私立醒山学園男子寮三号棟の秋の長夜

秋の訪れで色付き始めた山々に囲まれる、道北にあるのどかな山間の街。その街の中心に聳える私立醒山学園。

その寮のエントランスホールで、ジャージに身を包んだ体格の良い猪獣人は、首を傾げて二人の男を見つめていた。

「お久しぶりです」

180センチを超える筋肉質な体付きの虎が頭を下げると、彼と向き合って立つ、フサフサした金色の被毛が美しい犬獣人

は、歯を剥いて整った顔に人懐っこい笑みを浮かべる。

「ぃよお!元気そうだなオジマ。またガタイ良くなったんじゃねーか?ははは!」

こちらもなかなかに長身な犬獣人は、張りのある笑い声を上げると、筋肉で盛り上がった虎の肩をバシバシと乱暴に叩く。

階段を降りてきたムクムクした白い毛に覆われた羊と、コロっと太った垂れ耳の猫は、寮の玄関に立って話をしている二人

に視線を向け、次いで猪に視線を向けた。

「お客さんなの?オジマ先輩の知り合い?」

歩み寄って顔を見上げてきた、自分よりもだいぶ背の低い羊の問いに、猪は肩を竦めて見せる。

「らしいけれど、オレも知らないひとだよ」

「ん〜?あ、他の寮のセンパイか?」

次いで発された太り気味のスコティッシュフォールドの問いに、猪は首を横に振って応じた。

「違うと思う。久し振りって言っていたし、何より、校内でゴールデンレトリーバーを見た事はないからな」

ひそひそと話をする一年生達に気付いたのか、虎と向き合っていたゴールデンレトリーバーが首を巡らせ、三人に視線を向

けて目を細める。

「んー?どいつも初めて見る顔だな?」

「三人とも一年生です」

ゴールデンレトリーバーと向き合っていた、筋骨逞しい虎獣人、二年生の尾嶋勇哉(おじまゆうや)は、階段の傍に突っ立っ

て自分達を眺めている三人を手招きした。

「こちらは、俺の二つ上の先輩で、昨年の寮監だ」

二人に歩み寄った一年生達はオジマの言葉を聞くと、一様に驚いた様子で目を丸くした。

「羽取金示(はとりきんじ)ってんだ。よろしくな後輩共!」

ニカっと笑って自己紹介したレトリーバーに、三人は揃って頭を下げた。

「飯野正行(いいのまさゆき)です。初めまして先輩」

「麻賀洋(あさがよう)と言います。よろしくです、ハトリ先輩」

「どもっス!おれ数河公康(すごきみやす)っス!」

猪と羊とスコティッシュフォールドが挨拶し終えると、オジマは玄関ホール内に視線を走らせた。

他の寮生が話を聞いていない事を確認すると、虎は声を潜めてレトリーバーに囁く。

「…俺達と同類です」

「あん?」

目を丸くしたハトリは、一年生三人の顔をまじまじと見つめた。それからオジマに視線を向け、かなり驚いている様子で尋

ねる。

「…マジでか?」

「はい」

「…三人とも?」

「はい」

「っか〜…!何だよ何だよ何だよオイ!何でおれが卒業した後でンな楽しそうな事になってんだぁココ!?はははははっ!」

額をぴしゃっと手で打ち、天井を見上げたレトリーバーは、楽しくて仕方が無いと言った様子で肩を揺すりながら笑う。

キョトンとしていた一年生三人は、互いに顔を見合わせ、

「え?あれ?」

「「同類」…、「俺達と」…?」

「…まさか…?…ユウヤ、それって…?」

イイノは思わず、二人きりの時にしか口にしない下の名前でオジマに尋ねる。

「ま、そういう事だ。改めてヨロシク、なっ!」

驚きの表情を隠せない一年生達に、レトリーバーはニンマリと笑いかけた。

詳しい話を聞きたいのは山々だが、初対面のOBにここでそこまで尋ねて良い物かどうかイイノが迷っていると、

「ハトリ寮監!?」

ホールに驚き混じりの澄んだ声が響いた。

一同が視線を巡らせれば、階段の途中で手すりを掴み、立ち止まっている人間の男子の姿。

やや幼さが残る整った顔に驚きの表情を浮かべ、円らな瞳を大きく見開いている。

平均よりやや低めの身長の男子は、細身の体にグレーのトレーナーを纏い、タイトなジーンズを身につけていた。

これから外出するのか、ウィンドブレーカーを脇に抱え持った男子の姿を目にし、ゴールデンレトリーバーは相好を崩した。

「おっ!?アスカ!元気にしてやがったか!?」

「はいっ!」

足早に階段を降りて歩み寄って来た三年生に、ゴールデンレトリーバーの前に集まっていた一年生達が道を空ける。

「お変わりないですか寮監?」

変声期前の少年のようなクリアボイスで尋ねながら、童顔一杯に笑みを広げる後輩に、ハトリは苦笑いを浮かべて見せた。

「おいおいおい、おれぁもう寮監じゃねーっつーの!」

「っといけね…、そうでしたね…!」

苦笑を返した三年生は、長身のレトリーバーの顔から視線を外し、その背後で開いたドアに顔を向けた。

胸元に抱いたコンビニの袋に視線を落としながら、ドアを開けてホールに入って来たのは、薄茶色のムクムクとした大きな

生き物である。

身長2メートル強、体重190キロ強の大きな同級生の姿をみとめ、三年生の男子は笑顔で大きな声を上げた。

「あ!ヤマト!ハトリりょうか…、じゃない、ハトリ先輩が来てるぞ!」

「んぁ?」

コンビニ袋から顔を上げたのは、羆の男子である。

モサモサの毛に覆われた顔は大きく、くっきり黒い眉は太く、まるまるむっちりと肥えた体型をしている。

男子寮三号棟の現寮監である大和直毅(やまとなおき)は、同級生の飛鳥典行(あすかのりゆき)の顔を見遣り、次いでそ

の手前に立つゴールデンレトリーバーの顔に視線を移す。

「………」

「ぃよお!?変わりねーかヤマ…」

ハトリの言葉は、ヤマトの腕から滑り落ちたコンビニ袋が、床に落ちた音で中断された。

「…な…」

目をまん丸に見開き、口をパクパクさせているヤマトが、掠れた声を漏らす。

「何で居るんだアンタぁああああああああああああああああああああああああっ!?」

怯えた表情で後ずさったヤマトは、玄関ドアに背中でベタッと張り付きながら、悲鳴に近い声を上げた。

寮監の見せたリアクションに、キョトンとする一年生達とアスカ。

対してオジマは表情こそ変えなかったものの、目には「やはり…」と、予期していたかのような光が浮かんでいる。

「おーおー、しばらくぶりだってーのに、つれねー反応だなーおい?おれは悲しーぞーヤマト?んー?」

口元を笑みの形にしながら、レトリーバーはドアにべったりくっついている羆に歩み寄る。が、その目は全く笑っていない。

「元気にしてたか?んー?どーぉしたんだぁ?そんなツラしてよ…」

これ以上後退できないという状況で、ドアに張り付いたまま怯えた表情を浮かべているヤマトの前に立つと、ハトリは羆の

顎の下に手を入れ、たっぷりと肉がついている顎を擦った。

「会いたくなかったってか?そうかー…、せっかく遊びに来たんだがなー…、傷付くなー…」

大仰にため息をつきながら、ハトリはジロリとヤマトの目を睨んだ。

ゴクリと音を鳴らして唾を飲み込んだヤマトは、顎をタプタプと揺すられながら掠れた声を漏らす。

「い、いやぁ…、そ、そんな事ないっすよぉ?久し振りだったからちょっとビックリしちまっただけで…!は、はははは…!

