第三十話 「グッドラック・バッドドラッグ」

 「駅まで徒歩三分の好立地」

 「敷金礼金保証人必要無し」

 「世界に反逆する好条件!」

 そんなコピーで不動産情報誌に乗っているアパートが、ある国のある街のある駅近くにある。

 ところにより三階建てで場所により五階建てのアパート群は全6棟。規模は大きいが老朽化が甚だしく、頻繁に無計画に増

築改築連結分離を繰り返した末に、何故か各棟が申し合わせたように空母のような外観になっているそのアパートは、「黄昏

荘」という。

 その五号棟三階の一室で、ギターを手にした狼男が弦を弾いた。他の住民に配慮して…ではなく今日も電気代節約のためア

ンプに繋いでいないので、音は鳴らない。

「スランプ、か」

 無表情で呟く狼獣人。背も高く、ガッシリした筋肉質な体つき。開襟シャツを通しても判る胸板の厚い盛り上がりに、盛り

上がる肩や腕。整った顔も精悍なのだが…。

「マヨネーズを補給しなければ」

 呟くなり、卓上に置いてあったマヨネーズボトルを掴むと、ゼリー飲料を飲むようにヂュバヂュバと音高く中身を吸い出す。

 見た目は良いのだがとにかくいろいろ残念なこの男は、我流無得(がるむうる)。やや灰色よりの白狼で、この黄昏荘に住

むガルム兄弟の長男。マヨネーズをこよなく愛するインディーズバンドのリードボーカルで、作詞作曲も担当するぶっちゃけ

売れていないミュージシャン。二十三話のゴーストライター騒動以降、ここしばらくメインの仕事での収入が殆ど無い状況が

続き、民謡教室の臨時講師の謝礼金で命とマヨネーズを繋いでいる。

 摂取栄養が減少している上に睡眠不足で収入も無いと、色んな意味で死人のような生活だが、どっこい生きてる部屋の中。

 尖った耳が散らかった居間の片隅…カップ麺の容器がうずたかく詰まれた辺りでカサカサッという音を捉えたが、聞かなかっ

た事にして絶対にそっちを見ない。

 黄昏迫る空の下、地上四階の窓の外には半端に見える痩せた杉の天辺。物悲しく風に揺れるソレが花粉を撒き散らして窓ガ

ラスを染める季節はまだ遠い。

 マヨボトルを卓に置いたウルは、再びエレキギターに触れて…。

 ピンポ~ン。

 チャイムが鳴った。ウルの尖った耳はしっかり反応していたが、聞かなかった事にしてそっちを見ない。

「幻聴だ」

 ピンポ~ン。

 願いを込めたウルの囁きに、聞いていたかのようなタイミングでチャイムが被さった。

「………」

 幻聴以外の理由を考えるウルは、三度目のピンポンで腰を上げた。

 重い足を引き摺って、気が進まないが玄関ドアのレンズを覗くと…。

「………っ!」

 魚眼で歪んだ丸い世界に、三日月のようにキュウッと口角を上げて笑っている口元が映り込んでいた。

 観念してドアを開ければ、そこには灰色の髪にソバージュをかけた女性が立っている。この五号棟の管理を担当する年齢不

詳の女性である。

「管理人さん」

 女性の顔を見るなり無表情のまま恥も外聞も無く土下座するウル。

「先月と今月の家賃は、いましばし待って頂きたく…」

 彼女が出向いてくる用事の心当たりは有り過ぎる。開口一番、切り出される前に支払いが遅延している家賃についての懇願

に入ったウルは、即座に弟から金を無心する事を考えたが…。

「あらあら…」

 灰色の髪の管理人はその答えを予期していた様子で、魔女の笑みを絶やさない。

「困ったわねぇ…、それじゃあまた、「アルバイト」をして貰おうかしらぁ?」

 ピクンと、ウルの耳が、次いで顔が上がった。

「…「アルバイト」…。今度はどのような…?」

 見上げてくるウルの目に、内容が何だろうがとにかく食いつくダメな犬の光を見て取って、管理人は三日月の笑みを湛えた

口から、ゆっくりと言葉を注ぎ落とした。



「弟よ」

 バンッといきなり玄関ドアが開かれ、

「弟よ」

 スタンといきなり居間の襖が開かれ、

「弟よ」

 ガショッといきなり浴室の戸が開かれ、もうもうと湯気が脱衣場へ溢れ出る。

 そこに、白く大きな背中があった。

