後半
綺麗なんだなぁ…。そして未来的…。
それが、初めて自動車ディーラーの店舗に入った俺の感想だった。
店内は結構混み合っている。待合のベンチとテーブルセットは、20はあるだろうに全部埋まっていた。
ニューモデルなのか、ピカピカの新車が店内に置いてあって、ドアが開け放たれて中が見えるようになっていた。
車にはあまり興味無かったんだが、こうして照明でライトアップされているのを見ると、えらくカッコイイもんだなぁ…。
コレって別に高級車とかじゃなくて、普通のファミリーカーのニューモデルなんだろ?うへぇ〜…。
キョロキョロ見回し、同時に場違い感を自覚しながら、若干緊張しつつカウンターへ…。
受付の人間女性は、メモに書いてあった担当者の名前を告げると、すぐに卓上マイクに囁きかけて呼び出してくれた。
一分も待たなかっただろう。整備士なのか、つなぎを着てワイヤレスインカムを装着した若い人間の店員さんが、「どうも、
初めまして」とにこやかな笑みを浮かべて挨拶してくれる。
「ヤマト様ですね?クロス様より窺っております。今後ともよろしくお願いいたします」
「あ、こちらこそ初めまして。どうぞよろしくお願いします」
整った顔だが…。この顔何処かで…。
あれ?じいさんの付添いの二人組の片方に似てる?親類さん?改めて顔写真入りのネームプレートを見ると…、同じ苗字!
「少しお時間を頂きますので、お待ち頂くようになりますが…、生憎、本日は混み合っておりまして…」
確かに、と店内を見回した俺に、彼の親類か何かなのかもしれない若い店員さんは、
「隣接する喫茶店の軽食チケットがございますので、そちらでお待ち頂けますでしょうか?」
と言ってくれた。こうやって混み合った時の為に業務提携してるんだろう。ディーラーの判子が押された薄い黄色の紙を手
渡されたが、日付とナンバーが振ってあって、ホットケーキセットとかトーストセットとか、軽食やドリンク類の名前に丸を
付けて選ぶようになっていた。
「済みましたら喫茶店のお電話でご連絡いたします」
「あ、どうも…。何か色々済みません…」
待遇の良さに驚き、恐縮仕切りの俺は、ペコペコしながら出入り口に向かって…。
店員さんが引っ込んだ奥の方から、「わっ!?」って声が聞こえて振り向く。
…燃えたのか、あのメモも…。
頼んだのはチーズケーキのセット。
香り豊かなコーヒーに、薄くて高そうなカップ…。
隣接する喫茶店は、やたらと高級感が漂う店だった。
壁も天井も柔らかな白で、柱が丸みを帯びた天井へ伸びて曲線を描く、ゴシック建築の教会みたいなデザイン。重々しく分
厚いオークのテーブルに、革張りシートが柔らかい固定式のソファー型座席。控え目な照明と低く流れるクラシックが店内を
満たす…。
…お、落ち着かねぇよぉ…!
こっちは車屋とは逆にガラガラだった。広い店内には俺以外に三人しか客が居なくてやけに静か。カウンターのマスターも
ウェイトレスさんも口を開かない。
あまり音を立てないように、チマチマとチーズケーキをつつく俺は、「いらっしゃいませ」というマスターの声に、ちょっ
とだけホッとした。客が増えれば少しは賑やかになるかな…。
ウェイトレスさんとやりとりする客の声。なんとなく聞き覚えのあるような声で、明るい調子だ。良かった、賑やかな客が
来て…。
俺の背中側のボックス席に、新しく来た客が座る。わざわざ振り返って確認するのもアレだし、顔までは見ないが…。
「ホッホッホッ!ウィンナーコーヒーで!」
「私はミルクティーで…」
客はふたり連れらしい。それにしても明る…んっ!?
思わず振り向いた俺の目に映ったのは、こっちから見て手前の席に座る犬獣人の薄茶色の後頭部と、その向こうに座る恰幅
の良いじいさんの、白髭をたっぷりたくわえた顔…。
さ…、サンターッ!?
じいさんは俺の顔を見ても驚いた様子も見せず…、いやそれどころか、視線も向けずに口を開いた。
「どうでしたかな?」
それが、一緒に来た相手に向けられた言葉だっていう事が一瞬判らなくて、俺はあやうく「どうって何が?」と返しそうに
なった。
「良い街ですな。ベッドタウンですか…」
「さよう。どこでも定住人口が減少し続ける昨今、珍しく人口増加が続く賑やかな街です」
相手の言葉に頷きながらとうとうと答えるじいさんは、あまり見ない、穏やかで理知的に見える、余裕と貫禄がある顔をし
ていた。
…これが、財閥トップとしてのじいさんの顔なのかも…。
静かに顔を戻して、浮かせていた腰を下ろす俺。その間にも後ろの席の話は続いていた。
お相手は、どっかの社長さんとか、そういうお偉いさんなのかな?じいさんと相手の話は自治体の財政状況がうんぬん、企
業誘致計画がうんぬん、交流人口がうんぬん、他市からの商業区への流入客がうんぬんと、小難しい内容になっている。
まぁ確かに、この街は立地上かなり恵まれたポジションだ。
昔はえらく閑静な、田畑と農村の街だったらしいが、広大な敷地を確保できるって事で、バブル到来前から大手企業の工場
がポツポツ建ちはじめて、それに伴って住民も増加、そこに生活密着型のスーパーなんかが出店して来て、娯楽も徐々に充実
してきて…。
気が付けば、鉄道利用国道利用で近隣に足を伸ばし易いその立地が、大手企業が本社を構える都市部のベッドタウンとして
機能するようになっていた。
お役所が街の発展方向を、企業誘致に集中する形で定めたのも大当たりした結果らしい。
元が農村部って事で、当時の農業関係者とは衝突もあっただろうし、苦情もかなり出ただろう事は想像に難くないが、それ
でもとにかく遣り遂げた結果、今の発展がある。
「不況不況と言いますがのぉ、穏やかに、緩やかに、今も発展し続けるこの街は求人も多く、食いっぱぐれはまずない所です」
じいさんはそう言ってコーヒーをズズッと啜った。見えないが、たぶん…。
相手はしばらく無言だった。何か考えているのかもしれないな。企業の社長さんとか、そういう上役のひとだと考えると、
じいさんにこの街への進出を促されてたり、あるいは進出したいけどどうなんだろう?って相談したのかもしれない。で、街
の様子を見定めに来たって所か…。
「良い街です」
じいさんの相手がさっき言った事を繰り返した。でも何て言うか、ちょっと微妙な…、単に「良い!」っていうのとも違う
ニュアンス…?
