサキからのメールにだけ設定してあるので、すぐ

に判る。

「………」

 無言で画面を凝視し、内容を確認した虎は壁の時計に目を遣る。キノシマはスマートフォン上部のデジタルな時刻表示よりも、

丸い時計を目でなぞった方が感覚で把握し易く、所要時間を計算し易い。

(「至急対処したき懸案事項有り。是が非でも応じて頂きたく候」か…)

 太い指で返事を入力しながら、キノシマは残っている部下達に「この分なら8時には切り上げる事もできるな。そのつもりで

片付けよう」と声をかけた。

 集中力を削がれない程度に急げば間に合う、無理のない目標ラインを引かれた部下達からやる気を維持したままの返事が上が

り、キノシマは懐にスマートフォンを仕舞い直して…。

 

 

 

「至急の用事か。お前がメールで呼び出すとは珍しいな」

 県道沿いの、まるで塔のように細く高いマンション。その高層階の広い自宅へ戻るエレベーターから出るなり、キノシマが口

を開く。

 フロアで待ち構えていたマラミュートは、神妙な顔で大きく顎を引いた。

 アオサキは基本的に連絡ツールや電話でキノシマとやり取りする。他愛ない用事ばかりなので、これは虎もスルーする事が多

い。が、メールを送って来るのは大事な用の時だけである。

「フミ先輩にしかお願いできない事なのであります」

 過剰なスキンシップも無しに神妙な顔で話すアオサキを、顎をしゃくって促したキノシマは、自室に通して暖房を入れる。

 冷え切った空気はすぐには温まらず、冷たいソファーに腰を下ろして向き合うふたり。卓上ポットが湯を沸かす脇で、空のペ

アカップが二つ、紅茶のパックを入れたまま待っている。

「それで、俺に頼みとは?」

 問われたアオサキが鞄から取り出したのは旅雑誌の特集号。これを見たキノシマは眉根を寄せる。

 いつもの催促…ではない。そんな要件ならアオサキは電話などで告げる。

「シロキさんの事でお願いしたいのであります。実は…」

 マラミュートがここまでの経緯を掻い摘んで説明する。

 カイグチに想いを寄せるシロキが、スパや食事に誘うなどして、ずっとモーションをかけてきた事。

 応じるカイグチもまんざらではなくなってきたのか、たまに向こうからシロキを誘って外食する事も出て来た事。

 しかし仲はそれほど進展せず、シロキの方から切り出すのを決意した事…。

 そして立てたのが旅行に誘う計画。

 人気の宿も運よく押さえられ、カイグチのクリスマス予定が空白…つまり売り場の自主的な見学程度しかない事も確認でき、

サプライズのため内容は伏せたまま約束を取り付けて、その日を楽しみにしながら覚悟を固めていた矢先に、シロキはカイグチ

から仕事が忙しくなるので先送りにしたいと言われた。

 二ヶ月前からでも予約が難しい人気宿を、仕切り直しで年明けに取れるはずも無いのに…。

 その内容を聞きながら、虎はたっぷりした顎の下を何度も平手でさすり、唸った。

(カイグチがシロキ君に悪い事をしたと言っていたのは、その約束があったからか…)

 昼食を供にした際にロップイヤーが零していた事を思い出す。

「いくら休日と重なる日程だったとはいえ、カイグチの予定を問うだけでなく、そこは判り易く旅行だと言って誘うべきだった

な…。映画に行くのとは訳が違うぞ?」

 クリスマスの空きを確認してシロキがカイグチに取り付けた約束は、サプライズのために行き先も詳細も伏せられていた。ま

さか旅行計画だったとはロップイヤーも思っていないだろうと、虎は耳を倒す。

「そこはサプライズでありますからして、ギリギリまで伏せた方が良いと思ったのであります」

「お前の入れ知恵か…!」

 天を仰ぐキノシマ。

「宿泊を伴う遠出を日帰りミステリーツアーなどのように企画するな」

「そこは反省するでありますよ…。しかしであります!」

 一瞬しおらしく項垂れたものの、アオサキはすぐさま顔を起こした。

「この一年あまりにも進展が無いのであります!もうインパクト重視でブチ上げるくらいしか考え付かなかったのであります!

