虎狐恋花 〜ユキザクラ〜
カタカタという音が、綺麗に整頓された部屋に響いていた。
時折途切れ、一度聞こえ始めれば連続する、キーボードを叩く軽快な音は、あまり広くないアパートの一室、居間のコタツ
の上で奏でられている。
開いたノートパソコンの画面を見つめ、キーを叩き続けているのは、狐の若者である。
細身の身体を包むのは、温かそうなブラウンのセーターに、厚手の綿パン。
鼻筋の通ったなかなかハンサムな顔立ちの狐は、石油ファンヒーターの温風を背中に浴びて、作業に没頭している。
毛並みの良い、狐特有のふさふさした尻尾の毛が、温風に撫でられて揺れている。
パソコンの横には、高く重ね上げられた辞書類と、小さなメモ帳、そして裏面に何かが書き殴られたチラシ。
雑多に書き殴られたそれは他者が見ても意味不明だが、記した当人にはどうやら読めるらしい。
一見すると文字には見えない程に歪んだ文字を時折見遣りつつ、キーを叩いていた狐は、「ふぅ…」と、小さくため息をつ
くと、眉間を指で揉みつつ、マグカップを取り上げる。
すっかり冷めてしまった紅茶をちびっと啜り、打ち込んだ文字列をしばしの間ぼうっと眺めると、
「…あ、誤字誤字…!」
と呟きながらキーを4、5回叩き、訂正内容を確認して小さく頷く。
そして、ふと思い出したように壁掛け時計を見上げた狐は、驚いたように目を丸くした。
「いけない…!もうこんな時間!?」
慌ただしくパソコンを落とした狐は、隣室に移動して手早く外出の準備を始める。
クリーム色の厚手のロングコートを羽織り、茶色いマフラーと手袋を身に付け、ヒーターと灯りを消して玄関を出たキツネは、
「今日も冷えるなぁ…」
アパートの二階通路に出て、施錠しながらそう呟いた。
そして、白い息を吐き出しながら身震いすると、足早に通路を歩き始める。
今日もまた、恋人を駅まで迎えに行く為に。
駅を出た途端に舞い降り始めた淡雪が鼻先を掠め、虎は夜空を見上げる。
夜空は、低く、厚く垂れ篭めた雲に覆われ、星一つ見えない。
そんな空から水っぽい雪がちらちらと降りて来るのを眺め、虎は白い息を「ふぅっ…」と吐き出した。
(…鍋でも食いたくなる冷え具合だな…)
呟く虎は、不機嫌そうな仏頂面。実際に不機嫌な訳ではないのだが、常からこの顔つきである。
所々すり切れ、色褪せたジャンバーを羽織り、下にはスラックスを穿いている。
履いているスニーカーも色褪せており、底がだいぶ擦り減っていた。
人混みでも目立つ大柄な虎は、縦だけでなく横幅も厚みもある。
黄色い地に、くっきりと黒い縞模様が入った体は、かなり丸っこい肥満体型。
何とかジッパーを引き上げているジャンバーは、内側から押されて腹回りがパツンパツンに張っており、顎の下にはたっぷ
りとした贅肉がついている。
尻から下がった縞々の尻尾もまた、長くて太い。
大柄で太っている不機嫌そうな顔つきの虎は、駅前の桜の木に目を向けた。
下にベンチがあるそこには、大概の場合虎の帰りを待っていた同居人の姿があったのだが、今夜は姿が見えなかった。
(さすがに寒いからな。部屋で大人しくしているんだろう)
同居人は、ただでさえあまり体が丈夫な方ではない。
寒い日は迎えに来なくとも良いと言った、自分の言葉を聞き入れたのだろうと思い、大虎は歩き出し、
「…ん?」
ちらちらと雪が舞う中、行く手からパタパタと駆けてくる細身の狐の姿を、視界に捉えた。
「ご、ごめんヒロぉっ!遅くなっちゃったぁ!」
駆け寄ってきた狐が目の前で止まり、息を弾ませながら声を上げると、
「カズ…。寒い日は来なくて良いと言っているだろうが…」
ヒロと呼ばれた大虎は、眉間に皺を寄せて呟く。
不機嫌そうな顔と口調ではあったものの、耳が僅かに寝せられ、目も少し細くなっており、申し訳ないような、そして少し
喜んでいるような微妙な表情が、その仏頂面には微かに見て取れた。
並んで歩き出し、葉のない桜の枝の下を通り過ぎながら、カズと呼ばれた狐は、済まなそうな表情で耳を寝せながら口を開く。
「ごめんねぇ?ちょっと余裕無くて、夕食、仕込みが簡単な物にしちゃった…」
ちらりと視線を下ろして寄越した虎に、カズは「よせ鍋なんだけど…」と付け加える。
「はは。願ったり叶ったりだな。ちょうど鍋が食いたいと思っていたところだ」
ヒロが耳を倒して笑うと、カズは少し安心したような微笑を浮かべた。
「具は何だ?」
「鱈と鮭の切り身と、お豆腐と白菜、それから長ネギ。…シンプルでごめんね?」
「いい、俺好みだ。そういえば今シーズン初だな?楽しみだ」
歩調が少し早くなった虎に、ペースを合わせてついて行く狐。
雪が本降りに変わって行く中、二人は寄り添って夜道を急いだ。
コタツに置かれたカセットコンロの上で、クツクツと音を立てている大きな土鍋。
それを、色のくすんだ紺のトレーナーとジャージのズボンに着替え、両手をコタツに入れたヒロが、前のめりの姿勢で物欲
しげにじっと見つめている。
良い香りがし始めた鍋から視線を外した大虎は、台所からなかなか戻ってこないカズの背中を見遣った。
「…まだか…、カズ…」
空きっ腹を抱え、情けない顔で声をかけて来た恋人に、振り向いたカズは苦笑いを返す。
「もうそろそろ良いかな?器持ってくね」
洗った器を重ね、ポン酢をもう片手に持って居間に戻ったカズは、正座してコタツにつくと、火の通り具合を確認しつつ、
テキパキとよそい始めた。
その間に缶ビールのタブを起こしたヒロは、自分と相手の前に一本ずつあてがう。
「それじゃあ、お疲れ様」
「ああ、お疲れ様。頂きます」
笑みを交わし、缶ビールで乾杯した二人は、さっそく夕食に取りかかった。
よそって貰った分をガツガツとかき込み、飲み込むように食べてゆくヒロの様子を、カズは対照的に行儀良く食べながら眺
める。
おかわりをよそって貰い、立て続けに三杯胃に収めると、ようやく空腹も落ち着いてきたのか、ヒロはビールをグビッと煽
り、口を開いた。
「締め切り、厳しそうなのか?」
帰ってきた時には、コタツの上に仕事用具が広げられたままになっていた。
仕事をしていても、ヒロの帰宅時には、夕食に備えて片付けられているのが常なので、少々気になったのである。
「ううん。もうちょっとでひと区切りつくから、ついつい夢中になっちゃっただけ。たぶん今週中には出来上がるよ。あと二
週間余裕があるから平気」
さらりと応じたカズの様子に安心したのか、「ふむ」と頷いたヒロは、再び缶ビールを煽った。
「珍しいな?いつも十日以上前には仕上げていたのに…」
「まぁねぇ。今回のは最初から三部作予定だから、後々の展開の事までしっかり考えておかなきゃいけないの。一つめを入念
に仕上げる必要があるわけ。それにホラ…」
カズは一度言葉を切ると、何か嫌な事でも思い出したかのように、端正な顔を軽く歪ませた。
「…フロッピー壊れて、草稿が80ページ近くとんじゃったから…」
カズが愛用しているノートパソコンは、他界した両親が遺した物である。
すでにだいぶ古くなったそれを、メモリーを増設するなどして使い続けているのだが、すでに老兵、動作はやや緩慢になり
つつある。
その為、本体の負担を減らすべく、カズは執筆が進んで区切りの良くなった部分をフロッピーに移し、本体容量をいくらか
でも軽くするようにしているのだが、その内の一枚がストライキを起こしてしまった。
そのフロッピーはいまだに読み込み不可能。つまりスト続行中な訳だが、無論、回復するかどうかわからない物を、締め切
りが迫る今、そう悠長に待っている訳にもいかない。
結局は諦めて、かなりへこみながら書き直すはめになった。
「そろそろ他のヤツに乗り換えた方が良いんじゃないのか?CDとか、最近じゃキーホルダーサイズの超大容量メモリーとか
まで出ているんだろう?レトロ好きもいいが…」
大虎に指摘された狐は、最近の主流となっている記録媒体の事を考える。
「う〜ん…、そうなんだけど…。フラッシュメモリー?あれって、どんな感じだろうね?」
「…まぁ、俺もパソコンは得意じゃない。詳しくは知らないが…」