…げ、元気そうっすねぇ!先輩…!」

引き攣った笑みを浮かべたヤマトの顔をしばし見つめた後、ハトリはようやく手を引っ込める。

「…ま、反応はどうあれ、元気にやってるみてーじゃねーか?久し振りだなヤマト」

ハトリが目を細め、今度は普通の笑みを浮かべて見せると、ヤマトはほっとしたように胸を撫で下ろしてから、頭を掻いて

苦笑いを浮かべる。

「…来るなら来るって、一言連絡くれればよかったのに…」

「ビックリさせてやろうと思ってな。おれなりのサプライズ!どうだった?」

「ビックリさせ過ぎだって…」

笑みを浮かべて言葉を交わす二人を見遣りながら、イイノは他の皆に聞こえない程度の小声でオジマに尋ねた。

「…ユウヤ、このひと、どういう先輩なんだい?」

猪が疑問に思っているのは、ヤマトの態度であった。

ヤマトが見せた最初のリアクションからは、このOBと会いたくなかったかのような印象を受けたが、今はもう笑いながら

話をしている。

「…ヤマト先輩の苦手なひと?」

「…難しい所だな。一概に「苦手」の一言で済ませられるような単純な物でもない」

オジマは思案するように目を細めながら、談笑している二人を見遣った。

「…まぁ、寮監にとっては頭が上がらん相手という事だ」



オジマがはっきりと説明できなかった、突然訪問して来たOBと寮監の関係。

オジマと並んでベンチに腰掛け、雑誌を開いたイイノは、談話室で話をしている二人の姿を見遣りながら、「なるほどなぁ」

と、少しだけ理解した。

「あの乾燥機、元気にやってんのか?」

「まだ現役っすよ。買い替えなんてして貰えないし…。ま、相変わらず頻繁に臍まげてオーバードライブしますけど」

「おー、頑張ってんだなー…。で、おめぇは進路もう決まってんだろ?どこにした?」

「ん。前から決めてた通り、……の大学っす」

「そっか。やっぱ都会に出るか。…にしても、あそこかー…。相変わらず、見た目に反して成績良いのな、おめぇよ」

「ちょっと!?見た目って関係ないっしょ!?」

「ははは!ま、誉めてんだから気にすんな!」

談話室の小さな丸テーブルを挟み、二人だけで話をしているその様子は、確かに「苦手なひと」の一言で済ませるには微妙

な雰囲気があった。

ゴールデンレトリーバーがヤマトに向ける態度や口調は、他の後輩に対しての物よりも遠慮の無い物になっている。

ヤマトもまたハトリを嫌っている訳でもないらしく、会話している様子は実に楽しげであった。

「…親しい事は親しいみたいだね。でも、まだ良く判らないな…。どういう人なんだいユウヤ?」

声をかけても答えが無い事に首を傾げ、隣に座る恋人を見遣ったイイノは、かなり必死な様子で携帯ゲーム機をカタカタと

操作している虎の姿を目にし、苦笑いした。

「そういや…、かなりビックリしたなー」

空になったコーヒーの缶を丸テーブルの上に置いたハトリは、オジマとイイノの方へ視線を向けながら呟いた。

「何がっすか?」

「オジマだよ。何あれ?ゲームなんてできたのかアイツ?」

「だははっ!ま、ちょっと事情があって、必死こいて覚えたんすよ!」

笑いながら応じたヤマトに「ふ〜ん…」と応じると、ハトリは声を潜めた。

「…で、隣の猪…、イイノって言ったか?あれが噂の恋人か?」

「ええ。良いヤツっすよ?」

「ほー。…にしても、おれの予想とかなり違ったな…」

オジマの地元に居る恋人については、昨年からハトリとヤマトの間では様々な憶測が飛び交っていた。

「細身でぇ、小柄でぇ、でもって物静かな、こう…守ってやりたくなるタイプっすよきっと!でへへ!」

とヤマトが言えば、

「そりゃおめぇの好みだろが。おれが思うに…、意表を突いて美形のツンデレ系だな。たまーにチラッとだけ見せる可愛いト

コにコロっと行ったんだよ」

と、ハトリは別の意見を述べる。

オジマ本人は頑なに口をつぐみ、恋人については一切語ろうとしなかったので、結局ハトリはオジマの恋人がどういう男な

のか全く知らないまま卒業したのである。

ヤマトの方は、イイノが寮にやって来る少し前に、オジマから彼のフルネームと、猪獣人である事を聞かされた。

初めて会ったその時、オジマの恋人が彼だという事に、何故だかすぐに納得がいった。

外見はいかついものの、穏和そうな笑みに柔らかな物腰、そして優しげな声。

なるほどオジマと釣り合いが取れるかもしれない。ヤマトは当初そんな印象を持った。

そして、次第に親しくなり、イイノの事を知るにつれて、その印象は強まっていった。

時折それとなくイイノを気遣うそぶりを見せるオジマの姿は、ヤマトにすれば新鮮な物であった。

イイノの方は良き後輩として先輩であるオジマを慕いながらも、決して甘え過ぎる事はない。

時にはオジマに意見もするが、立てるべき所ではオジマを立てる。

外に見せる態度こそ先輩後輩の物だが、やり取りの中身は対等な関係としてのそれだと、ヤマトには感じられている。

「ところでよ…」

さらに声を潜めたハトリは、真面目な顔になってヤマトの目を見つめた。

居住まいを正したヤマトは、

「…恋人、できたのか?」

「…ビッグなお世話だ…!」

小指を立てつつ痛いところを突いてきたOBの質問に、ぶっきらぼうに応じた。



数時間後、ハトリに付き合って外で夕食を済ませてきたヤマトは、なにやら慌てている様子で談話室を覗き込んだ。

室内を見回した羆の目に、部屋の一角で携帯ゲーム機で遊んでいる、大柄な虎と太めの猪の姿が映る。

「あ、オジマ!ハトリ先輩見なかったか!?」

「…き、気絶だと…!?」

血走った目で携帯ゲーム機の画面を凝視し、必死の形相でボタンをカタカタと連打しているオジマに代わり、こちらは休憩

中だったのか、恋人のゲーム機を覗き込んでいたイイノが顔を上げた。

「今しがた、食堂前の自販機でコーラ買ってましたが…、その後は見ていませんね」

「そ、そうか…。ったく!どこ行っちまったんだあのひと…!」

困り顔で呟くヤマトに、イイノは首を傾げながら尋ねる。

「どうかしたんですか?てっきり先輩と一緒に居ると思っていたんですが…」

「さっきまで一緒だったんだがなぁ…。あのひとときたら何処行ったんだか、ちょっと目を離した隙に姿が見えなくなって…、

もうじき部外者は退寮する時間だってのに…」

言葉を切ったヤマトは、「ん?」と眉根を寄せた。

「…先輩は、コーラ買ってたんだなイイノ?」

「ええ」

それがどうかしたのか?と問いたげな顔でイイノが頷くと、ヤマトはため息をつきながら踵を返した。

「風呂にまで入ってくつもりだったのか…」



「はう〜…、生き返るぅ〜っ!」

湯船の中で手足を伸ばしたスコティッシュフォールドに視線を向け、ボディーシャンプーで泡だらけになった体を擦りなが

ら、羊が笑みを浮かべた。

「キミヤス、なんかおじさんっぽいよ?そのセリフ」

アサガが笑いながらそうからかうと、

「ヤマトセンパイも良く言うぞ?」

脂肪過多の体を湯船にプカプカと浮かべ、プニプニの胸や肩をマッサージしながら、気持ち良さそうに表情を弛緩させてい

る相撲部員が応じた。

「寮監はまぁ…、見た目もそうだし…」

「あ。センパイに言ってやろっかなぁ〜、ソレ」

「えぇ〜っ!?」

からかうように笑いながら言ったスゴと、困り顔で声を漏らしたアサガは、ガララッという物音を耳にして、浴室の入り口

に視線を向けた。

開いた戸口に立つ人物を見た二人は、ピタリと動きを止める。

「ぃよう!邪魔するぜ一年生!」

全身を覆う美しい被毛を湯気にさらしたゴールデンレトリーバーは、満面の笑みを浮かべながら浴場に脚を踏み入れた。

その左手にコーラの缶を持って。



浴場前の廊下で待ち構えていたヤマトは、スゴやアサガを伴って出てきたハトリをじろりと睨んだ。

「なぁ〜にのんびり風呂にまで浸かってんすか…」

湯上がりホコホコのゴールデンレトリーバーは、悪びれた風もなく笑みを浮かべながら、手をパタパタと振った。

「硬ぇ事言うなって!後輩と親交を深めてただけだってーの」

「…相変わらずマイペースな…。妙な事されなかったか二人とも?」

ヤマトは疑わしげにジト目でハトリを見て、それから後ろに控えている二人に声をかける。

「妙な事…ですか?」

「いや何も?在学中のお話とか聞かせて貰ってただけっス」

「っていうか、妙な事ってどういう…?」

アサガとスゴは首を傾げ、それから「ああ」と、声を漏らす。

「コーラですかね?」

「コーラだきっと」

「いや、このひとにとって風呂でコーラ飲むのは普通の事だから…。ま、何も無かったんなら良い。あんま気にしないでな?」

羆は曖昧に言葉を濁すと、ハトリに視線を向ける。

「もうじき退寮時間です。玄関閉めるっすよ?」

用意が良い事に持参していたらしいタオルで、気持ち良さそうに頭をゴシゴシやっているハトリは、気楽な調子で応じる。

「ああ、気にすんな。泊まってくから」

「そんなら良いっすけどね」

頷いて踵を返しかけたヤマトは、

「って良くねぇだろ何言ってんだアンタぁああああああああああああああああああああっ!?」

直後に振り向いて凄まじい形相で大声を上げた。

全身がビリビリする程の、体の大きさに見合ったとんでもない大声を上げたヤマトを、後輩二人は目を丸くしながら見つめ

ていた。

この羆が声を荒げるなど珍しい事もあるものだと、少しビックリしながら。

ハトリはと言えば、被毛を波立たせる程の怒声を目の前で放たれたにも関わらず、ニコニコと笑みを浮かべていた。



一方その頃、談話室では…、

「今日はほら…、日が悪いのかもしれないよ…」

項垂れたまま動かないオジマを元気付けようと、イイノは優しく声をかける。

「…ダメだ…、またやられた…、十連敗だ…」

柔道部でも敵無しのオジマであったが、ゲームの方は上手く行かないらしく、ミスを続けてかなり真剣に落ち込んでいる。

「いやでも、クリアはできた訳だし…」

「それまでに三度敗走したがな…」

「でも今日はオレの事真後ろから斬らなかったじゃない?」

「本来はそれが普通なのだろう…?」

どんよりと落ち込みオーラを纏っているオジマを、やや引き攣った笑みを浮かべてしばし眺めた後、とりあえず話題を変え

た方が良さそうだと判断したイイノは、「ああ、そうそう!」と、ややわざとらしく声を上げた。

「ハトリ先輩、どっか行っちゃったそうだよ。さっきヤマト先輩が探していた」

「そうか…。む?」

気のない返事を返したオジマは、耳をピクリと動かして腰を上げた。

イイノも少し遅れてその声に気付き、立ち上がる。

「ヤマト先輩?」

足早に廊下へ向かうオジマの後を追うイイノ。揃って廊下に出た二人は、言い争うような声を聞きながらホールへと向かう。

「…だから、いくら何でもダメっす!泊まりたきゃホテルにでも行って下さい!」

「そうケチケチすんなってーの。金惜しいんだよ」

「んがぁああああああ!ケチケチしてんのはどっちだぁあああああああああああっ!」

玄関ホールで言い争っているヤマトとハトリの周りには、二人同様声に気付いて集まってきた寮生達の姿がある。

アサガやスゴ、アスカが見守る中で、

「規則は規則っす!だいたい、例え俺が良いって言ったって、先生方が良いって言わないっしょ!?」

ヤマトのまっとうな言葉に、それまでのらりくらりと言い逃れを謀っていたハトリは黙り込んだ。

「…そうだな…。規則破って先生方にバレたら、立場上おめぇもマズいもんな…。判った。悪かった」

急にしおらしくなったハトリに、ヤマトは面食らい、「いや…、判ってくれりゃ良いんすよ…」と、頭を掻きながら呟く。

「じゃ、ちょっと電話してみるわ」

そう言って唐突にヤマトに背を向けたハトリは、ホールのカウンターにある内線電話に歩み寄った。

「…へ?電話…?」

羆が首を傾げている内に、ハトリは内線電話の短縮ダイヤルを使い、

「あ。先生?昼はどうも!えぇ、えぇ、ははは!久々に後輩共と会ったら話盛り上がっちゃってさ!えぇ!あ、そんでさ、今

夜ここ泊めて貰えね?明日休みでしょ?迷惑かけないっすから。ははは!信用してくれって!…そう?判りました、どうも!

