第六話 「大家、奔走す」

「ドロボー!」

 老婆の悲鳴が響く、午後六時半の住宅街。タイヤの音を軽快に鳴らし、前のめりに転んだ老婆を尻目に自転車が逃げる。

 財布が入っているだろう獲物…ひったくったバッグを前輪上の荷物籠に入れ、ママチャリで逃走を計るのは、高校生ほどと

見える少年だった。

(上手く行った!あとは…)

 入念に計画を立てた。逃走経路は何度も確認した。必ず逃げ切れると自分に言い聞かせる少年は…。

「…?」

 まずペダルが軽くなった事に違和感を覚え、一秒ほどして景色が動かない事をいぶかしんで、二秒後には自転車が進まなく

なった事に気付いた。

「若人がお年寄りからひったくりとは世も末だな」

 太くて低い声がすぐ後ろから聞こえてビクリとした少年が首を巡らせると、そこに、赤い虎の偉丈夫が立っていた。斜め後

ろからママチャリのサドル下を片手で掴んで、少年ごと浮かせながら。

 筋肉の隆起が激しい太い腕。ティーシャツを押し上げる分厚い胸板。躊躇い無くひとを噛み殺しそうな強面。見た瞬間少年

は思った。これ警察に捕まった方が絶対にマシだった、と。

 車輪がカラカラ回る自転車をゆっくり下ろした虎男は、凍りついている少年に「少し待ちたまえ」と告げると、荷物籠から

バッグを取って老女の元に向かい、助け起こして手渡す。

 感謝された赤い虎男は「当然の事をしたまでの事、礼には及びません」と、ヒーローのテンプレ発言で対応し、自転車を振

り返って…。

 当然の事だが既に少年は逃げ去っていた。「あ」という虎の声が虚しく風に舞う。しかし…。


(何だったんだアレ何だったんだアレ何だったんだアレ!?プロレスラーか何かか!?)

