「はい?」

 首を傾げた僕の首周りで、まだ新しいヘッドホンが揺れる。

 新しいヘッドホンは前と同じくネックバンド型。値段を重視して折り畳み式にはしなかった。

 なお、ノイズキャンセラーは搭載していない型を選んだ。コマザワに声をかけられても判るように。

 …それはともかく、

「だからよぉ…、そのぉ…」

 僕の前で口ごもっているのは、頭頂部から後頭部にかけて赤く被毛を染めている、堅肥りした逞しい和犬。

 夏休みもあっという間に終わって二学期が始まり、秋が近付いて随分過ごし易くなって、涼しくなった風が体を撫でる下校

路…、見た目が暑苦しいコマザワは、

「…勉強してぇんだよ…」

 そう、変な発言を繰り返した。

 僕はますます首を深く傾げて、「すればいいんじゃないか?」と応じる。

 どういう事だろう?僕らは学生だし、勉強したいならすればいい。そもそも勉強するために学校に通っている訳で…。むし

ろ、勉強嫌いなコマザワが勉強をしたいと言い出すのは、とても良い事に思える。

「あのな…」

 コマザワが口を開く。ちょっと呆れたっぽい口調…、どうしてだろう?

「「勉強してぇ」って言われて、「すれば?」だぁ?んな冷てぇ台詞があっかよ!?」

「え?えっと…、どう答えれば良かったの…?」

 コマザワの目が真ん丸になった。目玉がポロンと落ちて来そうなくらい…。

「…「どう」…だぁ…?」

「うん」

「お前…!」

 …あれ?僕はそんなに変な事を言っているかな?コマザワが物凄く呆れ顔で絶句している…。

「い、良いか!?「勉強してぇ」って言ったらな!?」

「うん。言ったら?」

 先を促す僕から、コマザワはふいっと視線を逃がした。

「そりゃあお前…、その…」

「その、何?」

「だからぁ!だからお前っ…!い、「一緒に勉強するか?」ぐれぇ言うもんじゃねぇのか普通!?」

 …あ…。ああ!なるほどそういう事か!僕ずっとボッチだったからそういうの無かったもんなぁ…。なるほどなるほど!

