アパアパちゃん
「誕生日ぃ〜、おめでとさ〜ん!」
赤いリボンがかけられた白い紙箱を両手で持ち、満面の笑みを浮かべている、ぷっくり太った三毛猫の顔を、
「……………」
小屋の戸口に立った赤銅色の巨熊は、無言のまま、細めた隻眼で見下ろした。
巨熊が無表情で無愛想、かつ寡黙なのはいつもの事だが、付き合いの長い三毛猫には、彼がむすっとしている事が何となく
判る。
色鮮やかな赤銅色の被毛に全身を覆われている熊獣人は、身の丈2メートル半はあろうかという巨漢である。
丸太のような太くゴツイ手足に、酒樽のような胴。腹は西瓜でも丸呑みしたようにぽっこりとせり出している。
大きく腹が出ている肥え太った体型ではあるものの、被毛と脂肪の下には相当な量の筋肉が詰め込まれており、胸も腕も肩
も発達した筋肉で盛り上がっていた。
豊かな被毛にもっさりと覆われた首も太ければ、腰もどっしりと太く、手はバナナのふさのように大きい。
どこもかしこも太く大きい大兵肥満の巨熊が身に付けているのは、紺色に染め上げられた特大サイズの甚平と、左目を覆う
真っ黒な革製の眼帯だけであった。
一方で、向き合う猫獣人は、珍しい事に三毛猫でありながら男性である。
こちらも熊に負けず劣らず肥えた体型だが、対照的に背が低く、ずんぐりと短身である。
右耳を中心に茶の円が、左耳を中心に黒の円がそれぞれ目の下まで広がり、頬がプックリ膨れて顎下にもたっぷり肉が付い
ており、丸顔…というよりも下ぶくれの柔和そうな顔立ちをしている。
三毛猫は近所に散歩にでも出かけるような、青いメッシュのタンクトップにハーフパンツ、ビーチサンダルというラフな格
好をしており、パンツの尻から顔を出している短い尻尾は、今は機嫌良さそうに上に向かって反り返っていた。
太った三毛猫…モチャは、むすっと黙り込んでいる巨熊の姿を眺め回し、小首を傾げた。
「…ってアレ?ランゾウはん、まだ寝てはりましたん?」
無言のまま頷いた巨熊…ランゾウは、室内の柱時計に目を遣る。
時刻は朝七時半。
二人の雇い主である烏丸コンツェルンの若き総帥は大学時代の友人達と一泊二日の温泉旅行中であり、女性オンリーの旅行
に同伴が許されなかった今日の彼らは、完全なるオフである。
にもかかわらず、モチャの活動はいつも通りの時刻で開始されていた。
モチャに悪気は無いとはいえ、今朝方までオンラインゲームに興じていたランゾウにとっては、予定外の時間に訪問されて
起床させられるのは、あまり愉快な事ではなかった。
「ゴメ〜ンね?機嫌直してぇ〜な。ホレホレ!ハッピーでスペシャルなプレゼントや!」
両手で箱を頭上に掲げて見せるモチャをじっとりと見つめていたランゾウは、彼が帰るそぶりを全く見せない事から、二度
寝もしばし不可能だと察し、諦めて同僚を部屋へ招き入れた。
部屋中央の囲炉裏を挟んでランゾウと向き合ったモチャは、身を乗り出して持参した箱を突き出す。
「28やね28!もう三十路一歩手前や〜!めでたいめでたい!ほな開けたってぇな!気に入ってくれはるとえぇんやけどぉ」
箱を見つめながら、今言うべきかどうかしばし迷ったランゾウは、やがてポツリと呟いた。
「…明後日」
「へ?」
モチャは目を丸くし、キョトンとする。
次いで日本の絶景十二選壁掛けカレンダーに目を遣り、再びランゾウへ視線を戻す。
「…八日…」
ランゾウが再度呟くと、モチャは耳を倒し、気まずそうに曖昧な笑みを浮かべる。
「あ、あれぇ?…あぁそや、ランゾウはんの誕生日デブの日やったっけ…?ハムの日やなかったわ…。すんまへんなぁ…」
どういう訳か去年は前日に「ハナの日やありまへんでした?」と、その前は一日遅れで「あれ?ハグの日や無かったん?」
と、そのまた前は「ハトの日とちゃいましたっけ?」と、必ず少しずれた日付でプレゼントを貰っている。