 必死になって自転車を漕ぐ少年は、人気のない方へと脱兎の如く逃げる。

「もうちょっとだったのに…!」

 驚きが醒めてくると、惜しかったという悔しい気持ちが湧いてきて、思わず呟いた少年は…。

「それほど欲しかったのか?あのお年寄りのバッグが」

 真後ろから声が聞こえて息を止めた。そういえば何だかペダルが重い。

 街路灯の下を抜ける自転車。その影は少年を乗せ、後ろの荷台には直立しているらしい人影が…。

「ぎゃああああああああああああああああああっ!居るぅううううううううっ!?」

 悲鳴を上げた少年が驚きのあまりバランスを崩して自転車が盛大にぐらついたが、腕組みして荷台に直立する赤虎の大男は

振り落とされない。まるでそこに根を張って生えているように。焦る様子もなく、スルトは蛇行する自転車の上で微動だにし

ないまま、「事故を起こす前に止まるべきだ」と余計なお世話の忠告。自分が驚かせた結果だという認識は皆無である。

 言われたからという訳では無いが、少年がブレーキをかけると、虎男はひらりと路面に降り立つ。見上げるような大男なの

だが、足音が殆どしなかったのが少年には不気味で仕方がない。

 真っ赤なジャージ姿でサンダル履き、スーパーの紙袋を抱えた虎の大男を、怯え切って青褪めた少年は自転車に跨ったまま

見つめる。

「な、何なんだアンタ!?」

「通りすがりの大家だ。より正確には買い物帰りの大家だ。加えて言うなら…」

 片腕で抱えるスーパーの紙袋からは長葱が覗いている。

「今夜は豚汁の予定の大家だ。葱と蒟蒻が足りなかった事に途中で気付いて…」

「聞いてねーし!」

「ところで少年。何故あのお年寄りからバッグを奪った?高齢の方は大切にしなければいけないぞ」

 怖い顔で道理を説く赤い虎男。少年は自棄になった様子で「関係ないだろ!」と叫んだ。

「警察でも何でも突き出せばいいだろ!へっ!」

「それは名案だが、私はこの街の警察のある個人が嫌いだ。具体的には白い虎が嫌いだ。ああ嫌いだ。大嫌いだ。だから警察

はできれば勘弁してほしい」

 思い切り顔を顰めたスルトは少々妙な物言いになっている。

「ところで確認しておきたい。君がご老人からバッグを奪おうとしたのは、止むを得ない事情があっての事ではないのかな?」

 虎男の問いに、少年はそっぽを向く。

「そんなもんねーし!金が欲しかっただけだ…!」

「例えば、病床の母親に薬を買って帰るために必要だった、とか…。腹を空かせた妹や弟に食事を用意するために必要だった、

とか…」

「いつの時代だよ!?」

 また叫ぶ少年だったが、虎男は終始表情を変えず、からかっている様子も無いので、一体どういうつもりなのだと困惑して

しまう。

「スニッチが欲しかったんだよ…。そんだけだ…!」

「それは…」

 虎男は唸る。殴られるかと思った少年だったが…。

「一体何だ…?スニーカー…?」

「ゲーム機だよ知らねーの!?」

「それは…」

 虎男は再び唸る。今度こそ殴られるかと思った少年だったが…。

「重要な理由だ」

「…へ?」

 きょとんとする少年をよそに、虎男が繰り返し頷く。しかつめらしい顔で

「私には見える。流行のゲーム機を買えず、話題にも乗れず、友人達との会話に混じれず、孤立を深めてゆく君の未来が…」