ムードも空気も情緒も、あの鈍感デブウサギには効果薄いのであります!何でありますかアレ!?ムード耐性でもあるのであり

ますか!?石膏像の方がまだ感度アリアリでありましょう!」

 怒り出したアオサキを眺めながら、「珍しい」とキノシマは感じた。

 この男は基本的に自己中心的で思い込みが激しく他者の言う事をあまり聞かないしひとの都合はお構いなしなのだが、長らく

監視するようにシロキを見守ってきて、心境に変化があったらしい。

「見ていてヤキモキするのであります!さっさとくっつけと!」

「仲の深まり方はひとそれぞれだ。特別遅いという事も無いだろう。しかし…」

 シロキが競争率の高い宿を押さえられ、話を切り出す決心までしたとなれば、予定の狂いは第三者が思うより影響が深刻だろ

うとキノシマは考える。

「最悪のタイミングで腰砕けだ。もう一度予約を取り直すのも難しいとなれば、心理的な疲労感とダメージは大きいだろう」

「そうなのでありますよ!自分も「フミ先輩と行くならここが良いリスト」に加えている良い宿なのであります!」

 アオサキが雑誌を開き、キノシマは湯が沸いたきり忘れていたポットに手を伸ばして、二つのカップに紅茶を用意する。

「ここ!ここなのであります!料理、景観、部屋、全て満点かつオプションも充実!貸切の家族風呂は三つの内二つが露天で、

夕食は単品オプションも豊富!各地の名酒も日本酒から焼酎まで取り揃えてあるのであります!」

「…ああ、この宿か。確かに最良の選択だろうな」

 示されたページを覗き込みながら、自分の前に湯気立つカップを置いてくれたキノシマに、「フミ先輩も知っているのであり

ますか?」とアオサキが問う。

「前に、爺さんときょうだい達を連れて行った事があっ…」

「そういうとこでありますよー!?」

 キノシマの言葉を遮って絶叫するアオサキ。

「初耳でありますよその家族サービス!」

「そうだったか?」

「な!ん!で!一声かけてくれないのでありますか!?」

「お前について来られないようにだ」

「アオーン!!!」

 キノシマの即答で仰け反るアオサキ。

「とにかく…、え?つまり家族連れでデート先候補を使用済み…?いや、とにかくでありますよ。その件に関しては後で問い詰

めるとして、とにかくであります」

 何とか気を落ち着けたアオサキは、キノシマに頭を下げた。

「フミ先輩ならサンタクロースになれるでありましょう!」

「無理だ。俺がサンタクロースになれるのは特異日だけだ」

 キノシマは即答する。

「聖夜の魔法は、座標と時間が条件を満たす特異日だけの奇跡だと、お前も判って…」

「そういう意味ではないのであります!「世間一般で言うサンタクロース役」を、フミ先輩なら、企画部長補佐なら、あのデブ

ウサギの友人なら、できるのではないかという話であります!」

 下げていた頭を起こして、マラミュートは虎の目を真っ直ぐ見つめた。

「サンタクロースの仕事は縁結びじゃない…。それは重々承知でありますよ!しかしであります!笑顔になれる物を!幸せな気

持ちになれる物を!送り届けるという点では趣旨に合致するであります!」

「………」

 キノシマは少し目を大きくする。

 正直、アオサキの事を少し見直した。「資質」だけでスカウトされたようなこの男も、自分達の「年一度の仕事」の趣旨をき

ちんと受け止めていたのだと。

「どうか!フミ先輩の力で、何とか鈍感デブウサギを説き伏せて頂きたいのであります!」

「…カイグチが仕事よりも優先してくれるかどうかだが」

「しかしフミ先輩以外にはできそうにないのであります!一肌脱いで欲しいであります!」

 虎は軽く顔を顰めた。嫌だから、というのではなく、このマラミュートが頻繁に一肌脱げと言いながら服を脱がせて来るので、

単純にこの発言に良いイメージが無いからである。

