虎狐恋花 〜サクラチル〜

「おっはよぉ〜!」

元気な、張りのある声を受け、黒い縁取りのある耳がピクリと動く。

夢の世界から引き戻された彼は、薄く目を開けた。

そして寝床代わりのコタツの中から腕を出して背伸びし、胃袋の中まで覗けそうなほどに大きく口を開け、大欠伸をする。

バタバタとせわしない足音が上がり口で聞こえ、勢い良く開かれたドアから、細面の狐獣人が顔を出した。

すらりとした体に浅葱色のシャツと、色の薄い穿き古しのジーンズを身につけた狐は、その安アパートの小汚い部屋には不

釣合いなほどに、整った顔の美男子であった。

「ヒロ〜!起きてる〜!?」

「…今起こされた…」

不機嫌そうに応じて身を起こしたのは、黄色い毛皮に黒い縞模様も鮮やかな、大柄な虎。

上背があるだけでなく幅もある。ガタイが良い、…と言うよりは肥満体型。

肩幅や腕の太さから、十分についた筋肉の量は察せられるが、その上にむちっと贅肉が付いている。

狐とは対照的に、上はタンクトップ一枚、下はトランクスというラフな格好。この格好は彼の寝間着でもある。

ゴミや雑誌、脱ぎっ放しの衣類など、雑多な物で散らかっている居間を見回し、狐は顔を顰めた。

「あいっかわらず汚いなぁ〜…。こんなんじゃいつまで経っても恋人できないぞヒロ?」

「大きなお世話だ…。それで、朝っぱらから何の用だカズ?」

ヒロと呼ばれた虎は、目を擦りながら欠伸を噛み殺した。

「朝っぱらって、もう夕方だよ?」

先にカズと呼んだ狐の視線を追って、壁掛け時計を見た虎は、針が四時を僅かに過ぎた所にある事を確認する。

「休みなんだから寝かせてくれ…。疲れてるんだから寝かせてくれ…。用事が無いなら寝かせてくれ…」

いやに「寝かせてくれ」を連呼しつつ、ヒロは仰向けにごろっと倒れ、目を閉じる。

が、歩み寄ったカズは大虎の出っ張った腹をムニッと軽く踏みつけ、目を開けさせた。

「暇だから夕食作ってあげに来たんだよ。ほら」

カズは少年のような笑みを浮かべ、手に提げたスーパーの袋を掲げて見せる。

袋を押し上げるデコボコはジャガイモ。透けて見えるのは鮭の切り身の入ったパック。上からは大根が顔を覗かせていた。

急に空腹を覚えたのか、カズの足が乗ったままのヒロの腹が、盛大に「ぐぅ〜っ…」と鳴る。

「ニシシ!正直者だなぁ」

睡眠への欲求が食欲に負けたのか、ヒロはもそっと身じろぎして足を退けさせ、決まり悪そうに顔を顰めながら身を起こす。

「待ってて。すぐできるからさ!」

「ああ…」

勝手知ったる友人の部屋。カズは脱ぎ散らかされたシャツやパンツをひょいひょい跨いで狭苦しい台所に向かう。

「うっあ〜…」

流しを覗き込んだカズは、感心しているとも呆れているとも言える、微妙な声を漏らした。

流し台には、洗っていない食器が山積みになっている。三角コーナーにはゴミが溢れ返り、台所の隅に置かれた三つのゴミ

袋には、インスタントラーメンやコンビニ弁当のからが大量に詰め込まれていた。

「一週間前に片付けたばかりなのに…。ってかこのゴミ何食分かねぇ一体?」

首を捻って心底不思議そうに呟きながら、カズは食器をたらいに入れて湯を注ぎ、乾いた汚れを湿らせる。

「今は全然運動して無いのに、ウェイトリフティングやってた頃と食事の量は変わらないもんねぇ。その上レトルトとファー

ストフードにカップ麺漬け、休みの日はグータラグータラとくれば、丸っこくなっちゃうのも頷けるなぁ」

買って来た野菜を慣れた手つきで洗いながら、カズは何処か楽しげに台所から声をかける。

「…ほっとけ…!」

居間から顔を覗かせたヒロは、シャツの下側から手を突っ込み、ボリボリと腹を掻きながら不機嫌そうに応じる。

二人は、大学時代に知り合った友人である。

見た目も性格も趣味も違う二人だが、最初から何故かウマがあい、卒業して社会に出た後もこうして親交が続いている。

出会ってから七年が経った今でも、二人は互いに気兼ねをしない親友同志だった。

やがて、上を片付けたコタツの上に、沢庵と焼き鮭と卵焼き、大根とジャガイモの味噌汁、丼に山盛りになった白い米があ

てがわれると、

「頂きます」

ヒロはパンと手を合わせ、掻き込むように早めの夕食をがっつき始めた。

その向かいで、大虎の分より少なめの同じメニューを、カズはゆっくりと食べ始める。

米とおかずをガフガフと口に詰め込んでいるヒロを見ながら、自分の料理を美味そうに食って貰える事が嬉しくて、カズは

目を細めて微笑した。

「相変わらず、惚れ惚れするような喰いっぷりだねぇ」

「惚れるなよ?」

「冗談。私はヨシノリさん一筋だよ」

冗談めかしてニヤリと口の端を吊り上げたヒロに、カズは軽く肩を竦めてしれっと応じた。



「いい加減コタツしまったら?ずいぶん暖かくなってきたし。もう桜も咲くよ?」

「電源は入れていないぞ?布団代わりにしているだけだ」

夜七時のクイズ番組を眺めながら、二人は同時に缶ビールをグイッと煽る。

カズはこれが一杯目、まだ半分も減ってはいないが、ヒロは既に二本空にし、三本目に口をつけた所である。

「これ判る?」

番組で出題されたあるクイズに、カズがニヤリと口の端を吊り上げた。

メールの着信に気をとられ、一時目を離していたヒロは、顔を上げてテレビ画面を見つめ、

「玉がぶらぶらしている棒を…穴に…入れる…遊び…?」

問題を読み上げ、目を丸くしてしばし黙り込んだ。

「…良いのか?ゴールデンからこんなクイズ流して…」

「答え解った?」

悪戯っぽく笑いながら尋ねるカズに、ヒロはそっぽを向きながら、

「そ、それは…、その…、アレだ…」

しどろもどろに呟くヒロは、番組内で正解発表がおこなわれる寸前である様子に気付き、視線を戻す。

『正解は…』

「…あ?あぁ!なるほど…!」

感心しきりに頷いたヒロに、カズはにやにやしながら、

「何だと思ったのヒロぉ〜?」

「何でも良いだろう…!」

「エッチな事とか考えたんじゃないの?こ〜のムッツリ!」

「な!?ち、違っ…!」

顔が熱くなるのを感じ、ヒロは咳払いをして立ち上がる。

「風呂、入って来る」

「はいな、ごゆっくり〜」

まるで「してやられた…」とでも言うように、ヒロは頭をガリガリと掻きながら浴室に向かう。

彼が立ち去り、一人残った居間で、

「か〜わいいとこあるんだけどなぁ。なんで恋人できないのかねぇ?」

カズはクスクスと笑いながら呟いた。



「おかえり」

風呂から上がってきたヒロに、水に浸けておいた食器を片付けていたカズは、冷蔵庫から出したばかりの良く冷えたビール