「え?」

「交友関係による精神的満足感を得られず、孤独のままに不満を抱え、流れ流れて修羅の道…。ともすればそんな未来が君を

待っている」

「え?」

「そしてその未来へと歩んだ君は、ちょっとした犯罪で道を踏み外し、非合法な地下組織と関りを持ち、仲間に引き込まれて

しまい、そこから抜けられなくなり、いつかどこかの大統領や総理大臣などを暗殺し、世界を混沌に導く脅威にもなり得る。

別に世界がどうなったところで知った事ではないが、近所の平和が脅かされるのは困る…」

「え?」

 何やら話が勝手に進行している上に大きくなってゆく。そして虎男は五秒ほど黙り…。

「だが、君の未来は変わる。明日には、君が世間を疎んで反社会的人物になる道は断たれる」

 そう力強く宣言すると、唐突に踵を返して歩き出した。

「え?え?」

 取り残された少年は、立ち去る虎男を見送った後で…。

「警察に連れてかなくても…、いいのかよ…?」

 混乱そのままにおろおろと呟いた。




 「駅まで徒歩三分の好立地」

 「敷金礼金保証人必要無し」

 「世界に反逆する好条件!」

 そんな売り文句で不動産情報誌に広告を載せるアパートが、ある国のある街のある駅近くにある。

 ところにより五階建てで場所により三階建てのアパート群は全6棟。各所で老朽化が進んで頻繁に無計画に増築改築連結分

離を繰り返した末に、何故か各棟が申し合わせたように空母のような外観になっているそのアパートは、「黄昏荘」という。

 そのどこかの棟のどこかにある部屋、真紅の絨毯が敷かれ、中央に円卓が置かれ、壁と卓上の燭台だけが光源となっている

薄暗い部屋で、

「真夏にクーラーを利かせた部屋で、七味唐辛子たっぷりの豚汁を頂く…。ふふふ…!この背徳的贅沢、癖になります」

 灰色の髪の小さな男の子に見えるが実際のところ年齢不詳、若作りにも程がある若々しさで小学生にしか見えない管理人…

路帰(ろき)は、豚汁をフゥフゥ冷ましながらハフハフする。

「特に豚肉たっぷりなのがいいぜェ。やっぱ肉は大事だな肉は、普通に食うにしても別の意味で食うにしても多いに越した事

はねェ。グフフフ…!」

 年甲斐も無いハッスルで草むしり中に熱中症で倒れた祖父の代理で列席している巨漢の鯱も、大家お手製の具沢山豚汁に舌

鼓を打つ。

 関係者にしか所在が明かされていない、悪巧みの舞台っぽさクオリティがやけに高い黄昏荘秘密の議場。「ご近所に優しく。

外敵に厳しく。炎天下の屋外作業での無理は禁物!」の大家手書き夏用スローガンが掲げられたその部屋には、今は赤虎と灰

髪の男の子と鯱しか居ない。

「口にあったなら何よりだ。鉢業(はちごう)君に味噌と出汁の配分を教えて貰ったのだが、ああやはり彼は腕が良い。あき

らかにおかしい食材の総分量だけ計算し直せばこの通り、適量の美味い豚汁を作れる」

 「何でアイツ毎回大量に作り過ぎるんだろうなァ…」と呆れ顔の鯱(シャチ)。「ところで毎回言いますがニンジンは入れ

なくても良いのでは?」という路帰(ろき)の主張はナチュラルにスルーされる。

 なお、本日は管理人の地獄(へる)女史と沙門(しゃもん)女史は、神代家の金熊娘や重射(えいる)や千恵子(ちえこ)