問われたヒロは顔を顰め、太い指で鼻の頭をポリッと掻きながら口ごもる。何だかんだでこちらもかなりのアナログ派。
そういう風に、時折テレビを眺めながらあれこれ話をしている内に、四人前程の量があった鍋は空になった。
寒い日の鍋は美味いもので、少食なカズも珍しく箸が進んだ上に、食欲旺盛なヒロがその殆どをペロリと平らげてしまって
いる。
「私はもうお腹いっぱいだけど、ヒロはおじやする?」
少しばかり物足りなそうにしている恋人の様子に気付いて尋ねたカズに、大虎は一も二もなく頷いた。
卵を割り入れ、冷凍していた米をほぐしてかき混ぜ、煮込み始めるカズ。
ヒロはその間に冷蔵庫から追加でビールを取って来ると、さっそくタブをあけてグイッと煽る。
「もうじき、期末試験だ…」
ぼそりと呟いたヒロの顔は、軽く顰められていた。
試験が嫌いなのは学生だけではない。教師にとっても面倒なイベントなのである。
「大変だねぇ?やっと修学旅行が終わったっていうのに」
落ち着きのない男子高生を率いた修学旅行が、それなりに大変であった事をヒロから聞いていたカズは、トラブルメーカー
の活発なパンダがクラスメートを先導して引き起こした、深夜の集団脱走未遂事件の話を思い出し、ニシシッと可笑しそうに
笑った。
「その子、そんなに私と似てる?」
「外見は全く。だが、人懐っこいところや、好奇心が強いところ、下らない悪戯が好きなところは、か・な・り似ているぞ」
「悪戯心は、ひとを成長させるんだよヒロ」
右手に持ったお玉でおじやをかき混ぜながら、カズは左手の指をチッチッチッと顔の前で振る。
「お前の妙な悪戯が無くならないのは、成長し切っていないからか」
からかうように言ったヒロに、カズはキョトンとした顔を向けた。
「あれ?私最近は何も悪戯なんてしてないよ?」
「自覚が無いのは重症だぞカズ…。眠ってるヤツの臍に指を突っ込んでほじくったり、股間を掃除機で吸って起こしたりする
のは立派な悪戯だぞ?嫌がらせって言ってもいい」
呆れたように応じたヒロに、カズは「ニシシッ!」と笑った。
「そ〜んな事言ってぇ〜、嫌いじゃないくせにぃ〜!いっつもおっきさせてるじゃない?」
「起こされる方からすれば好き嫌いは話が別だ。普通に起きたい。それと、あれは普通の生理現象な」
仏頂面で応じたヒロに、カズは器によそったおじやを差し出す。
「まぁ、受験生を受け持っている、三年の担任の先生方と比べればまだ楽なんだが…。冬休みが近いせいか…、それとも年末
が近付いて浮かれているのか…、どうにも皆浮き足だっているようで困る。試験前だというのに…」
「それ、クリスマス接近のせいもあると思うけどなぁ」
食後の番茶を啜りながらカズが呟くと、ヒロはレンゲですくったおじやを顔の前に持ってきた姿勢で止まった。
「ん?どうしたの?…あ、まだ熱過ぎた?」
尋ねるカズに、ヒロは「いや、大丈夫だ。何でもない…」と応じつつ、
(恋人の居るクリスマスを迎えるのは…、生まれて初めてだな…)
微かな笑みを浮かべながら、心の内で呟いた。
食器や鍋の片付けを終え、篭に入れたミカンを手にして居間に戻ったカズは、
「お待たせ…って、ありゃりゃ…」
仰向けに寝転がり、目を閉じている大虎を見て、声を顰めた。
満腹になって睡魔に負けたのか、ヒロは大口を開けて「すか〜…」と寝息を立てている。
ミカンをコタツの上に置いたカズは、眠っている肥満虎の顔を覗き込むと、柔らかな微笑を浮かべて横に腰を下ろし、そっ
と寄り添う。
カズの手が、トレーナーを押し上げる丸い腹を、円を描くようにゆっくり、そっと撫でると、ヒロは「むにゃ…」と口を動
かす。
(お風呂、そろそろ沸いたはずだけど…)
入浴を勧めたいのは山々だったが、あまりにも気持ち良さそうに眠っているので、寝入りばなで起こすのも少々気が引けた。
少しの間眠らせておく事にし、起こさないよう静かに離れたカズは、寝室から持ってきた毛布をそっとヒロにかけると、自
分はノートパソコンを持って寝室に移動した。
「くかぁ〜…、すぅ〜…、くかぁ〜…、す〜…、くかっ…?」
気持ち良く熟睡していたヒロは、微かに顔を顰めた。
「んっ…、んむぅ…、う…」
呻くような声を漏らすヒロの、肉で張った頬が、フルフルと揺れている。
頬だけでなく、顎の下の肉やら肉付きが良すぎて垂れた乳やらまでもが、細かく震えていた。
薄く目を開けたヒロは、自分をくすぐる震動に気付くと、首を起こした。
震動の発生源へ向けられた寝ぼけまなこが、自分の腹に両手を当て、ブルブル揺さぶっている狐の姿を映す。
「…何やってるんだカズ…?」
「悪戯じゃない起こし方。おはよヒロ」
さらりと応じつつ、なおも手を止めないカズに、ヒロは一言いおうと口を開いたが、
「ありゃ〜?勃っちゃってるねぇ」
ジャージの股間を押し上げる膨らみを目にして、可笑しそうに笑ったカズの声を耳にし、口を閉じる。
「ニシシッ!感じちゃったんだぁ?」
「違う」
ため息混じりに短く応じたヒロは、時計に目を遣って時間を確認する。
そして既にだいぶ遅い時刻になっている事に気付くと、その目をカズに戻す。
「…有り難うカズ。風呂に入ってくる」
眠り込んでしまった自分を、ギリギリまで眠らせてから起こしてくれた恋人に礼を言い、ヒロは身を起こそうとして…、
「…そろそろそのブルブルやめろ…。それと、それも悪戯の部類に入るぞ?」
「あれ?そうなの?」
カズはキョトンとした顔で首を傾げた。依然として、ヒロのタップリした腹を揺すり続けながら…。
それから二週間が過ぎたその日の朝。珍しく背広に着替えたヒロが居間に姿を現すと、
「…今日はホワイトクリスマスになりそぉ…」
カズは恋人の姿を、つま先から頭のてっぺんまで、物珍しそうにじっくりと見つめた。
「二学期の終業式だからな」
「あ。そうだったね。」
ヒロは腕を少し動かしてみると、ワイシャツと、ボタンを止めずに羽織っている上着、それらの肩回りのキツさに顔を顰める。
「…ヒロ…、キツいんじゃないの…?」
「………」
動きを止め、無言になったヒロに歩み寄ると、カズは上着の襟元を引っ張り、前を合わせてみる。
突き出た腹の前でかけられたボタンは、何かの拍子に弾けてしまいそうに、左右に皺のラインを作った。
「わお!式まではボタン締めない方が良いねこれ!…う〜ん、カロリー抑えた食事を心掛けてるのにぃ…、まぁ〜た太ったなぁ
ヒロ?」
「それはあれだ、秋から冬にかけては成長期だからな。仕方ない。うん、仕方ない事だこれは」
「え〜と…。どこからつっこめばいい?ワイシャツパツンパツンさん…」
ワイシャツの中に無理矢理納められた太鼓腹を、手の平で左右からボフボフと叩き、カズは眉根を寄せる。
「ヒロの体、手触り良くて好きだけど、太り過ぎて病気になったら困るよぉ?糖尿病とかが原因で先立たれて一人ぼっちにな
るのなんてヤだからね?」
「え、縁起でもない事を言うなっ…!それに、健康診断では体重と血中コレステロールと肝機能の一部以外は引っかかってい
ない。病気も見つかっていないぞ?」
顔を引き攣らせて言ったヒロに、
「自覚してよ…、まるっきり予備軍じゃんそれぇ…」
カズは呆れたようにため息をついて見せた。
「さ、遅くなっちゃうよ?っと、ほらぁ!ネクタイ曲がってるっ!」
細身の狐は肥満虎の首元に手をやると、曲がっている上に長さもちぐはぐになっているネクタイを一度緩め、手早く整えた。
そして顔を離してネクタイの具合を確認すると、決まり悪そうに頭を掻いているヒロの腹、鳩尾の辺りを、平手でぽふっと
叩いた。
「ほい!デブトラ先生式典仕様、一頭完成!じゃ、いってらっしゃい!」
「ああ。行って来る」
玄関へ移動し、革靴を履いたヒロに、
「気をつけてね?帰りは約束どおり、駅で待ってるから」
カズは嬉しそうに微笑み、尻尾を左右に振りながら片手を上げる。
「ああ。…あまり早く来過ぎるなよ?風邪なんか引かないように、きちんと厚着してだな…」
最近はぐっと冷え込んでいる。寒空の下で長時間待ち、風邪でも引いては事だと、ヒロはカズの体を案じる。