を手渡す。

頷くように軽く頭を下げて受け取ると、虎はプルタブを起こして一気に半分近く空ける。

「っぷはぁ〜…!」

満足気に息を吐くと、ヒロは口元をグイッと拭った。それを横目にしたカズは口元に笑みを浮かべる。

「ニシシっ!おっさんくさいなぁ!」

「ほっとけ…!」

可笑しそうに笑うカズに渋面で応じると、ヒロは居間に戻ってテレビをつける。

鼻歌交じりで食器を洗っていたカズは、ふと思い出したように手を止め、布巾で手を拭ってから携帯を取り出した。

「………」

無言で小さな画面を見つめるカズの顔は、それまでの明るい表情とは打って変わり、寂しげに沈んでいる。

「どうしたんだろう…、ヨシノリさん…」

呟かれた声は、切なげな響きを伴って掠れていた。



洗い物を片付け終えて居間に戻ったカズは、仰向けにひっくり返り、「くか〜…」と寝息を立てているヒロを見て目を丸くした。

「あれだけ寝たのに、ま〜だ寝足りないのかねぇ…」

だらしなく口を半開きにして寝こけているヒロの脇に屈み込むと、カズは肉が付いて膨れた頬を指先でつつく。

「お〜い。ちゃんと布団で寝なきゃだめだぞぉ〜?」

「んがぁ〜…」

「そんな無防備だと襲っちゃうぞぉ〜?」

「ぐがぁ〜…」

「良いのぉ〜?」

「んごぉ〜…」

声をかけるたびに返事をするように、太い尻尾が面倒くさそうに床を叩く。

捲れたタンクトップから覗く丸い腹をぼりぼりと掻き、無防備に大の字で寝ている大虎の顔を見下ろしたカズは、

「ホントにゲイに偏見無いんだろうねぇ。大概は不必要なまでに警戒されるものなんだけどなぁ」

そう呟いてヒロの寝顔に親しげに微笑みかけ、湿った鼻を指先でくりっと軽く押す。

寝室から運んできた毛布を大虎に被せ、テレビを消して火の元を確認すると、

「お邪魔しました。お休みヒロ」

「んがぁ〜っふ…」

玄関で靴を履いたカズは、返事をしているようなヒロのいびきにニッコリ微笑んで、ドアを閉め、合鍵で施錠した。

灯りを抑えられた部屋に一人、ポツンと残されて眠り続けるヒロは、

「おやふみぃ〜…、カズぅ〜…」

かなり遅れて、寝言で返事をしていた。



それから数日後の夜。

勤務帰り、いつものように最寄りの駅を出た大虎は、下からライトに照らされる満開の桜を見上げた。

駅前の一本桜は、一年の内、花の咲くこの時期だけライトアップされている。

幻想的に闇に浮かぶ、その桜の姿を見上げ、ヒロは僅かに顔を顰めていた。

嫌いという程でもないのだが、ヒロは桜があまり好きではない。

一斉に咲き誇り、そして幻のように儚く、短期間で散ってしまうその様に、寂しさと強い不安を感じてしまう。それが好き

になれない理由だ。

狂ったように乱れ咲き、儚く散る淡い桃色の花…。それがまるで、人の生を暗示しているようだと、彼は感じている。

色褪せたジャージの上下に、履き潰れる寸前のスニーカー。前を開けたジャージの下からは、シャツを押し上げて出っ張っ

た腹が突き出している。

そんな格好な上に、顔は不機嫌そうな仏頂面、おまけに大柄なヒロを、周囲の人々は少し距離を開けて避けて行く。

少しの間桜を見上げた後、ヒロはのっそりと歩き出した。寝床である安アパートに戻るために。



夜九時のニュースを見ながら夕食のコンビニ弁当とカップ麺を平らげ、一息ついたヒロは、ジャージを居間に脱ぎ散らかし、

風呂場に向かう。

ぴっちり締って肉に食い込んでいたトランクスのゴム跡が痒いのか、しきりに腰周りをボリボリ掻いている様子がいかにも

だらしない。

ヒロが脱衣場のドアを閉めると同時に、コタツの上に置かれていた携帯が振動を始める。

しかしこの時はまだ、ヒロはそれに気付けなかった。



シャワーで汗と埃を洗い落とし、小さな鏡に映った自分の体を見る。

椅子に座った時に顔の前に来る高さの鏡には、立っている彼からは自分の腹しか見えない。

しばらくじっと、鏡に映った腹を見つめると、ヒロは縞模様の無い白い毛に被われた腹を擦る。

「…こんな出てたっけか…?」

困惑交じりに呟き、ちょっと摘んでみると、滑らかな毛皮ごとブニッとした贅肉が、…摘むというよりも掴めてしまった。

「…む…」

やや焦りを感じたものの、

「まあ、そのうち何とかしよう…」

と、ヒロはいつものように問題を先送りにし、体を縮めて浴槽に浸かる。

体格が良く、しかもここ数年で一気に太ってしまった彼にとって、この浴槽は狭苦しいものではあったが、魅了的な家賃か

らすれば文句は言えない。

ヒロが彼好みのぬるめにした湯加減を楽しんでいるその頃、居間のコタツの上では、彼の携帯がまだ、振動を続けていた。



冷蔵庫から出したばかりの缶のタブを起こし、喉をゴッゴッと鳴らして冷えたビールを胃袋に流し込むと、

「ぶはぁ〜っ!」

と、ヒロは幸せそうな顔で息を吐き出した。

タンクトップに青と白の縦縞トランクス。手には缶ビール。そして出っ張った腹。

見た目からしておっさんくさいが、これでも一応、今年の誕生日が来て26歳だったりする。

太って顔自体が丸い事もあり、笑みを浮かべると、ヒロの目は消えそうに細くなる。

笑えば印象が良くなるのに、普段から仏頂面だから損をしている。というのが友人達の見解だ。

あっという間に缶ビールを一本空け、新しい缶を取り出したヒロは、居間のコタツの前にどすっとでかい尻を下ろし、テレ

ビを見ようとリモコンに手を伸ばした。

そして、リモコンの隣で、携帯が着信を示すランプを点灯させている事に気付き、手を伸ばしたまま軽く眉を上げる。

手に取り、折り畳み式の携帯を開いてみると、着信履歴には馴染みの名前が表示されていた。

「…カズ…?」

見れば、着信の表示はちょうど彼が入浴していた時間を示していた。

ヒロはリダイヤルをかけ、携帯を耳に当てる。

接続までの僅かな時間を置き、コールが始まると同時に、ヒロはピクリと耳を動かした。

聞き慣れた着信メロディーが、玄関の方から聞こえていた。

電話にはまだ、誰も出ない。が、メロディーは確かに聞こえる。

ヒロはがばっと立ち上がると、足早に玄関に向かった。

素足でコンクリートのたたきに降り、ドアの鍵を外して押し開ける。

聞き慣れた着信メロディーは、今もなお彼のすぐ傍で鳴り続けていた。

首を右に傾けて下を見下ろすと、ドアの横、アパートの通路の壁に背を預け、床に腰を降ろし、手足を投げ出して項垂れて

いる狐獣人の姿があった。

メロディーを奏でる携帯を握り締めたカズの右手は、冷たい床に力なく放り出されている。