覚えられないなら妙な語呂で覚えようとしなければ良いだろうにと思いつつも、しかしランゾウは何も言わず、それで気を
悪くする事もなく、愛想笑いしているモチャから箱を受け取った。
箱の形状からホールケーキを想像しつつ、スルリとリボンを解き、蓋に手を掛けたランゾウは、
「………?」
不意に動きを止めると、モチャの顔を見遣った。
覗うような視線を向けていたモチャは、「はよはよ!」と急かす。
箱の中に入っている物が警戒心を僅かに刺激し、ランゾウは慎重な手つきで蓋を開ける。
直後、蓋が開くなり中から棒状の物が、ひょこっと顔を出す。
ランゾウが無言で見つめている、箱の中から顔を出したそれは、全長50センチにも及ぶ紫色のナマコであった。
箱の中で体を曲げ、円状になっていたナマコは、蛇が鎌首をもたげるようにして顔(?)を上げ、ランゾウに視線(?)を
注いでいる。
首(?)に赤いリボンを蝶ネクタイのように巻いたナマコは、ゆらりゆらりと僅かに横揺れしつつ、しばしランゾウと見つ
め(?)合う。
「ぬふふぅ〜っ!ただのナマコとちゃいまっせ?水陸両用の優れもんで、特殊機能満載の第八種…、って…あれ?」
腕組みしつつ軽く目を閉じ、得意げに解説を始めようとしたモチャは、目を開けると、囲炉裏の向こうからランゾウの姿が
消えている事に気付く。
「ランゾウはぁああああああああん!?何してはりますのぉおおおおおおおおおっ!?」
モチャの口上を聞き流しつつ、箱を手に音も無く立ち上がっていたランゾウは、部屋の角にある石造りの流し場の前に立ち、
まな板と包丁を準備している。
「あかんあかんあかん!食用とちゃいますがな!食ったらあかぁああああああん!」
大慌てで腰を浮かせつつ声を上げたモチャを振り返る、少しばかり訝しげな表情のランゾウ。
「そもそもナマコて毒持っとるのもおるんやから、不用意に食ったらあかんがなぁ!」
「煮る」
「あぁ、確かに煮れば毒も分解されますわな…ってちゃいますがな!」
ランゾウに歩み寄ったモチャは一瞬納得しかけたが、我に返ると肩口にチョップで突っ込む。
「例え食用だったとして、貰っていきなり調理しようやなんて、どない神経してはりますのん!?」
食用であってもなくても、バースデープレゼントに生きたナマコを箱に詰めて渡す神経もいかがなものだろうか?
常識人ならばそうつっこむところだが、ランゾウは特に何も言わず、モチャも自分の行為に疑問など無い。
とりあえず包丁を片付けるランゾウの前では、箱ごとまな板に乗せられたナマコが、怯えたようにフルフルと震えていた。
「…とまぁ、こう見えて危険生物なんですわ。ちょっと特殊な能力持っとりましてな?この手の子はマニア間で高値取引され
てるんでっせぇ」
モチャの説明を右から左に聞き流しながら、ランゾウは目の前の床に置いた箱に視線を向ける。
モチャの話では、どうやら人間にも匹敵する高い知能を有しているらしいナマコは、つい先程朝食としておいしく召し上が
られそうになった恐怖からか、相変わらずフルフルと震えていた。
全身はどぎつい紫。口周りに髭のように生えた細やかな触手はショッキングピンク。触手の先端は深紅。
カラフル…と言うよりは毒々しい色合いのナマコから視線を外したランゾウは、込み上げて来た生あくびを噛み殺す。
食べてダメと言われた時点で、巨熊は既にプレゼントへの興味を無くしていた。
「名前はティーアパアパ。フレンドリーにアパアパちゃんて呼んだってぇな」
「…いらね」
「いやいやそんな喜ばれるとワイも…、っていらへん!?」
驚くモチャに頷いたランゾウは、口元を押さえて大欠伸すると、「寝る…」と一言漏らして腰を上げた。
「ちょ!?待ったってぇな!結構苦労して手に入れたんでっせ?いらんて…!そない簡単にいらんて言われるとワイちょっと
ヘコみますがなぁ!」
誕生日プレゼントに食用でもない生きた高級ナマコを貰っても、おそらく多くの人はへこむのではないだろうか?