などと女子会ケーキバイキングに出かけているので不在。新居頭経具(にいずへっぐ)は例によってヒールレスラー志望の編

陽と一緒にプロレス観戦に出かけているので夜間不在。

 そんな手薄の状況でも、今日の虎男は皆に聞かなければいけない事があった。

「ところで、おふたりはゲーム機について詳しいかな?流行の品について聞きたいのだが…」

「勿論、人気のゲーム機と言えばギガドライブでしょう」

 もはや生産されていない太古の名機を即座に例に挙げるロキ。「タケシからは送り返されましたが」と少し寂しそうに付け

加える。

「今はスニッチとかじゃねェのかァ?」

「それだ」

 シャチが名を挙げた途端に頷いた虎は、「いくらぐらいするのかね?」と尋ねて…。

「それは…、学生の身ではなかなか難しい金額だな…」

 顔を見合わせるロキとシャチ。謎が多いようにして猫舌である事と多肉植物の栽培が趣味である事は割と知られている大家

こと、黄昏荘オーナーの守留人(すると)は、一言で表すと「生真面目」、一言付け加えるなら「天然」、もう一言付け加え

るなら「心配性」、そんな男である。ゲーム機の金額を聞いて難しい顔になるのには、本人なりに真面目な理由があるのだろ

うと察しはついた。

「そもそも売ってねェかもなァ。人気で品薄って話だからよォ」

「品薄…」

 おもむろに立ち上がるスルト。

「…明日、と言ってしまった…」

「?」

「?」

「急いで探しに行かねば…」

「?」

「?」

「ご近所に危機が…」

「?」

「?」

 顔を見合わせるロキとシャチを残して、スルトは再び買い物に出かけた。

 そして尋常ではない速度で近場のゲームショップやおもちゃ屋6軒を梯子し、見通しが甘かった事を思い知った。



「…詳細は省かせて貰うが急ぎ必要なのだ。売っている店を知らないかな?」

 夕食時、明らかに栄養が偏っていそうなポテト三昧+ハンバーガーとコーラからなる夕餉を卓上に広げていた薄色レッサー

パンダと、この夕食をチョイスしてお邪魔している達磨のように太った大猪は、突然訊ねて来た大家の唐突な質問に戸惑う。

 ふたりとテーブルを挟んで向き合うスルトは、「本当に急な事だが、今は手掛かりが欲しい」と重ねて頼んだ。

「急いでいるという事なら、とりあえずお貸ししても…」

 レッサーパンダはテレビの方を見遣る。子煩悩を通り越す勢いで甘やかしに来るアライグマが求めもしない物まで買い与え

るので、ナルの部屋には二世代ほど前からのゲーム機が揃っていた。

「いや、プレゼント目的なので新品を購入したいのだ」

 この返答で、親戚の子にでもあげるのだろうと考えた猪は、「ネットでも予約ばっかりで、何処も入荷待ちだしな…」と困

り顔になった。

「あとは高額転売されてる分とかしか見かけないし…」

「あれ?タイキ調べてたの?買う気になったの?もしかしてフィットする気になったの?あんまり細くなられると個人的には

残念なんだけど…」

「え?痩せなくていい?マジで?」

 顔を輝かせる猪。

「タイキはそのままで魅力的だよ」

 笑顔で応じるレッサー。

 目の前でくっついてイチャイチャし始めた二人を咎める事無く、スルトは何でも良いので情報があったら教えてくれと頼ん

で、席を立った。



「ごめんなさい、心当たりは無いです…」

 姿勢良く正座した品の良い少年コリーが済まなそうに詫びる。

「兄さんはレトロゲームには詳しいですけど、新しい物にはあんまり興味を示さないというか…。たぶん流行の物だと販路を

押さえていないと思います」

「そうか…」

 ショボンと耳を倒す赤虎。学生の独り暮らしで何かと世話になっているステは、恩人の大家に何とか協力したかったが…。

「そうだ!友達に訊いてみます!友達のさらに友達とか、情報を回して貰えば何処かで引っかかるかも!明日は土曜日ですし、

近くの町でなら入荷しているお店が見つかる可能性も…。確実じゃないですけど、やらないよりはずっと良いです!」

「それは有り難いが、君の友達に迷惑をかけてしまうのでは…」

「大丈夫です。友人はみんな、困っているひとを見捨てませんから!」

 絶対の信頼を窺わせる言葉と表情。ステの厚意を有り難く受け取って、しかしスルトは自らの足でも探そうと、次の心当た

りの元へ向かう。



「スニッチですと?いやアニメに携わる物、人気玩具は勿論チェックしておりますが…」

 薄給アニメーターガルムは赤虎大家の問いで眉尻を下げ、申し訳なさそうな顔になる。

「あのメーカーの品は昔から供給が間に合わなくなる事が度々ございましたが、此度のアレも現在はとにかく品薄で、昨今は

お目にかかるのも難しいと…、そのような困難な話ばかり耳にしております。入荷する店の心当たりなども拙者にはとんと見

当がつかず…」

 そこで一度言葉を切ると、マーナは「我ら兄弟は皆そういった品との縁があまりありませぬ故、今回はお力になれそうに御

座いませぬ」と平伏した。

「顔を上げてくれ。謝られては私が困ってしまう」

 スルトは「事情を知らないまま軽々に物を言った私が悪かったのだ」と溜息。

(この分では、全入居者に当たった所で解決には至らない。そもそも聞いて回る時間も…)

 赤虎は思い描く。

 ゲーム機が無く、友人達の輪に入れず、犯罪に手を染めた少年が悪の反社会的組織に加えられ、後々何処かの国の首脳が乗

るジェットをロケットランチャーで吹き飛ばし、国一つが腐敗と自由と暴力の真っ只中タフボーイな状態に陥り、その余波で

この街にも記録的大不況の嵐が吹き荒れて犯罪多発地帯になってしまう様を…。

(町の平和のためにも、諦める訳には…)

 明らかに考え過ぎなのだがこの大家は大真面目である。

 これが、地獄女史がセイギノミカタ事業において出来る限りスルトを前に行かせない二つの理由の一方。

 心配性というか想像力が豊か過ぎるというか、拳骨サイズの落石一つから町の危機を想定して全力行動するので、スルトが

関わると99パーセント事態が大きくなるし、ややこしくもなる。

 その点ガルム兄弟は個々人の超能力の差はあれど全員が隠密行動を得意とし、各々が目的から逸脱しない(長男ですら)。

故に地獄女史は便利に使っている。

(そうだ。確か壊神(くまがい)さんの家の上の子がゲーマーだったはず…。流石に遠いので空振りは怖いな、まず電話で確

認してみるか…)