 非常に恰幅が良い、骨太な太り肉。丹念に身を清める腕では筋肉の瘤が大きく膨れ、長い被毛を押し上げている。背を向け

てなお脇腹に肉膨れが見られる肥満体だが、どっしりと重々しく逞しい、重量感溢れる巨躯。

 大柄なウルより一回り体積がある巨漢は現在シャワー中。明らかに尻が収まらないサイズのヒバの浴室用チェア…十七話で

新人部下から貰った土産の品へ窮屈そうに腰掛けて頭から湯を被りながら、押しかけてきた兄に目も向けないまま、次兄は口

を開く。

「気付いていない可能性も考慮して念のために言っておこう。ウル、私はいま湯浴み中だ」

 奇妙に小さい台座に乗せられた鏡餅のような、微笑ましくもバランスが不安定そうで不安なグレートピレニーズの後姿に、

無表情な狼は悪びれる様子も無く「判っているつもりだハティ」と答えた。

 我流無波堤(がるむはてぃ)。グレートピレニーズ系獣人で、ガルム兄弟の次兄である。表情に乏しい所以外は長兄とあま

り似た箇所が無く、ウルがああなので大体の場合は長兄に代わり最年長者扱いで頼られる次兄。

 不安定な職と性格の者が多い兄弟の中でただひとり企業の勤め人で、常識もある。ただし勤め先の愚礼不(ぐれいぶ)商事

は明らかにブラック企業であり、労働時間と収入が全く吊り合っていない。一日平均の労働時間が二十時間前後になる事も多

い死人になれそうな過労具合。なお、第三話で入社した部下は最近ようやく少し使えるようになって僅かばかり業務が楽になっ

たが、このままだと心身ともにダメになりそうなので、相変わらず彼からの片思いに気付かないまま転職先を探してやってい

る。

 午後五時、問題発生による三十二時間不眠不休の連続勤務を終えて帰宅したばかりのハティは、ようやく人心地ついていた

ところだった。

「判っていてこの暴挙かね」

 流石のハティも呆れているのか、声にため息が混じる。

「急ぎ知らせたい案件が…」

「黒くて速くて光る虫かね?毎回大げさな」

 例によって名を口にするだけでウルが嫌がるので、固有名詞を用いず、しかし割とストレートな表現を用いるハティ。なお、

次兄の不殺の誓いは虫にも適応されており、自分の部屋には一匹も出ないにも関わらず何処で体得したのか匠の業をもってソ

レを素手で捕獲し、殺さず屋外へリリースする。だいたいの場合Gはそのままウルの部屋へ帰って来て真っ先に台所がレコン

キスタされるのだが。

「君にはあの、ごくつぶしの、気持ち悪い、ブリリアントな虫の恐ろしさが判っていない」

 無表情に神妙な顔で固有名を用いず訴えるウル。

「また出たのならスコルにサーチして貰い給え。案外、家族連れで越して来たのかもしれない」

「悪夢のような予想を淡々と語らないで欲しいものだ。…いや、今日はあの、ごくつぶしの、気持ち悪い、ブリリアントな虫

が出たわけではない」

「では何の…」

「アレではなく、管理人が出た」

 Gの流れから言及するウル。苦手という意味では一緒だが酷い扱いである。

 一方、G同様に名を口にするのも嫌なほど苦手なウルに対し、家賃をちゃんと払っている上にゴミ出しも手伝っているハティ

は後ろめたいことも無ければ苦手意識も無い。「地獄(へる)女史が?」と何でもなく先を促す。しかし何度見ても酷い字面

の名前である。

「「アルバイト」の話が来た」

 段がついた土手っ腹の脇までワシャワシャと丁寧に洗っていたハティは、一瞬手を止め…。

「…なるほど。それは急ぐ案件だ」

 特殊な用事ではある。が…。

「だが風呂から上がるまで待ちたまえ」

 別に一分一秒を争う話ではない。当たり前の反応を示して兄を待たせた。



「それで、「アルバイト」を持ちかけられたというのは?」

 体の隅々までしっかり洗ってしっぽり風呂に入ってたっぷり温まってから出てきたハティは、太い腰にバスタオル一枚巻い

ただけの格好で、部下から貰った麻の葉柄座布団にどっしり腰を下ろす。豊かな被毛に覆われた肉厚な体躯は異常なほど寒さ