常識人ならばそうつっこむところだが、ランゾウは特に何も言わず、モチャも自分の奇行に疑問などさし挟まない。
普段無表情な巨熊があからさまに面倒臭そうな顔をしながら振り返ると、箱を持って歩み寄ったモチャは、押し付けるよう
にして手渡しながら上目遣いになる。
「一日でえぇんですけど、置いたって貰えまへん?それで気に入らんかったら返品して貰うてえぇですから…」
懇願するような表情と口調で訴える三毛猫の指は、箱を押し付けつつランゾウの手に触れている。
モチャのロジカルエクリプス!
「…いらね」
しかしランゾウには効果が無かった!
(あかん…!元々意思がはっきりしとるから効き難いのに、本気でめんどがっとるからサッパリ効果無いわ!)
さりげなく論理侵食を仕掛け、そのまま受け取らせようと企んだ腹黒い三毛猫だったが、預かるのがよほど面倒だったらし
く、確固たる拒否の意思を持つランゾウには作用しない。
「ちょ!?いけずぅ!なら半日!夕方まででええですから!」
「寝る」
「あぁん!じゃあ昼!昼まで!ワイもちょっと出かける用事あるんですわ!帰って来るまででええから預かっといてぇな!お
願いですぅ!」
にべもなく断わるランゾウに、しかしモチャはしつこく食い下がる。
このままではなかなか寝られないと思い、断るのも面倒臭くなったランゾウは、イヤイヤながらも顎を引いて頷いた。
「ホンマ?ホンマに?いやぁおおきに!あ、世話とか要りまへんで?このまま置いたってぇな」
コロリと表情を変え、愛想の良い顔でニコニコ笑うモチャは、
(しめしめ…!作戦の第一段階はとりあえず成功や!たっぷり喜んでもらいましょかぁ…!)
胸の内では計画が上手く行きそうな事を喜び、ほくそ笑んでいた。
モチャが小屋を出て行った後、寝室である奥の間に引っ込んだランゾウは、床に敷いた布団の上にどっかと腰を下ろすと、
傍に重ねてあった分厚い本に手を伸ばした。
予定外の来客が思いの外長居したせいで目が冴えてしまい、眠気が遠ざかっている。
しばし布団の上で過ごし、眠気が戻り次第眠る心積もりであった。
ランゾウの寝室である板張りの十畳間は、壁も板で、頭上では梁がむき出しである。
しかし、その素朴な見てくれとは裏腹に、年中快適に過ごせる造りになっていた。
表向きはランゾウの雇い主である烏丸コンツェルンの若き総帥、烏丸巴は、ランゾウがこの街にやって来た当初は、屋敷内
に部屋をあてがって住まわせようとした。
が、山中深くでの小屋暮らしが長かったランゾウは、豪華な洋室が肌に合わないらしく、どうにも落ち着くことができない。
そこで敷地内の雑木林の中に、以前ランゾウが暮らしていた物に似せた小屋を建てて住まわせる事にしたという経緯がある。
トモエはこの小屋を建造させる際に、ランゾウが過ごし易いようにと、様々なハイテク機器を詰め込んでおり、冷暖房も完
備されている。
しかし、見た目では判らないそれら最先端の機器とは別に、あからさまに周囲から浮いている文明の利器が、この部屋には
ある。
それは、漆も塗られていない木材削り出しの木製の文机上に置かれた、高性能パソコンであった。
任務やトモエの付き添い以外での外出を嫌うランゾウが暇を持て余さないようにと、トモエが用意したこのパソコンは、ネッ
トに接続されている。
もっぱらニュースを見る為にテレビ代わりに使っていた品であったが、最近ではモチャに勧められたオンラインゲームをプ
レイするという新たな用途が加わった。
勧めたモチャ本人も驚いている事だが、ランゾウはそのゲームが気に入ったらしい。
屋敷の使用人であるサキは、気に入った物に延々と執着する性質があるランゾウの出不精が、ゲームに熱中する事で悪化す
るのではないかと心配もしている。
だが、同じくモチャの勧めでゲームをプレイするようになったトモエが状況を見て外に連れて出るおかげで、現在の所は日
がな一日モニターの前を動かないなどという行為には及んでいない。
モチャから貰ったゲームの攻略本を半眼にした右目で読むランゾウから少し離れた位置、板張りの床の上で、箱からののっ
と顔(?)を覗かせたアパアパちゃんが、布団の上にあぐらをかいている小山のように大きな巨熊の背中を見つめ(?)る。