「さよう、良い街です。心配要りません」
じいさんがやんわり言う。説得するように、あるいは安心させるように…。
「しかし、経ちましたなぁ、随分と…」
じいさんはしみじみとした口調になった。
「丸二年…、でしたかな?」
「…ええ…」
じいさんの声に、相手は絞り出すような声で応じた。
想い出語り…にしてはちょっと深刻そうだな。聞こえる位置に俺が居るの判ってるんだから、じいさんも気を利かせてやれ
ばいいのに…。
「しかし貴方も頑固ですなぁ。何が何でも直接は言えん、と…」
「………」
「まぁ、ご安心めされい!しっかりやれとりますよ、ご子息は」
「………」
…ふぅん?この相手さんの息子さん、じいさんのトコか、その傘下企業に居るのかな?
「思えば、奇妙な偶然でしたのぉ。まさか、あの子の親御さんとお近づきになるとは思いも…」
「…驚きました。まさか、御隠居と知り合っていたとは…」
「昨年春の茶会で一緒にならなんだなら、今でも知らぬままだったでしょうなぁ」
「ええ…」
「名字を聞いて、もしや…、と思いお尋ねしてみたのが、きっかけでしたなぁ」
「…ええ…」
何だかじいさんの口調は、確認してるような念を押しているような、妙な感じの物になっていた。会話としては若干おかし
な雰囲気で、相手方も奇妙に思ったのか、返事の声には困惑や疑問が混じっているように思えた。
「後継ぎの方は、弟さんの方で決まりですかな?」
「…ええ、まぁ…。ただ…」
じいさんの問いかけに、相手は少し言いよどんでから応じる。
「アレがどうしても嫌だと言うなら、継がせるのはやめにしようかとも…」
「ほ?」
じいさんが、ポンとボールが跳ねるような声を上げた。
「幸いにも門下生に恵まれ、優秀な者が沢山おりますので…」
相手のひとはフウッとため息をついて、それから何だかちょっとホッとしたような声で…、…あれ…?
「形骸化した伝統や、血筋の看板に拘り続けるのは、私の代で終わりにしようかと…」
「そうでしたか…」
「まぁ、まだ本決まりではありませんが、アレが卒業したら、一度腰を据えて話し合ってみようと思います」
このひと、もしかして…?
「もっとも、ユキノジョウと違ってツキノスケは落ち着きがなく、子供の性分ですから、話の重要性をどの程度自覚して受け
止めてくれるのか、判りませんが…」
この人…!じいさんの相手…!ナカイ君の親父さんだ!
「ほっほっほっ!」
じいさんが笑った。明るく、朗らかに。
「それでは、息子さんの勘当は?」
「勘当を撤回するつもりはありません」
ぴしゃりと、ナカイ君のお親父さんは言った。
「生活が成り立たなくて困っているならともかく、きちんと生活できている今、一度家から追い出した父親が今更何か言った
なら、むしろ迷いと揺れを与えてしまうでしょう。帰って来いと言うべきではありません」
ひと息にそう言ってから、ナカイ君の親父さんは「それに…」と続けた。
「家とは関係が断たれていたほうが良いでしょう。もしも勘当を撤回して縁を戻したら、ユキノジョウの面倒を見てくれてい
るという若者も、実家や親にどう対応すべきか考えてしまうはずです」
…面倒を見ている若者…。俺!?俺の事まで知ってるのか!?
「そうですな。それで良いのかもしれませんな…」
じいさんは、親父さんの言葉に肯定的だった。そして…。
「と・こ・ろ・で…。ご子息のお相手ですが、どんな顔をしているか気になりませんかのぉ?」
うそぉっ!?ここでそう来るのぉおおおおおっ!?
動揺する俺の頭の中で、日にちを指定した車の点検、混雑していた待合スペース、ガラガラなのにわざわざ案内された喫茶
店の席など、ちょっとだけ妙だった事柄が全部繋がりはじめて…。
今日のコレ、全部ぢぢぃの仕込みかぁああああああああっ!
妙に説明的かつ誘導的だった会話は、俺にナカイ君の親父さんの考えを聞かせるため!そしてこの場所をセッティングした
何よりの理由は…、俺と引き合わせるためかっ!
「どんな顔か…ですか」
ナカイ君の親父さんがポツリと言う。
興味はありません。…とぁ言ってく…、
「見られるのですかな?」
興味持たれたぁあああっ!
「ほっほっほっ!すぐ見られますぞい!」
「ほう?この近くに職場があるの…」
「いいや、ここにおります」
「は?」
ぢぢぃいいいいいいいっ!
心の準備もできないまま、胸の中で悲鳴を上げた俺は、
「さて「偶然居合わせた」ナオキ君!御対面じゃ!」
こっそり会計して逃げ出そうと、腰を浮かせた所で名前を呼ばれてビクンと硬直し、体中の毛をブワッと逆立たせる…!
ギシシッ…!と首を巡らせると…、振り返ってるナカイ君の親父さんと目があったーっ!
丸くなる、ナカイ君の親父さんの目。
ほっそりした顔立ちはナカイ君と似ているし、鼻が薄い肌色なのも同じだが、目が優しい息子とは違って、双眸はやや鋭い。
毛色も近い色で、外側が少し薄い茶色、顎下などはクリーム色のツートーン。
うぐいす色の着物に半纏を引っかけた和装だった事に今気が付いた。体躯は和服を着てもあまり太く見えない細身で、身長
はナカイ君よりも少し高くて、170センチくらいありそうだ。
ボックス席から半端に足を踏み出した格好の俺と、腰を浮かせてその場で振り向いたナカイ君の親父さんは、しばらく無言
で見つめ合った。
「あ、あの…、どうも…」
こんな時、ひとはどう反応するのが正解なんだろう?とりあえず俺の場合は、頭に手をやりながらペコッとお辞儀したが…。
「…どうも…」
ナカイ君の親父さんも会釈する。そしてサンタが…、
「この若者が、先にお話ししました、ご子息のパートナーです」
と紹介する。…ぢぢぃっ!余裕顔…どころか事態を楽しんでる顔がムカつく!