恩に着ますよ!」

受話器を置いたハトリは、目を点にしているヤマトを振り返った。勝ち誇ったような笑みを浮かべて。

「…どこに…かけたんすか?先輩…」

「直通で教頭ん家。オッケー出たぜ、これで問題ねーよな?」

「………」

口をあんぐりと開けたまま言葉が出なくなったヤマトの肩を、歩み寄ったアスカが笑いを噛み殺しながらポンと叩く。

「…キミの負けだよ。ヤマト…!」



「しっかし、すっげー散らかしようだなー…。前々からだらしなかったけどよー、おれが出てってから拍車かかったんじゃね

ーか?」

ヤマトの部屋の凄まじい散らかり様を目にし、ゴールデンレトリーバーは顔を顰めた。

「おめぇ…、こんなんじゃ恋人ができても部屋に呼べねーだろ?うっわー…、こっちはもっと汚ぇなぁおい…」

「文句あんなら泊まんなぁあああああああああああああっ!」

机周りを片付けながら、ヤマトは不機嫌そうに大声を上げる。

「だいたい、先輩泊める事なんて想定外なんすから!招かれざる客らしく、ちっとは静かにしてて下さい!」

「あっそー?そーゆー事ゆーんだー…」

目を細め、ゆっくり間延びした口調で言ったハトリは、くるりと向きを変えると、スキップしながらドアに向かった。

「んじゃ、初々しい一年生の部屋にでもお泊りしよっかなー!可愛いの結構居たし!羊とか猫とかよぉー!…ありゃ抱き心地

良いだろなぁ…!うへへへへへぇっ!いっただっきむぁうすっ!」

「やめれぇええええええっ!頼むから純真な後輩達にちょっかいかけんなぁああああああっ!」

叫びながら慌てて駆け寄り、ハトリを背後から羽交い絞めにするヤマト。

「んじゃ猪っ!毛ぇ堅そうだけど我慢すっから!」

「手ぇ出したらオジマに怒られるっすよ!?っつーか殺されちまうって!」

「んじゃえらくチミっこいけど、チワワとかで妥協する!」

「絶対にダメぇえええええええええええええええええええええええええっ!」

「なんだよ!おれ泊めたくねーんだろー!?だから他のトコ行くって言ってんじゃねーかよー!」

「後輩が犠牲になるぐらいなら俺が生贄になるっ!」

脱出しようとワタワタもがくハトリと、必死になって押さえ込もうとするヤマトは、やがてバランスを崩し、もつれあうよ

うに転んだ。

ドシンと床を震わせてうつ伏せに倒れ込んだヤマトの下で、押し倒された形になったゴールデンレトリーバーは「ぐぇっ!」

と声と舌を出し、整った顔を歪めた。

重さもさる事ながら、脂肪がたっぷりついた羆の下敷きになったハトリは、柔らかくも圧迫感のあるその体の下でじたばた

ともがく。

「ぐへっ…!お、おんも、いぃ…!のけぇっ、ヤマトぉ…!」

「わ!?わわっ!す、済んませんっ!」

ヤマトが慌てて上から退くと、むせ返りながら身を起こしたハトリは、恨みがましい目で後輩を睨みながら、そのむっちり

した両頬を掴んでギリリッと抓り上げた。

「おめぇ…!圧殺する気かっ!?」

「いふぇっ!いふぇふぇふぇふぇふぇっ!」

頬を左右に引っ張られたヤマトは、悲鳴を上げてハトリの手首を掴み、ばたばたともがく。

やがて、ようやく手を離したハトリは、涙目になって頬を押さえている後輩の出っ腹を、足裏で軽く蹴った。

「…ったく、また肥えたろおめぇ?」

「おぉ痛…!いや…、そんなに増えちゃ…」

もごもごと応じたヤマトの体を眺め回し、ハトリは「ふん」と鼻を鳴らす。

「…ま、ちょっとやそっと肥えても判んねーけどな。もう手遅れだから」

「…手遅れって…」

相変わらず容赦のないOBの物言いに、ヤマトは思わずため息を零しながら尻を上げる。

「…とにかく、他の寮生んトコには行かないで下さいよ?俺の部屋でならだらけてて良いっすから…」

「お?急に寛容になったな?」

「…もう諦めたって言うか…、覚悟決まったし…」

ニヤリと笑ったハトリに、ヤマトは再びため息を漏らしながら応じる。いささか疲れたような表情で。

「くれぐれも、後輩にだけは手ぇ出さないで下さい…」

ヤマトがハトリと再会した際、取り乱した理由はコレであった。

恋人が居るにもかかわらず、このゴールデンレトリーバーは、非常に奔放で節操が無いのである。

もしかするとハトリは、可愛い後輩達(と自分)に何かするかもしれない。ヤマトが怯えたのはその事についてであった。



寝間着でもあるお馴染みの浴衣に着替えたヤマトは、ボードを片手に寮の廊下を足早に歩き、定時の点呼を始めた。

ハトリには、あまりウロウロ出歩かないようにと釘を刺したものの、自分が点呼をして回っているこの間にも、部屋内を好

き勝手に探索されているかもしれない。それを思えば自然とペースも速くなる。

普段ならば点呼ついでに各寮生と軽く会話してゆくヤマトだが、今夜に限っては確認オンリーで、慌ただしく各部屋を回っ

てゆく。

そうやってハイペースで点呼をこなしていたヤマトは、

「アスカぁ、居る…、…あれ?」

点呼の最後となる寮生、隣室の同級生の部屋のドアを開け、目を丸くする。

ヤマトの部屋とは違い、綺麗に整理整頓がなされた部屋では、部屋の真ん中に置かれた折り畳み式座卓を挟んで、この部屋

の主ともう一人が、コーヒーを啜りながら談笑していた。

「ぃよお、ご苦労さん!」

「ハトリ先輩…、何でここに?」

片手を上げて労いの言葉をかけたゴールデンレトリーバーを、首を傾げて見つめるヤマト。

「ヤマトが居ない間、先輩も一人じゃ暇だろうし、居心地も悪いだろうと思ったもんでね。コーヒーでもどうだろうって、呼

びに行ったんだ」

アスカが童顔を綻ばせながらそう説明すると、ヤマトは苦笑いを返した。

「悪かったなぁ、気を遣わせて…。ありがとよアスカ」

(いや助かった…。これなら部屋ん中も荒らされてないだろ。それに、相手がアスカなら先輩も妙な真似しないだろうしな…)