「じゃあ、一緒に勉強する?」

 そう訊ねたら、コマザワは何だか、残念そうな疲れたような気が抜けたような顔をする。

「お前時々…、いや、いい…」

 何か言いかけたコマザワは、軽く頭を振ってため息をついた。

 今何て言おうとしたんだろう?気になるんだけれど…。

 かつあげに端を発したあの件から、もう一ヶ月半…。僕とコマザワは相変わらず人目をはばかる交友関係を続けている。

 寮生のコマザワは、本来なら夏休み中は地元に帰っているんだけれど、帰省を遅らせて、さらに早めに戻って来て、休みの

半分をこっちで過ごした。

 そのおかげで、随分一緒に遊びにでかけられて、親しくなれた。プールにも結構行ったから泳ぎも上達したし、コマザワの

テレビ番組や漫画、食べ物の好みもそれなりに判って来た。

 ボッチだった僕と不良のコマザワ。性格は勿論、これまでの生活も物の考え方も違うから、時々話がちぐはぐになるけれど、

それもちょっと楽しい。すっかり遠ざかって忘れかけていた感覚だったけれど、クラスメートと話すってこういう事だった。

 もしかしたら、あんなに楽しい夏休みを過ごしたのは初めてだったかもしれない…。

「じゃあ、今日からやる?せっかくだからこのまま寮に寄ろうか?」

「え"っ?りょ、寮に!?」

「うん。コマザワの部屋がどんな風だか、ちょっと興味あるし」

「お、おまっ…!」

「駄目?」

「だ、駄目じゃねぇけどっ、ちょっ…!急だ!」

 コマザワの声が何故かおかしい。

「それに、善は急げって言うじゃないか?思い立ったが吉日とも言うし」

 ところが、僕の提案にコマザワは首をブンブン横に振る。

「いやそそそそそのお前ちっと急過ぎで極端過ぎだっつぅの準備とか菓子とかなにがしとかそれがしとかああああるじゃねぇ

か色々っ!」

 何で早口なんだろう?急ぎ過ぎてドモっているじゃないか…。

「じゃあ、明日にする?」

「な、何でお前はそうっ…!い、いや、いい…。あ、明日か…?う〜ん…」

 コマザワは少し考えた後、「明日なら…、まぁ、何とか…」と答えた。

「あ。何か用事があるならまた今度でも良いんだけれど…」

「いや!何もねぇ!大丈夫だ任せろ!よし!明日な!明日!」

 そう言ったコマザワは、何故か気合が入った顔つきになっていた。…いくら勉強が嫌いだからって、何もそんなに硬くなら

なくたって…。

「ところで、どんな教科が苦手?」

「大概苦手だ」

 即答のコマザワ…。

「えぇと…」

「判ってる!ああ判ってる!マシなヤツ以外な!?」

 流石に言葉に詰まった僕の顔を見て、コマザワは鼻息を荒くして言い訳気味に述べる。

「国語と世界史はまだマシ…か?」

「へぇ…?何でだい?好きなの?」

「まぁ好きなんだろな…。あ、俺じゃねぇぜ?兄貴が好きなんだ」

 …兄貴…?僕は眉根を寄せる。コマザワにお兄さんは居ない。弟さんは居るけれど。そんな彼が「兄貴」と呼ぶ相手は誰な

のかというと…。

「番長…、国語とか歴史が好きなの?」

 僕の口から、客観的に聴いて物凄く疑わしく思っている事が火を見るより明らかな声が出た。

「馬鹿野郎!兄貴はインテリなんだぜ!?」

 番犬コマザワがムッとした様子で鼻息を荒くする。…インテリって…。

「そういうテレビ番組好きなんだよ兄貴は。寮食のテレビで歴史物とかやってるとじっと見てんだ。で、一緒に見てる俺が判

んなくなって話を振るとよ、すらすらっと詳しい事教えてくれんだぜ?」

 僕の中で新たな異名「インテリ番長」が生まれている事などつゆ知らず、コマザワは得意げにそう説明してくれた。

「戦国時代とか武将にも詳しいんだぜ!あと神話の何とかとか、中世のアレとか、航海時代とか、西武開拓とかよ!文武両道っ

てなぁ兄貴のような人の為の言葉だよな!」

 ど…、どうしよう…。コマザワは何だか思い出した情景と自分の言葉に浸りきってしまっているけれど、僕は半端ではない

強烈なイメージギャップに翻弄されて、どんな顔をしたら良いのか判らないような状況だ…。

 それからしばらくコマザワの「兄貴はすげぇ」が続いて、途中で誘われるままジュースを買って裏路地に入って、ヤンキー

座りで喋り続けるコマザワに立ったまま適当に相槌を繰り返し打って…、気が付いたら日が暮れかけていた。

 …どれだけ番長の事で語れるんだ君は…?







 翌日、僕は一度家に寄って着替えてから、コマザワが暮らす寮へと向かった。

 これまでコマザワが家に来る事はあったけれど、僕が寮に行くのは、実は今日が初めて。コマザワはどんな部屋で暮らして

いるんだろう?

 ちょっとドキドキしながら歩きつつ、僕は携帯を覗き込んだ。

『唯我独尊!』

 いつも通りのアイロンのツイート。

『今日の牡牛座はアグレッシブに攻めると吉!…と占いサイトに書いてあった』

 …アグレッシブに?まぁ牡牛座じゃないから僕には関係ないけれど…。

『アイロンって牡牛座?』

『イエース、アイアム!』

 …あれ?ついつい忘れがちだけれど、アイロンはボットだから星座なんて…、あ!作成された日が誕生日か!