ぶっきらぼうで鈍感そうに見える大虎が、そのたどたどしい口調で口にした気遣いが、狐にはとても嬉しかった。
カズは「ニシシッ!」と笑みを深くすると、ヒロの太い胴に腕を回し、ギュっと抱き付いた。
そして、不意打ちで頬に軽くキスすると、驚いたように目を丸くしたヒロに、
「ありがと!行ってらっしゃい!」
満面の笑みと、惜しみ無い愛情を込めた眼差しを向けた。
その日の午後二時。カズは眼鏡をかけた中年の猿と、ファミレスのテーブルを挟んで向き合っていた。
先週仕上がって渡していた原稿について、簡単な校閲をおこなっている二人は、既に四時間程話し込んでいる。
「…で、この辺りで少しコイツの心の内を…。後々の事を考えて、読者にはここらで彼のスタンスをある程度掴んで貰った方
が良いのでは?」
「そうですね…、辺りと比較してちょっと我が弱いから…」
「でも、安易に独白させるのもアレですねぇ。スポットが当たり辛いのがまた味になってるから…」
「表情や仕草でそれとなく表現してみます?」
「そうですね、それが良いかもしれません」
原稿をプリントアウトしたA4用紙に、赤いペンで修正事項をさらさらっと書き入れるカズに、
「気になった所はそのくらいで、後は文句のつけようも…、あぁそうそう!うっかり忘れるところだった!」
そう、茶褐色の猿は少し声を大きくして話しかけた。
「話は変わりますが、新年パーティーの方はどうしますか?今年も欠席に?」
メモを記し終えたカズは、微苦笑を浮かべて頷いた。
「申し訳ないんですけど…。赤木さんから、皆さんに宜しく伝えて貰えますか?」
編集者のアカギは、カズが高校生の時、新人としてデビューした当初から担当をしている。
既に十年近い付き合いなので、彼が作家として人前に出るのを極端に嫌がる事は重々承知していた。
が、少々勿体ないと思うのも事実である。
ヴィジュアル的にも恵まれているカズは、美青年小説家として展開させれば、さらに人気が出るはずであった。
実際に、カズが学生だったデビュー当初はその線で売り出そうとした事もある。が、
「書き手の容姿なんて、作品の中身とは無関係じゃないですか?」
と、やんわりと拒否されていた。
「先生が来てくれたら、タカミ先生も出席してくれるんじゃないかと思うんですけどねぇ」
担当から懇意にして貰っている作家の名を挙げられ、カズは困ったような笑みを浮かべた。
「そう言えばご無沙汰しちゃってたなぁ…。しばらく顔を合わせてなかった…」
カズがほぼ専属となっている大手出版社の新年パーティーには、多数の有名作家が集まる。
他の作家と意見が交換できる事自体は楽しいのだが、堅苦しいのが嫌いな上に酒も得意ではないカズにとっては、パーティー
となると大して楽しいイベントではない。
「タカミ先生が出るなら、私も行ってみましょうかね…」
「判りました。そう伝えておきますよ」
アカギは微苦笑を浮かべて頷くと、「そうそう」と、口調を改めた。
「話を戻して悪いんですが、今作の主役の一方…、太った虎ね、モデルが居るんですか?」
カズが「ん?」と首を傾げると、アカギはコーヒーカップを持ち上げながら続けた。
「いえね。今までの作品の主役と比べても、やけにキャラクターが掘り下げられているっていうか…、しまらない所がリアル
というか…」
「まずいですかね?描写がくどいかなぁ?」
聞き返したカズに、アカギは笑いながら首を横に振った。
「いいえ。良いと思いますよ。格好良過ぎるスーパーマンより、人並みに悩みを抱えた不格好な男の方が親近感を持てます。
好感が持てるかは別としてね」
カズが描く多くの作品の主役は、概ね完璧にはほど遠い者達である。アクション物のヒーローしかり、敏腕探偵しかり、大
富豪しかり、身体的に、あるいは精神的に、不足し、欠け、歪み、はみ出した、人間味溢れた…というよりも、過ぎるほど人
間臭く、何かしら問題や弱みを持った者達ばかりであった。
欠点だらけで不完全。だからこそ感情移入できる。時に彼等は不恰好であるが故に格好いい。そう、アカギは思っている。
「で、やっぱりモデルが?」
「ニシシッ!ご想像にお任せします…!」
カズは可笑しそうに笑って、編集の質問をはぐらかした。
「ササキ…。ホームルームが終わったら相談室な…」
ヒロの手から通知票を受け取った生徒は、小声でぼそりと告げられると、「うぇ!?」と声を上げて顔を引き攣らせた。
丸々とした体型のその生徒は、丸顔のジャイアントパンダであった。身長は並より少し高い程度だが、ボリュームは他の生
徒の倍はある。
肩を落として席へ戻って行くパンダの背を見送り、ヒロは次の生徒の名を呼んだ。
控えめに響いたノックに、ヒロが「どうぞ」と返事をすると、相談室のドアがそろそろと開き、パンダがのそっと入室する。
「し、失礼しま〜す…」
「…うむ。まぁ座れササキ」
机を挟んだ向かい側に、パイプ椅子を軋ませて座ったパンダは、俯き加減でちらりとヒロの顔を見ると、机に視線を落とした。
「まず、補習の日程な…」
「うす…」
ヒロが不機嫌そうに日程表を読み上げ、説明をしている間、パンダは居心地悪そうに体を縮め、無言で相づちを打っていた。
ひとしきり説明を終えたヒロは、
「相変わらず、化学と数学と体育以外は、驚きの成績だったな…」
と、呆れと感心の入り交じった調子で呟く。
「そりゃまぁ、先生の科目で赤点取ったら後がコワ…じゃない!先生の授業、面白いっすから!」
うっかり零してしまった本音を中断し、建前の言葉を述べながら、やや引き攣った笑みを浮かべるパンダ。
「大学に行きたいなら、数学と体育以外の教科も頑張らんといかんぞ」
この生徒がバイク好きである事を、ヒロは知っている。ゆくゆくはバイクに関わる整備士のような仕事をしたいと思ってい
る事も。とりあえずは機械学科のある大学に進んで、資格を取りたいというのがこの生徒の希望進路である。
「う、うす…!」
頭を掻きながら頷いたパンダは、「はぁ〜…」とため息をついた。
「終業式でイブなのに…、補習の話だなんて、ついてねぇっす…」
「自業自得だろう?」
口の端を微かにつり上げて笑ったヒロは、ふと気になって表情を改めた。
「クリスマスイブだからといって、ハメを外し過ぎるなよ?学生なんだからな」
「いやぁ…。ハメ外すも何も、付き合ってるヤツとか居ないっすからおれ…」
校則では、もちろん不純異性交遊は禁じられている。もっとも、ヒロが心配しているのはそちらの方ではなく、このパンダ
が友人達と何かヤンチャな真似をしでかさないかという事の方なのだが…。
「やっぱ…、デブってモテないっすよね…」
力なく苦笑いし、「ふぅ…」とため息をついたパンダに、ヒロは「まぁなぁ…」と、だぶついた顎を撫でながら頷く。
「…が、恋人ができないと限った訳でもないぞ」
微かな笑みを湛えて言ったヒロの顔を、パンダは「ん?」と首を傾げながら見つめる。
「もしかして、先生はその…、お、お付き合いしてる女性がいるんすかっ!?」
好奇心で目をキラキラさせ、身を乗り出したパンダに、ヒロは「居ないな」と、そっけなく応じた。
(付き合ってはいても、女性じゃあないからな…。ウソにはならんだろう)
そう心の中で呟いたヒロは、少し残念そうな顔をしているパンダに真面目な口調で言う。
「良いかササキ?学生は、学業が本分だ」
「う…!わ、判ってるっすよぉ…」
また説教されるのだろうか?と、耳を伏せて首を引いたパンダに、しかしヒロは、
「…が、きちんと節度を守っている限りは、俺は何も言わん」
と、とぼけた様子で付け足した。
いつもは厳しい担任が口にしたその言葉がよほど意外だったのか、パンダは目を丸くしてヒロの顔を見つめた。
「真面目に学び、真面目に楽しむ。どちらが欠けても学校生活の価値は半減だからな」
ヒロは顎を撫でながらそう締めくくると、呆けたような顔をしているパンダにニヤリと笑いかけた。
「…さて、話は終わりだ。帰ってよろしい。補習はサボるなよ?」
「う、うす!」