「…判った」

 少し間をおいて、キノシマは静かに、しかしはっきりとアオサキに応える。

「サンタクロースの端くれとして、一足早い届け物と行くか」

「大感謝であります!」

 立ち上がって両拳を突き上げたアオサキは、そのままテーブルを回り込むと、キノシマにしなだれかかるようにして抱きつき、

頬ずりする。ついでにいやらしい手つきで豊満な胸を揉む。

 しかしキノシマにとっては慣れたもの、片手でぞんざいにマラミュートの頬をムギュムギュ押しながら引き剥がし、スマート

フォンを取って通話履歴を読み込ませる。頻繁に通話する相手なのでアドレス帳よりこちらの方が早い。

「キノシマだが」

『おう。お疲れはん』

 4コール目の頭で出たカイグチに、キノシマは「まだ会社か?」と訊ねた。

『せや。今から帰るんもめんどいし、今夜は泊まっとくわ』

「飯と風呂は?」

『飯はカップ麺で済ましたわ。リニューアルしたトンコツ赤味噌カップ、なかなかやで。飽きがこんから三つペロッと行けてま

う。風呂は一昨日入ったさかい平気や』

「なるほど、今度俺も買ってみよう。しかしカイグチ」

『なんや』

「風呂は毎日入るべきだぞ」

『せやな…』

「ところで、先々のスケジュールのために前倒しで仕事を片付けたい姿勢について、俺は評価しているのだが…」

『なんや?仕事し過ぎやて説教垂れるつもりやったら、鏡見せたるで?』

 先回りして牽制するカイグチに、「いや、むしろもっと忙しい事になるかもしれないと承知の上で提案がある」とキノシマは

応じた。

『企画部長補佐が、忙しゅうなるかもて前置きする時点でぞっとせん話やで。どんな提案や?』

 仕事の話なら断る気がさらさらないカイグチの言葉に、キノシマは言った。

「詳しく話すから、今から俺の部屋に来てくれ。酒も出すし風呂も布団も貸す」

『今からやて!?』

 流石に驚くカイグチ。同じく黙って聞いていたアオサキも目を真ん丸にして、今からでありますか?という顔。驚きの余りキ

ノシマの腹を撫で回していたセクハラハンドも停止した。

 今できる事を後に回す理由はない。機を見るに敏と評判の判断力、行動力、そして実行力を備えるからこそ、キノシマは敏腕

補佐として一目置かれる。

「ああ、今からだ。頼む」

『「頼む」と来たか…。ほなしゃあないわ』

 カイグチの判断は早かった。他者に無理を通さないしさせないキノシマが、頼むとまで言って今日来いと促した。ならばそれ

相応の要件だろうと考えたのである。

『今からタクシー呼ぶさかい、少しかかるで?』

「済まない。よろしく頼む」

『ほな』

 カイグチが腰を上げながらさっさと通話を切り、キノシマがスマートフォンをテーブルに置くと、

「今から!?急過ぎるでありますよ!?」

「宿をキャンセルするにしろ、計画通りに進めるにしろ、急ぎの判断が求められる案件だ。急にもなる。という訳で今日の所は

帰れ」

「自分も隠れて話を聞いておくであります」

「馬鹿を言うな。カイグチにバレて噂になったらどうする?」

「むむむ…であります!」

(まぁ、カイグチになら知られても別に構わないかもしれないが…)

 個人的に信頼している相手だし、言いふらすような男でもないから、知られても良いか、と思わないでもないキノシマだった

が、アオサキが話の途中で混じって来ると拗れる可能性があるので、居ない方が良いだろうと結論を出した。

「明日詳しく顛末を聞くでありますよ!」

「ああ。シロキ君も早く結果を知らないと、気が急いたとしても動きようが無いだろうし、話が纏まり次第メールする。だから

帰れ。早く。何をしてる!」

 名残惜しむようにキノシマの胸に顔を埋めて体臭を嗅ぐ…だけでなくワイシャツを脱がせようとしていたアオサキは、力任せ

に顔を押し退けられて「無体であります~!」と鼻声を上げた。

 