 五分後。

「ああ。こんばんは大家さん、どこかにお出かけですか?」

 黄昏荘敷地正面門前、ガルム兄弟の黒狼は、すれ違う赤虎に声をかける。

「街を救いに」

 颯爽と立ち去る赤虎を、立ち止まり振り返り見送り、狼は考える。

(まぁ、そういう事もあるか…。週末の夜だしな…)

 慣れた物である。



 ゲームセンターの景品交換に上がっていたという情報を入手したスルトは、商店街へと向かう。

 その道中…。

「火事だー!子供がまだ二階に!」

 燃え盛る民家。お約束のシチュエーション。

 通りすがりの大家はホップステップ急加速。三歩で音速に到達し、野次馬の頭上を飛び越えて二階の壁へ突っ込み、これを

頭から突き破る格好で容易く破壊、内部に侵入する。路肩の縁石を跨ぐ気安さで音の壁を突破する大家は、衆目の真っ只中で

も正体を悟られる事はない。

 煙が充満する二階を手早く探索したスルトは、咳き込んでいる少女を発見し、ベッドのシーツでミイラの如く包んで抱え、

裏手の壁を蹴破って脱出し、お隣の庭に降ろしてさっさと退散する。

 そして…。

「大変よ!踏み切りで車がエンストしているわー!」

 状況がとても判り易い女性の悲鳴。

 遮断機が降り始める踏切へ、今度はクラウチングスタートの格好で構えた大家は、初速で音超え。ミサイルよろしくエンス

トセダンに突っ込んで、ナンバープレートのやや上側めがけて低空跳び蹴り。

 吹っ飛ばされたセダンは縦に1,080度回って、線路敷地内の叢にタイヤから着地。エンジンキーを弄っていた運転手は

エアバッグに顔面を強打されたが、特に負傷は無い。

 さらに…。

「包丁を持ったコンビニ強盗だー!」

 駐車場に逃げてくる客の事情がよく判る声。

 周囲を見回したスルトは丁度よく転がっていた空き缶を踏み潰してペシャンコにすると、これを軽く蹴り上げて浮かせ、衝

撃波が撒き散らされる速度でローリングソバット。

 キュンッ…。と妙に高い音を立てて飛んだ元空き缶、現砲弾は、自動ドアを抵抗無く貫通して、強盗が握った包丁の根元を

粉砕し、おでんケースを破壊してお湯を飛び散らせる。

 おでん汁をまともに浴びた強盗は慌てて飛び退こうとして転倒、床に頭を打って伸びてしまう。

 くどいようだが、スルトはガルム兄弟のような超能力は今日も使用していない。健康のためと本人が称して日課にしている

パワーヨガとジョギングによって裏打ちされた(注・効果には個人差があります)ただの力技である。

 その後、トラックが突っ込んで民家へ倒れ掛かる電柱を打点が高いどころの騒ぎではないドロップキックで破壊し、親子連

れめがけて落ちてきた看板をラリアートで吹き飛ばし、支えも無く空中に浮遊している手のような触手を生やした黒い三角錐

状の何かを無自覚に力一杯殴り壊し、ゲームセンターへ急ぐスルト。

 これが、地獄女史がセイギノミカタ事業において出来る限りスルトを前に行かせない二つの理由のもう一方。

 スルトが行く先々では何故かトラブルが起こる。トラブルが起こる方を無意識に感知して近付いて行ってしまうのではない

かという者もあれば、スルト自身がトラブルを招き入れる体質なのだという者もある。どちらにせよ、これがスルトの日常。

本人は「世界とはだいたいこういう物」と認識している。とんでもない誤解だが、心配性なのはこのトラブル遭遇体質による

経験も原因である。

 そんな調子で、商店街までの片道の間に全国版のニュースで見かける一日分程度の事件に、堂々と、しかし正体を悟られず

に介入及び対処しながら、ゲームセンターに辿り着いたスルトは…。

「………」

 交換用景品のガラスケースを見て、ラミネートパックされたゲーム機の写真を凝視する。

 そこには、「入荷分全部出ました」の手書き札が添えられていた。

 残念。五分前にクレーンゲーム達人のサモエドがクジで当てて大喜びで帰った所である。

(…私は…無力だ…!)