「カズ?」

呼びかけて屈み込んだヒロは、その匂いに気付く。

ウィスキーか何か、鼻の奥に残るような、甘みのある濃いアルコールの匂い。そして、吐しゃ物の鼻を突く酸っぱい匂い。

見れば、浅葱色のシャツの胸元が湿り、そこから異臭が漂っている。

「おい。おいカズ!」

屈み込んだヒロに揺り動かされると、目を閉じていたカズは、小さく呻いて薄く目を開けた。

「あ、おはよぉ〜…、ひろぉ〜…」

ろれつのおかしい、間延びした声でそう言うと、カズは焦点の合わないぼんやりした目に、ヒロの顔を映して笑う。

かなり酔っている。その事にヒロは違和感を覚えた。

大して酒に強くないカズが、こんな状態になるまで酒を飲んだ事など、ヒロが覚えている限り一度も無かった。

「どうした?…は後で良いな…。とにかく上がれ、風邪引くぞ?」

「良ぃんですよぉ〜。風邪引いちゃったってぇ〜。肺炎になっちゃったってぇ〜。死んじゃったってぇ〜。だぁ〜れもぉ〜、

困ったりなんかぁしないからぁ〜…」

へらへらと笑うカズの顔を見ながら、ヒロは違和感がますます強くなるのを感じていた。

酔っているといえばそれまでだが、付き合いの深い間柄だからこそ、その決定的な違和感に気付けた。

普段のカズの笑みとは決定的に違う、自虐的な笑み。

間違いなく何かあった事を察しつつ、ヒロはカズの腕を掴み、肩を貸して少し強引に立ち上がらせる。

自分より20センチばかり背が低いカズを、半ば引き摺るようにして部屋に引き入れると、夜遅い事もあり、ヒロは周囲を

気遣って静かにドアを閉める。

汚れて薄暗い光を投げかける蛍光灯が照らす、無人のアパートの通路に、カシャンッと、鍵の閉まる渇いた金属音が響いた。



酸っぱい匂いを放つシャツを脱がされ、ブカブカのトレーナーを被せられる間、カズは無言でされるがままになっていた。

「ほら」

コタツの前に座り、無言で項垂れているカズの眼前に、ヒロの大きな手がウーロン茶を注いだコップを置く。

おずおずと手を伸ばし、コップを掴んだカズは、ウーロン茶をちびっと飲み、「ひっく…」と、小さくしゃくり上げた。

カズは、自分に助けを求めに来た。ヒロにはそれが判っている。

だが、話をするように促すべきか、それとも話し出すまで黙って待つべきか、その判断がつかなかった。

居心地の悪い沈黙の中、何度目かコップに口をつけた後、カズはやっと口を開いた。

「…ふられちゃった…」

もしかしたら、そうなのかもしれない。

通路で伸びていたカズの様子を見た時から、薄々、ヒロはそう感じていた。

最近、恋人がそっけない。そうカズがポツッと漏らしていたのを覚えていたから。

「どうしてだ?」

慰めの言葉もすぐには思い浮かばず、そう聞くのがヒロにはやっとだった。

「さぁねぇ…。飽きられちゃったのかなぁ…」

カズは自嘲するように口の端を歪め、小さく笑った。

カズの恋人は大学で二つ上の先輩だったコリー犬。ヒロも良く知っている相手だ。

カズと、ヨシノリという名のその先輩は、スタイルも顔も良く、大学でも女の子に注目されるコンビだった。

二人が同性愛者だという事は、仲間内の一部でしか知られていない秘密。ヒロもまた、その秘密を知る者の一人である。

片や兄のように慕い、片や弟のように大事にする。仲が良い、お似合いのカップルだと、誰もが思っていた。

コップの半分ほど残っていたウーロン茶をグイッとあおって空にすると、

「ははは…。あんまりベタベタまとわりつくから、ウザくなったのかもね」

カズは自嘲するようにそう呟いた。そしてとろんと細くなった目でヒロを見遣る。

「ヒロだってそうなんでしょ?ほんとは、私の事ちょっとウザいと思ってるよね」

「まぁ少しは。…い、いや!思っていないぞ全然!」

正直に頷いてから「しまった!」と思い、慌てて否定したヒロに、カズは「ニシシ!」と笑う。

「正直だなぁヒロは。まぁ、ほんとにちょっとしかウザくないみたいだね」

「だからウザいなどと思っては…」

鼻の頭を太い指先で擦り、困り顔になったヒロの言葉を遮るように、カズは大きくため息をついた。

「…好きだったんだ…」

ぽつりと漏れた切ない声に、ヒロは友人の細い顔をじっと見る。

「この人となら、何処にでも行ける…。何だってできる…。そう思ってた…。やっとまた、家族ができたって、そう思ってた…」

細く突き出たマズルの左右を伝ったカズの涙が、ぶかぶかのトレーナーに落ち、沁みていく。

「…また…、なぁ〜んにも…、無くなっちゃったぁ…」

泣き笑いの顔で呟くと、カズは「ヒクッ!」と、大きくしゃくり上げた。

「無くなってなど…」

慰めようとしたヒロは、言葉を切った。

カズは膝立ちになって前ににじり出ると、大虎の胸にぼすっと倒れこむ。

「…好きだったんだぁ…。こんなに好きだったのにぃ…、どうしてぇ…?」

しゃくり上げる狐の細い体を、ヒロは無言のままぎゅっと抱き締める。

生まれてこの方モテた事もなければ、誰かと付き合った事も無いヒロには、恋人との別れがどれほど辛いものなのか、実感

はできなかった。

それでも、カズの深い悲しみと絶望、そして苦しさと寂しさは、痛いほどに伝わってくる。

本人達が腐れ縁と呼んではいても、七年かけて育まれたそれは、やはり強い絆である事に変わりはないのだから。

「なんにも無くなったとか…、哀しい事、言うなよ…」

ぼそぼそと耳元で呟かれた言葉に、カズは顔を上げる。

「俺は、まだこうやってここに居るだろう?」

自分を見上げるカズの頭の上に、ヒロはポンっと、大きな手を乗せる。

「俺は、傍に居るから…」

くしゃくしゃっと頭を掻き乱されたカズは、大きくしゃくり上げると、ヒロの柔らかい胸にぼふっと顔を埋める。

「あり…がと…」

「ん…」

くぐもって掠れた礼の言葉に、ヒロは照れたように天井を見上げ、小さく頷いた。

「ん、んうぅっ…!」

カズは体を震わせ、呻き声を漏らし、

「泣け泣け、遠慮無く全部出し切ってすっきりしろ。な?」

ヒロはその背を優しくさする。

「う、うぅぅうっ!…うぇぼろろろろっ!げぼろろろろっ!えぼぉおおろろろっ!」

「うぎゃぁあああああああああああああああああああっ!?」

悪酔いに加えて背中をさすられ、カズはヒロの言葉通りに、遠慮無く全部出し切った…。



「ごめんねぇ…」

「…気にするな…」

浴槽に浸かり、膝を抱えて項垂れながら謝ったカズに、胸と腹にシャワーをあて、入念に洗い流しながらヒロが応じる。

濃いアルコールと酸っぱい匂いは完全に落ち、浴室にはボディシャンプーの香りが満ちている。