に強く、一月中旬のこの時候、ファンヒーターもつけていないが腰巻一丁で平気である。

 肥満体の半裸だが、だらしなさは感じられない。被毛はしっかりドライされ、フカフカと見栄え良くエアが入り、半裸でな

お品格がある。勿論、その丹念な身繕いが終わるまでの間、ウルはたっぷり待たされた。相変わらずおミソ扱いの長兄である。

 兄の部屋とは大違いの、畳も傷んでいない清潔な日本間。ご近所様の蔵掃除を手伝った際に譲って貰った年代物の仙大箪笥

や、修繕しながら長く使っている茶箪笥や卓袱台など、年季は入っていてもいずれも清潔にしてあり、古臭さよりも歳経た趣

があった。

 卓袱台を挟んで座るウルは、弟が出してきた発泡酒のプルタブをプシッと起こしながら、「先ほど、管理人が部屋に来て提

案して行った」と切り出した。

 発泡酒も貴重なカロリー。無断で冷蔵庫から持ち出してきたマヨネーズを小皿へソフトクリームのように盛ったウルは、そ

れをスプーンで掬ってツマミにしながらヂョルヂョルと発泡酒を啜る。

 兄の口から、簡潔に説明を受けたハティは…。

「また二ヵ月分も滞納しているのかね?」

 真っ先に滞納の部分に食いつき、当たり前の反応を示して兄を責めた。

「わたしだけではない。マーナも二ヶ月分滞納中だ。スコルも一ヶ月分」

 開き直ったように他の兄弟の滞納状況まで暴露する長男。

「つまり、兄弟十人中三人が屋賃滞納中という事か」

「その通りだ」

 顎を引いて頷いたウルは、

「………」

 ハティの、一見すると普段通りのようで実は違う、どこまでも慈悲も容赦もない無表情な顔と目がじっと向けられている事

に耐えられなくなり、視線をそっと横に逃がす。

「それで、「アルバイト」参加者ひとりにつき一ヶ月分の家賃免除、と…」

「その通りだ」

 顎を引いて頷いたウルは、

「普段なら四分の一割引や半月分減免のところを、今回は一ヶ月分免除。「アルバイト」の難易度が高そうだな」

「だが受けるしかない。家賃が浮くのであれば是非も無し」

 冷静に考えるハティに対し、外見上は冷静だが全く冷静でない発言。

「管理人の条件は最大四名。スコルとマーナも必ず乗る」

「私は滞納していないが」

「君の分はわたしの一ヶ月分としてカウントを…」

「話は判った。帰りたまえ」

 どこまでも慈悲も容赦もない、凍てついた世界の果ての雪原ように冷たい、ハティの無表情な顔と目。

「…冗談だ」

「今の僅かな間は何かね?」

「君の場合は来月分の家賃免除だ。悪い話ではないだろう?」

「私の目を見て話せ」

「済まなかった」

「素直でよろしい」

 ハティは結露が表面を覆った発泡酒の缶を見遣ると、おもむろに掴んでタブを起こし、一気に飲み干す。

「では、スコルとマーナにも声をかけ、打ち合わせをしよう」

「そうこなくては。ところで、携帯にランプが灯っているぞ」

「ふむ?………ああ、澪(みお)君からのメールだ。食事の誘いだが…」

「こちらが優先だ。検討にも値しない、断るべきだろう」

 長男はきっぱりと延べ、次男からまた無表情な目と顔を向けられ、「済まなかった」とすぐ謝った。



 十数分後、長兄の部屋…はゴミ屋敷なので次兄の部屋に「アルバイト」参加者が集められた。

 卓袱台を囲むのは、上座のウルから時計回りにハティ、黒いポメラニアン、シベリアンハスキーという顔ぶれ。

「話はオーケー。勿論参加で」

 アルバイト内容の説明を受けて口を開いたのは、縫い包みのような外見の小柄な黒いポメラニアン。足裏を合わせて座り、

脛の辺りを掴んで尻を支点に前後に揺れている様は、見た目も手伝ってまるで子供のようでもある。

 我流無守凝(がるむすこる)。体格が良い者ばかりの兄弟中、もっとも小柄で愛くるしいが、慇懃無礼に毒を吐く。特に長

兄には猛毒を吐く。

 務めたジムがだいたい半年ぐらいで潰れる薄幸のスポーツインストラクターで、定期的に収入が断たれるので定期的に財布

が死ぬ。紆余曲折あって(第十二話参照)何度も同じ職場の同僚となった先輩インストラクターの出狩怒(でかるど)(♂)