前任の寮監であるゴールデンレトリーバーの、自由奔放さと節操の無さに随分と振り回されたヤマトだが、アスカはそういっ

た被害には殆どあっていない。

同類だからなのか、それとも弄りやすいからなのか、ハトリの在学中に最も被害を被ったのはヤマトである。

「先輩。ここで点呼終わりなんで、風呂に入って来ます。あんまり遅くならない内に部屋に戻ってて下さいよ?…アスカに迷

惑かけないように…」

「判ってるっての。ガキじゃねーんだから、そうチクチクゆーなよ」

顔を顰めたハトリと、可笑しそうにクスッと笑ったアスカに手を上げて笑みを見せ、ヤマトは部屋を出て自室に向かった。



「へぇ?あの先輩この部屋に住んでいたんだ?」

ベッドに腰掛けたイイノは、驚いたように目を丸くし、オジマの顔を見つめた。

「うむ。入れ替わりにマサが入った形だ」

恋人の部屋を訪れたオジマは、部屋の真ん中に立って腕組みしたまま、懐かしむように目を細めて周囲を見回す。

「…そういえば、旧寮生が出た部屋に新しい寮生が入るんだったっけ…」

以前オジマから聞いていた説明を思い出しながら、イイノは納得して頷く。

「先輩は空手部だったが、幽霊部員だった。まぁ、それでも相当な実力者だったそうだが…。そういえば、こちら側の壁にこ

う、ポスターを…」

「あ。空手家の全身ポスターなんかを貼っていたのかい?ファイティングポーズをとっているような…」

「いや、空手家の仮装をしたお笑い芸人コンビのポスターを貼っていた」

「…微妙…」

懐かしげに壁を見遣る虎と、眉を顰める猪。

「元気の良い先輩だね、ハトリ先輩。…元気が良いって言い方もなんかおかしいか…」

「だが正しい。当時から実に奔放で、行動も突飛でな。寮監は良く振り回されていたものだ」

口の端を微かに上げて笑ったオジマに、イイノは気になっていた事を尋ねてみる事にした。

「オレ達と同類って事だったけれど…、もしかしてあの先輩…」

言葉を切ったイイノを見遣り、オジマは「何だ?」と目で問う。

「…もしかして…、ヤマト先輩の…、その…」

言いにくそうに言葉を濁した猪に、虎は顎を引いて頷いた。

「寮監が失恋した相手か、と?」

イイノはおずおずと頷き、微妙な表情を浮かべている恋人の顔を眺める。

「どうだろうな…、二人は違うと言っていたが…。実は俺も、先輩方が互いが同類だと知った経緯などは聞いていない。どう

いう訳か二人とも話してはくれん」

「…ユウヤにも秘密…?」

不思議そうに首を傾げたイイノは、羆とゴールデンレトリーバーの関係について、あれこれと想像を巡らせ始めた。



一方その頃、部屋に戻ったヤマトは、さして様子が変わっていない事を確認してほっとする。

凄まじい散らかり様の部屋ではあるものの、そこで暮らしているヤマトには、その散らかり具合に変化が無いかどうかが一

目で分かる。

自分が出て行った時点からの目につく変化は、おそらくハトリが読んだのだろう漫画雑誌が、座卓の上から床に移動してい

る一点のみであった。

ひとまず安心したヤマトが入浴に向かったすぐ後に、ハトリはアスカの部屋から戻って来た。

そして、ヤマトが既に入浴に向かった事を察すると、キョロキョロと部屋の中を見回し始める。

「…お?テストの答案発見!」

こうして、当初ヤマトが危惧していた通りに、ハトリの家捜しは行われ始めた…。



浴室に入ったヤマトは、先客である後輩達に声をかける。

「おう!邪魔するぞぉ〜!今日は遅かったんだな?チワダ、ハヤカワ」

シャワーの前で和気藹々と背中の洗いっこをしていたチワワ獣人と人間の二人組は、巨体の羆を振り返って笑みを浮かべ、

ぺこりと頭を下げた。

「ものっそい量の宿題出されちゃって…、片付けるのに手間取っちゃったんで」

背中を流していた人間の方が返事をすると、ヤマトはシャワーに歩み寄りながら首を傾げた。

「へぇ?中間テスト終わったばっかなのにか?」

背中を流して貰っていた小さなチワワが、困ったように眉を八の字にしながら後を引き取る。

「その中間テストの平均点数がかなり悪かったそうで、国語の岩峰先生、機嫌悪くしちゃったんですよ…。それで…」

「あ〜、厳しいもんなぁおイワさん…」

ツンと澄ました美人教師の顔を思い浮かべながら、ヤマトは苦笑いする。

「あ!そうだ!寮監?お訊きしたいんですけど…」

隣の椅子に座ってシャワーの温度を調節し始めたヤマトに、チワダは興味深そうに尋ねた。

「ハトリ先輩って、去年寮監だったんですよね?」

「そうだよ。とにかく強烈な個性の寮監だったなぁ。その前の寮監が物静かなひとだった事もあってさ」

豊かな被毛と脂肪で、マフラーでもしているようにたっぷりとした首周りを熱い湯で流しながら、気持ち良さそうに眼を細

めたヤマトが応じる。

「楽しい寮監だったんですか?」

「ん?まぁ、な。楽しい人だ。…ちょっとムチャやる人だけど…。楽しかったな…。本当に色々やった…」

ハヤカワの問い掛けに、ヤマトは懐かしむように目を細めて微笑んだ。

盛大に祝ったのは良い物の、クラッカーを鳴らしすぎて食堂が煙たくなった入寮パーティー。

二学期の終業式の翌日、有志を募って行うはずだったのが、結局は寮生全員が居残って参加したクリスマスパーティー。

一年間、寮内に募金箱を設置して金を貯め、マウンテンバイクを一等賞に据えておこなった、三月のお別れパーティーでの

ビンゴゲーム。

マイペースで、形に縛られず、とにかく派手で賑やかな事を好んだハトリは、しかし強烈な個性でありながらも、確かに皆

に好かれていた。

自分もまた春には卒業し、ハトリのようにここを去る。そして皆に懐かしがられる時が来る。

二年半過ごして来たこの寮に別れを告げるその日の事を思い描こうとしたヤマトは、しかし上手くイメージできずに軽く頭

を振った。

それでも、その日は必ずやって来る。

まだ実感は乏しいが、ここに居られる時間はあと半年も残っていないのだと、ヤマトは少しばかり寂しい気分になった。



「よ、お帰り」

「戻りましたよ〜っと…。ゲームでもしてりゃ良かったのに、暇じゃなかったっすか?…って、何見てんすか先輩…」

散乱した雑多な品を除けて座る場所を確保し、床にあぐらをかきながら紙束を眺めているゴールデンレトリーバーの姿を見

ると、ヤマトは呆れたようにため息をついた。

ハトリが見ているのは、中間試験を終えて渡された答案である。

「相変わらず成績良いなぁ。軒並み90以上じゃねーか。80以下イッコもねーぞ?えらいえらい」

「…どうも。俺だってそれなりに頑張ってますから」

そっけなく応じて冷蔵庫に歩み寄ったヤマトは、中から缶のコーラを二つ取り出し、一方をハトリに手渡す。

「サンキュー。…やっぱアレか?「やりてー事」ってヤツ?」

尻を下ろしてベッドを軋ませたヤマトは、プルタブを起こしながら頷いた。

「まぁ、そうっすね。甲斐はあって、目当ての大学は一応射程圏内っすよ」

「都会の方ってよぉ、特に首都とか、獣人差別とかあるって話じゃねーか?何でまたそんなトコまで行きたがるかねぇ?」

「噂っしょ?大げさに尾ひれついてるだけっすよ、たぶん。それに、確かに首都に近いけど、あの辺りは結構のどかだし」

「もしかして、おめぇの発音がやたら標準語くせーのって、都会進出用?」

「ん。どうっすか?結構さまんなってんべ?」

「まぁまぁな」

都会の大学へ行く。それがヤマトにとって当面の「やりたい事」である。

そして大学への進学もまた、「やりたい事を探す為」の進路であった。

賑やかな都会に出て大学に通えば、まだ見えていない自分の将来像、「やりたい事」も見つかると思えた。

恋人でもできればまた違ったのだろうが、今となっては半ば諦めているヤマトは、選んだ進路にもはや迷いは無かった。

だが、正しいと思えていたこの時の選択が、実家のある寂れた町に戻りたくないという思いと、賑やかな都会への憧れから

来ていた物だという事にヤマトが気付くのは、だいぶ後になってからの事である。

「そう言やぁよー。アレ見たか?ホレ!夏に騒がれたあの洋画…」

ハトリは見終えた答案を散らかっている座卓の上に置くと、話題を変えて笑みを浮かべた。

「ああ!もっちろん見たっすよ!」

それからの二人の会話は、話題の映画や最近のドラマの事になって行った。

ヤマトは久々に会う先輩との長話を楽しみ、ハトリは寮生だった頃を懐かしみながら、夜更けまで長々と話し続けた。



「うっあ!ヤマト臭ぇーっ…!」

ヤマトから借りたブカブカの浴衣を身につけ、ベッドに寝転がったハトリは、浴衣や毛布の匂いを嗅いで声を上げた。

「うっさいなぁ!文句言うなら貸しませんよ!?…それに、そ、そんな臭わないっしょ?」

ベッド脇の床を片付けて確保したスペースに布団を敷き始めたヤマトを、体の左側を下にして寝転がり、頬杖をついて眺め

ていたハトリは、ニィ〜ッと意地悪く笑う。

「汗っかきだからなぁ、おめぇよ。鼻が慣れちまっててこのキッツい体臭が判んなくなってんだろ?」

「うぇ!?そそ、そんな臭いんすか!?」

焦りながら腕を上げ、フンフンと鼻を鳴らして腕や脇の下の匂いを嗅ぎだしたヤマトに、ハトリは笑みの形に目を細めなが

らパタパタと手を振って見せる。

「かははーっ!じょーだんじょーだん!たいして臭わねーよ」

からからと軽快に笑ったゴールデンレトリーバーを睨みつけると、羆は怒ったように鼻穴を大きくし、フシューッと荒い鼻

息を漏らした。

「はーはっはっはっ!相変わらずからかい甲斐があんのなー、おめぇ!」

「先輩こそ、相変わらず根性曲がりだ…!」

「そうムクれんなって。怒ると肥えるぞ?」

「肥えるかぁああああああああああああああっ!」

思わず大声でつっこんだヤマトは、何かを思い出したように口を閉じ、それから「ぷっ!」と小さく吹き出した。

「はは…!何か懐かしいな…。去年は毎日こんな感じだった…!」

「ははっ!だったなぁー!不思議と飽きないもんだったぜ。あの似たような毎日を送る生活もよ」

ヤマトは敷いたばかりの布団の上にごろっと仰向けにひっくり返り、笑みを浮かべて天井を見つめた。

今も同じだが、あの頃も毎日が楽しかった。

だが、楽しい事ばかりだった訳ではない。二度と立ち直れないのではないかと感じる程に落ち込んだ、辛い思いをした事も

あった。

(…そういえば、あの頃だったっけな…。俺がアスカに…)