 そうしてアオサキが追い出されてから、しばし後。

「飯は食ったんやで?そない気ぃ遣わへんでええのに」

 カイグチは部屋に通されるなり、玄関まで漂っていた美味そうな香りに鼻をヒクつかせた。

「酒のつまみだ」

 応じたキノシマは、ソーセージ…チョリソーとジャガイモ、玉葱の炒め物をテーブルに置くと、冷蔵庫から小ぶりなビール瓶

を二つ持ってくる。

「見慣れへんラベルやな?」

 促され、先程までアオサキが座っていたソファーに腰を下ろしたロップイヤーに、「栃樹のクラフトビールだ。爺さんが送っ

てくれた」と、少し表情を和らげながら応じるキノシマ。

「故郷の地ビールか。…ユウゼンはん元気にしとるんか?」

「元気だ。絶対に俺より長生きするだろう」

 数回会った事があるキノシマの祖父にして育ての親を思い浮かべ、「せやな。仙人みたいなひとやし」とカイグチは頷いた。

「いや、童話なんかの仙人はあないなガタイええデザインや無いし、イメージやとヨボヨボの爺さんなんやけど、ゼンはんは仙

人っぽいて感じてまう。何でやろな」

「何故か良くそう言われる。本人も不思議がっているが」

 虎がキャップを空け、兎もそれに倣い、瓶を軽く当てて乾杯する。

 グラス無し。瓶のままラッパ飲みしたカイグチは、薄めのほろ苦さと甘味、スモーキーな香りが特徴の地ビールに唸る。

「ええビールやな」

「俺も気に入っている。ツマミも合う物を用意した。遠慮なくやってくれ」

「おおきに。で…」

 炒め物を小皿に取りながら、カイグチは半眼をキノシマに向けた。

「提案てなんや?」

 こちらも即断即決即行動のロップイヤー。早速要件について問う。

「ああ。まず確認だが、シロキ君と約束していた事があったそうだが…」

「シロキから聞いたんか?悪いとは思うたけど、先送りにしてもろた」

「…その件についてだが、何とかしてクリスマスだけ予定を空けるよう提案する」

「?」

 訝し気に眉根を寄せるロップイヤーに、虎は続ける。

「仕事もプライベートも両立させるのは難しい。が、公私ともに部下の面倒を見れてこそ、一人前の上司だ」

「…耳が痛いわ、部長補佐殿」

 一拍の間を置いて、カイグチは溜息混じりに答えた。

 カイグチは仕事ができる。商品開発という点に限り、業界でもトップクラスの逸材と言える。デザイン性、生産性、拡張性、

そして対象に合わせた安全性をバランスを見て同居させる手腕。そして、製品化された際の完成モデルが誰の手でどのように扱

われるかをシミュレートする想像力。この分野の仕事において求められる能力や有利なセンスが異常に高い。

 しかしその一方で欠点がある事を、本人も自覚している。

 身なりや入浴もおろそかにするところなどにもその欠点が端的に現れているのだが、カイグチは仕事の出来栄えに関して非常

に細やかな反面、必要と思えない事に関して極めて面倒臭がりで無頓着なのである。単に大雑把と呼ぶのも憚られるレベルで。

 そしてその欠点は対人関係にも表れており、優先すべき仕事に関わらない、あるいは関係が薄いと思える相手には、親しくす

るどころか近付きもしない。付き合いがあるのは同期の中でもキノシマをはじめとした数名だけで、同じ部署の同僚たち以外と

数ヶ月会話しない事もざら。人脈を広げようという視座を持てない。

 いわばカイグチは、人も来ない山奥で延々と像を彫り続ける芸術家のような性格と生態をしているのである。

 だから正直なところ、仕事以外の事でも積極的に接して来るシロキに対して、扱いと対応に困る所が多々ある。

 一応自分は上司であり先輩であり、シロキは一緒に働く仲間である。疲労を気遣ったりしてくれている辺りはカイグチでも流

石に察せられるので、お返しに食事を奢ったりもする。

 だが、判らないのである。

 本心を言えば、自分などよりも話題が合う、年齢も近い相手や、世代が一緒の同僚などとつるんだ方が、よほど楽しいだろう

と常々思っている。

「気ぃ使い過ぎなんや、アイツは。ワイなんかに構へんでええ。友達と遊びに行けばええやろ」

 ロップイヤーの呟きに、「気を使っているだけではない、とは考えないのか?」と、キノシマはビール瓶をあおってから問い

かけた。

「なんやて?」

「彼はお前を慕っている。尊敬している。頼りにしている。信頼している」

「綺麗な言葉重ねたかて、それは全部ワイへの気遣いや。アイツはもっと自由で身勝手でええ」

「自由と言うなら、お前が気遣いと受け止めているそれをしているのも、彼の自由だ」

「禅問答する気はないで?」

「勿論、このままこの話題を続けても、当事者不在では蒟蒻問答だ。話を戻すが…」