「あの…」
ナカイ君の親父さんは、しばらく俺の姿を、それこそ足元から頭の天辺まで何回も視線を往復させて眺めていたが、やがて
じいさんに顔を向けて口を開いた。俺を指さしながら…。
「デカいですよ?」
「デカいですなぁ」
親父さんの言葉にじいさんが頷く。
「デブいですよ?」
「デブいですなぁ」
親父さんの言葉にまたぢぢぃが頷く。
…このひと本人前にしてはっきり言うなぁ…。ツキノスケ君のややキツめの性格って、もしかしてここからの遺伝か?
ナカイ君と似ていながら全く違うその顔を、俺に向け直した親父さんは、また俺の姿をジロジロと見た。…心なしかその視
線が、腹とか首元とか太さが確認しやすい所ばかりチェックしているような気がして、居心地が悪くなる…。
息子をこんな男が…、と思われるのはまぁ仕方ない。
だが、こんな男を選んだ事でナカイ君への評価がさらに落ちるのはいたたまれない…。
「一体、何処が良かったのか…」
たっぷり十秒前後、俺を観察した後に親父さんは口を開いた。…ほらな、やっぱり…。
「いや、訊かないでおきましょう。アレを拾って貰えた理由については…」
…あれ?俺は首を傾げる。
何処が良かったのかって、俺についてじゃなく…、俺がナカイ君の何処を、って事だったのか?
「あ、あの、お父さん…」
弁解じゃないけど、俺は言いたくなった。
ナカイ君は悪い子じゃないし、何処をも何も、好きになるのにそんな難しい理屈はありません。
それと…、息子さんは元気です。ちゃんと働いて来たし、独りで暮らしてきた。もう立派な大人だから心配要りません。
俺も、…こんなだけど…、精一杯ナカイ君を大事にしますから…。
…そんな事を伝えたくて口を開いた俺に、
「「お父さん」と呼ばれる筋合いはありません」
言葉を発するのを遮って、親父さんがピシャリと言った。
まさか、ドラマとかで聞くあのセリフを直に言われる日が来るとは…。
親父さんも、自分で口にした聞き覚えのあるセリフにハッとしたのか、若干恥ずかしげに目を閉じて、口元に拳を当ててコ
ホンと咳払いする。
そしてまた(場を整えるだけ整えて助け舟も出さず無責任に黙って成り行きを見守っていた)じいさんに視線を向け直して、
「そろそろ出ましょうか御隠居。お陰様でもう充分に疲れも取れましたから」
と、会話の打ち切りを言外に示した。
「そうしますかのぉ」
じいさんは頷いて腰を浮かせる。
親父さんはさっさと出口に向かう。
出発を察したのか、外で待機していたらしいお馴染みのじいさん御付黒服ふたりが店内に入って、ひとりがレジに立ち、も
うひとりが親父さんを先導して外へ…。
カランカランと、ドアにつけられた小さな鐘が鳴る中、背筋を伸ばして歩くナカイ君の親父さんは、閉まっていくドアの向
こうで、一度だけこっちを見て、俺と視線を合わせて…、
「………」
無言で軽く、会釈した。
ドアの閉まる音が、俺の丸い耳に飛び込んだ。
ただ、それだけだった。
それだけで、充分だった。
ナカイ君をどう思っているか判った今、ただ、その会釈だけで…。
気付くと俺は、知らず知らず閉じたドアへ頭を下げていた。
「ほっほっほっ!」
サンタが笑い、俺は顔を上げる。
「さて、儂も行こうかの。ではな」
楽しげに笑うじいさん。俺は何て言ったら良いかすぐには判らなくて、おもむろに手を上げて鼻の頭に指を伸ばす。
「…まぁ…、何だ…?流石はサンタクロース、って事かな…」
「ほ?」
首を傾げた爺さんに、俺は鼻の頭を掻きながら言う。
「最高のプレゼントだよ。…もうクリスマスじゃないけどさ」
「ほっほっほっ!」
じいさんは愉快そうに笑って、
「遠慮せんでもっと褒めても良いんじゃぞ?ホレもっと褒めい!ほれもっと敬えい!」
調子に乗り始めた…。
「何だよ敬えって…」
こういう子供じみたところがやたら残念なぢぢぃ。褒めるんじゃなかった…。
その夜、俺はナカイ君に話をした。
食事の前、準備に取り掛かろうとする所を引きとめて。
親父さんと会ったこと。
俺が居ると知らない状況でじいさんと交わした話の事。
ナカイ君を、弟君を、それぞれどう思っているのかという事…。
ナカイ君は終始無言だった。
実家に帰る事すらトラウマになっているんだから、嫌がって聞きたくないって言うんじゃないかと、そんな事まで思いなが
ら話したんだが、最後まできちんと座って聞いてくれた。
そして全部…別れ際の会釈の事まで仔細に説明した俺に、ナカイ君は…。
「…そうですか…」
静かに、ポソリと、そう言ったんだ。
その声は、喜んでいるようには聞こえなくて、でも何処かホッとしたようにも感じられて…。
それっきり、ナカイ君は黙った。
俺も、視線をコタツの上に固定しているナカイ君に話しかけなかった。
家を出たくて自分から離れて寄り付かなくなった俺の状況とは、勘当されて追い出されたナカイ君の境遇は違う。思うもの
が、考えることが、一体どれだけあってどれだけ深いか…。
そうしてしばらく、部屋は静かになった。
「何でしょうね…」
どれぐらい黙っていただろう?かなり長いこと黙っていたナカイ君は、視線を上げて目を細めて、微笑んだ。
「上手く言えないんですけど。胸の奥で、それがあるのが普通になっていた何か…重苦しいのが、薄くなった気がします…。
胸がほんの少しだけ、スッと、軽くなったような気分です」
正座して、背筋を伸ばして座るナカイ君。
表情こそあまり似ていないものの、その姿は、姿勢のよかった親父さんと似ている気がした。
「充分です。それだけでもう…、充分です…」
目を閉じてゆっくり、大きく頷くナカイ君。
俺は、ふと親父さんの事を思った。
親父さんもきっと、ナカイ君やツキノスケ君と同じだったんだろう。
跡継ぎとして育てられて、自由がなくて、生まれた時からずっと歩く道を用意されていて…。
だから、それが普通だと思っていたんじゃないだろうか?後を継がせて家を守る事が一番大切だって考えていたんじゃない
だろうか?