ヤマトは天井を見上げながら、自分がまだ一年生だった頃の、ある出来事を思い出した。



それは二年前、ヤマトが一年生の時の、文化祭の翌日の事である。

体温計を口に咥えたヤマトは、分厚く重ねられた布団を被り、ベッドにぐったりと横たわったまま、計測終了を知らせる電

子音が鳴るのを待っていた。

ベッドの脇では、童顔で小柄な人間の男子が床に跪き、氷を詰めた袋をタオルで包んでいる。

やがて、ヤマトが咥えている電子体温計からピピピッ、ピピピッ、と音が鳴ると、替えの氷嚢を用意していたアスカは、顔

を上げてベッドを覗き込んだ。

ヤマトが咥えていた体温計を抜き取り、体温を確認したアスカは、

「あ…、結構下がってる…。薬、効いたみたいだ。良かったねヤマト」

幼さを残す顔に安堵の笑みを浮かべた。

「ごめんなぁ…。面倒かけて…、せっかくの休みまで潰させちまって…」

まるで隠れてでもしまいたいかのように口元まで布団を引っ張り上げたヤマトは、弱々しい声で心底済まなそうに詫びる。

文化祭終了後、頼まれて断り切れずに実行委員になったヤマトは、熱心におこなっていた連日の準備の疲労が出たのか、夕

方から急に熱を出してしまった。

そして、振り替え休日に当たる翌日の今日、夕方になっても、まだ熱は下がっていない。

「気にしないで良い。いつも判らない所を教えて貰ってるんだ、こういう時ぐらいはお返ししないとね」

「…結局片付けもろくに手伝えなくて、皆に迷惑かけたし…」

「具合が悪かったんだから仕方ないよ。ヤマト、凄く頑張ってくれてたもんな…。それにホラ、ヤマトが一生懸命頑張ってく

れたおかげで、クラスの出し物も盛況だったんだからさ。片付けできなかった事ぐらい気にしないでおくれよ」

アスカは優しく微笑みながら声をかけるが、ヤマトはそれでもしょぼくれた様子で耳を寝かせている。

「…そうだ。かなり汗かいただろ?熱も下がって来たし、体を拭おう」

「え?…いや、良いよ…」

遠慮しようとしたヤマトに、しかしアスカはなおも言葉をかける。

「汗で体が湿ったままじゃ、その内冷えて体に効くぞ?それに、昨日も入れなかったんだ、気持ち悪いだろ?」

「でも、いい…。大丈夫、自分でやれるから…」

そう応じながら布団を退けて身を起こしたヤマトは、しかし長く高熱が続いたせいでボーっとしており、頭がふらふらと揺

れている。

「判ったよ。でも、拭き難そうなトコだけ手伝うから」

アスカの提案を、しかしそれでも断ろうとしたヤマトだったが、無理して悪化するといけないし、拭き残しがあってもまず

いから手伝うと言ってきかなかったので、しぶしぶながら首を縦に振った。

浴衣を脱いで下着姿になり、体の前側を拭っているヤマトの背を、アスカは入念にタオルで拭いてやった。

「改めてこうして見ると、ホント大きいなぁヤマトは。ボク小柄だから、立派な体格が羨ましいよ」

小柄で童顔のアスカは、ヤマトからすれば好みのタイプである。

そんなクラスメートに背中を拭いて貰い、おまけに立派な体格だと誉められれば、悪い気がしないどころか嬉しくて仕方が

無い。

話しかけながら背中を拭いてくれているアスカに、曖昧に頷き返しながら、ヤマトは熱のせいだけでなく、顔が熱くなって

いるのを感じていた。

「…ごめんなぁ…、こんな事までして貰って…。俺、汗っかきだから…、それにブヨブヨだし…、モサモサだし…、気持ち悪

いだろ?」

ボソボソと言うヤマトの後ろで、アスカは笑いながら首を横に振った。

「そんな事無いよ。結構…、何て言うんだろ?低反発?柔らかくて手触り良いけど?」

それを聞いた顔がカーっと熱くなり、ヤマトは何も言えなくなって俯いた。

汗を拭い終え、着替えを済ませて布団に潜り込んだヤマトの頭に新しい氷嚢をそっと乗せると、

「そろそろ夕飯だね…。おかゆ作って来る」

アスカはそう声をかけながら立ち上がり、申し訳なさそうに眉尻を下げているヤマトの顔を覗きこんだ。

「少し待ってて。それと、大人しくしてるように!」

「…ん…」

顎を引いて小さく頷いたヤマトの額に手を伸ばし、氷嚢の位置を整えると、アスカは床に散らばっている雑多な物を避けて

静かに部屋を出て行った。

「………」

静かにドアを閉じる音が聞こえてからしばらく、身じろぎせずにじっとしていたヤマトは、チラリとドアに視線を向け、ア

スカが戻って来ない事を確認する。

それから、小さくため息をつき、布団の中でモゾモゾと身じろぎした。

「…最低だよ…、俺…」

股間を両手で押さえながら、ヤマトはボソリと呟いた。

アスカに背中を拭って貰っている最中に、心地良さと興奮で反応してしまった股間は、まだその硬さを保ち、トクトクと脈

打っていた。



「ヤマト!大丈夫なのかい?」

「平気平気!おかげですっかり良くなった!」

翌朝、ヤマトの部屋を訪れたアスカは、着替えを始めていたクラスメートを疑わしげに眺めた。

ヤマトは笑って誤魔化したが、実はまだ微熱があり、体調は万全ではなかった。

だが、アスカや寮監達に、これ以上心配をかけたくなかったのである。

「本当に?無理しないで、念の為に今日ぐらいは休んだ方が…」

「大丈夫だって!それよりほら、アスカも着替えた着替えた!遅れちまうって!」

急かされて自室に戻り、アスカは手早く制服に着替えて廊下に出ると、待っていたヤマトと一緒に食堂へ向かう。

二人が食堂前に差し掛かると、大欠伸をしながら歩いてきたゴールデンレトリーバーは、大きな羆と小柄な人間ペアに気付

いて声をかける。

「お?おはようさん二人とも。もう良いのかヤマト?」

「はい、おかげさんで!」

笑みを返したヤマトと、お辞儀しながら挨拶を返したアスカを、ハトリは交互に眺め遣った。

「…にしても、ホンット仲良いのなーおめぇら」

「そりゃまぁ…、隣同士っすから」

「クラスメートでもありますしね」

少し困ったように応じるヤマトと、微笑みながら頷くアスカに、ニヤ〜っと笑いかけるハトリ。

「まさか、付き合ってるとかそーゆーんじゃねーよな?おめぇらよ」

「あはは!何言うんですかいきなり!」

「そ、そうっすよ!やだなぁ先輩!」

朗らかに笑って応じるアスカ。しかし、同じく笑みを浮かべてはいるものの、ヤマトの方は内心の動揺を必死に隠していた。

自分はアスカに惹かれている。少し前からヤマトが自覚し始めたその恋心は、しかし言い出せず、しかも相手が身近に居る

という状況では、心の奥に潜り込む、ささくれ立った棘のような物でもあった。

深く潜り込み、シクシクと痛み、しかし抜こうともがけば傷を広げる。

言ってしまえば楽になれるかもしれない。だが、恐らく高確率で拒絶される。

そしてそうなってしまった場合、自分は卒業までの間、アスカとギクシャクした関係で過ごさなければならない。

ヤマトは怖かった。友人との関係が変わってしまう事が。そして、自分に向けられる目が変わってしまう事が。だからこそ

心の奥に想いを伏せる。

早くから自分が同性愛者だと気付いていた羆は、これまでにも何度かそうして来たように、今後も想いを隠し、アスカには

友人として接すると決めていた。



「…へ?」

それから数日後の下校時刻、クラスメートの人間の女子に呼び止められ、体育館への渡り廊下へと連れてこられたヤマトは、

彼女が差し出している薄ピンク色の封筒を見下ろし、間の抜けた声を漏らした。

封筒には赤いハートのシールで封がしてあり、その中身が何なのかは実物を見るのが初めてのヤマトでもすぐに判った。

「も、もももももしかして俺に…!?」

「ち、違うってば!ヤマト君から渡して欲しいの!」

まぁそうだろうなぁ。と思いつつも、思わず自分宛か尋ねてしまったヤマトは、バツが悪そうに頭を掻く。

封筒を差し出したまま応じたスラリと背が高い女子は、恥かしげに顔を伏せる。

「ちょ…、直接渡すのはちょっと…、は、恥かしいし…、私には無理…」

「下駄箱とかあるじゃないか?」

オーソドックスな伝達方法を口にしたヤマトに、女子は釣り上がり気味の目を不快げに細めた。

「靴を入れる所に大事なラブレターやバレンタインチョコだなんて…、私的にはなんかヤなのよぉっ!」

「…言われて見れば納得だなぁ…」

「で…、ヤマト君、男子皆と仲が良いでしょう?何とかこっそり渡して貰えないかしら…?」

上目遣いに自分を見上げ、懇願する女子に、ヤマトはしばし迷った後に頷いた。

恋のキューピット役などガラでも無いし面倒だとは思ったものの、ずっと封筒を差し出したままだった彼女の態度からは、

必死さと真摯さが感じられた。

(ここまで真剣なら、ラブレター届ける程度の頼みは引き受けてやらなくちゃな…)

ヤマトはそんな事を考えながら、ほっとした様子の女子から封筒を受け取る。

「で、誰宛なんだコレ?」

「裏に、か、書いてあるから…!それじゃあゴメン!お願いね!」

ヤマトに頼む事すら恥かしくて仕方が無かったのだろう、女子は上履きをパタパタと鳴らしながら走って行き、あっという

間に体育館の中に駆け込んで見えなくなった。

「…案外シャイなトコあるんだなぁ、遠藤のヤツ…」

いつもは澄ましていて気が強そうに見えるバレー部の女子が、普通の女の子らしい面を見せた事で、ヤマトは微かな笑みを

浮かべていた。

「…さてと…、誰に届ければ良いんだろなコレ…?」

封筒を裏返して、そこに記してある相手の名を確認したヤマトは、息を飲んで固まった。



その日の夕刻、鍵をかけていたドアがノックされ、ベッドに横たわっていたヤマトは身じろぎした。

「ヤマト?どうしたんだ?晩御飯食べてないんじゃないのか?もしかして、また具合悪い?」

夕食の時間にも食堂に顔を出さなかったヤマトを気遣い、隣室のアスカは様子を見るために訪ねて来たのだが、

「ん、いや…。飯は外で食って来たんだ。体調は、大丈夫だよ。うん…」

「…そう?ならいいけれどさ…」

どこか釈然としなかったものの、アスカは無理に追求はせずにドアの前から離れ、大人しく部屋に戻って行く。

一方、ベッドの上で膝を抱えて丸くなっているヤマトは、鞄に入れたままの預かった恋文の事を考えていた。

握り潰して捨ててしまえと、ヤマトの中の何かが囁いた。

アスカには何も伝えず、エンドウにはアスカの伝言と称して断りの返事を伝えれば良いと。

とても魅力的に思えたその考えを、しかしヤマトは頭を掻き毟って追い出す。

エンドウは他のクラスメートではなく、自分にメッセンジャーを頼んだ。

それは、自分であれば必ずアスカに手渡してくれると信じているからである。

少し不安げで、緊張と恥かしさで頬を染めていたエンドウの、真剣な眼差しと態度。

彼女から感じた必死さが、真摯さが、ヤマトの胸の深い所へ食い込んで来る。

結局どれだけ思い悩んだ所で、ヤマトには、彼女の信頼を裏切るような真似はできなかった。



「…ボク…に…?」

寮監が点呼に回った後を見計らい、アスカの部屋を訪ねたヤマトは、エンドウから預かったラブレターを手渡した。

「おう!じゃ、確かに届けたからな?」

殊更に明るい口調で告げたヤマトは、作り笑いを浮かべながら踵を返し、

「ま、待ってヤマト!」

部屋を出ようとした所で、背中にアスカの必死な声が当たって足を止めた。

振り返ったヤマトは、口をポカンと開けてクラスメートの顔を見つめる。

「ちょ、ちょちょちょ…、ちょっとだけ、い、一緒に居てく、くくれないか?っていうか、ご、ごめっ!一人にしないでっ!」

生まれて初めての恋文を受け取ったアスカは、童顔を引き攣らせ、見事なまでにテンパっていた。



「…ちょっとは落ち着いたか?」

「う、うん…。ごめん…」

「ビックリしただろうけど、俺もビックリした…。アスカがあんなんなったの初めて見たし…」

「だ、だってそれは…!い、言わないでおくれよ…!」

アスカは顔を真っ赤にしながら、ヤマトが淹れたお茶を一口啜ると、テーブルの上に置いたままの、封をあけた封筒に視線

を向けた。

「…何でボクなんだ…?」

終始手が震え、紙をカサカサ言わせながらも何とかラブレターを読み終えたアスカに、ヤマトは無言で苦笑いを浮かべて見

せる。

「スポーツが出来る訳でも無し…、成績だって極々普通…、特に取柄もないのに…」

グチるように呟くアスカに、ヤマトは微笑みながら首を横に振る。

「アスカは優しい。立派な取柄じゃないか?」

「別に優しくなんてないと思うけど…」

視線をテーブルに向けて呟いたアスカに、ヤマトは続ける。

「いいや、十分優しいさ。この間俺が寝込んだ時だって、休日潰して看病してくれたろ?」

「あれは…、普通じゃないかな?お隣だし、いつも世話になって…」

「あんまり普通じゃないさ。むしろ、それを普通って言えるのは、アスカが根っから優しいヤツだからだよ」

アスカの言葉を遮ったヤマトは、少し照れ臭そうに笑いながら鼻の頭を掻く。

「それに…、汗かいてベタベタになった俺の体、嫌な素振りも見せないで拭いてくれたろ…?普通ないぞ、ああいうの。俺み

たいなブヨブヨのデブが汗まみれになってたら、普通は気持ち悪くて触りたくもないって」

「そんなの…」

「気付き難いかもしれないけれど、見てくれてるヤツは見てるもんなんだ。エンドウみたいにさ」

思い悩むように顔を俯け、湯飲みを見つめているアスカに、ヤマトは励ましの言葉をかけた。

「エンドウの事、嫌いか?」

「え?…いや、嫌いって事は…。好きとか嫌いとか、良く判らないし…」

問われて顔を上げたアスカは、戸惑いながら応じる。

「良いヤツだよな?アイツ」

「…うん…」

「エンドウのヤツ、凄い勇気出して俺に声かけたんだぞ、きっと。アスカがどうしたいにしろ、返事だけはちゃんとしてやん

なくちゃ…。な?」

「…う、うん…」

友人の背をそっと押すその言葉は、笑みを浮かべているヤマトにとっては、自分の恋を諦める決意の言葉でもあった。



翌日の放課後、手紙に記されていた場所で、エンドウはアスカを待っていた。

校舎裏庭の片隅、人があまり来ないその一角で、アスカはしばらくエンドウと話をして、それから連れ立って裏門から出て

行った。

二人とも緊張している様子だったが、どちらもはにかんだような笑みを浮かべ、姿を消すまで終始穏やかな雰囲気であった。

焼却炉の影に大きな体を潜めて、一部始終を見守っていた羆は、二人の姿が見えなくなると、ほっと胸を撫で下ろした。

どうやらアスカは、エンドウにとって悪くない返事をしたらしい。

距離があるのでヤマトには話の中身までは聞こえなかったものの、二人の雰囲気からそれは察せられた。

(ちょっとキツいトコもあるけど、エンドウは美人でしっかり者だ。ちょっと気弱なトコがあるアスカにはピッタリかもな…。

良かったなぁアスカ!大事にしろよ?)