に熱烈アタック中だが、未だに実を結んでいない。

「拙者も異存ござらぬ!粉骨砕身!精一杯の戦働きにて管理人殿に報いましょう!」

 力強く頷いたのは黒と白の精悍なシベリアンハスキー。

 我流無真孔(がるむまあな)。ウルと変わらない上背と逞しい体躯の青年だが、クールな隈取が厳めしい強面ヴィジュアル

に反し、礼儀正しいが言動が暑苦しくてややうざったい少しおバカなアニメオタク。なお、特徴的なその口調はサムライとニ

ンジャが好き過ぎた思春期を経て変になったもの。

 アニメ好きが高じてその世界に飛び込み、理想と現実の差に日々呻きながらゾンビのように働く薄給のアニメーターであり、

職場で知り合った同じアニメーターの紫野朝香(しのあさか)嬢との清い交際は八話経た今でも全く進展していない。

 なお、集まった以外の他の六名の兄弟も全員がこの黄昏荘五号棟に住んでいるのだが、十番目の末弟だけは相変わらず帰っ

て来ず、住んでいた部屋も退去時から空室のままである。

「では、依頼通り決行すると管理人に伝える」

 長兄は弟達の顔を見回し、

「判っていると思うが…、抜かるなよ?」

 声の調子も顔つきも変わらなかったが、ウルが発した言葉に、弟達は揃って頷いた。





 月が見下ろす埠頭の影溜まり、無人で係留された船舶が並んだ暗い一角で、目立たない黒のボックスカーが四台、ひっそり

と集まっていた。

 月明かりを鈍く跳ね返すアタッシュケース。黒ずくめの男達。それらを見つめる黒いポメラニアンは…。

「今時感心だぜ。ちゃんと判り易い悪者のコスチュームと態度してるぞ?あの連中…」

 倉庫の屋根で呆れ半分に首を竦めていた。

「なればこそ、人違いにはならぬというもの」

 傍らで身を伏せているゴツいハスキーが低く唸る。どちらも濃紺の上下に身を包み、首から口元までを同色のマフラーで覆

い隠していた。

「しかし華の無いいでたち…。あのようなベタ具合ではコンテの段階でテンションガタ落ち必至!悪役には悪役のスタイリッ

シュさという物がある!いかに二次元の嘘でもあのようなベタベタなベタコスを画面に映えさせるのは至難の…」

「うるせーし聞いてねーから黙れバカアニオタ。今のオレらがアイツらの格好をどうこう言えねーだろ」

 いつもの「アルバイト」着で屋根に潜むスコルは、不意に視線を屋根に向けた。それを透過して地面を見ているような、焦

点がややおかしい眼差しである。

「見回りが入った。ふたり」

「心得た。では、参る」

 言うが早いかスッとマーナが動く。素早く、音を立てず、倉庫裏手の屋根の縁からトンと宙に飛び出して、眼下の男ふたり

を視界に収める。

「御免!」

 男の片方は音も無く首筋に打ち込まれた手刀で昏倒する。

 落下したマーナはその強靭な両脚で5メートル分の落下の衝撃を完全に殺しており、足音も立てていない。が…。

「!?」

 無駄に声を発したせいで、もう片方の男が存在を悟って振り向いている。

 懐から抜き出されたのは拳銃。サウンドサプレッサーを装着したオートマチック。距離3メートル、適正な射殺距離だが…。

「しからば秘技!あっちむいてほいの術!」

 マーナが素早く指を伸ばし、掛け声そのままの動作を行なうなり、男はハッと真横を向いた。

 指につられた訳ではない。気配に反応していた。

 体臭が漂い、首筋に吐息を感じたような、生々しい何者かの気配。…を感じたはずが、顔を向けたそこには誰も居ない。

 その間に、マーナは音も立てずに風を巻き、男の眼前に飛び込んで拳を固めている。

 拳を覆う分厚いグローブが顎を下から叩き上げ、男は両脚を地面から離して浮き上がり、白目を向いて気絶しつつ大の字に

伸びた。

 入居者に「ワケアリ」が多い黄昏荘。その中でガルム兄弟もまた色んな意味で「マトモ」ではなく、全員がいわゆる「超能

力者」である。

 スコルは衣類や障害物などを無視して、生物の「精神状態」をサーモグラフィーのように視覚に捉える事ができ、マーナは

気配を錯覚させて相手を幻惑する事ができる。

 もっとも、八男のような「飲み物の中の塩分濃度を少し変化させる」という失敗作の味噌汁をリカバリーするにはとても便

利だが応用が非常に難しい能力もあるのだが…、とにかく全員が何らかの超能力を持っている。

 首尾よく見回りをのしたマーナは、屋根の上から顔を覗かせたスコルに「何で声かけてんだよバカか!バカなのか!バカだ

もんな!」と小声で毒づかれながらも、男達をずるずると物陰に引っ張り込んだ。

「自覚している!連呼するな!」