ペコッと会釈したパンダは、にへら〜っと、緩んだ笑みを浮かべた。
「な〜んだ…、もしかして先生にもイブを一緒に過ごす彼女が居るのかなぁ、なんて思ったんすけど、居ないんすねぇ…」
「期待に添えず、悪かったな」
ヒロがいつもの仏頂面に戻って応じると、パンダは「へへへっ!」と笑いながら席を立ち、ドアに向かう。
そして、ふと何かを思い出したように立ち止まった。
「あの…、先生…?」
ドアに手をかけたまま振り返った生徒を、ヒロはプリント等を挟んだ手元のボードから視線を上げて眺める。
「もしも…、もしもっすよ?もしも、好きになった相手が…」
パンダは言葉を途中で切ると、顔を俯けて下を見つめる。
自分から剥がれたパンダの視線が床の上で彷徨い始め、言葉も続かなくなったので、大虎は訝しげに首を傾げた。
「相手が、何だ?」
「あ…。いや、な、何でもないっす!」
顔を上げ、どこか硬い笑みを浮かべたパンダは、「失礼しましたっ!」と元気よく言い、相談室を出て行った。
一人残ったヒロは、訝しげに目を細めて太い腕を組んだ。
生徒が自分に向け、そしてすぐに外してしまった視線の中に、切なさや戸惑い、そして不安さのような物が混じっていたよ
うな気がして…。
窮屈さを覚える背広を纏い、駅を出たヒロは、すっかり雪化粧した駅前の景色を前に、白い息を吐き出した。
夕暮れ前から降り始めた雪は、まだそれほど厚く積もっている訳でもない。
だが、行き交う人々が残す、路面が黒ずんで透けた靴跡も、舞い降りる白綿に覆われて、じきに白く塗り込められる。
いつもその下でカズが待っている桜の木は、枝先に綿のような雪をつけ、まるで葉も無しに再び花を咲かせているようにも
見えた。
白い雪の桜を咲かせた木の下、綿帽子を被ったベンチには、今日は狐の姿は無い。
「お疲れ様、ヒロ!」
不意に横合いから声をかけられ、景色に見とれていた大虎は首を横に向ける。
クリスマスをイメージしてか、白いロングコートに赤いマフラーと手袋を身に付けたカズは、
「はいこれ。ヒロが背広なんか着るから、ほんとに雪が降っちゃった」
微笑みながら、その腕に抱えていたコートを差し出す。
「済まん。遅くなったな…。寒かったろう?」
「しかたないよ。雪のせいだもん。それより、早く行こう?」
「ん…」
今年、その関係を恋人に変え、付き合い始めたばかりの二人が、始めて迎えるクリスマスイブ。
二人で一緒に、予約していたチキンやケーキを受け取りに行くというのが、カズが提示したささやかな希望だった。
それぞれが傘をさし、駅から離れた二人は、イブに浮かれる、幸せな慌ただしさに満ちた街中へと足を運び、小さいながら
も可愛らしい外装のケーキ屋に入った。
煌びやかな装飾で飾り付けられ、クリスマスソングが流れる店内を、肥満虎は少々居心地悪そうに見回す。
(俺では、場違いもはなはだしいな…)
大柄な自分と同じくらいの大きさの、作り物のツリーを彩る、可愛らしい小物類を眺め、ヒロは心の中で呟いた。
サービスなのか、カウンターの上の「ご自由にお持ち下さい」という札が掛けられた篭には、形を整えられた赤いリボンが
山になっている。
そんなカウンターの上で、カズは店員の若い女の子から予約していたケーキとシャンパンを受け取ると、ヒロにケーキの箱
を手渡す。
なお、自分に見とれている女の子の熱っぽい視線には、狐は全く気付いていない。
「さ、帰ろ帰ろ!」
背中を押されてケーキ屋を出たヒロは、妙な感触を覚えて後ろを振り返った。
縞々でボサボサの尻尾の先を、狐は笑みを浮かべて軽く握っている。
「…放せカズ」
「でも、手を繋ぐのは嫌なんでしょ?」
顔を顰めたヒロは、白いため息を吐き出すと、
「帰ったら好きなだけ握ればいい。だから今は放せ…、恥ずかしいだろ…」
と、呆れた調子で呟く。
カズは「ん〜…」と少しの間唸っていたが、結局はフサフサの尻尾をハタタッと振り、頷いて手を離した。
思いの外あっさり引き下がった事に微かな違和感を覚えたが、ヒロは何も言わずに歩き出す。
掴まれていた尻尾の先に、なんとなく妙な感触が残っているような気もしたが、頓着せずに。
並んで歩く二人とすれ違った者達の内、数人が、振り返っては肥満虎の後ろ姿を眺め、クスクスと笑っていた。
アパートに戻って背広を脱ぎ、ネクタイを外したヒロは、ベルトを緩めてようやく楽になり、「ふぅ…」と息をつく。
(…ズボンがまずいな…。尻と脚の付け根が窮屈だ…。滅多に着ないが、新調しておくか?)
顔を顰めつつ、ジッパーを完全に下ろしたズボンをつまみ、広げて腰回りの隙間を覗き込む。
(…だが、あまり着る機会も無い物に金を使うのも、勿体ないというか何というか…)
痩せれば万事解決なのではあるが、ダイエットを試みて上手く行った試しはない。
たっぷりついた脂肪と被毛のおかげで、さして寒さは感じていないのか、トランクスとタンクトップ一枚になった大虎は、
生地が張ったシャツ越しに、たぷんとした腹を両手でさすってみる。
体型の変化というものは、毎日見ている自分では気付きにくい。
ヒロもまた、「気が付けばいつの間にかこんな事に…」という口である。
大学在学中はウェイトリフティングで鍛え、筋肉に覆われたガッシリした体付きをしていたヒロだったが、今となっては見
る影もない。
卒業して運動をやめた後、凝縮されていた筋肉がみな脂肪に変わったかのように、あれよあれよという間にブクブク膨れ、
現在に至る。
(…久し振りに会うヤツには、驚かれるもんなぁ…)
歩くだけでタプタプ揺れるようになってきた腹を撫でながら、肩を落としてため息をつくその背からは、何とも言えぬ哀愁
が滲み出ていた。
気を取り直してパジャマのズボンを穿こうとしたヒロは、
「ん?」
視界の隅で赤い物がちらついたような気がして、後ろを振り返る。
が、その赤いものはさらに後方へと回り込んで、振り返ったヒロの視界から逃れてゆく。
首を捻って、赤いものを目で追ったヒロは、尻尾の先にくっついたソレを見つめ、呟いた。
「…あいつめ…、いつの間に…?」
縞々の尻尾がくいっと持ち上がり、ヒロの目の前で赤いリボンが揺れる。
ヒロの尻尾の先には、蝶型に形を整えられた赤いリボンが貼り付けてあった。
それが、ケーキ屋のカウンターに置かれていた物である事に気付いたヒロは、
(…もしかして、ケーキ屋を出た直後、尻尾を握った時からか…?)
ケーキ屋を出た後、チキンやらビールやらを買って回っていた間も、ずっとそれがついたままだった事に思い至った。
(いやにあっさり引き下がったのは、これを悟らせない為だったのか…)
むすっとした顔で居間に戻ったヒロは、
「カズ…。悪戯も大概にし…」
言葉を切り、コタツに視線を固定した。
コタツの上には、大皿の上に円形に並べられた、飴色に焼けた鳥腿。
鍋の中で湯気を上げる、ジャガイモとニンジンのポタージュスープ。
そして赤と緑、白のトリコロールカラーのラッピングが施されたシャンパン。
食欲をそそるその香りに、思わず文句を中断したヒロは、
「お待たせ〜!一応ビールも冷やしてるけど、まずはシャンパンで良いよね?」
お盆にライスを乗せて台所から出てきたカズに、コクリと頷いた。
「カズ。俺の尻尾にリボン…」
「あ!?外しちゃったの?」
残念そうに言う狐には、悪びれた様子も無い。
「当たり前だ。悪戯もほどほどにしろと言って…」
「可愛かったのに〜!」
ヒロの文句を遮り、カズは残念そうに耳を伏せながら言った。
「可愛くない。むしろ恥ずかしい」
「え〜!?可愛かったよぉ!?」
「可愛くなど…」
「凄く可愛かったのにぃ〜…」
しごく残念そうに「可愛かった」を繰り返す、「悪戯をした」という自覚すら無いカズを前に、ヒロは指で眉間を押さえ、
疲れたようにそっと息を吐き出した。
(売れっ子の作家のくせに、何でこう世間とズレがあるんだ?)
考えて見れば、何人か紹介されたカズの知り合いの作家連中も、程度の違いはあれども変わり者揃いだったと、ヒロは思い
出す。
(むしろ、多少変わり者でないと、作家など務まらないのか…?)
