「大丈夫か?」

 細身のハンサムな狼が形の良い眉を顰める。男前だけに顔を顰めると変化が大きく見えた。

「だいじょうぶだ。もんだいない」

 アンプを切ったエレキギターを抱える、同じ狼でも逞しい体格の偉丈夫は…、

「大丈夫に見えねーんだけどさ」

 ハンサムな狼が眺める先で、抱えたエレキギターを赤子のように揺すったり撫でたりしていた。しかもその手つきが若干嫌

らしい。

「ところでハレルヤ」

「何?」

「弟の話をしよう」

「要らない。そんな事より今度の対バンの話しろって」

「だいじょうぶだ。もんだいない」

「大丈夫に見えねーんだけどさ」

 同じやり取りを繰り返して、ハレルヤはため息をつく。

 集中していない…どころか注意散漫で会話が成り立たないウルの視線は、汚部屋の中でそこだけ急遽片付けられたテーブル

の上…、そこに置かれた一枚の絵葉書にチラチラ注がれていた。

 何処かの浜辺だろうか、カラフルなパラソルの群れが鮮やかな、海水浴客でごった返す砂浜の…酷くピンボケした写真の葉

書に、油性マジックでこう記してある。

―おれは元気だ あんちゃんは元気か 今日は良い天気だった―

 たったそれだけの、ふと思いついた事をぼんやりと書き殴ったような手紙一通で…、

「遠慮するな。弟の話をするとしよう」

「ノーサンキュー。謹んで遠慮させて」

 元から変なウルはますます変になっていた。



「さっき廊下で会ったげっと、何だが一番上のあんちゃん、ちょっとテンションおがしぐねがすか?」

 一緒に居るとガッシリして背も高いマーナが細身に見えてしまうほど大柄な金色の熊が、青い目に訝しげな光を湛えて訊ね

る。

 お裾分けの絶品肉じゃがを恭しく受け取ったシベリアンハスキーは、熊の片腕で抱っこされている栗毛の髪の女の子に飴玉

と、サラサラと描いた児童向けアニメのキャラクターイラストを渡して喜ばせつつ、「何でも、拾合(じゅうごう)から手紙

が届いたとかで…」と言葉を濁した。

「え?弟さんがら?久方ぶりだねぇ!」

 笑顔を見せる金色の熊に対し、ハスキーは微妙な顔。

「アリスしらないひとー?」

 幼稚園の帰りという事で、制服に「くましろありす」の名札がついたままの少女が訊ねると、「あ、言われてみれば!」と

マーナはポンと手を打った。

(あ奴が居ったのは、愛理子(ありす)殿が勇羆(ゆうひ)殿の養女に入る前だったか…)



「末の弟さんから手紙が?」

「ですよ。それも外国から。一体今まで何処で何やってんだか…」

 閉鎖が決まったスポーツジム最後のお勤め…後片付けに勤しみながら、立てたモップの柄に手を組んで乗せ、その上に顎を

乗せ、気分が乗らない黒いポメラニアンが顔を顰める。

「何故、浮かない顔をしているんだ?」

 スコルの先輩にあたる逞しい龍人は、後輩の態度が弟からの連絡を喜んでいるように見えなかったので、気になって訊ねて

みた。

「仲が良くないのか?末っ子とは」

「そういう訳じゃねーんですけど…。アイツから連絡あると…」

 スコルの顔が盛大に歪む。

「兄貴の奇行がしばらく輪をかけておかしくなるぐれーテンションが変になるんです。ぶっちゃけ超ウザい」

「ああ…」

 部外者にも納得されてしまう、日頃の奇行が残念な長兄である。



「ウルの浮かれ具合が、有り体に言って「ヤバい」」

 ハティがそんな表現をするほどの長兄の奇行は、「アルバイト」の結果にも影響していた。

 携帯を片手にスコルへ指示を出すハティの視線は、遠く離れたビルの一階…、地域振興団体がよく借りているイベントホー

ルで調べ物をしていた、長身痩躯の美形刑事の姿を見つめている。3キロ先のビルの屋上から、建物の隙間を縫う線を貫いて。

 やおらスコープを下げて、ハティは踵を返す。レンズの向こうの刑事が自分の方へ向き直る気配を察し、念のために。

「例の若い刑事だ。注意して探ってくれ」

 弟からの手紙でラブラブテンション。不調をきたすほどダメになるウル。

 彼の些細な失敗は、常人ならば気付き得ないほどの僅かな痕跡を現場に残してしまっていた。



 小さな惣菜屋の店内には香ばしいコロッケの匂いが立ち込め、食欲をそそるが、タケシの注文は今日もチーズインハンバー

グセット。

 意中の若者の来店で輝くような笑顔になり、金色の熊は丹精込めて作ったハンバーグを容器に詰め始めた。暴漢を容易く返

り討ちにしてしまうその腕力を活かして入念に捏ねた上で、丁寧に叩いて空気を抜き、一気に焼き目を付けて肉汁を閉じ込め

たハンバーグには、自慢の特製ソースをたっぷりかけてある。

 大きな体に着用したフリルつきのエプロンが可愛らしい、惣菜屋の名物若女将の背を眺めながら、常々鋭い顔つきをしてい

る若手刑事も、この時ばかりは優しく目を細めている。幸い丁度夕食時で買い物客も落ち着いたため、いつも混み合っている

店は珍しくガラガラに空いていた。

「3パックって事は、今日はカズキさんの他にも誰が一緒なのすか?」

「イヌイ先輩も現地調査に来られているので、たまには宅飲みしようという話になった」

 実はカズキから、「意中の相手の絶品ハンバーグも紹介してやれ」と茶化し気味に無理強いされたのだが、無論その下世話

な話の流れについては伏せておく。

「民謡教室の方はどんな具合だろう?ロッカーのハレルヤさんが民謡の講師までやれるとは思っていなかったが…。シノブの

話では随分盛況だそうだが?」

「シノブちゃんも上手ぐなったよ!べっぴんさんだがら、歌っこ歌わしても華があんねぇ!」

 丁度他に客が居ないので、狭い店内にはふたりだけ。気がねなく世間話ができる。

 憩いのひと時を惜しみつつ、「はい!お待ちどうさん!」と笑顔で包みを差し出すユウト。「ありがとう」と手を伸ばすタ

ケシ。手渡す際に、ふたりの指がぶつかって、異口同音に『あ』と声が漏れた。

 顔をポッと赤らめて「あ!ご、ごめん!」と謝るユウトと、「いや…」と少し気まずそうに目を逃がすタケシ。

「あ、ああそうそう!昨日の教室は珍しぐウルさんが来ねがったね!」

 恥じらいを誤魔化し、取り繕うように思い出して言ったユウトの言葉で、

「…?」

 財布から紙幣を出そうとしていたタケシの動きが止まった。直前までの穏やかな微笑が霧散し、空気がピリリと引き締まっ

て、雰囲気の変化を感じたユウトが「ん?」と耳を立てる。

「…クマシロさん」

 青年刑事は切れ長の目に思案の光を宿し、金色の熊の顔を見上げながら静かに口を開いた。

「ウルさんが、昨夜の民謡教室を欠席していた…と?」



 いよいよ「セイギノミカタ」の正体に近付く不破刑事。

 ふわふわしているウル。

 兄弟達にかつてない危機が迫る。

 やはり主に長男のせいで!

 第三十一話 「末弟(年末に)帰る …かもしれない」



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