 キノシマはグビッとビールを飲み干し、席を立つ。冷蔵庫に向かうその背中を目で追ったカイグチは、

「シロキ君は、お前を連れて行きたい温泉の予約を取っていた。なかなか押さえられない人気宿の予約をな」

「なんやて?」

 背中越しに告げられた情報で、流石にカイグチの顔色が変わった。

「…何でハナから旅行やて話をせぇへんかったんや…。知っとったらワイかて、予定ずらせて言わへんかったで…」

「サプライズ計画だったそうだ。いや、俺も又聞きだから詳しい説明はできないが、お前に伏せておくのはシロキ君が思いつい

た事ではなくアオサキの入れ知恵だったらしい。まぁそれで、割と自分にも責任があるからだろうアオサキから相談されてな…」

 マラミュートの落ち度について話す下りは、キノシマも言い難いのかモゴモゴとくぐもった声になっている。冷蔵庫からビー

ルのお代わりを取っている虎を眺めながら、カイグチは呆然としていた。

「シロキもシロキやで…。予定はずらせへんモンやて、ワイに一言…。いや、言わへんな、アイツは…。ワイの仕事の邪魔んな

るて、言いたい事まで飲み込んでまうヤツや」

 ロップイヤーは項垂れ、ビール瓶を握る自分の手をじっと見つめる。

 スパに行こうと誘うシロキ。食事に出ようと声をかけて来るシロキ。おもちゃ売り場の観察に付き合うシロキ。素直な部下の

様々な顔は、こんな時でも笑顔しか思い浮かばない。

 あの時、自分が約束を先送りにすると言ったあの時、シロキはどんな顔をしていたのだろう。目も向けずに自分に言われたシ

ロキは、どんな気持ちだっただろう。

「出来過ぎとるんも問題やな…。もっと我儘言わんかい、まったく…」

 いたたまれない気分で呟く声には、深い悔恨が宿っていた。

 キノシマは無言でカイグチの前にビール瓶を置く。

 カイグチは勘の良さについても商品開発のセンスと流行の察知に全部持って行かれている鈍感具合。しかしそれでいて、おそ

らく本人も実感できていないだけで、シロキに対して好意的である事は間違いない。

「…なんでアイツ、ワイなんかと旅行なんて…。そないな贅沢、仲がええ友達とかとするモンやろ…」

 ボソリと呟くロップイヤーに、キノシマは口を閉ざす。

 答えは判っているのだが、それは自分の口から告げるべき事ではないなと、あえて口にしなかった。説得材料として欠かせな

いので、旅行計画が立てられていて宿も押さえてあった話は伝えなければいけなかったが、シロキの気持ちはシロキだけの物。

介在すべき事柄ではない。

(仲がええ相手がおらへんて事はないやろ。同僚とも上手くやっとる。フットワーク軽いヤツやったら、誘えば二つ返事でオー

ケーするやろ。職場でさえそうなんや、学生時代の友達かて多いはず…。なのに、何で…)

 パキッと音を立ててキャップを回し、薫り高いクラフトビールをグビグビやって、カイグチは思い出した。

 今年の一月、初詣に誘う電話で自分を叩き起こした際に、シロキが何と言っていたか。

『高校大学の仲良い友達、だいたいみんな恋人できちゃったから予定立てちゃってるんです!僕は余り物だからフリーなんです!』

 溌溂とした物言いだったので本人は全く気にしていないようだが、一緒に遊べる友人が少なくなっているのだという事は、今

になって実感できた。

「…余りモン…」

 口の中で呟く。自分も、シロキも、そうである事を気にしていない余り者同士だった。

「サンタクロースは遍在する」

 唐突にキノシマが言い、カイグチは視線を上げた。

「世界中の何処へでも、誰へでも、祝福を配りにゆく。だが、彼にクリスマスの贈り物をするのは、赤い衣装のサンタクロース

ではないだろう」

「………」

 ビール瓶を口元に寄せ、一口軽く含んで飲み干し、虎は続けた。

「誰にならば担えるのか。誰にならば叶えられるのか。誰かを笑顔にするのは難しく、誰かを幸せにするのはもっと難しく、し

かしほんの一握りの喜びを、与えられる者は必ず居る。誰にでも」

 カイグチは無言でキノシマを見つめる。言わんとする事はもう察している。

「仕方あらへんな…」

 大きく息を吸い、それから軽い笑い混じりにカイグチは言った。

「ほな、なってみよか。サンタクロースに」

 

 

 

 そして翌日…。

「シロキ。ちょっとええか?」

「はい!」

 朝、出勤して職場のドアを潜るなり呼ばれたスピッツは、真っすぐに係長のデスクに歩み寄り、「おはようございます!」と

元気に挨拶した。

 「おはよさん」と応じたカイグチの毛艶が良い事に、シロキは気付いた。

(良かった!係長、ちゃんと家に帰ってお風呂に入れたんだ!)