 寮の正門を抜け、正面玄関前に立つ。結構立派…。観音開きのドアは、風通しを良くするためか開け放たれていた。

 友達付き合いしている事は伏せているから、一応、忘れ物を持ってきたっていう言い訳を用意している。

 部屋が判らないだろうからって、コマザワは玄関まで迎えに出てくれるって言っていたけれど、姿は見えないな…。

 恐る恐る中を覗くけれど、寮生の姿は無い。談笑する声は遠くから聞こえてくるんだけれども…。

 入っちゃって良いんだろうか?コマザワは来訪者名簿に記名がどうとか言っていた。何かにサインしなきゃいけないと思う

んだけれど…。

 迷っていた僕は、階段の上からドコッ、ドコッ、と木の床を踏む音が聞こえて、上の方を窺う。

 すると、折れた階段の向こうから、ぬぅっと大男が姿を現した。

 厳めしい顔に立派な牙…。ぶっとい体躯を覆う赤いティーシャツには「弱肉強食」の四文字…。

 …そ、そういえばここは、番長の住まいでもあった…!

 番長は階段を降りながら僕に視線を固定し、訝しげに眼を細める。そして、突っ立ったままの僕の前まで来ると、真ん前で

足を止めて見下ろしてきた…。

 え、えぇと…。もしかして、「オレの縄張りで何してやがる」的に…、不興を被った…?

 しかし、僕のそんな心配をよそに、

「コマザワに用か?」

 番長は低い声でそう尋ねてきた…僕が身構え過ぎだった…、怒った様子なんか全くない。

「あ、はい。あの…、帰っていますか?」

 尋ねてから、別に同じ部屋で生活している訳じゃないし、訊くのもおかしいかなぁとも思ったけれど、番長は携帯を取り出

してポチポチと太い指で押す。

「コマザワ。ダチが来たぞ」

 番長は短く言うと、電話の向こうで何か大声で答えたコマザワに「ああ」と応じ、通話を切る。

「すぐ来ると。そこの名簿に名前書きながら待ってやってくれ。名前と住所な。住所欄は、ウチの生徒はクラスを書けばいい

事になっている」

 猪が太い指で示したのは、壁からせり出した一枚板のカウンター。見ればその上の壁に「訪問者記名所」と書かれたプレー

トが…。

「あ、有り難うございました」

 そんな僕の礼にも応じずに、番長はのしのしと玄関から出て行った。…結構親切。それとも僕がコマザワの友達だから特別?