気配を察したのか、ランゾウが首を巡らせて隻眼を向けると、アパアパちゃんは箱の中に引っ込んだ。
「………」
しばしアパアパちゃんが隠れた箱を見つめていたランゾウは、やにわに口を開け、胃の中まで覗けそうな大あくびをすると、
本を放り出して布団の上に大の字になる。
にわかに覚えた眠気に身を任せたランゾウは、程無く静かな、規則正しい寝息を立て始めた。
その様子を、恐る恐るといった様子で鎌首をもたげ、箱から顔(?)を覗かせたアパアパちゃんが、じっと見つめ(?)て
いる…。
一方その頃、屋敷の一室では…。
「バッチリや!ランゾウはんようやく寝ましたな?」
パソコンデスクについたモチャが、身を乗り出してモニターを覗き込んでいた。
三毛猫が凝視しているモニターには、布団の上に大の字になっている熊、その足元側から捉えた画像が映し出されている。
それは、アパアパちゃんの首(?)につけられたリボンに仕込まれている、モチャ開発、三毛猫印の盗撮盗聴用高性能小型
カメラが送って来る映像である。
「ミッション開始や!たのんまっせアパアパちゃん!」
モニター脇のマイクにモチャが声をかけると、カメラが発する微細震動で音声を受けたアパアパちゃんが頷いたらしく、画
面が大きく縦に揺れた。
「ぬふふふふぅ〜!ちょっとフライングやけど、誕生日やから、気持ちえぇ事したってやぁ!」
ほくそ笑むモチャは、ランゾウに近付いてゆくアパアパちゃん視点の画像を食い入るように見つめる。
ランゾウへのプレゼントと称したアパアパちゃん、実は元々、モチャは個人的な目的に使用する為に購入していた。
第八種危険生物に分類されるアパアパちゃんは、性処理のプロフェッショナルとしての特性を備えた合成生物である。
先週、前オーナーである小太りなシベリアンハスキーからアパアパちゃんを譲って貰ったモチャは、その晩には恐るべき性
能を十二分に味わった。
そして、身をもってアパアパちゃんの性能を体験したモチャは、トモエが旅行で不在となる今回のタイミングで、この計画
を思いついたのである。
「ええでっかアパアパちゃん?ランゾウはんなぁ、お嬢はんに義理立てしはって、ソープにも行かんしエロ本も買われへんの。
なもんで溜まりに溜まっとるんやわ。…え?いや、さすがに本人に訊いてへんけど、絶対溜まっとるわ。うん」
画像を食い入るように見つめながら、モチャはマイクを通してアパアパちゃんに話しかける。
「でな、ワイ考えたんや。ワイだけ気持ちえぇ思いして申し訳ないなぁて。ランゾウはんも寂しいやろし、…え?友達思い?
ワイが?いやぁ誉め過ぎやわぁ!照れるぅ!」
あたかも受け答えしているように見えるが、実際にはアパアパちゃんから返事は無く、モチャの独り相撲である。
「さっき茶にこそ〜っと睡眠薬入れたったから、完璧にグッスリやわ。イケイケドンドンでっせ!」
今日のモチャ、やや黒い。
モチャの言葉で励まされたか、おっかなびっくりだったアパアパちゃんの進む速度が上がった事が、画像から判る。
満足気に頷いたモチャは、ズボンのボタンを外し、ティッシュボックスを傍に寄せつつ、だらしなく顔を弛ませた。
「ワイもご相伴さしても〜らおっ!」
この三毛猫、実はバイである。
なお、この事は付き合いの長いトモエもランゾウも、以前から知っている。
ランゾウにモーションをかけた事もあったが、「何や今日寂しい気分やから一晩付き合ってぇな」などとシナを作って誘っ
た所で、身持ちの固い巨熊が首を縦に振る訳も無い。
かつては強引に事に及ぼうとした事もあったが、力ずくでどうこうできる相手でもない。
袖にされ続けて数年…、間接的ながらも、モチャは今回の作戦でランゾウの痴態を拝めるかもしれないとワクワクしていた。
「…画像しっかり撮って、ズリネタにさしても〜らおっ!それに、何かの時に脅しネタにできるかもしれへんしぃ、利用度高
いわぁこの動画!」
今日のモチャ、かなり黒い。
モチャがニヤつきながらモゾモゾしている間に、モニターの映像はだいぶランゾウに接近していた。
丸太のような足を投げ出しているランゾウの顔は、こんもりと盛り上がった腹部に遮られて見えないが、規則正しく上下し