 実際は、キノシマの家に泊められた昨夜、風呂に入るよう強く言われて入浴しただけである。が、入浴剤入りの風呂にも入り、

清潔な布団で休んだので、いつも皮脂と汚れでくすんでいる被毛は、洗ったばかりの縫いぐるみの表面のようにパヤパヤでフカ

フカ。枯れ葉のような匂いもしない。

「シロキ。…あん、な…」

 ロップイヤーは半眼を部下の目に据えて、言い難そうに口をモゴモゴ動かす。

「…クリスマスの件、なんやけどな…」

「あ、はい…」

 耳を少し倒し、元気を失いかけたシロキは、平静を装う。昨夜遅くにアオサキから連絡があった。「もしかしたら、という事

もあるでありますからして、宿の予約は少しキープしておくでありますよ」と。

 しかし、もしかしたらという事はほぼ無いだろうと、楽観的なシロキでも思っていた。キノシマは余計な予定を立てず、急が

ない業務を前倒しにする事は無い。必要だからそうしたのなら、その予定は動かない物だ、と。しかし…。

「あ~…、その、な…」

 カイグチは落ち着きなくボリボリと首の後ろを掻き、言葉を探して視線を彷徨わせる。

 シロキは上司のそんな様子を、珍しい態度だなぁと訝って首を傾げる。

「スケジュール、空けられるわ…。まだ予定ええか?」

「え!?」

 シロキの声が甲高く跳ねて、出勤して来たばかりの同僚数名が何だ何だと目を向ける。

「い、良いんですか?あのでもっ、仕事が詰まっちゃうんじゃ…」

「冷静に考えたら仕事は捌けるし時間は空けられるわ。済まんかったな、振り回してもうた」

 約束の事で影響はない、負担はない、そう印象付けるよう言葉を選んで詫びたカイグチは、

(…いつも笑顔やったけど、違うモンやな…)

 みるみる明るくなってゆくスピッツの顔を眺めながら、そのように感じる。

「はい!それじゃあ予定立てたままにしておきます!」

「ところで、まだ中身を聞いてへんかったな」

「あ!それはですね、ええと…」

 サプライズの事が頭にあったが、もう言ってしまった方が良いような気がして、シロキは声を潜めて告げる。

「人気の温泉旅館が予約できたんです…。それで…」

「泊りか。アホか。そないな事は先に言わんかい。近場に日帰りするんとは訳がちゃうで?」

 知っていながらシロキの口から言わせて、ちゃんと指摘もしてやったカイグチは、「後で資料とかワイにもよこしぃ」と口を

尖らせた。

「はい!メールで公式ページのURL送ります!」

 叱られた事まで含めて嬉しそうなシロキを自分の机に戻らせると、カイグチは顔を顰めてジュースのボトルを握った。

(あないに喜ばれてもうたら、絶対に予定空けなあかんわ…)

 仕事もするし約束も守る。多少忙しいが何とでもできるか、とロップイヤーはデスクトップを立ち上げた。

 

 

 

 そして、街路樹のライトアップが始まり、街全体が煌びやかに飾り付けられ、クリスマスがやってきた。

 週末のイブは人出が多く、夕刻には一層増えて、街角の歩道まで溢れる人ごみが地面も見えなくしてしまう。

 午後七時半。既に夕食も終えた家族連れも増え、帰り足の者も出て来た頃…。

「あ!ゆき!」

 小さなイルカの子が空を見上げ、両側で手を繋いでいる両親も「本当だ」と見上げる。

 雪雲は無い。星が瞬くビロードのような空から、チラチラと輝きながら降りて来る結晶が、無数の光源で四方八方から照らさ

れ、点滅するように反射光を投げかける。

「何か聞こえない?」

「何かって、何が?」

「鈴の音みたいな」

「スピーカーからじゃね?」

 クリスマスソングが流れる街中を行き交う若者達が、そう言い交わすその頭上で…。

「ジングルベール♪ジングルベール♪」

 装飾を纏ったトナカイが一頭、橇を引きながら夜空を駆ける。

 雪のように白い大袋を傍らに積んで橇に乗っているのは大男。赤と白の伝統的な衣装を纏う、デップリ肥えて丸々とした体躯

の虎が手綱を握っている。

 橇が通過した後の、見えない轍をなぞるように、空中から粉雪が生じてチラチラと舞い降りてゆく。

「随分機嫌が良いな?」

 高空の夜風にも流されずに届く声で虎が話しかけると、まるでひとのようにクリスマスソングを歌っていたトナカイは、口角

を上げて笑みを零す。

「それは当然であります!何せ今頃は…」

 