泡が完全に流れ落ち、シャワーを止めたヒロは、床にどすっと腰を降ろすと、カズに背中を向ける体勢でヘリに腕をかけ、

浴槽に寄りかかった。

「かっこ悪いトコ、見せちゃったね…」

「俺を見ろ。生まれてこの方格好良かった事なんて一回も無いぞ」

「…そんな事、無いと思うけどなぁ…」

苦笑いして呟いたカズは、身を乗り出し、甘えるように、ヒロの肩に後ろから顎を乗せた。

「…ありがとね…」

「ああ…」

消え入りそうな小声の礼に、ヒロは小さく頷く。

天井から落ちた水滴が大虎の鼻を叩き、細かく砕けて湯気の中に溶け込んだ。



「泊まっていけ」

風呂上り、比較的小奇麗なものを見繕った着替えをカズに突き出し、ヒロは言葉少なにそう言った。

「え?でも…」

「良いから」

遠慮する狐の手に強引に着替えを押し付けると、ヒロは寝室に向かい、

「…掃除しときゃ良かった…」

小声でぼやきながら、乱れまくったベッドを整え始めた。

ろくに掃除もしていないベッドは、大虎の体臭が深く染み付いている。

「良いよ。私はコタツで寝るから…、ヒロがベッドで寝れば…」

後ろから顔を出したカズはそう言ったが、ヒロは、

「風邪引くからダメだ」

と突っぱねる。

「自分はいつもコタツで寝てるのに?」

「俺はデブだから平気なの!脂肪の力をなめるなよ?」

半分ヤケになってヒロが言うと、カズは堪え切れずに「ぷっ!」と吹き出す。

「…ねぇヒロ…」

「うん?」

ベッドを整える手を休めずに聞き返したヒロは、背中にふわっと抱きつかれ、動きを止める。

「…抱いてって言ったら…、抱いてくれる…?」

「…!!!」

絶句し、硬直したヒロの背から、カズは素早く身を離した。

「あはは!冗談冗談!」

振り向いたヒロは、笑みを浮かべているカズの顔をじっと見つめる。

驚いていないと言えば嘘になる。困惑していないかと聞かれれば否定できない。

これまでにも何度か、からかい混じりの冗談で「男同士のエッチしてみる?」と訊かれた事はあった。

だがヒロは、今回のそれに限ってはただの冗談ではなく、いくばくかの本音が混じったものだという事を、その不安げな声

から感じ取っていた。

抵抗はもちろんある。戸惑いも大きい。

ヒロにはこれまで「そういった事の経験」が無い。つまり童貞なのである。のみならず、相手が男となれば尻込みもする。

カズにしても完全に酔いが冷めている訳ではない。傷心で自暴自棄になっている部分もある。断っても問題は無い。…はず

だった。

(…今はまだ気を張ってるが…。こいつ、本当は見た目ほど…)

気まずそうに半笑いの顔を逸らし、視線を泳がせているカズを見ながら、ヒロは思う。

付き合いが深いからこそ、カズの精神状態が、見た目ほど平静ではない事が、大虎にははっきりと判った。

両親を早くに、立て続けに病で亡くし、身寄りも無いこの親友が、心の内では他者の情を、深い繋がりを強く求めている事。

親しい者との離別を、極端なまでに恐れている事。

周囲を盛り上げる常々の明るい振る舞いも、単に生来の性格というだけでなく、寂しさと不安を心から追い出すために身に

付けた習性だという事。

カズが隠している。あるいは自分でも気付いていないそれらの事を、ヒロはずっと前から察している。

(今、一人にされたら…、誰にも手を差し伸べて貰えなかったら…、こいつは、どうなるんだ…?)

そう考えると、ヒロはとたんに怖くなった。孤独。寄る辺も無い完全なる孤独。甘えん坊で子供っぽい親友が、たった一人

で部屋に閉じこもり、昼も夜も無く膝を抱えて蹲り続けている様子が、脳裏に思い浮かんで…。

不安、戸惑い、哀れみ、そして情…、様々なものが胸中で渦巻き、しばし葛藤した末、

「…俺、間違いなく下手くそだぞ?それでも良いのか?」

ヒロは頭をガリガリと掻きながら、そっぽを向いてそう言った。

「…え…?」

一瞬自分の耳を疑い、カズは大虎の顔をまじまじと見つめる。

「…お前が…リードして、くれるなら…だが…、やってみるか…?」

そっぽを向いたままゴホンと咳払いしたヒロに、

「い、良いの…?」

カズは戸惑いながら尋ねる。

「…ああ…」

恥かしそうに視線を逸らしたまま、ヒロは頷く。歩み寄ったカズは、その厚い胸にぽふっと体を預けた。

胸に頬ずりする華奢な狐の体を優しく抱き締め、背を擦るヒロ。

申し訳なくて、気遣いが嬉しくて、大虎に抱きついたまま体を振るわせるカズ。

二人は無言で立ったまま、そのまましばらく抱き合っていた。



カチャカチャと、暗い寝室に音が響く。

床に膝をつき、ぎこちない手付きでカズのベルトを外したヒロは、顔を見上げて「良いか?」と目で問う。

すでにブカブカのトレーナーを脱がされ、細くしなやかに締った上半身をあらわにしているカズは、

「…ん…」

恥らうように目を細め、それでも微かな笑みを浮かべて、小さく頷いた。

ヒロの太い指がジーンズのボタンを外し、ジッパーを引き下げる。

既に盛り上がっている股間が、前が開いたジーンズから、トランクスの生地を押し出した。

女はおろか、男同士でこういう事をした経験のないヒロは、緊張で喉をからからにしつつ、ゆっくりとジーンズを下ろしに

かかる。

いつもの面倒臭がりでぞんざいな態度はどこへやら、おっかなびっくり、おどおどとズボンを下げるその仕草に、カズは口

元を綻ばせた。

「…パンツ…も…下ろすぞ…」

少し掠れた声で言ったヒロに頷いたカズは、軽く息を吸い込んだ。

ゴムに手をかけ、広げながら降ろすと、トランクスは勃起した逸物に一度引っかかる。

「んっ…!」

「あ!す、済まん!痛かったか?」

勃起した逸物がゴムに引っかかって、苦しげな声を上げたカズに、ヒロはおろおろと謝る。そして改めて、ゴムを手前側に

引っ張りながら引き降ろした。

屹立した股間にさえ気をつければ、トランクスはほとんど抵抗無く、カズの細い脚をすんなりと降りて行く。

狐は自分の手で尻尾を掴み、トランクスの尻側の穴からそっと引き抜いた。

たどたどしい手付きで作業をするヒロは、そこまで気が回っていない。彼にしてみれば何もかもが初めて、事に及ぶ前にこ

れだけで大仕事であった。

膝立ちのまま、大虎は眼前でそそり立つ男根を見遣る。

長い付き合いとはいえ、勃起した状態をまじまじと、しかもこれほどの近距離から見つめるのは初めての事だ。

硬くそそり立った狐の男根は、おそらくは平均サイズだと目星を付ける。

(長さはやや負けてるが…、俺の方が大幅に太い…。体積で言えば勝ったな)