例えば、同じような茶道の家元さんとばかりお付き合いしていれば、そういう価値観が当たり前になって…。
そういう受け継がれ方が良い事なのか悪い事なのかは、一言では断じられないだろう。そうする事で守られてきた伝統は確
かにあるから。
ただ、あくまでも俺個人の意見だが、継がされる側の気持ちや人格を無視した押し付けは、やっぱり違うと思う。
自分から進んで継ぐ…。結果的に諦めて継ぐ…。いろんな受け継がれ方があるだろうが、本人がある程度納得しないと、ま
ともに受け継がれないような気がする。
親父さんが、次男には無理矢理継がせないっていうような発言をしたのは、ナカイ君を勘当した後、いろいろと考えたから
じゃないだろうか?
…けど、今はまだ、こんな話はしないでおこう。
時間が経って、ナカイ君が今を受け入れて、それでいつか…。
「何だか、あの…、貰った気分です」
ナカイ君が微笑んだ。まだ気持ちの整理がつかなくて、きっといろいろ未消化だと思うけど、それでも。
「貰った?何を?」
俺の問いかけに、ナカイ君が「えぇと…」と困ったような半笑いで、
「何て言うのか、ちょっと忘れちゃったんですけど…、お札?でしたっけ…」
言葉を探すように口ごもりながら、小首を傾げ、耳を倒す。
「ふだ?」
札ねぇ…?何だろう?ふだ。フダ。札…。
「こう、「ゆるしますよ」っていう…」
「あ」
思い至る単語が一つあった。
ナカイ君も続いて「あっ」と声を漏らした。
『免罪符!』
声を重ねて、俺達は笑った。
何だかすっきりした。
笑い声はいつまでも止まらなかった。
痙攣するみたいにこみ上げてきて、笑いと一緒に胸の中の色んな物が出て行くような気がした。
そして…。
笑っている俺たちの目から、涙が零れた…。
家に寄り付かなくなった俺。
家を追い出されたナカイ君。
それぞれの理由で実家を出て、それでも縛られていた俺達は、トンと、背中を突いて「勝手にしろ」って、「好きにやれ」
って、自由の免罪符を貰ったんだ…。
「あ、ご飯の支度…」
思い出したようにナカイ君が目じりを拭った。
「いいよ、今日は…」
俺もグシグシと目の下を擦って、鼻をすする。
「出前取ろう、ピザか何か!寿司でも良いし!」
努めて明るい声を上げる俺に、ナカイ君は小さく頷いた。
「…そ、それで、さ…」
俺は続ける。
今なら伝えられる気がした。
今だったら怖くて避けてた事を言える気がした。
ずっとずっと、度胸がなくて言い出せなくて、ナカイ君の促すような素振りを見ても、気付かないふりをしていたけれど、
…今なら…。
「あ、あの…」
「はい?」
「えぇと、その…」
「はい」
「こ、今夜っ…!」
言え。言え!言ってしまえ!
…そう、自分を叱咤する俺は…。
「………!」
たった一言が、結局、言えなかった…。
でも、
「はい。よろしくお願いします」
ナカイ君は俺の言いたい事を察して、ペコンと一度頭を下げてから、穏やかな表情で笑いかけてきた…。
ナカイ君の裸は、綺麗だった。
四隅に薄い暗さが残るような、質も良くない安い電球の下で、それでもその体は綺麗だった。
肉付きはあまり良くない。体型自体は細い方で、そこにふわっと被毛がボリュームを添えている。
腹側の毛は純白に近い眩しさ。
華奢な首筋からなで肩へのラインがなまめかしい。
薄い胸は、それでも腹部と差があって、きちんとくびれがあるプロポーション。
正面から見ると、肋骨の下でウエストが細くなって、腰骨の所で一度幅が出てから、太腿を経由して脛側に行くにつれて細
くなる。
まるで、壷や花瓶を連想させる、繊細で華奢な線…。
…見るたびに思うけど、不格好な俺とは大違いだよなぁ…。
「ヤマトさんも…」
恥じらうようなナカイ君の声を受けて、俺はハッと気がついた。
服にかけた手はいつの間にか動作を止めていて、ナカイ君の裸にポーッと見とれていた事に…。
「あ!ご、ごめん!」
わたわたしながらセーターとトレーナーを脱ぎ捨て、ベルトに手を掛けて慌ただしく外す俺。
バックルを外した途端に、押し込められていた腹がボヨンとせり出した。…開放感にホッとするが、ナカイ君の体をマジマ
ジ見た後だと若干情けない気分にもなる…。
ややあって、俺はすっぽんぽんになった。
そして、裸で待っていたナカイ君がちょっとぼんやりしている事に気付く。
…しまった!待ちくたびれた!?
