おまけ
「ただいまぁ〜…。遅くなって済まんなぁ…」
眠たげに細められた目に、疲労の色を湛えた大虎は、アパートのドアを潜りながらため息をついた。
「今年も、ホワイトクリスマスだぞぉ」
居間に入って灯りをつけた大虎は、間延びした口調でそう言うと、コタツの上にお土産のチキンなどを置き、よれよれのコ
ートを脱いで足下にバサッと落とす。
仏壇の前にどっかと腰を下ろし、線香をあげ、遺影に向かって手を合わせると、いつものように一日の報告を始める。
今日の終業式をもって、無事に二学期が終わった事。
その後、生徒達に招かれて、寮のクリスマスパーティーに混ぜて貰った事。
サンタ役がはまり過ぎだと、かなりウケていた事。
一通りの報告を終えた後、遺影の中で微笑んでいる恋人に、ヒロは笑いかける。
「サンタ役が似合うって言われたのは、実は私だけじゃあ無いんだなぁ。今年の受け持ちに、えらく体格が良いのが居るから」
立ち上がって台所に向かい、皿にチキンを乗せて仏壇にあげると、ヒロはカズに語りかけた。
「あの日、何故素直に…、「幸せだ」と、…たった一言が…、言えなかったのかなぁ…」
カズが体調を崩すまでの間、自宅ではたった一度しか祝えなかったクリスマス。
あれから既に十一年の月日が流れ、ヒロは三十七歳になっている。
あの日プレゼントされた時計は、細かな傷がついて光沢は失せ、革のベルトは色褪せているものの、今も変わらず、ヒロの
左腕にはめられていた。
「ん〜…?」
携帯が震動した事に気付いたヒロは、ピチピチになっているズボンのポケットに手を突っ込み、携帯を取り出した。
パカッと開け、「む〜…」と唸りながらモニターを眺め、メールを確認したヒロは、眼を糸のように細めて微笑んだ。
立ち上がり、窓に歩み寄ってカーテンを開け放ち、外の景色を眺めると、ヒロはゆっくりとキーを押し、返信のメールを打
ち始めた。
窓から遠く見える、ヒロの勤め先である高校の裏から山へと登る道、そこに立ち並ぶ桜達は、すっかり雪化粧をしていた。
あの日カズと一緒に見た、駅前の桜と同じように…。
メールを打ち終え、室内に視線を戻したヒロは、何かに気付いたように「あ…」と声を漏らすと、冷蔵庫へ向かい、缶ビー
ルを二本取り出す。
プルタブを起こし、一本を仏壇に上げ、もう一本をそれにかるくぶつけると、
「メリークリスマス。カズ…」
弛んだ、優しい笑みを浮かべ、グイっと缶を煽った。
メリークリスマス、ヒロ。
こっちはホワイトクリスマスだが、そっちはどうだ?
夏以来顔を合わせていなかったが、どうやら年明けには纏めて休みが取れそうだ。
コータも会いたがっている事だし、二人で顔を見せに行こうと思うんだが、どうだろう?
そっちの都合に合わせるようにするから、連絡が欲しい。
それじゃあ。
「送っておいたぞ?」
「う〜っす!」
ソファーにもたれ掛かったコリー犬が、携帯を畳みながら声をかけると、キッチンから元気な返事が返ってきた。
声に続いて、トレイを持ったエプロン姿のジャイアントパンダが姿を現し、コリーの前のテーブルに歩み寄る。
クリームシチューがなみなみと入ったシチュー皿が二つ、ローストチキンやライス、なぜか串カツまでもが並べられたテー
ブルの上に加わると、コリーは鼻をスンスンと鳴らした。
「…今日はまともそうだな…」
「や、やだなぁ!ちゃんとできてるっすよぉ!…レトルトだから…」
コリーの呟きに、パンダは苦笑いする。
落ち着きのある雰囲気を纏うコリーの名は、永沢義則(ながさわ よしのり)、三十八歳。
友人や同僚達からはナイスミドルと評価される、有名宅配業者の副支店長である。
180近いすらりとした長身。整った顔立ちには成熟した大人の落ち着きが見て取れた。
もう一方、丸々と肥え太ったジャイアントパンダの名は、笹木幸太(ささき こうた)、二十八歳。
年齢よりもだいぶ若く見られる丸顔に童顔が特徴の、自動車整備工である。
身長は170を越えているものの、その体型のせいか、ずんぐりと短身に見える。
歳の離れた恋人同士である二人は、その居宅である高級マンションのリビングで、クリスマスを祝っていた。
同居し始めた直後から、料理や家事の腕を磨き始めたコータであったが、実は料理の方は未だに時折大失敗をやらかす。
思い切り焦げが混じったり、野菜が生煮えだったり、やけに水っぽいシチューが出ることもあるので、レトルトとはいえ油
断できない。
やはり自分がやるべきだったかと、微かに不安げな表情を浮かべるヨシノリの横に、コータは機嫌良さそうにニコニコしな
がらドスッと腰を下ろした。
そして、二人分のグラスにシャンパンを注ぐと、
「それじゃあ、メリークリスマース!」
グラスを掲げて声を上げる。
「メリークリスマス」
目を細めて微笑み、グラスを合わせたヨシノリは、シャンパンを口に含むと、