 

 

 時刻は六時間ほど遡る。

 電車が走れば走る程、窓の外では深まる山が、より強く白を帯びてゆく線路。

 間隔が遠い駅の一つは、傾き始めた日差しの中で影を長くする。

 窪地から狼煙のように湯気が上がり、渓谷を凍らずに駆け降りる水が、深みのある水音を遠くまで響かせる。

 風光明媚な山間の、小さな温泉郷。狭いながらも評判が良いそこに降り立ち、日陰の部分だけ雪化粧した山々を眺めながら、

肥ったフレンチロップイヤーが白い息混じりに感想を漏らす。

「ええトコやな。初めて来たで…」

「僕も初めてです!」

 隣に立つスピッツは尻尾を振りながら満面の笑み。

 小さな町だが、土産物屋と食事処を中心にした短い駅前商店街は活気が溢れ、湯治客観光客がそぞろ歩いている。

 駅前から見える高い位置には温泉宿の看板がいくつも掲げられ、いくつかの高層宿はその姿が、壁面の宿名込みで確認できた。

 町を囲む山が風を遮るのか、山の上では雲が駆け足で流れ去るにも関わらず、地表は穏やか。気温は低いものの、足元からし

んしんと這い登るような冷えは無い。

「えーと…。あっちですね!あっち!」

 スマートフォンのマップで方向を確認したシロキが指さす先…、駅前通りを抜けた向こう側を半眼で眺め、カイグチは「ほな

行くか」と部下を促した。

 カイグチは宿の位置を事前に調べ、駅からの道順も記憶し、温泉街の見所マップも頭に入っているのだが、シロキを尊重して

その案内に従う。

「足湯ありますよ!流石は温泉地ですね!」

「せやな。時間はまだあるんやろ?寄り道しながら行こか」

 店頭で売られる湯気立つ温泉饅頭。道行く人々の楽し気な顔。緩く流れる空気には、硫黄泉の香りが混じっている。

 時節を弁えて一応置かれているらしい、ひとの背丈ほどのクリスマスツリーには、温泉街にようこそと、歓迎するパネルまで

吊るされていた。饅頭屋の店頭では、雪だるまの縫いぐるみがサンタの帽子を被って出迎えている。岩魚の串焼きを売っている

店では、カウンターに樅ノ木デザインの小さなオブジェが飾られて…。

「…クリスマスやな…」

「物凄く和風な温泉でもこうなんですね!」

「浴衣着て歩いとるモンも多いのに…」

「ミスマッチのような、これはこれで良いデザインのような…」

「そこは同感や。解離性の均整があるで」

 もはや土着の行事のように定着して楽しまれているクリスマスは、温泉街にも訪れる。当たり前の事なのに、旅先でも同じだ

と知るとふたりも妙なおかしみを覚えた。

「土産物屋でおもちゃ売っとるで。ちょいと覗いてみよか」

「本当ですね!少し見て…あ」

 シロキが急に立ち止まったので、そちらへ歩きかけていたカイグチが慌てて急停止。

「っと…。どないしたんやいきなり?」

「あれ…」

 スピッツが指さしたのは、土産物屋のショーウインドウに並ぶ玩具と、その後ろに張り出されている販売促進用ポスター。

「…うちの商品もあるみたいです…」

「…せやな…」

 シロキ発案のヒット商品が飾られている事に気付き、ふたりはそそくさと店から距離を取る。カイグチは意図的に仕事に絡む

事を避けるべきだと思い直したからだが、シロキの方は…。

「…く、くすぐったくて居心地悪いですね…!」

「慣れとかんとあかんで。でないと、売り場視察のたびに赤面せなあかん」

 照れ笑いしながらモゾモゾ身じろぎするスピッツに、カイグチが先輩として忠告。自分が送り出した商品と売り場で対面する

のは、嬉しいと同時に恥ずかしくもある。だがシロキはこれから何度もヒットを飛ばすのだろうから、慣れていかなければなら

ない。涼しい顔で、無関係を装って、冷静に売り場を見て回れるように…。

 そんな忠告に、スピッツは「え~?」と眉根を寄せた。