 項垂れて歯を食い縛り、握り締めた拳を震わせるスルト。当たるまでクジを引くつもりで降ろして来た大金も使い所がない。

 ゲームセンターの真ん中で膝から崩れ落ちて項垂れる赤い虎の大男は、ぶっちゃけ邪魔だし目立っているが、関わり合いに

なりたくないので誰も直視しない。

 しばらくして、スルトはふらりと立ち上がり、力無く肩を落として店外へ出てゆく。

(どうすれば、ご近所の危機を防げる…?)

 深刻に顔を曇らせ、まずは秘密基地(要するに管理人集会室)に戻って意見を募ろうと考えたスルトは、黄昏荘近くの住宅

街まで戻って来た所で足を止めた。

 そこに、ずんぐりした影が立っていた。まるでスルトを待っていたように。

 薄緑のポロシャツの上に白衣を羽織った、暗がりでもそうと判る程度に肥満した人影は、踵を潰してサンダルのように履い

たスニーカーをペッタペッタと鳴らしながらスルトに歩み寄ると、「こんばんは、大家さん」と声をかけて立ち止まった。

 街路灯の灯りの下に姿を見せたのは、大柄で肥満体のジャイアントパンダ。体型から格好まで含めて何とも不精な印象を受

けるその男を、

「ミーミル先生…」

 この近くに住む、町の大学で教壇に立っているジャイアントパンダだと、スルトは認識した。

「今お帰りですか?お忙しいようで…」

「まぁ、忙しいと言えばそうだが、これが日常だからな。慣れっこというヤツだとも」

 ジャイアントパンダは軽く首を縮め、スルトは厳つい顔を少し緩める。

「まだまだ暑さが引きませんから、お互い体調に気をつけたいところですね」

「そうだな。もっとも、私の不摂生はもはや習慣だが…。君は相変わらず健康的で実に羨ましい」

 無愛想に見える顔に、ジャイアントパンダもほんの少しだけ笑みの気配を乗せる。その両手はドラム缶のような体の脇で、

それぞれ手提げ袋をぶら下げていた。

「大荷物ですね。学校の資料ですか?」

「いや、これはバースデープレゼントというヤツだ。「お前」への、な」

「私への?いや、私の誕生日はまだまだ先…」

 応じようとしたスルトは、しかし軽い違和感を覚えて言葉を切った。

 ジャイアントパンダの口調が変わっていた。それに気付くと同時に…。

 

―この星座占いによれば、私は乙女座という事になりますね。…戦乙女でもないのに?―

―生物なだけまだマシだろう。私など天秤だぞ。無生物だ―

―主任は様々な物を管理監督する。天秤はその象徴と思えなくもないのでは?―

―だとすれば、相当狂った天秤だがな。そうそう、ディンは蟹座だ。惜しくも三日早く生まれて獅子を逃している―

―当たる物ですか?この星座の占いという物は―

―その筋の専門が読めば占星術は信憑性のある物になる。が、大雑把な括りでの星座占いは、私はデータソースに用いない―

―なるほど。「気分で判断しろ」と…―

―そういう事だ。お前もだいぶ判ってきたな―

―ところで、今日の天秤座の運勢はワースト2のようですが…―

―繰り返すが、私は星座占いをデータソースに用いない―

 

 思考にノイズが走ったような奇妙な感覚。交わした覚えの無い「誰か」との会話が蘇る。

 あれは、誰と話した事だっただろうか?