 言われたとおりに名簿に記入した所で、階段をけたたましく踏み鳴らしてコマザワがやってきた。「悪ぃ悪ぃ!」と大声を

上げて。

「番長って、結構親切なひと?」

「あ?」

 顔を合わせるなり出し抜けに訊いた僕を、コマザワは胡乱げな顔で見つめた。

「親切でなけりゃやってねぇだろ?「正義の番長」なんぞ」

 …言い得て妙…。



 コマザワの部屋は、予想に反して小綺麗だった。

「もっと散らかっているかと思っていたんだけれど…」

 思わず呟いた僕に、「驚いたかよ?」と、コマザワは何故か得意げに応じた。

「さっきまで片付…普段から片付けてんだよ」

 そうか。さっきまで片付けにかかっていたからなかなか降りて来なかったのか。

 ベッドが二つに、壁に埋め込み式のクローゼットが二つ…、寮は二人部屋だから当たり前なんだけれど、コマザワはここを

一人で使っている。昨年一緒の部屋になったルームメイトがコマザワを怖がったらしくて、即座に申し立てして部屋を変えて

貰ったからだそうだ。

 一人で広々と使えて幸せと見るべきか…、ルームメイトに逃げ出されて寂しそうと見るべきか…。

 部屋の隅には鏡台があって、赤いヘアカラーのスプレー缶や整髪料がいくつか置いてあった。

 鏡の前のそれらを見ながら、僕はふとある噂を思い出し、いそいそと麦茶をコップに注いでいるコマザワに訊ねてみる。

「あのさ、モヒカンに憧れていたって本当?」

「あん?」

 コマザワは変な声を漏らして手を止め、きょとんとした顔を僕に向ける。

「いやだから、その頭…。モヒカンに憧れてトサカみたいな染め方をしているんだって、皆が噂しているのを聞いた事が…」

 コマザワは「誰だぁ?んな適当こいたヤツぁ…」と、呆れているような声で言った。

「ちげーよ。俺がココだけ染めてんのはな、白いからだ」

 今度は僕がきょとんとする。

「白い?え?頭の毛が?」

「ああ。今染めてるトコな、地毛は白いんだぜ?」

「え?え?何でわざわざ染めたの?」

 コマザワの被毛は色も濃いこげ茶色だから、アクセントとして白いラインも目立つと思う。わざわざ赤くするよりよっぽど

鮮烈に映えると思うんだけど…。

 僕がそう感想を口にしたら、コマザワは「別に俺は、目立ちたくて染めてんじゃねぇよ」と、首を縮めて肩を竦めた。

「ガキの頃からよ、「白髪混じり」って馬鹿にするヤツがウジャウジャ居てな。ソイツらをいちいちしばくのも面倒臭ぇから、

文句出ねぇように染めてんだ」

「そうだったんだ…」

 てっきり目立つためとか、威嚇のためとかで染めていると思い込んでいた。

「もしかして…、それが原因?」

 ある事に思い至って、僕は訊ねてみた。

「原因?何のだ?」

「コマザワが不良になった原因」

「は?」

 コマザワは首を傾げたけれど、考え込むように少し目を細めた。

「白い毛でからかわれて、それで頭を染めて…、見た目が不良っぽくなったから…、そういうのに絡まれたりしている内に不

良に?」

 コマザワは「さあな」とぶっきらぼうに応じた。

「もう忘れちまった。頭悪ぃんだよ俺。ほれ、鳥頭ってヤツだ。ピッタリだろトサカ染め?」

 言葉の後半はおどけていたけれど、何となく思った。

 全部が全部それが原因じゃないだろう。たぶん、短気で血の気が多い元々の性格なんかも影響しているんだろうけれど…、

頭の毛が白いのをからかわれていた事も、不良になった原因の一部なのかもしれない…。

 たぶん殆ど知られていない、コマザワの秘密…。何だか凄く貴重な感じがする。

 コマザワは早速テーブルの上に教科書類を広げて、「おし!かかって来い!」と僕を手招きした。手の平を上に向けて、指

を揃えて手招きするのは…、まるで挑発。まぁ気にしちゃいけない。コマザワは日常的にこういうアクションをす…ハッ!?

こういう挙動でもめ事を招いたのも、不良になった原因の一部!?

「どうしたよ?さっさとやろうぜ?」

 僕の疑問には全く気付いた様子もなく、コマザワは急かす。「嫌な事はさっさと済ましちまおうぜ」と。

「嫌なのに頑張る気になったんだ?」

 腰を下ろしながら訊ねた僕に、コマザワは「嫌な事訊くぜ…」と唸った。

「追試で時間取られたくねぇんだよ!…お前とつるめる時間が減っちまうだろが…」

 …コマザワは時々、物凄く正直だ。嬉しいけれども恥ずかしい…。

 何か言うべきだったんだろうけれど、僕が上手い返答を思いつけなかったせいで、妙な沈黙が場を支配する…。

「…えっと…。は、始めようか…?」

「あ、ああ…」

 ちょっとぎくしゃくして、僕らは勉強を始め…いや、勉強に逃避した…。



 しばらく勉強に勤しんだ後、切りの良い所で鳴った五時のチャイムを合図に、僕らは一度勉強を切り上げた。

「コマザワ、大丈夫?」

「…あ?」

 コマザワは活きが悪い。目なんて死んだ魚のようだ…。

「ぼーっとしっているけれど?」

「いや、悪ぃ…。問題ねぇよ。脳みそが筋肉痛気味なだけだ…」

 …君の脳みそには筋肉があるのか?それとも脳みそが筋肉でできているのか?何だかおかしくないか?