 何とも虚しく響く言い返しである。


「ブツは確かに」

 非合法薬物の入ったトランクを車にしまい、片方の男が言うと、

「こちらも金額を確認した」

 別の車についていた男がそう答える。

「今後もどうぞ、円満な取引を…」

「こちらこそ、末永くよろしく…」

 クックックッと判り易く悪い含み笑いを漏らす男達。そこへ、見回りしていた男達が戻り…、

「異常ござらぬ」

 背の高い方が敬礼する。

「ん?そうか、ご苦労」

 何だか口調が変だな?と思った。おまけに暗いので顔もよく判らない。戻って来た見回りがハスキーに入れ替わられている

事がすぐには判らなかった。

 その間に、同じく服を剥ぎ取って着替えたスコルは金と薬が運び込まれた車のナンバーを覚え、手首を内に折る格好で袖の

陰に隠した携帯で、器用にナンバーを打ち込みメールを送信する。

「備えオーケー」

「合点承知」

 短く言い交わしたスコルとマーナは、エンジンをかけた車の内、それぞれの取引側のリーダーと思しき男達が乗っていない

…つまり薬と金が積まれていない車二台に歩み寄ると、おもむろに腰の後ろからハンマーを取り出し、運転席の窓ガラスを叩

き割った。

「な!?何をしているんだお前ら!」

 声を上げられるも、マーナは待っていましたとばかりに声高に名乗る。

「拙者らはインターポール市警の警察の者!全員動くな!武器を捨てて両手を頭の後ろで組み、その場に跪け!早くしろ時間

が無いんだ現行犯で逮捕だルパン!」

 やってみたかった刑事の振りを色々チャンポンしてみてちょっとご満悦なハスキー。

「爪先から頭の天辺までバカなのは知ってたけど舌の先端までバカなの?」

 毒を吐くスコルは運転手の頭を砂の詰まった袋の凶器…ブラックジャックでしめやかに殴打して速やかに気絶させエンジン

キーを抜き取っている。

 そして混乱が始まる。

 双方とも、重要な車両がいち早くその場を脱し、残りがスコルとマーナを取り押さえるべく襲い掛かるが…。

「はいはい、粛々と行くぜ」

 少年と見紛う小柄なポメラニアンは、愛らしい外見とは裏腹に、迫った男の顎を鋭角なサイドキックで蹴り砕き、軸足で跳

ねて身を捻り、軽快に回し蹴りで顔面を追撃。背後から迫った相手には、回転の勢いを殺さずローリングソバットでお出迎え。

「ちぇすとぉっ!」

 気合一閃、拳銃を握った男の腕を抱え込んで極め、肘を逆に折って骨折せしめつつ背負い投げによって飛び道具にするマー

ナ。
同僚をぶつけられ、諸共に車を背にして倒れ込み、折り重なった男めがけて、二足でトップスビードに至ったマーナが、

その全体重を乗せた鋭い飛び蹴りで加減ない容赦ないえげつない追撃を加える。

 闇夜に連続して打撃音が響く、その場から少し離れた所では…。


「警察ではない、はずだ…」

 顔色の悪い男がアタッシュケースを引き寄せて呻く。危ない橋を渡って手に入れた大金が入ったケースである。失うわけに

はいかない。
元々車通りが少なくなるのを見越して選ばれた取引場所なので、法定速度無視で飛ばす車は順調に場を離れつつ

あった。が…。

「若頭!」

 運転手が声を上げ、男はハッと前を向く。

 ヘッドライトの向こう、センターラインを跨ぐ格好で、濃紺の上下に身を包み、口元を同色のマフラーで隠した男が立って

いた。

 一瞬、目が錯覚でも起こしたのかと思った。

 男は妙に大柄で、遠近感がおかしくなりそうに幅があり、しかも夜中とはいえおかしな位置に佇んでいて…。

「止まるな!」

 一瞬の後に我に返った男が声を発し、ドライバーはひき殺すつもりでアクセルを踏み込む。

 ヘッドライトの中で目を細め、ハティはゆったりと開いていた足を前後に移し、腰を落として半身に構え…。

 ドゴンと、重々しい激突音が響いた。

 正面から突っ込まれたハティは正拳突きの格好で右拳を突き出しており、その先で車のボンネットが大きくひしゃげている。

拳が直接叩いて破壊した訳ではない。ハティの拳から数十センチ離れた位置で、ボンネットが、フレームが、構造材がひしゃ

げて歪み、大破していた。

 粉々に砕け散ったフロントガラスの向こうで、エアバッグが爆発的に拡張してドライバーのコントロールを奪うが、そもそ

ももう駆動できる状態ではない。

 続いて、右拳を脇へ引きつけつつ上体を捻ったハティが、左拳をアッパーカットの要領で突き上げると、中破したボックス

カーはフロント部分を下からへこまされて後方宙返りする。

 一回転して地面へ着地、車軸が折れて腹を擦る車両が火花を散らしながらバックしてゆき、やがて止まると、最初の位置か