小柄で童顔のアスカと、大人びた顔立ちで背の高いエンドウ。

一つ間違えば姉弟にも見られかねないカップルの誕生を、ヤマトは顔を綻ばせ、心の内で祝福する。

焼却炉の陰から出て、二人が出て行った裏門を眺めて微笑んでいたヤマトは、

「…ん…?」

首を傾げると、右手で頬に触れる。

太い指の先が、頬を伝い落ちていた滴で濡れた。

「あ…、あれ?ま、参ったな…、はは…」

嬉しいはずなのに、これで良かったはずなのに、溢れてくる涙が止まらなかった。

ヤマトは天を仰ぎ、止まらぬ涙で頬を濡らしながら、袖でゴシゴシと目を擦る。

「…ふ…、ぐぅ…!ひぐっ…!」

西日に照らされて長い影を裏庭に落とし、立ち尽くしたまま泣いている羆の姿を、

「………」

屋上の手すりにもたれかかったゴールデンレトリーバーは、無言のまま、じっと見下ろしていた。

物憂げな表情でヤマトの姿を見下ろしているハトリの、夕陽で朱に染まった金色の被毛を、夕暮れ時の風がサワサワと、く

すぐるように揺らしていた。



その日の夜、ヤマトはベッドにつっぷしてぼーっとしていた。

もうじき午後七時。しばらく前から食堂はあいているものの、今日も昨夜同様食欲が無い。

諦めたはずだ。決心したはずだ。そうずっと自分に言い聞かせているのだが、気持ちの切り替えができない。

うつ伏せに寝転がり、枕に顎を乗せていたヤマトは、何度目になるか自分でも判らないため息を吐いた後、耳をピクリと動

かした。

ドアノブが回り、音を立てていた。ノックも無しにである。

鍵が掛かっていて開かなかったためか、ドアノブを無言で回した来訪者は、ドアをいささか乱暴にドンドンと叩いた。

「あ〜、はいはい!居ます、居ますよぉ!今開けますから!」

今は誰とも顔をあわせたくなかったが、ヤマトは煩いノックを無視する事ができず、「はぁ〜…!」と太い息をついた。

おっくうそうに巨体を起こし、のそのそと部屋を横切ってドアを開けたヤマトに、

「ぃよう!」

廊下に立っていたゴールデンレトリーバーは、朗らかに笑いかけた。

「どうかしたんすか?ハトリ先輩…」

訝しげに尋ねたヤマトに、ハトリは小脇に抱えたタオル類を指さしてみせる。

「風呂まだだろ?一緒に行こうぜ」

「は?風呂っすか?」

唐突な誘いにヤマトは面食らう。突然な上に、ハトリから入浴を誘われるのはこれが初めての事である。

「良いだろ?ほれ、さっさと支度しろ」

否応無しに強引に促されたヤマトは、気分ではなかったものの、しぶしぶながらハトリの誘いを受ける事にした。



「おっし、誰もいねーな!ほら、さっさと入った入った!」

「わわ!そ、そんな押さないで下さいよ!」

脱衣場を確認したハトリは、ヤマトの背を押して強引に押し込む。

「ちょっと先入ってろよヤマト。すぐ行くから」

「へ?まぁ良いっすけど…」

抗議する後輩を先に脱衣場に入れると、ハトリは周囲を素早く見回した後、タオルの中に手を突っ込んだ。

タオルの中に畳んでしまい込んでいた紙を取り出して開き、同じく取り出したセロハンテープで脱衣場のドアに手早く貼り

付ける。

『ボイラー整備点検中。19:00〜20:00まで立ち入り禁止』

ドアに貼り付けた自作の偽造告知文を眺め、ハトリは満足気な笑みを浮かべて頷く。

偽装工作を終えたハトリが脱衣場に入ると、既に浴衣を脱ぎ、愛用の下着である褌一丁になっていた羆が首を傾げた。

「何してたんすか?」

「邪魔が入んねーように、ちょっとな」

「邪魔?」

「ま、気にすんな」

ハトリは肩を竦めながら応じると、さっさとトレーナーとシャツを脱ぎ始める。

先輩の振る舞いに違和感を覚えたヤマトは首を傾げ、ハトリが着替えている様子を胡乱げな表情で眺める。

上を脱ぎ終えジーパンだけの格好になったハトリは、

「失恋したんだろ?」

振り向いてヤマトの顔を見つめ、唐突にそう言った。

「え!?あ、あ?え!?」

不意に投げかけられた核心を突く一言。

咄嗟に言い繕うこともできず、ヤマトは狼狽しながら、それでもなんとか首をブンブンと横に振る。

しかし、明らかに動揺している羆の様子と表情は、否定とは程遠い物であった。

「やっぱりな…」

呟いたハトリは、まだ首をブンブン横に振っているヤマトの顔をじっと見つめた。

「…アスカの事、好きだったのか?」

「!!!」

ヤマトは叫ぶかのように口を開けたが、しかし衝撃の余り声が出なかった。

口をパクパクさせているヤマトを見て、ハトリはかまをかけた一言が的中した事を悟る。

放課後の一件を偶然にも屋上から眺めていたハトリは、連れ立って裏門から出て行くアスカと一年生の女子を見送るヤマト

の様子を、はっきりと見ていた。

その時見たヤマトの涙が失恋の涙だとは確信はしたものの、しかしどちらに恋心を抱いていたのかが判らない。

普通に考えれば女子の方なのだが、ヤマトはアスカと仲が良い。自分の同類かもしれないという期待も込めて、ハトリはか

まをかけたのである。

アスカに恋をしていた訳でなければ、ヤマトならキョトンとするか笑うかするだろうと思っており、その時には冗談として

誤魔化すつもりであった。

だがヤマトは、ハトリが想定していたよりも遥かに判りやすい反応を見せてしまった。

「ち、ちがっ…!俺…はっ…!そ、そんなんじゃ…!…ち、違うっす!!!」

その反応から確認はとれたハトリだったが、(まずい…)と心の内で呟きながら、眉を下げて目を細める。

見上げるような大きな羆の、落ち着き無く揺れている潤んだ目には、強い怯えの色が見て取れた。

(常々自分でも小心者だって言ってたが…、完全にテンパりやがった…)