そう考えつつも、明らかに「負けた」と感じている部位があったりもする。

充血して赤い亀頭の先からは、すでに液が漏れ、つつっと一筋伝い降りている。

そこで改めてヒロは気付く。

(…こいつ…。俺が相手でも勃起してる…?…つまり、興奮…してる…?)

無言でまじまじと自分の股間を見つめているヒロを見下ろしながら、カズは弾みそうになる息を必死に整えた。

(恥かしい…。なんだってヒロ、こんなにじっくり見てるんだろう…?)

股間を見れば抵抗を感じるのではないだろうか?そう考えていたが、ドギマギしている様子こそあれど、ヒロの顔には嫌悪

感が見られない。

付き合いが長いせいか、機嫌が良い時や何かに興味を示している時は、カズにはすぐに判る。

いつも仏頂面のヒロの顔に、今は驚きと好奇心が強く浮かんでいるのが、はっきりと見て取れた。

そして、カズはその事に気付く。

(見られてるだけなのに、なんだか私、興奮して来てる…?)

ヒロの返事は嬉しかった。だが、それが傷付いた自分を労っての気遣いで、ヒロ自身が心底望んでいる事ではないという事

は、酔いが抜け切っていないカズにも理解できている。

だからこそ、ヒロが嫌そうな素振りを少しでも見せたら、すぐにも中断しようと思っていた。

だが、カズは気が付いた。今、自分は本心から、ヒロを求めているという事に。

甘えているのだとは思う。傷付いているから慰めて貰いたいのだと思う。

それでも、決してそんな心情から出ているだけではない何かが、胸の中で燻っているのが判った。

(ああ…、そうだったんだ…)

何故、恋人が居ながらも、だらしないヒロの世話を焼きにちょくちょくアパートにやってきていたのか。

あまりにも自然に繰り返され、日常になり過ぎて、これまで考えもしなかったその疑問。

その答えは、ずっとずっと昔から、カズの胸の奥深くに仕舞い込まれていた。

(そうか…。私は、本当はずっと前から、ヒロの事も好きになっていたんだなぁ…)

別れ話を切り出される際に、恋人に言われた言葉の意味が、ようやく判った。

「一緒に居ながら、心は離れている」

ああ、その通りだな。と、今のカズには納得できた。

自分の心はきっと、恋人と一緒に居るその時も、このがさつでだらしない親友の元に飛んでいたのだろう、と…。

カズはふっと笑みを漏らし、ヒロの顔を両手でそっと挟んだ。

「…か、カズ…?」

一瞬ピクッと体を震わせ、戸惑ったように自分を見上げるヒロに、カズは微笑みかける。

「本当に、嫌じゃない…?」

「…あ?あ、あぁ…。思っていたより…平気だ…。…心臓が…バクバク言ってる以外は…」

顔を覗きこみながら尋ねたカズに、ヒロはドギマギと応じる。

ヒロの胸中でも、複雑な感情が渦巻いていた。

頭の中で、「常識」が抵抗を示す。

胸の中で、「情」が受け入れようとする。

腹の中で、「欲」のようなものがのたうつ。

(俺…、たぶん、大丈夫だな…)