「な〜に考え事しちゃってるの?」
難しい顔で考え込むヒロは、手を引かれて我に返った。
「冷めちゃう前に、食べよ?」
微笑むカズの顔を眺め、ヒロは微苦笑する。
悪戯好きで子供っぽいのも仕方がない、それも含めて、自分が好きになってしまったカズなのだから、と。
テレビの方向を向くようにして、コタツの隣り合う二辺についた二人は、シャンパンを互いのグラスに注ぎ合う。
「それじゃあ、メリークリスマ〜ス!」
嬉しそうに声を上げたカズが、自分に向かって差し出したグラスに、
「メリークリスマス…」
少々気恥ずかしそうに耳を寝せ気味にしたヒロが、カチンとグラスを合わせて応じる。
カズがオーブンレンジで温め直した、足先に銀紙が巻かれた鳥腿から立ち昇る、香ばしい湯気が食欲を誘う。
乾杯したシャンパンを、ビールでも飲むようにガブッと一口煽ったヒロは、さっそく鳥腿にかぶりついた。
満足げに「げふっ…」とげっぷを漏らし、腹をさするヒロの横で、デザートのケーキを出してきたカズは、紅茶を淹れなが
ら口を開いた。
「満足した?」
「大満足…。かろうじてデザートが入るぐらいだ…」
腹を撫でながら言ったヒロに、カズは微苦笑する。
「今朝、背広姿を見てからさ、今日も健康的なものに変えた方が良いかなぁ、なんて思ったけど…」
軽く顔を引き攣らせたヒロの顔を見遣り、カズは可笑しそうに口元を綻ばせる。
「年に一回だしね。カロリーオーバーや贅沢も、今日ぐらいは良いかなぁ、って」
「………」
ヒロは無言のまま自分の腹を見下ろし、ムニッと摘んでみる。
「…ところでカズ…」
ヒロは気を取り直すと、自分の前に紅茶をあてがってくれた恋人に、今日気になった事について、話をしてみる事にした。
受け持っている生徒が、気になるそぶりを見せていた。あれはもしや、恋煩いの前兆ではないのか?と。
生徒との会話の中身を一通り話したヒロは、「ん?」と眉根を寄せる。
「どうしたカズ?」
何故か耳を伏せて項垂れていたカズは、ヒロの顔をちらっと、上目遣いに見遣る。
「…あのさ…、ヒロ…」
「ん?」
「私なんかが恋人で、迷惑してない…?」
「…何だ突然に?」
訝しげに首を傾げたヒロが問い返すと、カズは再び俯き、尻尾をふさっと、小さく動かした。
「…だって、生徒に聞かれても、恋人の事話せないじゃない…」
カズには、ヒロの話の中の、生徒からされた質問が引っかかった。
「ヒロは、もともとノンケだし…。私が押しかけて、強引にくっついたような関係だし…。本当は、ちゃんと女の人と…」
カズはかつて、恋人に別れを告げられたその日、泥酔状態でヒロのアパートを訪れた。
不安、孤独感、喪失感…。それらから逃れたくて、無意識に救いを求めて訪ねた先で、友人は手を差し伸べてくれた。
それに縋り付き、抱いてくれと頼み、結果、受け入れて貰えて、今の関係に落ち着いている。
ヒロが心の内を多く語らない事から、カズは幾分、その事を負い目に思っている。
自分が、ヒロをこちら側に引き込んでいるのだと…。
「…カズ…」
ヒロの発した静かな声に、カズは僅かに顔を上げる。
「見損なうなよ?」
不機嫌そうに眉を上げ、そう言ったヒロの顔を、カズは少し意外に思いながら見つめた。
「嫌だったらはっきり言う。俺は俺で、満足しているからこうしてお前と一緒に居るんだ。状況に流されて、仕方なしにこう
やっているとでも思われているなら、はなはだ心外だ」
「…ヒロ…」
「俺自身望んでいるから一緒に居る!お前の事が好きだからああいう事もする!」
怒っているようにそう言ったヒロは、ハッとして目を見開いた。ビンッと立った縞々の尻尾がボフッと太くなる。
(な…、何を言ってるんだ!?俺は…!)
自らが口にした言葉で硬直してしまったヒロを、目を丸くして見つめていたカズは、
「…ぷっ…!」
口元を手で押さえると、俯いて肩を震わせ、笑い出す。
決まり悪そうに下を向き、頭を掻いているヒロに、
「ごめんなさい。そして、ありがとうございます。ヒロ…!」
カズは、笑い混じりで、しかし丁寧に、詫びと礼の言葉を述べた。
決まり悪そうに頷いたヒロを、微笑みながら見つめるカズは、自分は今、世界中の誰よりも幸せだと感じていた。
「…は、話が逸れたが…。それでどう思う?恋わずらいだと思うか?」
咳払いして話題を戻したヒロの前で、カズは笑いを納めて腕組みをした。そして視線を天井に向け、「ん〜…」と唸り始める。
執筆中などに時折見せる熟考モードに入った狐の思考を邪魔するまいと、ヒロは黙って返答を待った。
「こう言っちゃあなんだけど…、今は放っておくのが良いと思うよぉ?」
やがて、カズが口にした答えは、ヒロからすれば拍子抜けするほどあっさりとした、しかも何も事態が進展しないような物
であった。
「放っておく?関わるなって…、そういう事か?」
「ぶっちゃけるとそう。まず、恋わずらいかどうかって事だけど、それは情報が少な過ぎて判らないよ。当人が自分の事で悩
んでいるのか、それとも友人に相談されて悩んでいるのか、可能性が多過ぎて判断つかないでしょ?」
「それもそうか…。アイツは活発で、友人も多いからな…。相談されているという事も有り得るか…」
「で、ここからはあくまでも、その子が恋に悩んでいるって仮定しての話だけど、良い?」
顎を引いて頷いたヒロに、カズは話の先を続ける。
「男子校である以上、想い人は他校の生徒でしょ?私みたいなケースを除けばの話だけど…。でぇ、つまりは、教師がそれと
なく後押しする事なんて、まず不可能だろうな〜って事が一つ」
「…ふむ…。確かに厳しいな…」
「次に、それがバレた場合のデメリット。付き合えたとして、先生に交際が知られているっていうのは、どんな気分?」
「それは…。落ち着かないなぁ…」
「でしょ?で、今度は上手く行かなかった場合の話。自分が失恋した事を先生が知っている…。で、その先生が優しく接して
くる…。コレどう?」
「俺はこれ見よがしに優しくなんか…」
反論しかけたヒロの言葉を、カズはチッチッチッと指を左右に振って遮る。
「するよヒロは。私としてはもどかしい事に、これ見よがしじゃあ無いけどね。失恋して、優しく受け入れてくれたの、忘れ
てないもん」
悪戯っぽく笑ったカズから、ヒロはすいっと視線を外した。
「話を戻すよ?失恋した後、その事を知ってる先生から優しくされる…。嬉しいと思うか、いたたまれない気分になると思う
か、それともベッコベコにヘコむか、ひとそれぞれだけど…」
「…気まずく思う…か?」
「可能性としてはそれもあるね。しかも、助力を求めてないのに首を突っ込んで来た先生に、恋の顛末を知られる…。…これ
はキツいよぉ…」
「言われてみれば…、そうか…」
眉を八の字にして困り顔になったヒロに、カズはニンマリと笑いかける。
「私みたいな特殊なケースを除けばの話だけどね。私だったら、失恋した直後にヒロみたいな先生に慰められたら、たぶんコ
ロっと参っちゃうから」
「か、からかうな…!」
「ニシシッ!て〜れちゃってぇ!…で、私としてはそういう理由で、放っておけば?って思ったの」
「今のところはあまりつつかずに、そっとしておいてやれ、という事か…」
カズは頷いて応じた後、にま〜っと笑みを作る。
「それにしても…。生徒の恋愛について心配するなんて、急にど〜しちゃったのかなぁ?トラ先生はぁ」
「不純異性交遊は校則で禁止されているからな。目を光らせているだけだ」
「まったまたぁ〜!こ〜のツンデレぇ〜っ!」
「ち、違うっ!」
「慌ててそう否定するトコがまたツンデレぇ〜っ!」
ぶすっとした顔をするヒロに、カズは「ニシシ〜!」と笑って見せた。
大虎は仏頂面で恋人から視線を外すと、ぬるくなりかかっていた紅茶を、ガブっと一息に飲み干す。
それからふと思い出したように、パジャマのズボンのポケットに手を伸ばした。
ズボンのポケットに手を突っ込み、薄い、小さな箱を取り出したヒロは、
(そ、そろそろ…、い、良い…かな…?)
紅茶のおかわりを淹れてくれている狐の顔をチラチラと盗み見つつ、しばし迷っているような素振りで、大きな両手で持っ
た小箱をコタツの中で弄ぶ。
やがて、口元に拳を当てて「ゴホン…」と咳払いしたヒロは、
「あのな…、カズ…」
と、やや躊躇っているように口を開いた。
紅茶を用意する手を止めず、「なぁに?」と聞き返した狐に、大虎はもじもじと体を揺すりながら、コタツの中から引き抜
いた手で、箱を差し出した。
「く…クリスマスだから…。ほら…、あの、プレゼントを、だな…」
恥ずかしさで顔を熱くしたヒロは、(ガラじゃないなぁ、どうにも…)と、胸の内で呟く。
ヒロが、その生涯で初めて、恋人に贈る為に用意したクリスマスプレゼント。
差し出されたカズの方はというと、驚いて目をまん丸にしていた。
プレゼントを貰ったというその事よりも、プレゼントを手渡すというそれだけの事で、すっかり上がってしまっているヒロ
の様子に。
(付き合い始めたばかりの、中高生みたい…!)
クスクスと笑ったカズは、ヒロの手からそれを受け取り、
「ニシシッ!ありがとう、ヒロ!」
身を乗り出して、大虎のぷっくりした頬に口付けした。
照れているのか、俯き加減でモジッと身じろぎし、無言で小さく頷いたヒロに、カズは尻尾をバタバタと振りながら「あり
がとっ!」と繰り返す。
「USBメモリーかぁ…。すごいね?64MBだって…」
ラッピングすらされていないその箱には、先日二人の話題に上った、記録媒体が収まっている。
最近ようやく国内メーカーでも生産され始めた新型のそれは、カズがこれまでに使用してきたフロッピーとは、比較にもな
らない容量を持っていた。
実用性重視、しかも包装すらされていないプレゼントを両手で大事に支え持ったカズは、実にヒロらしいと、クスクス笑う。
「それじゃあ、私の方も…。ちょっと待っててね?」
カズはそう断って寝室に引っ込むと、箪笥の引き出し、自分のトレーナーを畳んで重ねた下に隠しておいたプレゼントを、
満面の笑みを浮かべながら引っ張り出した。
(気に入ってくれるかなぁ…?)