「あ、あの、ナカイ君…」
お待たせ…。と言おうとしたら、
「あ!す、済みません!」
ナカイ君はハッとしたように、ちょっと高い声を出した。
「み、見とれちゃって…、つい…」
耳を疑うような言葉で、俺の顔がカーッと熱くなった…。
み、見とれてた…と来たか…。
「ヤマトさん…」
「う、うん?」
ナカイ君がすっと顎を上げて、微笑みを浮かべながら俺の顔を見つめる。
「ギュッて、ハグしましょう?」
「お、おおぅ、うううううんっ!」
喉がカラカラに乾いて声が掠れた。無理矢理唾を飲み込んだ俺に、すぅっと滑るように、ゆっくり一歩踏み出したナカイ君
は、迎えるように、そして誘うように、両腕を軽く開いている…。
それに倣う格好で、俺も両腕を左右に開いて応じる。
そして…、ドクンドクンと高鳴る俺の胸に、ナカイ君の顔がポフッと当たって来た…。
緊張と興奮で心臓が跳ねた次の瞬間には、ナカイ君の細い両腕が、俺の脇腹にそっと、抱えるようにあてがわれる…。
ちょっとの間ドギマギした俺は、おずおずと、ナカイ君の背中に腕を回した。
ナカイ君の被毛はダブルコート。やや硬めの…それでも標準よりはだいぶ柔らかいトップコートが外側を固めて、それがシ
ルエットに幅を付けている。
そして、きめ細かくてフワフワした、羽毛のように柔らかいアンダーコートが、その下に潜んでいる。
この二種の毛質が、触った時の心地いい手触りを生み出しているんだな…。
こうして俺達は、立ったまま抱き合った。
「そういう事」をする意識をもってナカイ君と抱き合うのは、これが初めてだ。ちょっと…いや、相当緊張してるな俺…。
「凄いボリューム…」
抱き合ったままナカイ君が呟いて、吐息が胸をくすぐり、俺はこそばゆさに軽く身震いした。
体格差があり過ぎて、完全に抱え込む格好になっている俺とは対照的に、俺の胴にはナカイ君の腕が回り切らなくて、脇腹
からちょっと背中側に回った所を手の平が撫でる。
「柔らかくって、暖かくって、頼もしくって…」
キュッと、ナカイ君の腕が少し力を入れて、俺の両脇腹を締めた。毛足の長い被毛と、だらしなく溜まった贅肉が、細腕を
受け入れるようにへこむ…。
「ヤマトさんの匂いがする…」
ナカイ君の声が、空気だけじゃなく、密着した体も伝わって、自分のやけに大きい鼓動が聞こえている耳に届いた…。
「…ヤマトさん?」
ん?この心臓の音って、胸に顔を付けてるナカイ君にも筒抜けなんじゃ?
「あの、ヤマトさん…?」
あ、ナカイ君の胸が密着した腹に、ちょっと鼓動を感じる…。これ、ナカイ君の心音…?
「ヤマトさん?ヤマトさん!?」
「おぅえっ!?」
ナカイ君に大きな声を出されて、俺は大きな、そして変な声を出した。
「大丈夫ですか?」
腕の中から見上げて来るナカイ君。
「え?あ、うん?だ、大丈夫って?あ、ああ大丈夫!大丈夫だよ!な、何か変だった…?」
「あ、いえ…。動きが無くなって、声も無かったので…」
…うわぁ…。抱き合った事で体に感じる情報に翻弄されて、ドキドキしていたが…、俺、硬直してたのか…!?
「ビックリしました…。だって、気絶したみたいに固まっているから…」
「え!?お、おおお俺そんな風になってたの!?」
我ながら驚いて呆れる…!
「き、緊張しちゃって…!ごめん…」
恥ずかしさから顔がカッカと火照った…。
ナカイ君はそんな俺を見上げながらクスリと笑うと、小声で何か言った。
聞き取れなくて「え?」と言った俺に、ナカイ君は繰り返して口を動かしたけど、また聞こえない。
「ん?何?」
良く聞こうとして顔を近づけた俺は…。
…チュッ…
腰を折るように前屈みになって顔を下げた俺と、精一杯背伸びしたナカイ君の唇が触れ合った。
軽く、短く、唇が触れ合うこそばゆい感触に、固まってしまった。
キスを交わしたナカイ君は、目を丸くしている俺に、
「キスしましょう?って、言ったんです」
悪戯っぽく笑って、わざと口パクしていた言葉をはっきり伝えてきた…。
そこから途中のことは、あまり良く覚えてない。
初心者の俺はナカイ君に、下準備に愛撫、何から何まで教えて貰って、言われるまま必死にぎこちなく指示に従った。
…若干情けないが…、まぁプロにリードして貰う方が安心だよな…。
「前と後ろ、どっちにしますか?」
「え?」
布団の上に、正座を崩したような格好で座るナカイ君にそう尋ねられて、俺は一瞬返答に詰まった。
…照れる様子も見せないでサラッと言える所がなんというか…。
「えぇと…、その…」
初心者向きはどっちなんでしょうか?そんな質問をしかけたが、ここはちょっと見栄を張りたい気分になって「バックで」
と言ってしまう。いや後ろが好きって言うんじゃないんだが…、そもそもどっちが好きかよく判んないんだが…、バックでっ
ていうシーンがエロ漫画にあって、それで…。
「それじゃあ…」
ナカイ君が後ろ向きになって、四つんばいで尻を見せた。
クルンと巻き上がった尻尾…。ふっくらした桃の外側の色が濃く、割れ目の色が薄い毛並みの配色…。軽く開いた足の付け
根に見えるタマタマ…。美しくもかわいらしい尻側からの眺めだ…。
「良いですよ」
首だけ振り返ったナカイ君に促されて、唾を飲み込みながら頷いた俺は膝立ちでゆっくり前進し、そのお尻に勃起した陰茎
をあてがう…。
体はでかいがナニは標準サイズ。…根元が贅肉に埋没しているせいでやや短いが…、入れるのに困る事は無いと思う。
ところが、だ…。
せり出した腹が視界を遮って、セットする位置が視認できねぇっ!
片手を肉棒に添えたまま、片手で腹肉を下から持ち上げるようにして確保しようとしたが、結局ナカイ君の尻もあるから、
真っ直ぐな空間が確保できない!
なかなか位置を決められないでいると、それを察したのか、ナカイ君が声がけでリードしてくれた。
…何から何まで情けない…!