ら一歩も動いていなかったハティが構えを解いて悠然と歩き出した。

「ぐ、ぐうう!」

 歪んだドアを押し開けて顔を出した男達は、負傷こそしているものの二名がまだ動ける状態だった。一斉に銃口を向けられ

たハティは、しかし動じる様子も無くゆったりと車に歩み寄る。

 立て続けに、抑えられた銃声が夜気に響いた。

 ところが、発砲された巨漢には一発たりとも着弾しない。硬質な音が闇を裂くが、弾丸の着弾点も、何に当たっているのか

も、男達には判らない。

 結論から言えば、「着弾点」は地面である。ハティに到達する前に見えない壁にでも当たったかのようにひしゃげて弾かれ

た弾丸は、全てその眼前に転がっている。

 ハティは衝撃波を自在に操る。車も、弾丸も、巨漢が展開する無色の壁を突破する事は叶わない。

「できれば、これ以上痛い目に遭わせたくはないのだがね」

 車の傍に巨漢が至ると、男達は観念して両手を上げた。

 弾を撃ちつくしても殺せない怪物を前に、為す術もなく。


 一方その頃、反対側へ逃れようとした車は、ハティと同じように車道中央に立つウルの「左右を同時に」抜けていた。中央

から真っ二つになって。

 助手席の男と運転席の男が顔を見合すその中間を、濃紺に身を包む偉丈夫が佇んだまま抜ける。

 次いで断たれたのはタイヤ寄りの車軸。腹を擦って滑走しつつ減速する車は、さらに天井、ドア、後部トランクと次々に剥

離するように分解され、フレームに座席だけが乗った寒々しい状態になって停止した。

 もはや「少し前まで車だったスクラップ」と化したソレに、踵を返したウルが歩み寄る最中も、小規模な分解は続いてゆき、

座席が、フレームが、残らず解体されて細かくなる。

 何が起きているのか理解できないながら、何らかの攻撃に晒されていると察した男達は、懐に呑んだ拳銃を引き抜いたが…、

それを狼へ向ける事は叶わない。

 男達の手元で、黒光りする拳銃がその銃身を分解させる。ポロポロと手元から零れ落ちた輪切りの金属片が、落下して軽妙

な音楽を奏でた。さらには男達の衣類がスパスパと刃物を当てたように切れて、小さな布切れに変じて風に舞う。

 ポカンとしている男達は、僅かな明かりを反射する糸の存在には気付いていない。それがウルの手足から伸びて、自分達の

車と服をズタズタにした事にも。

 ワイヤーが仕込まれた特殊グローブ「アルラウネ」と、特殊ブーツ「ラプンツェル」。これらから射出した強靱な糸を高速

振動させて対象を切断する事で、ウルはこの解体を成していた。

「こう、考えた事はないか?」

 ウルが独り言に近い、答えを期待していない問いを発する。

「なまじ重傷より半端な怪我の方が痛い、と。それはそうと、車や拳銃より丈夫な自信があるなら抵抗しても良いだろうが、

そうでなければ輪切りになる。勿論、重傷などという物ではなく、そう痛くもないはずだが。さて、どうする?」

 ウルの警告で、パンツ一枚にまで身を堕とされた男達は、そろそろと両手を上げて降参した。

「…こちらは薬の方か」

 綺麗に外側だけ切り裂いたアタッシュケースから零れている小袋を確認し、少し残念そうに述べる狼。

 勿論、金の方なら少しちょろまかしてもばれないのでは?などといつもと同じようにセコい事を考えていた。


 数分後、匿名の通報を受けた警察が現場へ駆けつけ、いつものように一様に首を捻った。

「また「これ系」の事件か…?」

 死者0名の惨状を前に、赤ら顔の太った警官がポリポリと頬を掻く。

 時折ある、不可解な破壊痕と犯罪者だけが残される、通報を受けたときにはもう既に解決してしまっている事件…。

「不破(ふわ)、何か判るか?」

「いいえ」

 ロングコートを纏う長身痩躯の美形警官が、細かく解体された車両の滑らかな切り口を確認し、触れたら指が切れそうな角

を子細に見つめながら首を振る。

「また「いつもの」連中か…」

 派手な破壊と、手掛かりを残さない遣り口が特徴の、警察に先回りして動く謎の集団…。彼らはソレを、「セイギノミカタ」

と呼んでいる。





「先ほどガルム兄弟より報告が入ったわぁ。例の件は片付いたそうよぉ。警察にも通報済み、一件落着ねぇ」

 黄昏荘の一室で、灰色の髪の管理人は他の出席者へ報告を終えた。

 どこかの棟のどこかの部屋。真紅の絨毯が敷かれ、円卓が中央に置かれ、壁と卓上の燭台だけが灯りになる暗い部屋で、影

達がうごめく。

「ご苦労。従事者の家賃減免を承認する」