受け入れるまでは少々の覚悟が必要だった。だが、一度心を決めてしまってからは、抵抗は驚くほどに薄れていた。

「…お、俺も…脱ぐ、な…?」

自分の両頬に当てられたカズの手を、そっと掴んで離させると、ヒロはゆっくりと腰を上げ、

「私が、脱がせるよ」

予想もしていなかったカズの言葉に、中腰のまま固まった。

縞々の尻尾がピンと天を突き、毛が立ってボフッと太くなる。

「い、いいいいいや良い!自分で脱ぐ!」

慌てた様子で言ったヒロに、カズはニヤ〜っと、人の悪い笑みを向けた。

「えぇ〜?ずるいよぉ〜!?自分は脱がせたくせにぃ!」

「い、いやそれは…」

「はい!立って立って!」

カズに促されたヒロは、諦めた様子でしぶしぶ立ち上がる。

脱がせると言っても、ヒロはタンクトップにトランクスという格好。カズはまずタンクトップの裾を掴む。

困ったように照れたように、眉尻を下げているヒロの顔を見上げ、カズは「ニシシッ!」と笑って目で催促した。

諦めたように、ヒロは太い両腕を真っ直ぐ上に上げた。

何とも情けない表情で万歳したヒロのその格好が、まるで降参のポーズにも見え、カズはまた小さく吹き出す。

するするっと捲り上げられ、上に抜かれたタンクトップの下から、ヒロのたるんだ体が現れる。

脂肪の乗った垂れ気味の胸の下に、丸くむっちりとせり出た腹。

縞模様の無い腹と胸は、手足の内側と同じように白い。

「照れ顔もかわいいよ。ヒロ」

無言のまま、恥かしそうに視線を背け、そっぽを向いたヒロに、カズはくすっと笑いながら言った。

「からかうな…」

「からかってなんかないよ〜。さ、次は下ね?」

カズはプヨンと垂れた腹の下に手を入れ、ピンと張ったトランクスのゴムに指を掛ける。

緊張と恥かしさからガチガチに硬くなっているヒロは、視線を天井に向けて硬直し、もはやされるがままだった。

ズズッと、太い腰周りからトランクスがずり下ろしながら、カズは背中側に手を回し、尻側の穴にはまったままの太くて長

い尻尾を引き出す。

やがて、トランクスは膝まで下ろされ、股間のモノがあらわになる。

勃起はしていない。というよりも、緊張と不安からか、玉まですっかり縮こまっていた。

「相変わらず太くて可愛いねぇ」

カズの笑い混じりの言葉に、ヒロはカーッと顔が熱くなった。

太い。それは自他共に認める所だ。長さこそ平均にやや届かないものの、太さの点で言えば立派なものである。…が…、ヒ

ロのその太い逸物は、先端まで皮を被っている。

重度の仮性包茎。それが、ヒロが自分の逸物に感じている最大の不満であった。

「…で、つ、次は…?」

恥かしげに、そして焦っているように先を急かすヒロに、カズは微笑する。

「まずはそうだねぇ…。そのガチガチになった体をどうにかしなくちゃね」



ベッドの上にあぐらをかいたヒロの前に、カズは正座して向き合った。体格差がある二人は、こうする事で顔がほぼ同じ高

さになる。

「嫌だったらすぐに言ってね?無理する事なんてないんだから…」

「ああ…」

断りを入れたカズに頷き、ヒロは深呼吸をする。

拒絶するつもりは無い。拒絶したらさらに傷つける。

途中でやめる程度の覚悟しかないのなら、初めから行為を促すべきではない。

今から止めるなどと言い出せば、いたずらに傷つけるようなもの。ヒロはそう考えている。

いつも不機嫌そうな仏頂面で、がさつで大雑把で、面倒臭がりでだらしなくとも、本人すら自覚していない事だが、ヒロは

優しい。

不器用さゆえに、その優しさを判り易く前面に出せていないが、全ての考えと行動の根底には温かな情が根ざしている。

長く付き合えば判ってくる、その素朴で控えめな優しさが、カズはとても気に入っていた。

決して押し付けがましくは無い、黙って傍に居て癒してくれる、不器用ながらも心地良い優しさが…。

カズはそっと手を伸ばし、ヒロの胸に触れた。ピクンと体が動き、大虎のたるんだ腹が揺れる。

カズのしなやかで細い指は、ゆっくり、やさしく、肉の乗った胸を揉み、擦る。

最初こそ身を硬くしていたヒロだったが、カズの慣れた手付きでの愛撫を受け、

(…思ってたより、抵抗ない…。いや…むしろ…)

トロンと、心地良さそうに目を細めた。

体の硬さが取れた事を感じると、カズはそっとヒロの首に右手を伸ばし、うなじから喉元までをくすぐった。

(気持ち…良い…)

大虎は呻くように喉を鳴らし、その愛撫を受け入れる。その間にカズの左手はヒロの乳房を探り、乳首を軽く摘む。

「んっ…!」

他者に乳を弄られるのも初めての事だった。軽く乳首をつままれただけで、震えが来るような快感を覚える。

「か、カズ…。俺…」

上気し始めた顔で、ヒロはカズを見つめた。

「俺…、興奮…、して来た…、かも…」

カズは手を止め、すっと視線を落とした。

あぐらをかいたヒロの股で、ゆっくり、ゆっくりと、ソレが体積を増している。

ヒロは自分の股間に視線を向け、驚き、困惑しているような表情を浮かべていた。

(ヒロ…。かわいい…)