用意していたプレゼントを手にして戻って来たカズに、
「クリスマスだからと、気を使わなくて良かったんだぞ…」
と、ヒロは耳を寝せて済まなそうにボソボソと呟く。
「自分の事は棚に上げて、な〜に言ってんのぉ〜?」
狐は笑いながらヒロの隣に寄り添って座る。
コタツに入れるようにと、大虎がもぞもぞと尻をずらして空けた狭いスペースに、カズは満足気に足を入れた。
「はい!私からのメリークリスマスっ!」
ヒロの胸の前に、横からプレゼントを差し出すカズ。
大虎が手渡したプレゼントとは違い、こちらはきちんと、クリスマス仕様のラッピングが施されていた。
それを目にしたヒロは、自分も恥かしがらずにラッピングを頼むべきだったと、軽く後悔する。
「あ、開けてみても良いか?」
「どーぞっ!」
包装紙を破く事すらはばかり、慎重な手付きでリボンを解き、そろそろと捲ったヒロは、中から現れた茶色い小箱を目の前
に翳す。
大きくした目でそれを見つめながら、蓋を開けると、
「…時計か…!」
それは、大きな針と文字盤を持つ腕時計だった。
作りそのものがシンプルで大きいそれは、しかしごついデザインではなく、どこか優しげな雰囲気を醸し出している。
本体はシックなメタルグレーで、茶色い革製のバンドはつやつやと光沢を帯びていた。
奇妙な事だが、初めて見るはずのその時計に、ヒロは何故か見覚えがあるような気がした。
「ヒロの腕時計、最近頻繁に遅れるようになって来たでしょ?それで、時計なんか良いかなぁって思ってたんだけど、これ見
たら一目惚れしちゃってさぁ。ろくに選びもしないで決めちゃった!ね?着けてみてよ?」
ヒロはおずおずと頷くと、太い手首にベルトを巻く。
初めてはめるにも関わらず、しっくりとくるその感触を不思議に思いながら固定すると、ヒロは「あっ!」と、驚いたよう
に声を上げた。
「この時計…、俺が前にしていたヤツと、同じメーカーの…」
「うん。海で無くしちゃったヤツ」
それは、ヒロとカズが出会ったばかりの頃、まだ二人が大学生だった頃に、ヒロがつけていたものと同じメーカーの腕時計。
仕様やデザインが変わり続け、以前身につけていた物とはだいぶ様変わりしてしまっているが、
(どうりで見覚えがあるような気がした訳だ…)
と、ヒロは苦笑いしながら納得した。
恋人は覚えていたのだ。自分とカズと、先輩のコリーと、もう一人の友人と四人で、遠くの海へ泊りがけで出かけた、あの
時に無くした時計の事を。
そう考えたら、ヒロは気恥ずかしいような、嬉しいような、そして懐かしいような、様々な物が入り混じった微妙な気分を
覚えた。
まだ二人がただの友人同士で、カズが元の恋人と付き合っていた頃の、仲間内での旅行…。
(もう、随分と前の事なのにな…)
閉じた口元を微かに綻ばせ、耳を寝せ、目を細くしたヒロの笑みに、
「お?珍しい顔…」
カズは面白がっているような表情を浮かべて見入った。
「嬉しいぞぉ?ありがとうなぁ、カズ…」
時計から視線を外して自分に顔を向け、弛んだ表情で微笑みかけたヒロを眺めながら、
(…良い顔…)
眠たげに目を細め、耳をペタンと寝せた、優しげな、弛緩した表情…。
見ていると安心する、何とも柔和な笑み…。
カズは、少しぼぅっとしながら、その珍しい表情に見入っていた。
「どうかしたのか?」
訝しげに尋ねたヒロに、カズは耳をピンと立てて、少し慌てているように首を横に振る。
(珍しい顔で笑いかけられたもんだから…、胸にキュンっと来ちゃったよぉ…)
「いや…、つっかえもしないであっさり「嬉しい」って言えるなんて、珍しいなぁって思って」
「…そうか?」
鼻の頭を掻いた大虎に、カズは満面の笑みを向けた。
「あの民宿。今度また行きたいね?」
「そうだな…。夏になったら行くか?またレンタカーで」
「ニシシッ!さんせー!ヒロと一緒に旅行だなんて、何年ぶり?皆で大学の卒業旅行に行って以来じゃない?」
「言われて見ればそうだったな?俺は職場の、お前は取材の旅行。これまではそれぞれ別々だったなぁ…」
「ふふふっ!楽しみだねっ!」
楽しげに笑いかけるカズに、ヒロは苦笑いを返した。
「大丈夫だ。…今までは頭に無かったからな、今年もどこかに行っておけば良かった…。悪かったなぁカズ…」
「おっけーおっけー!でさぁ、ヒロ。話は変わるんだけど…」
表情を改めて身を乗り出したカズに、ヒロもまた苦笑いを消して、真面目な表情で頷く。
「せっかくのクリスマスなんだし、エッチしよ?」
意表を突かれたヒロは、カクンッと口を空けた。
「…ふぅ〜…。真顔で切り出すから、真面目な話しかと思えば…」
呆れたような口調と大げさなため息は、しかし照れ隠しでもある事を、カズは見抜いている。
「真面目な話だよぉ〜!いいでしょ?ね?ね?」
体をすり寄せ、懇願するように下から顔を見上げて来るカズを半眼で見下ろし、ヒロはポリッと頬を掻く。
「…まぁ、明日は…、休みを取ったしな…」
「やったぁっ!ヒロだ〜い好きっ!」
カズにガバッと抱き付かれ、ヒロは「おっと…!」と、後ろに手をついて体を支える。
体を預けて密着し、催促するように目を閉じ、顔を突き出すカズに、
「………」
ヒロはしばし困り顔で頬を掻いていたが、やがて諦めたようにため息をつくと、おずおずと、静かに唇を重ねた。
ザーっと、シャワーの音が響く浴室で、湯船のへりの上で腕を組み、その上に顎を乗せたカズは、ヒロが頭を洗っている様
子を眺めている。
泡を立てて頭をガシガシと洗っている恋人に、「ねぇヒロ」と声をかけると、キツネはニンマリと笑った。
「脇腹。たっぷり具合が増してるね?」
ヒロは答えず、しかし無言のまま心の中で呟く。
(そうやってからかわれるから、一緒に風呂に入るのは嫌なんだよ…)
そもそも浴槽が狭く、ボリュームのあるヒロ一人が入っただけで埋まる浴槽である。
カズはそこに無理矢理入って来る。…というよりも、浸かっているヒロの上に乗ってくる。
さらに、乗って来るだけに飽き足らず、ヒロが言う所の悪戯をする。
そして、悪戯の延長で、なし崩しに行為を迫られる。
カズが甘え上手な上に、普段は仏頂面でそっけなく見えるヒロも、実は甘えられると弱いのであった。
そういう事情もあって、ヒロは常ならばカズとは入浴を別にしているのだが、今日のところは、「今夜ぐらい良いじゃない、
クリスマスなんだからっ!」との魔法の言葉で、丸め込まれて承諾してしまった。
さほどクリスマスに特別な思い入れも無いのだが、カズに「クリスマスだから」を連呼されたヒロは、
(そうだな、クリスマスだしな…)
と、どういう訳か、自分でも訳が分からないながらも納得させられてしまっている。
やがて、泡を流し落とそうと、目を閉じたまま手探りでシャワーを求めたヒロは、
「…ん?」
ペタペタと手で壁のタイルを探り、シャワーヘッドがかけられているフックに、何も無い事を確認する。
頭を洗い始めるまでは確かにそこにあったシャワーヘッド。それが何故無いのかという原因に思い至り、ヒロは全身の毛を
逆立てた。
「か、カズっ!?何するつもりだ!?」
椅子をひっくり返して立ち上がったヒロの尻尾、その根本を、しなやかな細い五指がキュッと掴んだ。
不意打ちで軽く仰け反ったヒロの背中に、ペタッと、豊かな被毛に覆われた細身の体が密着する。
「ふふっ!信用無いなぁ私。今度は悪戯じゃないよ。体を流してあげようと思っただけ」
クスクスと笑いながら言われたヒロは、気まずそうに「そ、そうか…。悪い…」と唸ると、位置を直してもらった椅子に、
手探りで座る。
しなやかな指が泡だらけの頭を撫で、温かい湯が注がれる。
その優しい手付きと、指先が軽く押してくるマッサージの心地良さに、ヒロは身を委ねた。
湯を吸って重くなった縞々の尻尾の先が、ピタンっと湿った音を立てて床を軽く叩く。
気持ち良いのだと悟ったカズは気を良くして、ヒロの後頭部から首筋までをマッサージし始めた。