「僕がそんなに何回も、あんなヒットを出せるわけが…」

「あるんや。なんせお前は、ワイのお墨付きやさかい」

 カイグチはいつもの表情、いつもの半眼。対してシロキは戸惑い、それから照れ笑いして耳を寝せる。

「役に立ってますか?僕」

「それをワイに訊く辺りがまだまだ未熟やで。若手連中の中で一番の稼ぎ頭や」

 顔は笑ってもいないのに、ストレートな誉め言葉。ぞんざいな口調と飾りの無い態度はいつもと同じなのだが…。

(何だか今日は、係長、ちょっと雰囲気が違う気がする…)

 旅先で環境が違うからだろうかと、シロキは普段との違いについて考え…。

「シロキ」

「はい」

「………」

「………?」

 名を呼んだ上司がそのまま黙ってしまったので、スピッツは小首を傾げ…。

「…誘ってくれて、おおきに…」

 フレンチロップイヤーはそっぽを向き、ボソッと言った。頬が妙に火照るのは、そこの饅頭屋の蒸気が流れてくるからに違い

ないと考えながら。

「…!は、はいっ!僕の方こそ、一緒に来てくれて有り難うございます!」

 盛大に尻尾を振るスピッツと、控えめに丸尾を揺するロップイヤーは、

(係長…、僕が気持ちを伝えたら、どんな顔するかな…)

(プレゼント用意したはええけど、シロキ喜ぶやろか…)

 浴衣姿の旅行客がたむろする通りを抜けて、今夜の宿がある山裾の沢伝いに向かって歩いて行った。

 それぞれ、緊張と期待を胸に秘めて…。

 

 

 

 再び午後七時半。

「今頃は夕食中か、済んだ頃でありますね。シロキさんはきっとやり遂げるであります!メリークリスマス!」

 ご機嫌なトナカイの後頭部を見つめながら、虎は口の端を少しだけ上げる。

(まぁ、今回は珍しく良い働きをした)

 きっかけはどうあれ、アオサキにしては珍しい他者への助け舟。下手にサプライズだと吹き込んで事態を複雑化させた原因で

はあるが、フォローまで含めれば褒めて良い事をしたと、キノシマは評価する。

「温泉で温まっているのでありましょうか?それとも部屋で水入らずでありましょうか?くぅ~っ!羨ましいでありますね!幸

せになりやがれコンチクショウでありますよ!」

 やたらウキウキしているアオサキは、きっと今の自分がこれまでと全然違う事…つまり誰かの幸せを心から祝福してやれてい

る事を、きっと自覚していないのだろうなとキノシマは思う。

「温まって美味い酒に上手い料理、非日常の体験…、憧れるでありますねぇ…」

 鈴の音を引き連れて空を駆けながら、うっとりと零すトナカイ。その後ろで手綱を握る虎は…。

「そうだな、たまには温泉でゆっくりするのも良い。年明けの仕事が一段落したら、有給の消化がてら連れて行くか」

「ふ~んだ!また家族サービスでありますか!」

 プンプンし始めたトナカイが、鼻息をブシューッと白く吹き散らかし…、

「何を言ってる?お前と行くんだ」

「………………」

 キノシマの言葉を聞くなり、真顔になって首をグリンと後ろに向けた。

「おい!前を向け前を!」

「本当でありますか!?」

「本当だ。いいから前を向いて走れ!」

「本当の本当でありますか!?」

「本当の本当だ!前を見ろマンションが…」

「いぃぃぃぃぃぃぃっ…」

 進路に聳える高層マンションの壁が迫る中、トナカイはグッと身を縮めると、

「やっほぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおうっ!」

 歓喜の声を上げながら壁面すれすれで急上昇。夜空へ舞い上がり駆け巡って、喜びが結晶化した奇跡…滑走痕から降る雪で、

大きなハートマークを描いた。

「大好きでありますよフミ先輩!」

「速度を落とせ速度を!」


???(R18)