 テーブルの一角を占める赤虎の偉丈夫が重々しい声で唸ると、灰色の髪の管理人は小さく肩を竦めた。

「密輸の多いこと多いこと…。世界中どうしようもなく薬物汚染されてるわねぇ」

「世界がどうなろうと知った事ではない」

 投げやりに、無関心に、にべもなく言い放った赤い虎の偉丈夫は、その力に満ちた双眸を輝かせた。

「この街と住民さえ無事ならそれでいい。それを脅かす者あらば、例えそれが「世界」その物でも歯向かうまでだ。ときに…」

 咳払いした虎は話題を切り替えて資料を読み上げ、軽く顔を顰める。

「四号棟のゴミ出しルールが守られていないようだな。入居者の出輪(でりんぐ)さんから苦情が出ている」

「あァ。済まねェなァ」

 サッと挙手したのは巨漢の鯱。

「そりゃあウチの棟の油見(ぐりすみる)だァ。今朝方空き缶出してたんで注意しといたぜェ」

「それならば結構。…ところで鯱(しゃち)さん。何故君が?振滑具(ふれすべるぐ)さんはどうした?」

 赤虎が問うと、鯱は何とも言えない遠い目になって頬をポリポリ掻く。

「爺ちゃん、今朝方ギックリ腰やらかしてなァ。年甲斐も無く新聞紙の束なんか持ってこうとするからよォ…」

「古紙回収日を厳格に守るのは結構だが…、お大事にと伝えてくれたまえ。後で見舞いに行こう。それで、先月二号棟に入居

した「不流忍(ふりゅうしのぶ)」さんについてだが…。不二(ふじ)君、彼女は君の親類だったのかね?」

「はい。少し血の気は多いですが、とてもよい娘です」

「先に言って貰えれば六号棟に入って貰ったのだが…」

「あら!そこはお構いなく!」

 会議は続く。

 一号棟の管理人を兼任する大家と他の五名の管理人(と、高齢のため代理人指定一名)からなる黄昏荘委員会は、厳格に物

事を定め、推し進めてゆく。

 薄暗い壁に掲げられた大家手書きのスローガンは、「ご近所に優しく。外敵に厳しく。ゴミ出しはルールを遵守」。

 関係者にしか所在が明かされていない、無駄に悪巧みの舞台っぽさがある秘密の議場で議論される主な議題は、黄昏荘が派

遣する「アルバイト」による街の治安維持と、アパートの円滑な運営、そしてハロウィンやクリスマス等、子供が喜ぶような

催し物の開催についてである。



「無事なミッションクリアを祝って!」

 膝立ちになってテーブルに身を乗り出した小柄なポメラニアンが上機嫌で音頭を取り、『乾杯』と四本の発泡酒が音を立て

てぶつけられた。

 仕事を終え、管理人に報告し、ハティの部屋に集まった四名は、恒例の祝杯をあげている。

「これで家賃滞納は一ヶ月分チャラになり、来月も滞納できる…。パーッと寿司でも食おうか弟達よ」

 駄犬の鑑のようなウル。

「君は家賃を払いたまえウル。…だがたまには弾み付けも必要か。仕方ない、私の払いで何か出前でも取ろうか」

 兄の鑑のようなハティ。

「寿司じゃ割高で兄貴が満足できねーんじゃないですか?」

「であれば!ユウト殿のお店にお頼み申し上げ、揚げ物焼き物丼物と、手軽で美味い物で纏めるのも一つの選択肢かと!」

 スコルもマーナも次兄には若干気を使う。

「ところで、一体あの薬は如何様な品でござったのか…。兄上達はご存知で?」

 マーナが首を傾げて問うと、スコルが肩を竦める。

「最近流行のドラッグだよ。クリエイター中心に汚染が広がってるらしいぜ?インスピレーションが降りて来るって話で…。

藁にも縋るってヤツなんだろうけど、代償は高くつくぜ」

「何?インスピレーション?スコル、その話を詳しく…」

 食いついたウルは、温度が全く篭っていない普段以上に無表情なハティの冷たい視線に気付いてすぐさま「冗談だ」と目を

逸らした。「マヨネーズに優るカンフル剤など存在しない」と。

「それだけマヨ中毒なウルが、他の中毒になるのは想像もできねーよ…」

 呆れ顔のポメラニアンは、時計を気にする次兄に気づく。

「兄貴は明日も出社ですか?」

「うむ。大恵夢コーポレーションの栗鼠鍵(りすきい)主任から、上司の同期のミスでバックアップデータごとメインPCが

クラッシュしたと泣きつかれているのでね」

「リスキーさんって…、ヤン先生の兄貴の糸目のひとでしたっけ?」

 ジムに通っているが一向に痩せる気配の無い肥満虎の顔を思い出しながら、我が家とは桁違いにちっとも似てない兄弟だよ

なぁとつくづく思い、感心してしまうスコル。何せハティの勤め先に負けず劣らず過酷な会社に務めている兄の方は細身で細

い目の人間で、弟の方はでっぷり肥えた、医者の不養生を絵に描いたような虎の医師である。

「兄貴、前に休んだのいつでしたっけ?」

「お盆だな」