カズはぽーっと頬が温かくなるのを感じながら、ヒロににじりより…、

「…んっ…!?」

その唇を素早く、そしてそっと、やさしく奪った。

初めて他人と唇を重ね合わせたヒロは、目を丸くしたまま、口の中に侵入した舌の動きに心を奪われる。

しばしされるがまま、舌で口の中を掻き回され、呆然としていたヒロの頭の中で、何かが切れた。

友人同士という遠慮。男同士だという抵抗。これまでの自分が認識していた常識。それらが一瞬で吹き飛んだ。

太い両腕を広げ、か細い狐の体をガバッと抱き締めると、ヒロは自分から舌を伸ばし、カズの口の中をまさぐった。

固定観念という名のタガが外れた今、ヒロは理解した。自分もまた、この親友の事を好いていたのだと…。

「んっ、うっ…!」

きつく抱き締められたカズの口から、くぐもった声が漏れる。

必死さが滲み出るその抱擁と口付けに、カズは嬉しそうに目を細めながら身を委ねた。

ややあって、口を離したヒロは、ごくりと唾を飲み込み、カズの顔をじっと見つめた。

「カズ…、俺…、…ぼ、勃起した…」

「真顔で言うかなぁ?そういう事…」

カズは苦笑しつつ、ヒロのまたぐらを覗き込む。

「でも、嬉しいよヒロ…。私でも勃ってくれるんだ?」

勃起して少し皮がめくれ、露出した亀頭を、カズの細い指先がつつく。

小さく「うっ…」と呻いたヒロは、恥かしげに顔を歪ませながら、再びぎゅっと、強く、カズを抱き締めた。

「抱いて…、良いんだな?本当に…?」

「うん…。抱いてくれるなら、嬉しいよ…」

「しつこいようだが、初めてだから絶対に下手くそだぞ?たぶん、満足させてやれないぞ?」

「良いよ。ヒロが童貞くれるなら、それだけでもう満足…」

「………っ!!!」

嬉しそうなカズの呟きに、ヒロは恥かしさのあまり、太った体を震わせて息を止めた。



仰向けになったカズの首筋を、ヒロの舌が舐め上げる。

ゾクゾクするその感触に、狐はしなやかな体を僅かに捻る。

のし掛かるように覆い被さったヒロの口は、首筋から肩、鎖骨、胸へと降りて行き、硬くなった乳首を舌先が転がす。

「んっ…!」

乳首に軽く歯を立てられ、カズは走った快感に小さく喘いだ。

「痛かったか?」

「ううん…、上手だよ、ヒロ…。初めてにしては凄く…」

胸から顔を上げ、少し不安そうに問い掛けたヒロに、カズはとろんとした顔で微笑んだ。

ボッと顔が熱くなった大虎は、顔を下げて舌での愛撫に戻る。

恥ずかしげなその顔と、必死さが滲み出る愛撫に、カズは堪らない愛おしさを覚えた。

少しぎこちない愛撫を受けながら、我慢できなくなり、カズはそっと手を伸ばす。

重さでぼよっと垂れ下がった腹を静かに撫でると、ヒロの体が微かに震えた。

脂肪で張り出し、なめらかな曲面を描く腹を、右手で脇腹から下腹部に向けてさすり、同時に左手は垂れ下がった柔らかい

乳を揉む。

「んぅっ…」

思わず声を漏らしたヒロは、その事が恥ずかしかったのか、唇を引き結んで息を殺した。

「良いんだよ?声出して…。誰も聞いてなんかいないんだから…」

「お前が聞いてい…、あっ…!」

言い終える前に乳首をつままれ、ヒロは少し高い声を漏らす。そして決まり悪そうに眉尻を下げた。

なんとも情けなさそうな、恥ずかしげなその表情に、カズは微笑みを投げかける。

「ヒロ…。かわいい…」

「…か、からかうなっ…!」

照れ隠しに、大虎は突っ張っていた肘を曲げ、カズに被さって少し体重を預ける。

「おっも〜い…!」

豊かな肉量の柔らかい体に軽く圧迫され、カズは笑い混じりに抗議する。

大虎のだぶついた脇腹をポンポンと叩いてタップし、狐は頬を触れ合わせたヒロの耳元に囁いた。

「ね…、触っても、良い…?」

ヒロの喉が、ゴクリと音を立てる。どこに触って良いかと訊かれているのか、未経験の大虎にもすぐに判った。

しばしの沈黙の後、やがて、頬を触れ合わせたまま、ヒロは小さく頷いた。

脇腹から離れたカズの右手が、そっと下腹を掠め、そのさらに下へと向かうのが判った。

逃げそうになる腰を必死に押さえつけ、ヒロは目を閉じ、歯を食い縛ってコンタクトに備える。

声は出すまい。決して声だけは出すものか。ヒロはそう、固く心に決めた。

が、しなやかな細い指が、太い陰茎をそっと握ったその瞬間、

「ふあ…!」

出してしまった。しかもやけに高いかわいい声を。

ふっと、小さく笑みを零したカズは、その指でヒロの男根の余った皮をそっと根本へめくる。そして、露出した丸々と太い

亀頭を、親指で軽く押した。

大虎が太った体をビクンと震わせた事に気をよくしたのか、カズはその指先で露出した亀頭を摘み、指の腹で挟み、押し、擦る。

「んぁっ!?っう…!うっ、んぅっ!」

一度声が出てしまえば、もはや堪えることはできなかった。

立て続けに急所を刺激され、ヒロは食い縛った歯の隙間から快感の呻き声を漏らす。

力が抜け、腰が下がりそうになり。だぶついた腹が喘ぎと共に波打つ。

「…もう、あんまり抵抗無い…?」

囁くようなカズの言葉に、ヒロは歯を食い縛ったまま頷く。

抵抗が無いどころか余裕が無い。むしろ「イきそうだからそろそろ堪忍して…!」というのが本音だったりもする。

カズはヒロの股間からそっと手を離す。本能的に腰が追いかけそうになったが、ヒロはそれをグッと我慢した。

カズは物欲しげなヒロの顔を見ながら微笑み、柔らかい腹を下からポンと叩く。

たぷんと波打った腹を狐の腹から離し、ヒロは体を起こして上から退いた。

「…本番、良いんだね?」

「…ああ」

僅かな間の後、大虎ははっきりと、大きく頷いた。



後ろに手をつき、足を大きく広げたヒロの股に、カズは顔を埋めていた。

時折ヒロの口から漏れる低い呻き声と、クチュッ、クチュッと鳴る湿った音が、暗い寝室に響く。

ヒロの太い逸物に口で奉仕しながら、カズは自分の尻に手を伸ばし、アナルに指を入れてほぐしている。

ややあって口を離すと、その体のように太い大虎の男根と、カズの口との間で、唾液とさきばしりの混じった液が、つぅっ

とアーチを作った。

「そろそろ…、良いよ…」

「…あ、ああ…」

十分に湿らせた男根に軽く口付けすると、カズは後ろ向きになってヒロに尻を向ける。

おずおずと身を起こして膝立ちになったヒロは、ゴクリと唾を飲み込み、引き締まったカズの尻にそっと手を置いた。

背中の上に反らされて乗った、ふさふさの豊かな尻尾が、緊張からかピクリと突っ張る。

大虎はぎこちなく狐の尻に腰をあてがい、

「あ、もうちょっと上。ちょっとだけ右の方、も少し上…、そう、そこ…」

カズの誘導にもたもたと従い、ようやくソコへ亀頭をあてがう。

「…カズ…」

「ん?」

名を呼ばれて振り返ったカズは、不安げに自分を見るヒロの顔を見つめた。

「い、良いんだな?大丈夫なんだな?尻が裂けて死んだりしないよな?」

「…しないから…」

妙な心配をする大虎に笑いかけ、催促するように尻を軽く揺する。

「…い…入れる…ぞ…?」

「うん…」

グッと、肛門に圧迫感が生まれた。太い先端がアナルを押し広げ、ぐぐっと侵入しようとする。

目を閉じ、息を吐き出して力を抜いたカズは、

「もっと強く突いて。大丈夫だから…」

おっかなびっくりゆっくり力をかけるヒロに、そう声をかけた。

固くなった太い男根が、その声で勢いを得たように、ぐぷっと、カズの体内に一気に侵入した。

「あうぅっ!」

亀頭が、かりが、そしてやや短めの男根が根本まで入ると、カズは圧迫感から声を上げた。

「す、済まん!痛いか!?」

慌てて言ったヒロに、項垂れたカズはふるふると首を横に振った。

(う〜…、ぎっちぎちだぁ…。ちょっと…、キツい…かも…!ヒロの、ほんと太いなぁ…)

「どう?私の中は…」

「ん、…あ、あったか…い…」

ドキドキしながら、ヒロはそう応じる。

「腰を、振ってみて…」

「あ、ああ…」

ヒロは促されるままに腰を引き、

きゅぽんっ

「んあうっ!」

太い逸物がすんなり、唐突に引き抜かれ、予想外の刺激にカズは思わず声を上げる。

「…ご、ごごごごごめん…!ぬ、抜けたっ!」

思ったよりもあっさりと抜けてしまい、ヒロは焦りまくった顔で謝る。

「う〜ん…、短いもんねぇ…」

首を巡らせて振り返ったカズにそう言われ、ぐっさり傷ついたヒロが項垂れた。

(短い上に、素人がバックを大きく取ろうとするから…。まぁ素人だからこそ、か…)

苦笑したカズは、しょぼくれているヒロに向き直ると、

「仰向けに寝て、私が上に乗って動くからさ」

と、悪戯っぽく微笑んだ。



仰向けになった大虎の股間で、そそり立っている男根の上に、カズはゆっくりと尻を下ろした。

ぐぐっと、男根が温かな中に呑み込まれていく感触に、ヒロは小さく呻く。

やがて、大虎の太い逸物を完全に尻の中へ呑み込むと、カズはヒロの顔を、優しく微笑みながら見つめた。

「…ヒロ…、どう…?」

「ん…、あったかく…て…、気持ち…良い…」

快感に抗うように歯を食い縛っていたヒロは、恥かしそうに小声で呟いた。

腹中で脈打つ、太くて熱い肉棒の感触を確かめながら、カズはゆっくりと腰を振り始める。

「うっ!ん…!」

食い縛った歯の隙間から漏れる声を、ヒロは必死になって押し殺す。

初めての体験。温かい肉に覆われた男根が締め付けられ、擦られ、絶え間なく強い快感が押し寄せる。

足を投げ出し、広げたヒロの太ももの間で、太い尻尾がビクンビクンと痙攣する。

「ヒロ…!手ぇ、出して…」

「ん…?う、ん…」

ヒロは言われるままに手を伸ばし、カズの伸ばした右手に、左手を、左手に右手を重ねる。

重なり合い、しっかりと合わされた二人の手が、ギュッと、指を絡めて握り合う。

二人が吐き出す荒い息の音が重なり合い、濡れた音が淫らに響く。

カズが跳ねる度にベッドがギシギシと鳴り、ヒロのでっぷりした腹がたぷたぷ揺れる。

ヒロの逸物を肛門で締め、肉壁で擦り、時に角度を変え、深さを変え、カズは巧みに腰を振り続ける。

「か、カズぅ…!やばい…、お…れ…、もう…出そう…!」

先に音を上げたのはヒロの方だった。泣きそうに顔を歪ませて、大虎は許しを請うようにカズの顔を見上げる。

初めて経験する他者の体内の感触。それに加え、経験豊富なカズのテクニックによってもたらされる強烈な刺激。

もはや男同士である事も、友人同士である事も、頭には残っていない。

男女問わずに初経験の性行為で、緊張と興奮に翻弄されたヒロは、すでに頂へ指先をかけ、昇りきる寸前である。

「ぬ、抜いて…!うっ、もう…、ふぅっ…!で、出るっ、ぐうぅっ…!」

「はっ…、い、良いんだよ…、良いんだよヒロ…、そのままっ…!私の、中に…!」

「そ、そん、な…事…!」

(あ、男同士だから、中で出しても妊娠はしないのか…)