ている腹と微かに聞こえる寝息から、熟睡中である事は判る。
寝苦しかったのか、甚平は片方の紐が解かれ、前側の半分がはだけられていた。
「しめしめ!あれなら狙えまっせアパアパちゃん!ランゾウはんの性感帯はヘソや!ニュルッと行ってクチュクチュしたって
や!」
アパアパちゃんが頷いたらしく、画面が縦にぶれた。
画面はランゾウの太い両脚の間に至り、股の間からこんもりと山になっている腹を見上げるアングルになっている。
アパアパちゃんが太腿から這い上がろうとしたその時、山が動いた。
グバッと上体を起こした巨熊の左手が画面一杯に広がったかと思うと、画像が激しくブレる。
「な、何や!?何が起こっ…」
身を乗り出したモチャは、画面の正面に捉えられた大きな熊の顔を目にし、身を仰け反らせた。
目を閉じたままのランゾウの顔を見つめながら、モチャは理解した。
アパアパちゃんは捕まって、身を起こしたランゾウの顔の高さに吊るし上げられているのだ、と…。
接近を察して半覚醒状態となり、殆ど自動的な対処でアパアパちゃんを捕らえたランゾウは、この時点でようやく薄目を開
けた。
意識が覚醒してゆくにつれて上がって行く瞼の向こうで、訝しげな色が瞬く。
が、瞬時に疑わしげな光を目に宿したランゾウは、右手を伸ばしてリボンを掴み取った。
揺れる画像を映すモニターの前で、モチャは凍りついたように動きを止めている。
やがて、ブレが収まった画像の中から、斜めになったランゾウの顔がじっと見つめて来た。
リボンの中から探り当て、指で摘み取ったらしいカメラを凝視しているランゾウ。
斜めになった画面を、顔を斜めにして見つめながら、
「…ごめ〜んね…?」
モチャがそう呟いた瞬間、ランゾウの目がつり上がった。
ブヅンという音と共に音声と画像が途切れたその瞬間、モチャは椅子を倒してデスクから離れ、財布や車のキーが入ったベ
ストを引っ掴むと、ドアに向かってバタバタと駆け出した。
ドアに飛びつきノブを回して寝室を飛び出し、ダイニングを横切るモチャの耳に、ガシャアンッと、ガラスが割れる音が届
いた。
「は、ははは速いがなっ!速過ぎるがなっ!はよせな…!はよ逃げな…!おぎゃあーっ!」
焦るあまりソファーにぶつかり、足をもつれさせ、ローテーブルに脛を打って悲鳴をあげ、けんけんするモチャの視線の先
で、バガンッと、勢いよくドアが開いて壁にぶつかる。
顔を引き攣らせるモチャの3メートル前方で、隻眼の巨熊が、開いたドアの前に立っていた。
全身を覆う赤銅色の被毛をぶわっと逆立て、体積を膨れ上がらせながら。
むねむねとのたくるアパアパちゃんを左手にぶら下げたランゾウは、右目に険呑な光を灯し、のっしのっしと絨毯を踏み締
め、モチャの前に至る。
ランゾウの顔を見上げ、愛想笑いを浮かべたモチャは、掴んでいたベストのポケットに手を突っ込んだ。
「え、えへへぇ…!チョコバー、食べます?」
ポケットから引き抜いた手に握る菓子を、恐る恐る差し出すモチャ。
三毛猫の手から勢い良くチョコバーをひったくると、ランゾウは指で弾いて封を破ったチョコレート菓子を、ゴリッと一気
に半分齧り取った。
その右目を、モチャから一瞬たりとも離さぬまま。
食べ物で機嫌を取れるレベルではないと今更ながらに察したモチャは、小首を傾げてペロッと舌を出した。
「ご、ごめ〜んね?てへっ!」
残るチョコバーをひと飲みにして紙くずを放り捨てたランゾウは、胸の前に右手を上げ、ゴキリ…と、音を立てて蠢かせた。
ドアが凄まじい音を立てて閉まると、次いで部屋の中から悲鳴が響き始めた。
「ちょっ!ちょっと待ってぇええええ!痛い痛い痛い痛いてゆうとりますやろ堪忍堪忍!…あ、あああ何しはりますのん?ちゃ
う!アパアパちゃんはバイブとかとちゃうからっ!そういう太さやない…ま、ままま待ってぇな!いきなりは!いきなりは勘
弁や!せ、せめてほぐし…、みぎゃぁーうっ!裂ける裂ける裂ける裂けてまう!切れるてホンマに!キッツ!キッツいてホン
マぁ!あ、ああふっ!あんっ!あ、アパアパちゃん!そんな激しくのたうったらアカン…!あひゃ…、あひゃひゃぁ…!」