ヤマトの取り乱し様は、ハトリが想定した以上であった。

追い詰められて狼狽したヤマトは、突然走り出した。

自分の問い掛けが考えていた以上に後輩を追い詰めてしまった事を悟り、ハトリは舌打ちする。

ハトリの脇を抜けて下着一枚のままドアに向かおうとしたヤマトは、しかしすれ違おうとしたその時に腕を捕まれ、グイッ

と横に引かれてたたらを踏んだ。

自分よりも遙かに大きいヤマトの肩を、正面側に回した腕で掴んで押し、ハトリは体勢が崩れた大きな羆を壁に押し付ける。

タイミングと体重移動、力のかかり具合を計算し尽くした動き。加えてハトリの金色の体躯には、空手で鍛えた締った筋肉

が詰め込まれている。

自分の倍は体重がある羆をあっさりと抑え付けるその体捌きと膂力は、いかに身体能力の高い獣人とはいえ規格外のレベル

で、普段のちゃらんぽらんな様子からは想像もできない。

背中を壁に強く打ち、その拍子に肺の空気を押し出され、「ゲホッ!」と噎せるヤマト。

ハトリは掴んだままだった羆の腕を壁に押し付け、肩をあわせるようにして、ヤマトの体を自分の体と壁との間に挟み込む。

「ち、違うんす!放してくれ先輩!違うんす!お、おお俺っ…!俺、そんなんじゃ…!」

腕をねじり上げられつつも、なおもバタバタもがこうとしたヤマトだったが、

「落ち着かねーかヤマトぉ!」

首元に息がかかるほど密着したハトリの大声で、ビクリと身を震わせて動きを止める。

ひとまず抵抗が緩んだ事を確認し、それでもヤマトをしっかりと抑え付けたまま、ハトリは少しトーンを落とした声で話し

始めた。

「良いか?おれが今から言う事、しっかり聞いて脳みそに刻み込め」

自由を奪われ、怯えた目で自分を見下ろしている後輩の顔を見上げながら、ハトリは一字一句区切るように、殊更ゆっくり

と言葉を吐いた。

「お・れ・は・ホ・モ・だ」

ハトリに見つめられたままのヤマトの目が、ゆっくりと大きくなる。

「…え…?」

目をまん丸にして自分を見つめて来るヤマトの顔から、ハトリは視線を逸らして微苦笑した。

「せ、先輩が…、え?…先輩?…へ?」

上手く言葉を発せられないのだろう、口をパクパクしながら掠れた声を漏らすヤマトの顔を、ハトリは苦笑いしながら見上

げる。

「二度も言わせる気か?それとも信用できねーか?…例えば…、おれはこーゆー事すんのが大好きなんだぜ?」

「へ?ひあっ!?」

囁くようなハトリの言葉に次いで、ヤマトは思わず声を漏らしながらビクンと体を震わせた。

褌の生地の上から股間にあてがわれたハトリの手が、脂肪と被毛に埋もれているヤマトの逸物を鷲掴みにした。

「あ、あひっ!ちょ、せ、せんっ、ぱ…いひぃっ!や、やめ、やめめっ!」

モニモニと睾丸と逸物を揉みしだかれて、堪らず声を上げたヤマトに、ハトリは真顔で問いかける。

「どうだ?これで信用できねーかヤマト?」

働いている行為の中身はともかく、ハトリは大真面目である。困った事に。

ヤマトに信じて貰うにはどうすれば良いか真剣に考え、結果として股間を揉むという行為に出る辺り、実にハトリであった。

「う、うぅ…!わ、判った!判ったっすから…、も…やめっ…!」

ヤマトにすれば、股間を他人に弄られるなど初めての経験である。

慣れない刺激で腰から力が抜け、膝がカクカクし始めたヤマトは、必死になってコクコクと頷いた。

それを見たハトリは、やっと後輩の股座から手を離す。

ヤマトを追い詰めたり、傷つけたりするつもりは、ハトリには無かった。

ただ、後輩が自分と同類であるかどうかを確かめたかった。

その上で、同類であったにせよ違ったにせよ元気付けてやろうと考えたハトリは、邪魔の入らない状況で二人きりで話をし

ようと思い立ち、ヤマトを風呂に誘ったのである。

「もう騒がねーな?」

まだ落ち着いてはいない様子だったが、目をウルウルさせたまま頷いたヤマトは、おずおずと口を開いた。

「あの…、ハトリ…先輩…」

「ん?」

「そ、そろそろ…、離して下さい…」

壁に押し付けて自由を奪ったままだった事を思い出したハトリは、「あ、わりーわりー」と、悪びれた様子もなく謝りなが

ら、ヤマトの腕を放して身を離した。

壁に背を預けたまま、掴まれていた腕を擦ったヤマトは、俯き加減でぼそぼそと呟く。

「…同類と実際に会ったの…、初めてだ…」

「だろーな。おれらは少数派だし」

肩を竦めたハトリが特に意図せず口にした一言で、ヤマトは顔を上げた。

「…何だよ?」

少し驚いているように自分を見つめてきた羆の顔を、ハトリは少し首を捻りながら見上げた。

「…う…、ぅいふっ…!」

顔を歪め、しゃくり上げ始めたヤマトの肩を、ハトリはため息をつきながら叩く。

「だから…、悪かったって。ビックリさせてよ…」

違う。そう言おうとしたヤマトは、しかし言葉を出せずに大きくしゃくり上げ、ブンブンと首を横に振る。

ハトリが何気なく口にした「おれら」という一言で、ヤマトは安堵し、嬉しくなり、涙が止まらなくなった。

これまで同類と巡り会えずに過ごしてきたヤマトは、この時始めて、自分がずっと孤独感を抱えていた事に気付いた。

そして、自分だけではないのだと、同じような者が居るのだと、それが判った事が嬉しくて、涙を零し続けた。



湯船のヘリに太い腕を乗せ、その上に顎を乗せたヤマトは、湯に浸かりながらため息をついた。

「…って訳なんすよ…。先輩の見立て通り、失恋したてのホヤホヤっす…」

ヤマトとは逆に浴槽の内側を向き、ヘリに腰掛けたハトリは、ヤマトの話す事の顛末を無言のまま聞いていた。

「最初はまぁ…、ちょっと好みかなぁって…、そんな風に思ってた…。まさか…、ホントに惚れちまうなんて…、思っても…、

な、なかっ…!う…、うぇふ…!」

再びポロポロと涙が零れ始め、鼻を啜り上げたヤマトの頭を、ハトリはポンと優しく叩いた。

「おれぁ失恋経験ねーから、気の利いた慰めの言葉もかけらんねーけどよ…」

ゴールデンレトリーバーは一度言葉を切ると、ヤマトの顔を見下ろして苦笑いを浮かべた。

「今回はダメだったけどよ、そのうちきっとまた、「次」が来るさ」

「…そうっすかね…」

「そうだって。…ま、確約はできねーけどな」

慰めているのか、それともからかっているのか、誤解されかねない軽薄な口調と適当な物言いだったものの、ヤマトにはハ

トリがそれなりに本気で言っている事が判った。

大きく啜り上げ、それからグシグシと目を擦る羆に、ゴールデンレトリーバーは軽い口調で続ける。

「寮生四十名弱。その内二人がホモ…。何かで読むか聞くかしたが、一説に寄りゃ十人に一人は同性愛に走る可能性があるん

だってよ。だから…」

頭を乱暴にワシワシッと撫でられ、ヤマトは目だけ動かしてハトリの顔を見上げた。

「だから、おめぇもいつかきっと巡り会えるだろーよ。おめぇの事を好きになってくれる恋人にな」

根拠のない言葉ではあったが、ハトリはそうなるよう心から望んでいた。

確たる拠り所もない無責任な励ましではあったが、ヤマトは微苦笑して喜んだ。

大雑把で適当だったが、突き抜けて楽観的な励まし。

いやに優しかったり、妙に湿った励ましをされるよりも、この方がずっとこの先輩らしいと、ヤマトは深い感謝を覚えなが

ら感じていた。



コーラの缶のタブを起こすプシッという小気味よい音が、湯煙漂う浴場に響く。

タオルに隠して持ち込んだコーラの缶二本を、洗面器に張った水に浸しておいたハトリは、一本をヤマトに渡し、もう一本

を自分で飲む。

「良いんすか?風呂でコーラなんて…」

「かてー事ゆーなって。寮則にはダメだって書いてねーし、良いだろ?」

ハトリの返答に思わず苦笑いするヤマト。

床にすっくと立ち、腰に手を当ててさも美味そうに缶を煽ったゴールデンレトリーバーを、

(いつもだけど、無茶苦茶美味そうにコーラ飲むよなぁこのひと…。好きなんだろうけど…)

浴槽の縁に背を預けて床に座ったヤマトは、口元に笑みを浮かべたまま見遣り、コーラに口を付ける。

初めて風呂場で飲んだコーラは、何故か、驚くほど美味く感じられた。

一気にコーラを三分の二ほど飲み、ゲフッとゲップを漏らしたハトリは、自分の真似をするように缶を煽ってグビグビ飲ん

でいる後輩に視線を向けた。

話して気が楽になったか、ヤマトはようやく泣きやみ、いつも通りの様子になっている。

長話で少しのぼせたのか、脚を投げ出して暑そうにしているヤマトを見遣ると、

「…まだ被ってんだな?」

ハトリは後輩の巨躯とは不釣り合いなサイズのソレに視線を落とす。

慌てて脚を閉じ、片手で覆ったヤマトに、ゴールデンレトリーバーはニヤリと笑いかけた。

恥ずかしげに巨体を縮めたヤマトは、これ見よがしにブラブラさせているハトリのソレに視線を向ける。

すっかり剥けたソレは、長さ、太さ共に標準を少し上回っているようにヤマトには思えた。

「短ぇけどぶっといなー、おめぇのよ。皮はアレか?剥けねーのか?」

「剥けるんすけど…、すぐ戻っちまうんで…」

モゾモゾと恥ずかしげに身じろぎしたヤマトに歩み寄り、ハトリは正面で屈み込む。

「どれ、ちっと見してみ?」

「うぇ!?な、何言ってんすか!?」

「良いから良いから」

慌てて腰を浮かせ、逃げようとしたヤマトの右腕を掴んだハトリは、その太い手首をクイッと軽く捻る。

「いだぁ〜っ!!!いでぇっす!ちょ、ちょっと止めっ…!」

不自然な方向に手首を曲げられて悲鳴を上げ、逃げかけの姿勢から堪らず膝をついたヤマトは、

「ひぅっ!」

真後ろから、股の間に差し込まれた手で急所を鷲掴みにされ、息を呑んで喉を鳴らした。

「大人しくしてろよ?だいじょーぶ、ちょっと具合見るだけだからよ」

左手と両膝を床についたヤマトは、右手を後方に捻られたまま、涙目になってビクビクと首を巡らせた。

ヤマトの右手を捻ったまま、尻側に屈み込んでいるハトリは、左手で掴んだ玉袋をモミモミと軽く揉みしだく。

「え、あ、ちょっ…!せ、せんぱ、いひぃっ…!」

「玉もでけーなオイ。…にしても皮、えらく分厚いなぁ?」

「ま、待って…!や、やめっ…て…!んぐぅっ!」

ヤマトが脚を閉じて抵抗しようとしたその瞬間、ハトリの手はヤマトの睾丸をキュッと強めに握る。

「じっとしてろって、悪ぃようにはしねーからよ」

ヤマトは急所を鷲掴みにされている恐怖と羞恥に耐えつつ、

(すでに悪いようにされてんすけどぉ…!)