「ずいぶん甘くないか?これ…」
と、不思議そうな顔をしてボトルを手に取り、ラベルを確認し始めた。
「ほんとだ。甘い、美味い!コレ美味いっすねぇ!甘〜い!」
気に入ったのか、コクコクと飲み始めたコータに、
「だが、アルコール10%だぞ?調子に乗って飲み過ぎるなよ?」
あまり酒に強くない恋人を気遣いヨシノリが一言注意するが、コータはにま〜っと笑いながら、「やだなぁ、判ってるっす
よぉ〜!」と軽い口調で応じる。
「でもこれ、ホントに酒臭く無いっすね?中身間違って入ってるとかじゃ…」
「いや、確かにアルコールは入っている。…甘みと香りが強いせいで、あまり気にならないんだろうなぁ」
ボトルをテーブルに戻したヨシノリは、
「さて、冷める前に食おうかコータ。せっかく支度を頑張ったんだからな。では、頂きます」
と、笑みを浮かべてチキンに手を伸ばす。
「でへへぇ〜!うす!…ま、準備したって言っても、ローストは出来上がってるのを買って来ただけで、シチューはレトルトっ
すけどね…」
苦笑いで応じたコータは、ボトルに手を伸ばして、二杯目のシャンパンをグラスに注いだ。
「あ。シャンパン二本買って来てるっすから、ジャンジャン飲んじゃって下さいっ!これならおれも抵抗無く飲めそうだし…!」
「…そんな事言って、早々と酔い潰れたりしないだろうな?」
半分冗談、半分本気で、ヨシノリはコータに笑いかけた。
「…だから言ったのに…」
トロンとした目で、コックリコックリ舟を漕ぎ始めたパンダを横目に、ヨシノリはため息をついた。
料理は既に片付き、空になった皿が並ぶテーブルの上には、これまた空になった二本のボトル。
「大丈夫かコータ?」
「よしのりさんこそぉ〜…だぁいじょぶっすかぁ〜…?なんかグラグラ揺れてるっすよぉ〜…?」
頭をグラグラさせながら顔を向けたコータの肩を、ヨシノリはポンと叩く。
「良く判った。大丈夫じゃないな。…ちょっと休んでろ…」
立ち上がったヨシノリは、トロンとした顔でフラフラ揺れているコータを、ソファーの上に寝かせる。
ぐたぁ〜っと脱力して、焦点のあわない目を天井に向けているパンダを残し、ヨシノリはてきぱきと片づけを始めた。
「ケーキ食えるか?」
「う〜っす…。どんと来いっすぅ〜。だいじょ〜ぶだいじょ〜ぶ。甘いモンは別腹っすぅ〜。かかってこぉ〜い…」
「…ヘベレケだなコータ…」
重ねた皿をキッチンに運び込み、エプロンに袖を通して洗い始めたヨシノリは、
「…あ…。そういえば、返事は…」
ふと思い出して布巾で手を拭うと、携帯を取り出し、メールを確認する。
いつの間にか届いていたメールは、今は遠くで暮らしている、親友からの物であった。
メリークリスマス、ヨシノリさん。
年始はそれなりに暇だと思う。
何せ、今年度の受け持ちは一年生だからな。
余裕がありそうな日程は……………こんなところだ。
…そうそう。こっちも今日はホワイトクリスマスだ。
生徒達に誘われて、パーティに混ぜて貰ってなぁ、楽しくやっていたよ。
都合がついたらまた連絡をよこしてくれ。
ササキにもよろしく。それじゃあなぁ。
「コータ。ヒロから返事が…」
ケーキを手にリビングに戻って、声をかけたヨシノリは、
「くかぁ〜…。すぅ〜…」
「…熟睡だなコータ…」
だらしなく口を半開きにし、ヨダレを垂らして眠っているパンダの姿を見ると、苦笑いを浮かべた。
「…コータ?おい?ケーキは明日にするか?ん?」
「ん、んぅう〜…」
目を閉じたまま唸ったコータは、しかし起き出す気配を見せない。
何年経っても、なかなか子供っぽさの抜けない恋人の寝顔を、ヨシノリは微笑みながら眺める。
(寝かせておいてやりたいが…、風邪を引かれても困るな…)
少し可哀そうな気もしたが、ヨシノリはコータに歩み寄ると、その頭を軽く撫でた。
「一度起きろコータ。ベッドで休もう。な?」
「むにゃぁ…」
コータは薄く目を開けると、仰向けのまま両手をあげ、何かを催促するようにヨシノリを見つめた。
苦笑し、軽くためいきをつくと、ヨシノリはコータの頭側に腰をおろす。
ソファーの上をずりずりと移動したパンダは、横向きに寝てコリーの脚に頭を乗せると、満足気な笑みを浮かべ、再び目を
閉じた。
「少しの間だけだからな?コータ…」
膝枕で幸せそうな顔をしているパンダの脇腹に手を当て、そこから腰に向かってゆっくりと撫でてやりながら、コリーはそ
の寝顔を、愛おしそうに見下ろす。
針でつつけば弾けそうに、皮下脂肪でむっちりと張った腹を、鳩尾から下腹部にかけて撫でさすられると、コータは気持ち
良さそうに表情を弛緩させた。
「むにゃ…。大好きっすぅ…、ヨシノリさぁん…」
「…俺もだよ。コータ…」
微笑みながら寝言に答えたヨシノリはいつまでも、いつまでも、子供っぽい恋人の寝顔を眺めていた。