「ねぇヒロ」
「ん?」
「私、幸せだね」
「…何だ急に?」
訝しげに言ったヒロに、カズは「ふふっ!思っただけ!」と、満面の笑みで応じた。
風呂から上がった二人は、湯上りの体がほかほかと温かい内に、ファンヒーターで暖めておいた寝室へと真っ直ぐに移動した。
トランクス一枚の格好で、畳んだ服を片付けているカズの後姿を、同じく下着一枚のヒロは、ゴクリと喉を鳴らして見つめる。
無駄な肉がほとんどついていない、細身で華奢な体。キツネ色の被毛は毛並みも艶も良い。
すらりとした手足に、フサフサの尻尾。何を着せても似合う、スタイルの良い後姿。
自分とは大違いなその恵まれた容姿に見とれていたヒロは、はっと我に返った。
(…男同士という事に抵抗が無くなったどころか…、今じゃもう、すっかりカズに惚れてるな…)
以外にも適応力があるものだなぁと、自分の事ながら呆れ、そして嬉しくなった。
初めて体を重ねたあの日に、ヒロはじっくりと考えた。これは、同情心からなのかと。
だが、今では確信を持って言う事ができる。一時の同情心からではなく、本心からカズの事を好きになり、付き合っている
のだと。
振り返ったカズは、突っ立ったままのヒロを見て、「ニシシッ!」と歯を見せて笑った。
「見とれちゃってたのかなぁ?ヒロ。待ちきれない?」
「ち、違う…!」
不機嫌そうな顔を作ったヒロに歩み寄ると、カズは首に腕を回し、抱きついて唇を重ねた。
押し付けた唇の間から舌を入れ、ヒロの舌に絡ませ、激しくかき回す。
最初こそ棒立ちで目を丸くしていたヒロは、ゆっくりとその腕をカズの背に回すと、ぎゅっと、少し力を込めて抱き締めた。
「ふふっ!結構久し振り…!」
笑みを零して呟くなり、カズは「ん?」と眉根を寄せ、密着していた体を少し離して下を見る。
丸く出っ張り、垂れ下がり気味の大虎の腹。その下のトランクスが、モコっと盛り上がっていた。
カズと比べて20センチばかり背が高いヒロだが、腰の位置は少し高い程度。触れ合った股間の感触で、カズはその正直な
反応に気付いたのである。
…もっとも、それだけ身長に比してカズの脚が長く、ヒロの脚が短いという事になるのだが…。
ヒロは気まずそうに顔を顰めるが、カズは嬉しそうに微笑む。そして、股間のふくらみにそっと手の平を当て、ククッと先
端を撫でた。
それだけで「うっ…!」と呻いたヒロの反応に気を良くすると、カズはたるんだ腹の下に手を入れて、ピッチリと張ったト
ランクスのゴムに指をかける。
ずり降ろされたトランクスのゴムが一度引っかかった後、勃起した太い逸物がぶるんっと跳ね、弛んだ下腹部を打つ。
勃起しても皮を被ったままの、重度の仮性包茎の逸物…。
太さには自信があるものの、被った皮がヒロにとっての不満な点であった。
やがて、片足ずつあげてトランクスを完全に脱がされると、
「今度は…俺が…」
ぼそぼそっと言ったヒロは、カズの前で屈み込み、トランクスに手をかけた。
不慣れながらも、慎重かつ丁寧な手付きでトランクスを脱がせるヒロ。
恋人の広く分厚い両肩に手を当てて、片方ずつ足を上げて脱ぐカズ。
やがて、全裸になって向かい合った二人は、片や縞々の尻尾を落ち着き無く揺らし、片やフサフサの尻尾を左右にハタハタ
と振る。
「溜まってたんでしょ?」
「そ、そう言うカズも…」
互いの股間で勃起している、それぞれの逸物を見遣り、二人は小さく吹き出す。
二人のそれらは、既に先端からよだれを垂らし始めていた。
ベッドの上で抱き合った二人が唇を離すと、唾液が細くアーチを作り、切れて落ちた。
胡坐をかいたヒロの脚の上に、横向きに尻を乗せたカズは、首をすくめ、大虎の柔らかい胸に頬を寄せる。
顔を押し付けた左胸から鼓動を聞きながら、右胸に手を当てる。
丸みを帯びて垂れている豊満な胸を、指が沈み込む感触を楽しみながらもみしだくカズ。
その三角の耳を甘く噛みながら、ヒロは熱い吐息を漏らした。
カズの手が胸から下がり、鳩尾を撫で、窪んだ臍を指でなぞり、弛んだ下っ腹の下に当てられる。
たっぷりと贅肉がついたそこを、下から手の平を当てる形で押し上げ、たふたふと揺すると、カズは笑みを深くした。
「ニシシ…!いい手触り…!ムニモフムニモフ良い具合っ!」
タプタプと揺られている腹を困り顔で見下ろしたヒロは、カズの首に回した腕をそっと下げ、フサフサの尻尾に指を埋めた。
長く、密生している被毛の中に入り込んだ太い指が、尻尾本体を優しく捕らえ、くっくっと摘むようにマッサージする。
反応した尻尾がハタタッと、緩やかに左右に振られ、カズは気持ち良さそうに目を閉じた。
柔らかく暖かいヒロの体に、ひたりと身をすり寄せて甘える狐。
細くて華奢なカズの体を、抱き寄せて感触を噛み締める大虎。
しばらくの間、互いの体の感触と温もり、鼓動と息遣いを感じながらじっとしていた二人は、やがて軽いキスを交わして身
を離した。本番の準備をする為に。
促されて仰向けになったヒロの股間に、さかさまに覆いかぶさったカズが顔を埋める。
肉棒を、音を立ててしゃぶられ、低く呻きながらも、ヒロはカズの尻に指を当て、ローションを塗り込んでいる。
肉付きの良いむっちりした股間で屹立する、太い虎の肉棒をしゃぶっていたカズは、その先端までを覆う皮に指をかけ、め
ろっと捲った。
あらわになった丸々とした亀頭に、カズは愛おしげに舌を這わせ、チロチロと舐めた。
尻の穴を太い指でほぐされ、その息が弾む。
弾んだ息を鈴口に吐きかけられ、太った体を小さく震わせたヒロは、カズの肛門の中に潜り込ませた指で、そこをゆっくり
とほぐし続ける。
本番が始まってしまえば、敏感なヒロは余裕が無くなる。
愛撫できるのは今の内だけとばかりに、空いている方の手で、カズのおいなりさんを軽く握り、マッサージした。
(ヒロったら、だいぶ慣れて来ちゃって…。頑張って色々教えた甲斐があったなぁ…)
尻と急所を弄られる感触に興奮を覚えながら、カズはそう、嬉しく思った。
最初は、同情から仕方なく身を委ねさせてくれたのだと思った。
だが、口数の少ない仏頂面の大虎が見せる、控えめながらも真っ直ぐな優しさが、自分を求めてくれるその手が、何よりも
饒舌に内心を吐露してくれた。
それでも、元々はノンケであるヒロは、普通に女性と付き合った方が幸せだろうと、そう思う事もある。
自分がこちら側に引き止めているのだと、時には罪悪感すら覚える。
今日は、押し殺してきたそんな思いがつい口から出てしまったが、厳しい口調で嬉しい事を言ってくれたヒロに、感謝して
いる。
だから今は胸を張って言える。自分とヒロは恋人同士なのだと。
「うっ…!ヒロ…、そろそろ、良さそう…」
「ん…。それじゃあ…」
尻から太い指を抜かれる感触に、カズは「んっ!」と目を瞑る。
ヒロの上でゆっくりと身を起こし、向きを変えたカズは、腰を浮かせたその状態で、
「…い〜ですか〜?」
ヒロのだぶついた腹に両手をついて身を乗り出し、小首を傾げて悪戯っぽく微笑む。
口を引き結んだヒロが頷くと
「じゃ、入りま〜っす!」
カズはそう宣言をして、ヒロの太い男根に手をあてがい、ゆっくりと腰を下ろしてゆく。
肛門に亀頭が触れ、次いで重みをかけられ、肉棒が押し縮められるような圧迫感を覚えたヒロは、目をギュッと閉じて歯を
強く噛み締め、その瞬間に備える。
やがて、抵抗が消えると同時に、ヒロの亀頭はズブッと、カズのアナルに潜り込んだ。
「んっ…う…!」
呻くヒロの顔を眺めながら、カズは弾みそうになる息を殺し、さらに腰を落としてゆく。
ズプッ…、ププッ…、ズッ…
体の中から伝わって来る、ヒロの太い逸物が直腸を擦る感触に、カズは「はぁっ…」と息を吐いた。
やがて、完全に逸物を腹中に飲み込んだカズは、薄く目を開けたヒロに笑いかけた。
「ふぅ…。ふっとぉい…!あっつぅい…!どう?久し振りの挿入は?」