喘ぐヒロが妙な事を考えた瞬間、カズは尻に力を入れ、逸物をぎゅっと締め付けた。

「んあっ!?あ、あぁぁああっ!出ちゃ…うぅがああああああっ!」

吠えるような声を上げ、ヒロは狐の体内に埋没した太い逸物から、大量の精液を放った。

一際怒張した逸物に腹中をギチィっと圧迫され、カズもまた高い声を上げる。

「あぁぁぁああっ!ヒロっ!ヒロぉっ!わた…し…もぉおおおおっ!」

どれだけ処理していなかったのか、繰り返し放たれる大量の精液を注ぎ込まれながら、カズもまた頂に達した。

そそり立った逸物から精が発射され、大虎の白い腹を、胸を汚す。

尻尾を突っ張らせ、ビクビクと何度も痙攣したヒロは、荒い息を吐きながら脱力する。

その上に、力尽きたようにカズが倒れこみ、同時にヒロの逸物が尻から吐き出される。

漏れ出た体液が尻を伝って股を濡らすのを感じながら、カズはヒロの首筋に顔を埋めた。

しばしの間、目を閉じ、声も出せずに、二人はお互いの呼吸を数える。やがて…、

「ヒロぉ…。出し過ぎ…。ってか溜め過ぎ…。お腹一杯だよ…」

「…す、済まん…」

カズが漏らした苦笑交じりの呟きに、ヒロは恥かしげに小声で応じた。

「はは…。ヒロの童貞…、貰っちゃった…」

耳元で囁かれたカズの言葉に、ヒロは目を開け、気まずそうに眉根を寄せる。

「…恥ずぃ…」

「ふふ…。だろうねぇ」

少し迷った後、カズは小声で打ち明ける。

「…ほんとはね、ヒロみたいな体型、好みじゃなかったんだ」

「…まぁ、だろうなぁ…」

少し残念そうな響きが滲んだヒロの声に、カズは言葉を被せた。

「でも、悪くないね?おデブさんも」

「おデブさんって言うな…!」

不機嫌そうな抗議の声に、カズはクスクスと笑う。

「柔らかくって、あったかくて、安心する感じ…。好きになれそう…。はは!食わず嫌いなんてするものじゃないねぇ」

「だろ!俺の腹は、飛び込んで来るヤツを柔らかく抱き止めてやるためにあるんだよ!」

半ばヤケで言ったヒロの言葉に、カズはクスクスと含み笑いを零す。

「ありがとう、柔らかく抱き止めてくれて…」

小さく笑ったカズの背に、ヒロの太い左腕がそっと回された。

初めは、確かに憐れみからだった。同情から行為に及んだ。

だが、ヒロは気付いてしまった。

恋愛や友情、細かい分類はさておいて、自分がこの少し子供っぽい、甘え上手な親友の事を、実は他の何よりも大事に、愛

おしく想っていた事に。

やさしく、しかししっかりと回された太い腕が、温もりが、何よりも雄弁にヒロの心情をカズへ伝える。

「俺は、傍に居るから…」

先程の言葉を思い出し、カズは目を細め、愛おしげにそっと、大虎の耳を甘噛みする。

そんなカズの頭にヒロの大きな右手がぽふっと被さり、やさしく、くしゃくしゃっと撫でた。



駅から出てきた丸っこい大虎の姿を目にし、すらりとした体型の狐の青年がベンチから立ち上がる。

「待たせたか?」

少し嬉しそうに、僅かに目を細めて尋ねたヒロに、カズは柔らかい笑みを返した。

「ううん!おかえり、ヒロ」

歩み寄ったヒロの顔を見上げ、カズは笑みを深くする。

「夕飯、大根とジャガイモの味噌汁と、鱈の粕漬け、あとヒジキの煮物にしたけど、良い?」

「お前が作る飯なら、何でも」

並んで歩き出した後、数歩も進まない内に、ヒロは足を止めて夜桜を見上げた。

「…散ったな…」

僅かに花を残し、葉桜となった木を見上げながら、大虎はぽつりと呟いた。

少し先で足を止め、振り返ったカズも桜を見上げる。

ライトアップはすでに終わり、暗い夜空を背負った桜は、物悲しいそのシルエットを二人に投げ落としていた。

「桜、あんまり好きじゃなかったんだっけ」

「…ああ…」

「散るのが嫌なんだっけ?」

「…たぶん、そういう事だと思う。…なんで、散るんだろうな…」

少し考え、頷きながら応じたヒロに、カズは柔らかい、ただし少しだけ寂しそうな笑みを向けた。

「ずっと咲きっぱなしも悪くはないけどね。散ってしまった寂しさを知る人は、次の花が咲いた時、凄く嬉しいんだよきっと。

人も草木も星々も、変わらないものなんてない。散ってしまうからこそ、失われてしまうからこそ、変わっていってしまうか

らこそ、掛け替えのない、大切な今を惜しんで、慈しめるんだ」

大虎はしばらく黙り込み、その言葉の意味を噛みしめる。

「花は咲き、そして散ってく…。そして、いつかまた咲くんだ。…恋と同じでねっ!」

悪戯っぽく微笑んだカズを、ヒロは笑みを浮かべて見つめた。

「お?珍しい顔…」

肉に埋もれて見えなくなるほどに目を細め、優しく笑っていたヒロは、カズの言葉に一瞬驚いたように目を丸くすると、次

いでいつもの仏頂面に戻った。

「あ。ねぇねぇ、もっかい笑ってよ?今の顔で」

「断る」

「一回で良いから、ね?良い顔だったよヒロ?」

「からかうな」

不機嫌そうに足早に歩き出した大虎の後ろを、細身の狐が慌てて追いかける。

勝手に緩みそうになる顔を見られないよう、ヒロは不機嫌そうに肩を怒らせ、足早に歩き続けた。

そんな事はお見通しのカズが、からかい半分の言葉を投げかけつつ、横を歩きながらヒロの顔を覗き込み続ける。

不機嫌そうに、そして幸せそうに大股で歩いてゆく太った大虎と、おどけ、甘えながら足早に横を歩む細身の狐を、花の散っ

た桜が、優しく見送っていた。

おまけ