「もうちょっと下です。あ、行き過ぎ…。もう少し下で…、あ、過ぎました、もうちょっと…」
「う、うん。え?過ぎた?あ、また?うん。っと…!」
なかなか合わない位置。だが尻の位置を微調整するナカイ君のリードのおかげで…、
「そこです」
「ここ!?」
やっと、肛門に陰茎の先端が触れた…。
「腰の高さが決まったら、楽な姿勢になるように足の開き方で高さを調節すると良いですよ」
「う、うん」
ずれないように注意して、念のために位置も覚えて、不自然に腰を曲げる格好になっていた俺は膝の位置を移す。
「そ、それじゃあ…」
「はい」
改めて声をかけた俺は、
「い、入れるよ…?」
さっき指でならしたばかりの、ナカイ君のソコにググッと、男根を押し付けた。
ズプッ…
先端が、予想外にあっさり先へ進んだ。
一瞬不安になった。別のところに入ってない?と…。でもここには他の穴は無いわけで…。
「え?入った?」
「はい…」
信じられない俺の声に、ナカイ君がうつむいて応じる。
陰茎を四方から押し包む感触が、間違いなく入っているという事を伝えてくる。
「も、もっと難儀すると思ってた…!」
「ヤマトさんの指、太いし器用だから、よくほぐれてます」
俺の驚き方が変だったのか、ナカイ君がちょっと可笑しそうに言った。
「そのまま根元まで…」
「う、うん…」
言われるがまま、腰を寄せて尻にくっつける。
邪魔になる腹肉は、ナカイ君の尻の上にボヨンと乗る格好になった。
「ど、どうですか…?」
「う、うん…。柔らかくって…、ギュッとしてて…、えぇと…」
説明は難しかった。初の感触だから…。ただ言えるのは、気持ちいいっていう事…。
「そのまま動いてください」
「う、うん!」
もっと味わいたくて、一も二も無く頷いた俺は…。
「ただ、最初はあまり腰を引き過ぎないようにして、腰の振り方の長さを…」
チュポンッ
「あ!」
「あん!」
動揺した俺の声に、ナカイ君の高い声が重なった。
「ぬ、ぬぬ抜けた!抜けちゃったどうしよう!」
「大丈夫です落ち着いて!もう一回、ね?」
あたふたする俺をナカイ君が励ます。…情けねぇ…!
しかし、二度、三度とトライする中、腰はろくに振れないまま、チンポは無情に抜け続けた。
…恥ずかしさのあまり気絶するか泣くかしそうだ…!
「ナカイ君…。ゴメン…」
心が折れそうになる俺。息ばかり上がって、ぜんぜん成果が無い…。修行して出直しますってお詫びしたい…。
がっくりうな垂れた俺に、
「いいえ、初めてだから仕方ないです!それにほら、正常位の方が楽かもしれませんし…、そっちにしてみましょうか?」
と、ナカイ君は励ますように提案してくれた…。
仰向けになったナカイ君の裸体を見下ろす。
か、体の真正面が見えるっていうのも興奮するな…。見られてちょっと恥ずかしいけどさ…。
正座する脚をそのまま大きく左右に開いて、浅いVの字にしたような格好で座る俺。ナカイ君は脚をMの字にして、開いた
俺の脚に尻が収まる格好だ。俺の太ももにナカイ君の脚が重なっているから、腰は布団から浮いている。
普通は腰の下にクッションなんかを敷いて高さ調節するそうだが、俺達ぐらい体格差があるとそれでも難しいとかなんとか。
…まぁ、実際普通に仰向けになって脚を開いたナカイ君の尻の穴は、あまりにも低くて挿入無理だったんだが…。俺のナニ
の位置が高いんだよな…。かと言って、上から覆いかぶさる格好になって体を重ねると、ナカイ君への圧迫が半端じゃなくな
るし…。
「もう少し上で…あ、下に。気持ち下。もう少し…」
また位置決めをリードして貰う俺…。
これ、練習しないとまずいんじゃないか?っていうか練習って言っても相手ありきの事だし、こっそり練習って訳にも行か
ないような…。
…まさか俺、上達するまでずっとこう…!?
「そこでストップ!」
ナカイ君の声でピタッと動きを止める。…あ、ここだな?
「い、入れるよ?良い?」
「はい、どうぞ…」
返事を待って、ナカイ君の下半身を引き寄せるようにしながら腰を寄せる。先端が触れていた肛門は、そのまま俺のモノを
飲み込んで…。
ズニュッ…、ズッ…
ふ…あ…!き、気持ち…良い…!
さ、さっきより深く入った感じがする。引き寄せながらやっている分か?
「そのまま、ゆっくり動いてみて下さい…」
ナカイ君が言う。俺は頷く。さっきのような失敗はしない!慎重に、慎重に行け俺!