と、心の中だけで反論する。

「せ、先輩…!ら、乱暴は…やめ、て…!い、いでぇっす…!」

ヤマトが半泣きになって訴えると、ハトリはようやく捻っていた手を離す。

「んじゃ、大人しくしてろよな?そいじゃあこっちを向いて…」

ハトリは楽しげに声を弾ませ、ヤマトに自分の方を向き、股を開くように言った。

下手に抵抗して、また腕でも捻り上げられてはかなわない。

観念したヤマトは指示に従い、しぶしぶながらもハトリに言われるまま向き直り、床にべたんと尻をつき、背中側に手をつ

き、足を広げる。

恥ずかしげに俯いているヤマトの股の前で屈み込むと、ハトリはその股間の物をまじまじと見つめ、「ちょっと我慢な?」

と声をかけつつ、おもむろに手を伸ばした。

ビクッと身を震わせたヤマトの股間で、皮をすっぽりと被った丸々太い逸物が、ハトリの手でそっと剥かれる。

丸々とした血色の良いピンク色の亀頭が剥き出しになると、ハトリは「ふ〜む…」と思案顔で唸った。

「ちゃんと全部剥けるんだな…。皮が戻っちまうって言ったか?」

「ん…、んん…」

息子を軽く摘まれたまま、ヤマトが情けなさそうな顔で小さく頷くと、ハトリは首を捻って少しの間考えこむ。

「…知り合いによ、前まで仮性包茎だったヤツが居る。ソイツから、捲った皮をテープでとめて癖付けたんだって聞いた」

そう言ったハトリは、涙目で羞恥に耐えているヤマトの顔を眺めた。

「改善する気があんならよ、試してみちゃどーだ?勿論、テープでかぶれねーように気ぃつけなきゃなんねーだろうけど」

ひくんと体を震わせて頷くと、ヤマトは掠れた声を漏らす。

「あ、あの…、先輩…」

「んー?」

「チンポ擦るの…、やめ、て…!頼むからっ…!」

無意識の内に、ヤマトの息子を親指と人差し指でクニクニと弄んでいたハトリは、一度視線をソコに向け、それからニマ〜ッ

と笑いつつ顔を上げる。

「…気持ち良い事してやろーか?」

「うぇ!?い、いいいいやいいっすよ!」

「遠慮すんなって。辛い思いした事なんてすっかり忘れられるくれーに、やさしーく慰めてやるからよ!」

ウキウキとした口調で言うと、ハトリは両手でヤマトのソレを包み、擦り始めた。まるで、拝んで合わせた両手をすり合わ

せるように。

「あ、あ!ちょっ!?な、何して…あひっ!」

慌てて腰を引いて逃れたヤマトに、ハトリが素早くのし掛かった。

仰向けに倒れ込んだ羆の太い首にすかさずレトリーバーの腕が回され、逃さぬようがっちりと押さえ込む。

「まかしとけって。こう見えておれぁこーゆーの慣れてんだ。自分で言うのもなんだけどよ、結構上手いんだぜ?」

ハトリはニヤニヤと笑いながらヤマトの耳に囁き、ふぅっと耳元に息を吹きかける。

背筋をゾクゾクした物が這い上がり、全身の毛を逆立てたヤマトの乳房に、ハトリの指が食い込んだ。

「痛っ…!…あ、あへ…?あ、んっ…!」

豊満な胸を乱暴に掴まれ、痛みに呻いたヤマトだったが、長い被毛の中に潜り込んだハトリの親指に、円を描くように乳首

をこねられると、妙な声を漏らした。

「お?胸、感じるか?…んじゃもうちっと弄ってやるかな…」

反応を見たハトリは満足げに呟くと、ヤマトの胸を揉みしだく。

胸を揉まれ、乳首を擦られ、不慣れな刺激を受けたヤマトは、目を閉じてプルプルと体を震わせる。

「どーだオイ?気持ち良いか?」

半開きにした口からハァハァと荒い息を吐いているヤマトの耳元で、ハトリは含み笑いを漏らした。

たっぷりと時間をかけて胸を揉んだハトリの手は、ゆっくりと下へ向かう。

他所よりも柔らかな腹側の被毛を撫でつけ、ぽこんと突き出た胃の辺りを円を描くようにさすり、むっちりした腹肉を少し

強めに掴んで揉み、脇腹から下腹部へとまんべんなく撫でてゆくハトリ。

自身が得意げに語った通り、その手の動きは滑らかで手際が良く、慣れている様子が窺えた。

ヤマトは初めこそ身を強ばらせていたものの、今ではすっかり四肢を弛緩させ、気持ち良さそうなトロンした表情になり、

時折喉の奥から甘えるような呻きを漏らしている。

もはや抵抗する気力がすっかり奪われて大人しくなり、されるがままの状態である。

撫でてゆくゴールデンレトリーバーの手が、臍の上を通過し、下っ腹を通り過ぎ、股間へと移動しても、羆は僅かに体を震

わせただけで、もう逃げようとはしなかった。

ヤマトのソコは既に完全に勃起しており、先程剥かれて丸出しになった亀頭は、充血してまん丸に膨れあがっている。

そこに、ハトリの指が再び、今度はそっと静かに触れた。

ピクンと体を震わせ、「んぅっ…!」と小さく呻いたヤマトのソコを、ハトリの親指が強く擦る。

「あっ…!あふっ…!せ、せんぱ、いぃ…!」

普段は分厚い包皮でガードされている敏感な箇所を直接擦って刺激され、ヤマトは泣きそうに顔を歪める。

「どーだ?キいてるかココ?」

「ん、う…!ま、待っ…!もう少し、ソフトタッチ、でぇ…!んふぅっ!」

脚を真っ直ぐに伸ばし、少し浮かせて突っ張らせ、ビクビクと背を反らすヤマトの亀頭は、先端から溢れた透明な汁でヌル

ヌルとてかっていた。

ソレを潤滑剤にしたハトリの指は、ヤマトのソコをクチュクチュ、クチュクチュと、音を立てて愛撫する。

間断なく突き上げてくる強い刺激に耐えかねたヤマトは、堪らずハトリの背に腕を回し、ギュウッと抱き締めた。

ヤマトにしてみれば縋り付いているつもりでも、外から見ればヤマトがハトリを抱き締めている格好に見える。

かなり強く抱き付かれ、脂肪がたっぷりついたヤマトの体に密着されながら、ハトリは巧みな指使いで羆の秘所に快感を蓄

積させつつ、耳元で囁く。

「どうだぁヤマト?良い具合だろ?んー?」

「う、んふ、うぅ…!」

「ほら、すっかりグチョグチョだぜ」

「やっ…!それは…、はひぃっ!」

「…ホント耐性ねーんだな?これしきでこんなんなっちまってよ」

「だ、だって…!俺こんな事されんの、は、初めてっ…、あっ!」

「へへへ…!可愛いぜ?ヤマト…!」

「…っ!!!」

その一言を耳元に放り込まれた瞬間、ヤマトはビクッと大きく身を震わせた。

限界に達したヤマトの逸物から、白濁色の液体がドプッと溢れる。

「あ…ん、んうぅっ…!」

肥えた体をブルブルと震わせ、ビュクッ、ビュクッと精を放つヤマトの耳元で、

「可愛いぜ?ヤマト…」

ハトリはニヤニヤしながら囁いた。



身を起こして、べったりと精液が付着した手を楽しげに見遣ったハトリは、

「すんげーなオイ。よっぽど溜まってたんだろ?」

床の上にぐったりと仰向けになったまま、はぁはぁと荒い息を漏らしているヤマトの顔を、ニヤニヤしながら見下ろした。

体が熱く火照ったヤマトには、濡れた床が背中の体温を奪ってゆく感触が心地良く感じられている。

「どーだったよ?え?」

「…あぁ…、そのぉ…」

一瞬口ごもったヤマトは、恥ずかしげに顔を横に向ける。

「…き、気持ち良かったっす…。すんごく…」

ぼそっと応じたヤマトの返答に満足したのか、ハトリはニィッと笑うと、傍らにあぐらをかいた。

「あ、あの…。先輩…?」

「んー?」

ヤマトはチラリとハトリの顔を見遣り、耳を伏せながら尋ねる。

「…その…、何で…、こんな事したんすか…?」

「迷惑だったか?」

「迷惑とか…、そんなんじゃなく…、その…、俺みたいなデブ、気色悪くないっすか…?」

ハトリは目を丸くすると、カカカッと可笑しそうに笑った。

「べっつにー?ってゆーかよ、おれの彼氏もえらく太ってんだ」

「そ、そうなんすか…。へっ!?」

素っ頓狂な声を上げて身を起こしたヤマトがまじまじと顔を見つめると、ハトリは「あー…」と声を漏らしながら頭を掻く。

「すっかり言ったような気になってたが、まだだったよな?おれ、地元に彼氏居んの」

目をまん丸にしたまま硬直しているヤマトに、ハトリはニヤニヤしながら続ける。

「ソイツもおめぇと似たようなでっぷり体型でよ。まぁ、おめぇと違って背は160もねーんだが、そのまま縮めたみてーな

感じ?気になんなら後で携帯の写真見せてやるよ。ちなみにタヌキ」

「こ…、恋人居るのに…、俺とこんな事して良いんすか…?」

困惑しながら震える声で言ったヤマトに、ハトリは肩を竦めて応じた。

「別に問題ねーさ、後輩とのスキンシップだし」

「で、でででも、こんな事…!」

「あ、欲しくなったらまたやってやるけどよ、キスだけはダメな?」

言いかけた言葉を遮って妙な事を言い出したハトリに、ヤマトは「へ?」と問い返す。

お互いの秘所をまさぐりあったり、体を愛撫しあったりするのはよいが、キスだけはダメ。

恋人に操を立てているので、決して他の誰ともキスは交わさない。

それが、ハトリが主張する貞操観念であった。

「…そういうもんすか?」

「おれ的にはな。頼まれようが金積まれようが、アイツ以外とはぜってーキスしねーって決めてんだ」

誇らしげに胸を張ったハトリの様子が、何だかとてもおかしくて、ヤマトは思わず小さく吹き出した。

「お?ちっとは元気出たか?」

「お陰様でって言うか、何て言うか、とりあえずは…」

照れ臭そうに頭を掻きながら応じると、ヤマトはハトリの顔を上目遣いに見つめた。

「あ…、ありが…と…。先輩…」

「おう!」

満足げに笑って頷いたハトリは、「ところで…」と、自分の股間を指さした。

「今度おれの番な?いやもうおめぇの悶えっぷり見てたら興奮して興奮して…、痛ぇぐれーギンギンになっちまってんの」

ハトリの股間に視線を向けたヤマトは、臍まで反り返ったゴールデンレトリーバーの逸物を、目をまん丸に開いて見つめた。



(あの一件があってからだったなぁ…、ハトリ先輩を色々と頼るようになったのは…)

天井を見上げながら、ヤマトは口元に笑みを浮かべた。

妙な表現だが、互いの息子を弄りあった仲である。

あの一件以来、ヤマトとハトリは遠慮も恥じらいも置いて、本音で話ができる関係になった。

ベッドの上からは、少し前からゴールデンレトリーバーの規則正しい寝息が聞こえている。

アスカと恋人は、今でも上手く行っている。

結局ヤマトは、自分が同性愛者である事も、秘めた想いも伝えず、アスカとは良き友人として付き合い続けている。

あれから二年。未だ恋人はできていないが、失恋する度にハトリやオジマに慰められ、励まされ、これまで元気にやって来

られた。

(恋人はできてないが、先輩後輩には恵まれてるよな、俺は…)

重くなった瞼を閉じ、ヤマトは以前の様々な出来事を懐かしみながら、心地良い微睡みに身を任せた。

…数時間後、突然起こされるはめになるとは知らずに…。



「世話んなったな。楽しかったぜ?」

翌日の昼過ぎ、寮の正門前でスマートな中型バイクに跨ったハトリは、見送りに出てくれた大勢の後輩達に、片手を軽く上

げて挨拶した。

寝ぼけ眼を擦りながら欠伸を噛み殺したヤマトは、ハーフメットを被るハトリに声をかける。

「気を付けて帰って下さいよ?寝不足だろうし…」

「かははーっ!全くだ!」

楽しげに笑ったハトリとヤマトを交互に眺め、アスカが首を捻った。

「夜更かしして、何やってたんですか?」

『げ、ゲームだよ!』

事情を知らない大勢の寮生の前だった事を思い出し、二人同時に慌てた様子で返事をした犬と熊の様子から、

(…寮監、先輩に弄られていたのか…)

オジマだけは、何があったのかを何となく察する。

「暇んなったら、また遊びに来るからよ」

「次はちゃんとホテルに泊まって下さいよ?」

ジト目で釘を刺すヤマトだったが、「そう硬ぇ事ゆーなって」と、ハトリは笑うばかりで本気で取り合わない。

「今度はゆっくり話をしたいっス!」

「待ってますね、先輩!」

スゴとアサガが口々にハトリへ声をかけると、羆は少し驚いたような顔で二人を見遣る。

(元々人懐っこいスゴはともかく、なんでアサガまでキャッチザハート?…そういえば一緒に風呂入って、話聞いてたって言っ

てたか…)

自分勝手でわがままで、極めてマイペース。そんな性格にも関わらず持ち合わせている、なんとも不思議な求心力。

ハトリの妙な魅力が未だに健在である事を思い知り、ヤマトは苦笑いした。

「んじゃ、またな!後輩共!」

ニヤリと笑ってエンジンを噴かし、ハトリはバイクをスタートさせた。

「お気を付けて〜!」

「またです、先輩!」

後輩達の別れの言葉に、片手を上げて背中越しに応じ、ハトリは振り返らずに去って行った。

「…やれやれ…、やっとのんびりできるな…」

少しばかり寂しげな笑みを浮かべつつも、口ではそう呟き、ヤマトは踵を返した。

その後ろにぞろぞろと付き従い、他の寮生達も寮の玄関に向かう。

ヤマトの傍らに並んだアスカは、微笑みを浮かべながら、小声でクラスメートに尋ねた。

「たくさん話せたかい?」

「まぁな。アスカは?」

「結構色々話せたよ。その内、またゆっくり話をしたいな」

「だな」

かつて想いを寄せていた親友に笑みを返すと、ヤマトは視線を上げて寮を仰ぐ。

青々と晴れ渡った、高い高い秋空を背にして聳える見慣れた寮の姿が、今日は何故だか、いつも無駄に胸を張っていた、あ

のゴールデンレトリーバーの姿を思い起こさせた。


                                                                                    おまけ