 ぼんやりするスルトに、いつの間にか背を向けていたジャイアントパンダが、肩越しにひらひらと手を振った。

「一つはお前が使えばいい。もう一つは好きにしろ」

 億劫そうな足取りでその場を離れながら、ジャイアントパンダは煙草を取り出して咥える。

 この町にしかない、たった一本の「柱」。それ一本で支えきるためには、生じた歪みを自分達で処理できる範囲内まで誘引

する必要がある。そう。世界中からかき集め、自分達の手が届く範囲に…。

 その「誘引存在」のひとりに設定されている赤虎に、年に一度だけ詫びの意味も込めてプレゼントを贈るのは、ジャイアン

トパンダが自分に課した決まり事。

(何せ、「あの当時」の私は…)

 紫煙を吐き出したジャイアントパンダは、気怠げな目を細く絞る。

(ふっ…。仕事用の品以外、何ひとつお前に与えた事がなかったからな…。「アイツ」と過ごしてから私も多少は気が回るよ

うになったらしいが、さて、プレゼントの内容はどうなのか…)

 ジャイアントパンダの後姿が、夜闇に染み入るように消え去った数秒後、夜道に独り残されたスルトは、数歩先に置かれた

手提げ袋二つに目を向け、歩み寄って持ち上げた。

 中身は人気ゲーム機。「先ほどデパートで運よく売れ残りを見つけ、片方は少年用に、もう片方はせっかくなので自分用に

と購入した品」である。

(何とか間に合ったな…)

 何も覚えていないスルトは、辻褄を合わせられた記憶に従って帰路を急いだ。

 ここまで来ればあと少し。セイギノミカタに依頼するだけである。




「こちら8番。範囲内に条件を満たす自転車はありません」

 電柱の上でお座りよろしく佇むコリーが、一斉通話で兄弟に報告する。

「3番、同じく探索範囲に該当の無い事を確認」

 ガタイがいい焦げ茶と白のピットブルは、車しか停められていない車庫を背にして告げる。

「2番。該当車両は見つからない。このまま西進し、次の範囲を探索する」

 巨漢のグレートピレニーズはマンションの駐輪場を立ち去りつつ、人目が無いところで民家の塀に飛び乗り、前傾するなり

豊かな被毛を棚引かせて高速移動に移る。

 ガルム兄弟9名による人海戦術総当り作戦。自転車の特徴を正確に覚えていながら、少年の住所を確かめてはいなかったス

ルトの無茶な依頼は、参加者全員の家賃一ヵ月分無料と、発見者の家賃追加で二ヵ月分無料という、危険度の低さを考えれば

なかなかの報酬。これには長男も本気になる。しかし…。

「こちら1番。同じく該当無し。…ところで弟達よ、届けた事にして売り払ってしまうというのはどう…」

『却下』

 他の八名全員一致の却下を即座に貰う安定の長男。

 これは夜明けまでの長期戦かと、全員が腹を括ったその時…。

「5番。対象車両を発見しました」

 ブルーグレーの都市迷彩服姿が勇ましい紅一点、クリーム色のラブラドールレトリーバーが皆に報告した。

「ごく普通の民家で、庭先に停められています。ステッカーのナンバーも完全に一致」

 これを聞いたハスキーは、手提げ袋をしっかり抱え直し、「直ちに馳せ参じます姉上!」と、勇ましく吼えて移動を開始。

乱暴には扱えない品なので通常速度の駆け足である。

「こちら1番。…ところで我が麗しい妹よ。兄が発見した事にするつもりは…」

『却下』

 他の八名全員一致の却下を即座に貰う安定の長男。

 かくして、依頼は無事に遂行され…。

 

「アンタ、何か人助けしたの?」

 困惑顔の母親に尋ねられ、少年は何とも言えない顔になった。

 帰って来た父親が、門の所で待っていたラブラドールレトリーバーの女性から預けられた手提げ袋。その中身は人気のゲー

ム機本体だった。
ラブラドールレトリーバーの女性曰く、彼女の身内が息子さんに助けられ、その恩返しにとこの品を預かっ

たとの話だったが…。

 通りすがりの大家と言えば判るはず。少年の父はラブラドールレトリーバーからそう言われたらしい。

(人助けどころか…)