…ところが、だ。
今回はナカイ君の顔が…。半眼になって俺を見るナカイ君の顔が…。眉根を少し寄せた切なげな表情が…。真正面からしっ
かり見えて…。
「や、ヤマトさん?ゆっくりで良…」
チュポンッ…
無情に響く音。
動きを止める俺。
抜けた。チンポが。
…何やってんだ俺…。
興奮して、ナカイ君のあの顔をもっと見たくて、どう変わるのか確かめたくて、気持ち良さをもっと味わいたくて…、気付
けば焦って腰を振って、さっきと同じ、大きく腰を引き過ぎていた…。
どよぉんと項垂れた俺は…。
「…うん…。御免なさい有り難うナカイ君…。俺、味噌汁で顔洗って一昨日来るよ…」
もうこれ以上は諸々色んな意味で様々にいろいろと多角的に無理だと思った…。
「や、ヤマトさん!?そんな落ち込まなくても!」
後ろ手をついて上半身を起こしたナカイ君が、焦ったように慰めに入ってくれた。
だが…、俺の心は折れてる…。単に折れただけじゃなく複雑骨折だ…。いやそれを通り越して複雑怪奇骨折だ…。もしかし
たら複雑皆既日食骨折かもしれない…。
「落ち込むよ…。きちんとリードして貰った上で、言われた事もろくにできないんじゃ…。修行して出直すよ…。修行して修
行の成果で見違えるように成長して修行の後帰って来るから…。一から修行して…」
「落ち着いて下さいヤマトさん!そんな修行修行って宗教団体かZ戦士みたいに!大丈夫ですよ!最初は上手く行かない物で
す!ほら!ゲームだって、仕事だって、ひととだって、少しずつ慣れて上手く行くようになるじゃないですか?ね?」
「でも…」
もう顔も見られない…。情けなくて恥ずかしくて…。
そんな下向きの視界に、にじり寄ったナカイ君の膝が入った。
「ヤマトさん…」
その声が耳に入ったのと、首に細腕が回ったのは、ほとんど同時だった。
項垂れていた俺の首が起きる。顎の下にナカイ君の肩が入って、押し上げられて。
ナカイ君は俺の首を抱えるようにしてハグした。右腕を俺の肩の上から首の後ろ側に回して、左腕を腋の下を通す形で背中
に回して、しっかりと…。
ナカイ君の匂い…。シャンプーの匂いに混じる、微かな汗の香り…。
「私に任せて、もう一回だけやってみませんか?」
耳元に囁きかけるナカイ君の息遣いが、首をくすぐった…。
「このままじゃ私も不完全燃焼ですし、ヤマトさんも本当は最後までしたいでしょう?」
…ああ…。
そうだった。そうだったんだな…。
これはオナニーじゃない。相手があって、相手とする事なんだ。
そもそも、自分から誘っておきながら、上手く行かなかったからやっぱり止めようなんて、身勝手すぎる言い分だった…。
ナカイ君が嫌にならない限りは、やれるだけやらないと…。
「…うん…。御免ねナカイ君、勝手を言って…」
ナカイ君の体を抱きしめ返す。ゴメンネを込めて。オネガイシマスを込めて。
背中に回ったナカイ君の左手が肩甲骨の下、やや外側を撫でる。腕が回る限界点がそこなんだろう。
肩越しに背中に回った右手は、背骨沿いに往復して撫でてくれた。
両手の指は指圧するように、しかし浅く、軽く、俺の背中を刺激する。
気持ち良い…。リラックスして行くのが自分でも判る…。
もしかしたら、緊張と興奮が過ぎて無駄に力んでいたのかもしれない。ナカイ君はそれを見通して、緊張をほぐそうとして
くれたんだな…。
「ヤマトさん。仰向けに寝てみて下さい」
「うん?」
ハグして体温が移り、撫で回されて血行が良くなって来たのか、興奮とはまた別の熱で体がポカポカして来るのを感じなが
ら、俺は聞きかえす。
「私が上に乗って動いてみますから…」
仰向けになった俺の腰を跨いで、ナカイ君が腰を下げる。
ドキドキしながらそれを見る俺の視線に、位置を確認して下を向いているナカイ君は気付かない。
流石、と言うべきなのか。直接は見えないはずなのに、ナカイ君は俺の陰茎にピタリと一発でお尻を合わせた。
「良いですか?」
「う、うん…!」
次の瞬間、亀頭の先に圧迫感を覚えた。
ずぷ、ぷ、ぷぷ…
ゆっくり腰を沈めるナカイ君の中に、俺の肉棒が飲み込まれる…。
柔らかく温かく、適度な圧力をもって包み込んでくる、ナカイ君のお尻…。
「ど、どうですか?重くないです?」
「う、うん。だいじょ、ぶ…!」
今までで一番、奥まで入ったような気がする…。
ナカイ君は俺の腰に跨る格好になったが、腰回りがあり過ぎるせいで膝が布団につかない。脚は体重の支えにならなくて、
重みはモロに俺にかかるが…、ナカイ君の重さくらいは何ともないな…。
それよりも、チンポを包むこの感触がヤバ過ぎる!
さっきもそうだったが、普通に動ければすぐにイきそうな気持ち良さ…!
自然と上気して、呼吸が浅く、早くなる。そんな俺の顔を跨ったまま見下ろすナカイ君は、ちょっとだけ笑って、少し体を
前に倒して、俺の腹に手をつく。
だらしなく弛んだボヨンボヨンの太鼓腹に、ほっそりした手が浅く沈んだ。上半身の重みがそこそこかかっているはずなの
に、苦しさは全然ない。…ナカイ君、こんなに軽いんだな…。
「どうですか?」
「うん、大丈夫…」
繰り返した俺に、ナカイ君は…。
「そうじゃなくて、私の中…」
その微笑みを見ながら、俺はカーッと顔を熱くさせた。
「き、気持ち良い…。凄く、柔らかくて、温かくて、それで…!」
慌てて感想を語る俺に、
「よかった…」
ナカイ君は恥ずかしげな、そしてどこかホッとしたような、それでいて満足そうにも感じられる笑顔を見せた…。
ああ、そうか…。
俺が途中で切り上げようとしたせいで、ナカイ君も不安を覚えたんだな…。大失敗やらかすところだった…。
「それじゃあ、動きますね?」
「え?あ!お、俺はどうすれば良いの?」
慌てて訊ねた俺に、ナカイ君は…。
「ヤマトさんはそのままで。私が全部…」
「いやでも…」
これ以上申し訳ない気分になるのは嫌で、食い下がろうとした俺に、ナカイ君は夜の仕事人の顔を見せて、余裕の微笑を浮
かべる…。
「初回サービス、と考えてみたらどうでしょう?明日はまた頑張るという事で…」
明日っ!?
「あっ!」
口から声が漏れた。
ナカイ君のアナルが、俺のナニをギュウッと締めつけている。
吸い付くような、締め上げるような、そんな刺激…!初体験の強烈な快楽…!
「あひぃいいっ!」
気付けば、俺は意味不明な声を上げて頭を抱えていた…。
チンポが…!擦れて!柔らかくて!締め付けられて!ギュウって…!
ずっと疼いていた下っ腹から!吸い出されるように!亀頭の方に…!
あ、頭痒い…!血の巡りが良過ぎるのか、全身が火照ってムズムズする…!
腰を揺するナカイ君の弾むような息遣いが、耳元でドックンドックン鳴っている心音に混じる。
飲み込んだ肉棒を外さないよう巧みに腰を跳ねさせるナカイ君の動きに影響されて、ハヒハヒ息と声を漏らす俺の腹が、胸
が、弛み切った丸い体があちこちで弾む。
ゆっさゆっさと揺れる太鼓腹。まるで見えない手で揺すられているように…。ナカイ君の動作に、共鳴して…。
「うあ、あ!あああ!」
堪らなくなって下っ腹を押さえる。
自分で刺激する自慰とは違って、刺激を与えるのはナカイ君の方だ。だから、我慢も一時休止もオレにはできないノンストッ
プアクション…!