「相変わらず社畜ってんですねぇ…。こちとら来月からまたプーになりそうですよ」

「またかね。大変だな」

「またです。大変で…」

「という事は、だ。ヤン先生も新しいジムを探す羽目になる訳だな?毎度忙しい事だ」

 と口を挟んだウルに、

「弟が勤め先を探す羽目になる方を少しは気にしちゃあ下さいませんかね糞ウル兄様?」

 長兄への敬意は全くこもらない代わりに高濃度の毒がこもった目を向けるスコル。

 そんな会話を肴に一杯酌み交わして、四匹は解散し…。



「久しぶりに寿司が食えるとなれば、この高いテンションがスランプを追い払うはず…」

 音が出せない節電エレキギターでネコ=フンジャッタをエア演奏し、スランプ脱出を目指すウル。無表情で目がマジ、ヘッ

ドバンギングを交えたエア・ネコ=フンジャッタは滑稽に見えながらも鬼気迫る物がある。なお、既にマヨネーズも二本吸飲

済み。


「そういえば、縦縞と横縞のファッションはダサいと、以前スコルから忠告が…!」

 一方マーナは、ガールフレンドと一緒にアメリカンなアクションヒーロー映画を見に行くべく、やや緊張気味に身支度の真っ

最中。
何故かボーダー柄ばかりある衣類を並べて、さてどうしようかと苦悩している。


「え?午後空いてんの?よっしゃ!んじゃ夜は何か食いに行きましょう!ね!え?やだなー贅沢しませんって!穴場の美味い

ラーメン屋見つけたんですよ!」

 スコルは尻尾を振りながら、朝っぱらから意中の相手へ電話を掛け、強引に予定を捻じ込みにかかっている。

 ポメラニアンが電話をかけているその傍らには、今朝の地方紙が無造作に放り出されていた。表にはデカデカと、「またセ

イギノミカタか!?」というトップ記事が飾られている。

 そしてハティは…。



 休日の朝。いつもなら出勤ラッシュの時間だが、客もあまり多くなかったので、電車の座席にありつけた巨漢は腰を下ろす。

「うはははは!楽しみだな展示!ステの!」

「先輩の06R-1カッコイイっスから、皆きっとヌカヅケっスよ!」

「アル君それ、「釘付け」じゃないかな?」

「また間違えたっス!」

 少年達の声が聞こえて視線を移せば、そこには大きくて太っている巨漢のイリエワニと、負けず劣らず大兵肥満なホッキョ

クグマ、そして毛並みの良いコリーの姿。

「緊張してきちゃった…」

 大柄な二頭に挟まれて座っている見目麗しいコリーは、ハティが暮らす五号棟の隣…六号棟に住んでいる少年。コリーは視

線を向けているハティに気付くと、品良く微笑んで会釈した。

 無言で会釈を返したハティは、コリーが作ったプラモデルが玩具店主催の品評会で入賞し、専用コーナーで今日から展示さ

れるらしい事を、学生達の会話から理解する。

(平和だ)

 などとぼんやり感じながら、電車に揺られて二駅過ぎると…。

「あ。係長」

 乗ってきた客に声をかけられ、横手を見遣った。

 スーツに着られているような、小柄で線の細い童顔のアメリカンショートヘアーが、はにかんだような笑みを見せている。

「おはようございます!」

「おはようミオ君。…はて?君も出社だったのかね?」

「はい、先輩が体調崩したそうで、今朝メールが…。今日は代理出勤です!」

 背筋を伸ばして応じた若者は、「あの、お隣いいですか?」と控え目に訊ねてみる。

「どうぞ」

 座席には余裕がある。少しずれたハティの隣に、ちょこんと腰を下ろすミオ。

「君はついていないな。せっかくの休日に出番が回るとは」

 自分の事を棚に上げて言うハティに、「でも」とミオが応じた。

「悪い事ばかりじゃないです…!」

「ふむ?何か良い事があったのかね?」

「えぇと…!ええ、まあ!」

 にこやかに笑うミオ。

(だって、係長と一緒に出勤できたんだもん!)

 尾を立ててフルフル震わせていた部下は、しかしやはり連日の長時間勤務で疲れていたのだろう。電車の揺れで促されたの

か、それとも安心しているからか、舟をこぎ始め、やがて眠りに引き込まれてしまった。

 揺れでバランスを崩したアメリカンショートヘアーは、フサフサの被毛がクッションになる、逞しい太腕に寄りかかる。

 部下の寝顔を見ながら、ハティは僅かに目を細めて微笑んだ。

(平和だな…)



 それは、ある世界線におけるある国のある街のお話。

 日常的に事件が起きながら、それでも概ね平和な街のお話。

 世界と敵対していたかもしれない者や、世界から追われていたかもしれない者が、世界に興味もなく毎日を送る…、そんな

アパート周りのお話。



次回予告