 少年は赤い虎の事を思い出す。そしてバッグを引っ手繰った老女の事を思い出す。

 自分は、犯罪者になる所だったのに…。

(人助け…)

 少年は胸に重たいものを感じた。

 罪悪感。申し訳ない気持ちと、罪滅ぼしをしたい気持ち。

 この日から、少年は決して悪い事はしないと心に決めた。

 そして、人助けができる事を率先して探すようになった。

 大家の心配はともかくとして、少年が真っ当な大人に成長するきっかけにはなった。




 翌朝…。

「今日は機嫌が良さそうですね」

 黒髪が美しい、品の良い女性がにこやかに微笑みながら口を開くと、エケベリアエレガンスの鉢を十個ほど屋上に並べて、

日光浴させようとしていた赤虎は、振り向いて「やあ、おはよう不二(ふじ)さん」と腰を伸ばす。

「また一つ、街の危機が取り除かれた。喜ばしい事に」

「それは良かったですね。ああ、そうそう。神代さんの所のアリスちゃん。貴方があげた熊童子、とても大切にしているそう

ですよ」

「喜んで貰えたなら何よりだ。世話のし甲斐があまりない株だから、退屈するのではないかと心配したが…」

 スルトはそう言うが、アリスにプレゼントする鉢植えを熊童子にしたのは、見た目や名前だけでなく、世話が難しくないの

も考慮しての事だったのだろうと、シャモンは察する。

「可愛いと、気に入っているそうです」

 クスリと笑い、シャモンは並べられた鉢植えに歩み寄って屈み込む。片手に乗るサイズの小さな鉢は、いずれも素焼きの素

朴な植木鉢だが、十個全て色合いが違っており、濃い茶色から白までのグラデーションになっていた。こういうところも凝り

性である。

「ところでシャモンさん」

「はい?」

「私の誕生日はいつだったか、判るかね?…ああいや、プレゼントを要求するつもりなどではなく…」

「はい?」

 ならば何故訊いたのだろうかと、訝ったシャモンだったが…。

「いや、忘れてくれたまえ。どうにも誕生日を勘違いするような事があったような気がして…」

 自分の生年月日など当然判っている。なのに、誕生日は昨日だったような気がする。そう言って、スルトは苦笑いした。

「変な夢でも見たのかもしれない」

「ええと、もしかしてそれで、自分用のゲーム機を?」

「あ」

 赤虎は目を丸くした。誕生日の事が気になったのはゲーム機を買ったせいなのか?順番がおかしいような気もしたが…。

「娯楽器具の買い物など久しぶりだったから、誕生日の夢でも見たのかもしれない。だとすれば、私もあの品で童心が刺激さ

れてしまったかな?…まだセッティングしかしていないが…」

 そう言ってスルトは違和感に説明をつけた。

 結局接続と設定で時間を取られた上に、本体はあってもソフトは無かったので、本来の用途では遊べていないのだが…。

「そうだ。フジさん」

「はい?」

「ゲームの事は、少なくとも私やロキさんより詳しいだろう?迷惑でなければ、ゲームのソフトを選ぶのを手伝って貰えない

だろうか?」

「…!ええ、よろこんで!」

 上品に顔を輝かせるシャモンと、縞々の尾をゆったり揺らしながら、厳めしい顔を僅かに緩めて微笑むスルト。

 また一日が始まり、朝日で長かった黄昏荘の影が短くなってゆく。

「ああ、今日は良い天気だ…」

 平和な一日になる。ならないなら平和にする。いつも通りにそんな気持ちで、スルトは明るい空を見上げた。




 それは、ある世界線におけるある国のある街のお話。

 日常的に事件が起きながら、それでも平和が誰かの手でしっかり守り続けられている、そんな街のお話。



次回予告