しかも快感の度合いが違う…!自分で自分をくすぐっても平気なのに、他人にくすぐられると堪らないのと同じだ。加減や
タイミングを自分で予期できないから、ひとり遊びより敏感に反応してしまう…!
弾んで波打つ、だらしなく肥え太った体が恥ずかしい…。そんな事をこの状況でもまだ思うんだなぁ…なんて、変な所で感
心してしまう…。
「はっ…、はっ…、ヤマトさん…」
ナカイ君が俺を呼ぶ。いや、呼んでいるのか、ただ名前を口にしただけなのか、その熱い呼気混じりの声と、余裕がない今
の俺の脳じゃ判断できない…。
「ひごっ!うっふ!ふぅっ!ふぅっ!んおぉ…!」
俺の口から洩れるのは、意味のない、本能的な喘ぎと呻きだけ…。
流れ込む快感が、与えられる快楽が、懸命なナカイ君の表情が、息が、熱が、まともに物を考えるのも難しくさせる…!口
内に溢れる唾液が、喉に入り込みそうになる…!
「ふあっ!い、いぎ…そ…!ひゅくっ!いぎそ、お…!」
も、もう限界…!無理!我慢できなっ…!
「はごぉおおおおおおおおおおおおおっ!」
息を絞り出すように腹の底から声を上げて、俺は果てた。
「んっ…!」
ナカイ君は射精を感じているんだろうが、それでも腰を振り続けて、お尻の穴をすぼめて、最後まで気持ち良くイかせてく
れた。
ナカイ君の中に、俺の精液が…。
ナカイ君と一緒に暮らすようになってから、隙を見て性処理していたから、随分溜まっていた俺のが…。
ぐったり脱力した俺の上で、ナカイ君は腰を止めて、自分のソレに手を添えた。
…判りきっていた事だが、俺はやっぱり下手くそだった…。おまけに早くイき過ぎた…。
「はぁ…、はぁ…、はっ…、はっ…!はっ!はぅっ…!」
きつく目を瞑って、ブルルっと身震いするナカイ君。
上り詰めるまで行かなくて、最終的に自分の手で扱いて射精し、俺の上で果てるナカイ君。
こんな格好でオナニーしたら自分のがかかるだろう位置を、ナカイ君の汁が染めている…。
心地良い脱力感の中、不思議な気分を味わう俺の上で、ナカイ君は脱力して前に倒れてきて、ボフンと上に覆いかぶさった。
その拍子に、射精して縮んだ俺の陰茎がニュポッと抜けた。
ハァハァと、早い呼吸を繰り返すナカイ君。
その息が俺の胸を、首下を、熱をもってくすぐる…。
クタンと脱力したナカイ君の重みが、心地のいい気怠さに包まれている体に伝えて来る。
俺の恋人の心音を。上手くできなかったけど、俺達の最初の一回目が済んだ事を…。
「ヤマトさん…」
「ナカイ君…」
息も整わないまま、俺達はお互いの唇を近付けて、重ねあった…。
喉が、からからに乾いていた…。
どうして今日、ナカイ君を誘おうと思ったのか…、俺はそんな事を考えた。
本番を知らない、判らない、でも未経験者なりに雰囲気とか、空気とか、ムード?そんなのを大事にしたいと思っていたの
に…、あんな大切な話の後で、どんな気持ちになっているか判っているのに…、俺は今日、ナカイ君を求めた。
恋人は欲しい。欲しい欲しいって、ずっと思っていたよ。
スケベな事にだって興味心身だったよ。ひとよりちょっと旺盛かもな、そういった欲求は…。
でも結果的に恋人はなかなかできなかった。だから本番の経験がないのは仕方がないって、思ってもいた。
違っていたんだ。
それは、違っていた。
風俗で晴らすっていう選択肢もあったのに、俺はそれをしなかった。
金がかかるから勿体無い。小心だからやる度胸がない。
そう思っていたそれも、考えてみれば自分への嘘だ。
ナカイ君が現れたのに、ちゃんと恋人ができたのに、俺はなかなか踏ん切りがつけられなかった。これが現実だ。
小心さに欲求が勝って、恥ずかしい大人のおもちゃを買いにいけるヤツが、風俗で払う金を惜しむ?二の足を踏む?…それ
はおかしいだろう。
縋りたい嘘だから、俺はそれにしがみついて納得しようとしていただけだ。
俺は、自分で思っていた以上に、相当面倒くさいヤツだったんだなぁ…。
うじうじしてなかなか進めなかったのは、俺自身の拘りみたいな物もあったんだろう。
惚れた相手と「初めて」をしたかったから…。
この子を抱いてもいいって、自分で納得できるようになるのを待っていたから…。
そして納得できる「理由」は、結局自分では探し出せなくて、与えられる事でやっと得られて…。
「免罪符…か…」
「ん…」
呟いた俺の横で、腕枕されているナカイ君が身じろぎしながら鼻を鳴らした。
ナカイ君との初夜。
超えた一線。
童貞喪失。
いろんな事が頭の中にあって、今自分がどんな気持ちでいるのかもよく判ってない状況だけど…。
今は、ナカイ君の温もりと、シャワーを浴び直したおかげでついた真新しいシャンプーの匂いが腕の中にある。
これは夢じゃない。現実なんだ…。
「ナカイ君…」
腕枕でうとうとしているナカイ君の顔を見遣って、俺は囁きかけた。
好きな人が一緒に居て、その事に何も気兼ねしなくていいし、気負わなくていい。「幸福」っていうのはたぶんコレだって、
噛み締めながら…。
「幸せに、なろうな…」
ナカイ君は返事をする代わりに、目ぼけ眼を糸のように細めて、その細い腕を俺の胸に乗せて…。
…チュッ…
…ナカイ君…。そこ、鼻…。