「…ん…。あったか…い…。柔らかくて…、あっ!」
カズが締め付けを強くすると、ヒロはブルッと身震いして声を漏らした。
「す〜ぐイっちゃヤだよ、ヒロ?」
悪戯っぽく笑ったカズが腰を揺すり始めると、ヒロは「ふぁっ…!」と声を漏らし、背を反らす。
カズが腰を揺するのに合わせ、ヌチュッ、ヌチュッ、と湿った音が、腸液と先走り、ローションでぬめった二人の結合部か
ら漏れ聞こえる。
最初こそ、ヒロの太い逸物を受け入れるのは大変だったものの、連日一人努力を続けて来たカズは、今ではあまり抵抗無く、
全部飲み込めるようになっている。
カズが腰を振るその動きに合わせ、太ったヒロの体が揺れる。
たゆたゆと波打つその腹に手をつくと、カズは尻に力を入れながら、上下の動きを小刻みなものに変えた。
「あ、ちょ、まっ…!か、カズっ!ゆ、緩めてくれ!そんな締めたまま、っぐぅ…!はげ、し…!イ、イくっ!イっちまうか
らっ!勘弁!ほんと勘弁!」
両目を固く閉じて懇願し、目尻に涙を浮かべて歯を食い縛るヒロの顔を見て、カズは一度動きを止める。
「敏感過ぎだよヒロぉ…!息子さん、いっつも皮被ってるから外部からの刺激に敏感なんだよきっと?過保護過ぎぃ」
「そ、そんな事…、ふぅ…、言われても…」
普段なら不機嫌そうな仏頂面で応じる所だが、ヒロは涙目になりながら弱々しく声を漏らす。
立て続けに送られた快感が、臨界寸前まで蓄積され、余裕が無い様子である。
ヒロがタチ、カズがウケ、二人のポジションはそれで固まっている。
が、アドバンテージの方はご覧の通り、ウケのカズがしっかり握っていた。
失恋経験の方は割と豊富でも、それまでに誰かと付き合えた経験は無く、何から何までが始めてだったヒロは、最初からカ
ズにリードを任せている。
「そろそろ良い?」
ヒロの腹を両側から手の平で挟み、ゆさゆさ揺すって催促するカズ。
「あ、あんまり、腹弄るなって…!か、感じ…る、だろ…!」
「ぽよぽよ…。ぽよぽよぽよ…」
「こら…、止めろ…って…!」
小休止中にも、ヒロのむっちりした胸やら腹やらを撫でさすっていたカズは、抗議しながらもヒロの呼吸が落ち着いて来た
事を確認すると、
「じゃ、再開っ!」
と、腰を浮かせた。
「え?ちょ、ちょっと待って…!まだ…、んぁっ…!」
再び腰を動かし始めたカズは、今度は最初から激しく揺する。
「あっ!あひっ!か、カズ…!ふぅ…!カズぅ…!ま、待って…!待ってっておい!んぐぅ!」
「だぁめぇ〜!はぁ…、あんまり、焦らさないで、よぉ…!えい、ぎゅぅううううう〜…!」
「あふあぁぁああああああっ!」
アナルをぎゅっと締め付けられ、ヒロは頭を抱えて仰け反る。
「ひっ!はっ!あ、あぁっ!ダメだっ!もぉダメ…!か、カズぅ…!お、俺、もぉ、イっちま…、うぅうううっ!」
「も、もぅ…!はぁっ!しかた、ない、なぁ…。はぁ、ヒロったらぁ…!」
どちらからともなく伸ばした両手。その手の平が重なり合い、指が絡められる。
互いの手をしっかりと握りあいながら、
「か、カズぅ…、カズぅ…!ご、ごめ…、ひぃ…、ふぅ…!もぉ、が…、我慢、できな…!」
「い、良い、よぉ…!はぁ…、ひ、ろぉ…、イっても、良いから、ねぇ…!」
許可が下りたから、という訳でも無いのだろうが、ヒロの男根は、カズの中で一層怒張した。
「あ、ぎ…!あぐぅううううううううっ!」
背筋を反らして太った体を震わせ、ヒロは頂きに達した。
狐の腹中に飲み込まれた、丸々とした鈴口から、ビュビュッと勢い良く、精液が迸る。
「んっ!ぐっ!うぅっ…!」
ブルッ、ブルルッと、何度も体を痙攣させ、大虎は狐の中へ、ドプドプと精液を送り込む。
目を閉じ、自分の中に注がれる熱い感触を噛み締め、カズもまた背を反らして天井を仰ぐ。
ググッと反り返った太い逸物で、腸内を押され、前立腺を刺激されたカズの亀頭から、とうとうと汁が零れ始める。
「ひ、ヒロぉ…!もう、ちょっと我慢っ…、してて、ねぇ…!」
「はぁ…!ひぃ…!…へ?」
射精の余韻に酔いしれ、目を閉じて脱力していたヒロは、薄く目を開けてカズの顔を見る。
ヒロの腹の上に手をつくと、カズは目を閉じて歯を食い縛り、まだ硬さを保っているヒロの逸物の感触を味わう。
そして、ゆるやかに腰を振って、自ら前立腺を刺激し始めた。
「あっ!あふっ!か、カズ!まっ…、んぎぃっ!まって!い、イったばかりで、お、俺まだ…、はぐぅっ!」
充血して敏感になっている亀頭が、カズの中で強く擦られ、ヒロは悲鳴に近い声を上げる。
「あ、ひっ!あ、あぁっ…!か、カズぅ!カズ!か、かか勘弁、してくれぇ…!」
「だ、だぁめぇ!はっ、わ、私も、良い、トコなんだか、らぁ…!…あ、あ、良い…。んっ!キ…たぁ…!」
ビクッと身を硬くしたカズの亀頭から、トプトプと、白い液体が零れ落ちる。
ヒロの腹に乗せていたカズの手、そのしなやかな指が、快感を噛み締めながら、そのむにっとした腹をぎゅぅっと掴む。
「いっ!?いたっ!いだだだだだっ!や、やめっ!放せカズっ!あ、でもちょっと良…、って、やっぱりいだぁあああっ!」
両手で鷲掴みにされた腹に指が食い込み、ヒロは情けない声を上げた。
やがて、長く息を吐いたカズは、脱力してヒロの上に倒れ込む。
その拍子に、ヒロの逸物が肛門からチュポッと抜け、中に放たれていた精液がとろとろと流れ落ち、ヒロの股間を濡らした。
「いってぇえええええ…!酷い事するなよカズ…」
涙目になって顔を顰めるヒロに、顔を間近で突き合わせたカズは、へにゃ〜っと、緩んだ笑みを向けた。
「ごっめぇ〜ん…。はぁ〜…!良かったぁ〜…」
ペロッと舌を出して謝ると、カズは顔を横向きにして、ヒロのたるんだ顎の下に鼻を入れ、甘えるように擦りつけた。
「良かったぁ?ヒロぉ…」
「ん…、気持ち…良かった…」
照れ臭そうにボソボソと応じながら、ヒロは恋人の背に回したその手で、きつね色の毛皮を優しく愛撫する。
満足げに息を吐いたカズは、自分の身体が沈み込む、その柔らかな大虎の体の感触を味わいながら、
「ふかふか〜…、たぷたぷ〜…、ちょっと緩いウォーターベッドみたい…」
「…妙な例えを持ち出すなよ…」
軽く顔を顰めて応じたヒロは、カズの背をさすってやりながら、その華奢な恋人の体の感触をじっくりと味わった。
手放すものかと、そう思う。
孤独も、哀しみも、傍に居て遮ってやる。防ぎ止めてやる。
こんな自分に、誰かを愛し、誰かに愛される幸せを教えてくれた最高の恋人への礼に…。そう、ヒロは心に刻み込む。
大きな手が優しく背をさする心地良さから、まどろみに引き込まれつつ、カズはヒロの首筋から頬をゆっくりと撫でていた。
離れたくないと、そう思う。
愛想を尽かされでもしない限りは、こうして傍に添い続け、精一杯世話をやいてやろう。
崩れそうになった自分を受け入れて、支えてくれた最高の恋人への、それが恩返し…。そう、カズは胸の内で繰り返す。
「ねぇヒロ…。私、幸せだよ…。ヒロはどう?」
「…訊かなくても…判るだろう…」
「だぁ〜めぇ〜…。ちゃ〜んと言ってよぉ〜…」
「…知らん…!」
「ケチぃ〜!ヒロのケチぃ〜!ケチおデブぅ〜!そうやって溜め込むから太るんだぞぉ〜?」
「そ、それとこれは関係無いだろう…!」
「ありますよぉ〜だ。おデブさ〜ん…、照れ屋さ〜ん…」
「デブで悪かったな…」
むすっとした顔で呟いたヒロは、カズの言葉が続かなくなったのを訝しみ、僅かに首を上げ、恋人の顔を覗き込む。
「…すぅ〜…くぅ〜…」
自分の胸に頬を乗せ、口を半開きにし、よだれを垂らしかけながら、カズは寝息を立てていた。
その、何とも無防備な、子供のような寝顔を眺め、ヒロは目を細めて優しく微笑んだ。
この先もずっと、繋いだ心がほどける事は、きっと無い。
幸せに踊るその街の、目に映る全てが煌いて見えた、満ち足りた二人のクリスマス…。