「キューケーキューケー!休むぜ畜生!」

 麦茶をゴクッと一口飲んだコマザワが、ようやく人心地ついたといった表情でため息をつく。

「あ。そういえばコマザワって何座?」

「ん?」

 唐突な僕の質問で、コマザワは首を傾げた。

「何だよ急に?」

「いや、占いの話題を小耳にはさんで…」

「好きなのか占い?」

 コマザワが意外そうに言い、微苦笑する。「気にする性質なのかよ?」と。

「そうでもないかな?普段はあんまり気に留めないんだけれど…。ちなみに僕は乙女座。コマザワは?」

 訊ねた僕に、「俺は牡牛座だな」とコマザワが答える。

 …牡牛座?おや、丁度いい…。

「今日の牡牛座は、アグレッシブに行くと良いんだって」

「…アグレッシブに?」

「うん。…そういえば乙女座はどうなんだろう?」

 ちょっと気になって、携帯を覗いて調べてみると…。

「「流れに身を任せると良いでしょう」…だって」

 読み上げてから、僕は笑う。

「なるようになれの精神?僕はいつもそうしているかも」

 ところが、コマザワは何だか急に真面目な顔になった。…いや、思い詰めたような…と言った方が良いんじゃないかと思う

ほど、表情が引き締まっている…。

「どうかした?」

 占いや星座の話で何か引っかかる事でもあったんだろうか?気になって訊ねた僕に答えず、コマザワは逆に訊ね返してきた。

「俺とつるんで、どうだ?」

「ん?」

 意味が判らなかった僕が首を傾げると、

「俺と一緒に遊んだりするようになって、どうだって訊いてんだよ」

 コマザワは真面目な顔と口調で、問いを繰り返した。

「それは…、楽しいよ」

 適当な言葉が思いつかなくて、僕はまず率直な感想でありながらも、かなり曖昧な言葉を口にした。

「ホントかよ」

「ホントだよ」

 疑わしげなコマザワに即答し、僕は言葉を探す。このたくさんの気持ちを上手く表現できる言葉を…。けれどそれはとても

難しかった。言い表せないような気持ちも確かにあって、それはどうやって伝えれば良いのか判らなくて…。

「満たされている感じ…って言うのかな?顔を見て現実に話せる相手が居るのはやっぱり違うなぁって、しみじみ感じている

し、…何て表現するんだろうこういうの…、えぇと、空振らないっていうか、ちゃんと触れている感じがあるっていうのか…」

 たぶんこれは、長らく現実世界で他人と触れ合って来なかったから感じるんだろう。実際に目の前に居るコマザワは、アイ

ロンとはやっぱり違う友達で…、そこには本物とか偽物とかそういう事じゃない、「確かな何か」みたいな違いがあって…。

「ゴメン、上手く言えない…。纏まらないな…。どう伝えれば良いんだろう…」

「…そっか…」

 コマザワの声は小さかった。一瞬、納得できない答えだったから?とも思ったけれど、どうも違うようで、何故かコマザワ

は安心しているようで、共感しているようで…。

「あのな…。俺も、おんなじだ…。上手く言えねぇんだわ、この腹ん中」

 ガリガリと頭を掻いて赤毛を乱し、コマザワは言う。

「上手く…、纏まんねぇんだ…。言いてぇ事…」

 珍しく歯切れが悪いコマザワだけれど、無理もないなと共感できる。僕自身そうなんだから。

 言葉が途切れて、僕らの間に静けさが居座る。

 妙な感覚…。何かが起きる前の空白…、そんな雰囲気を僕は味わっている。

 寮内の遠くから聞こえる声が、ドアを通して耳に届く。

 車の音が繰り返し高くなり、低くなり、飛行機の音が頭上から響く。

 長い長い沈黙の後、「アグレッシブ…」と、コマザワが呟いた。小さな声で…。

「なぁ…」

「うん?」

 コマザワは視線を少し下に向けて、言った。

「お前…、誰かを好きになった事、あるか?」

 僕は少し考えてから、「あるよ」と頷いた。

「あんまり友達居なかったから、好きになった相手は少ないけれど…」

「そうじゃねぇよ」

 僕の言葉はコマザワの声で遮られた。

「誰かに惚れた事あんのか?って訊いてんだ」

 言葉に詰まった僕を、視線を上げたコマザワが見つめる。

「…ない、かな…?恋愛とかそういうのの経験は無いし、そもそもアイドルとかにもグッと来たりしないから…」

 …考えてみると、こういう所も僕が一般的な話題に乏しい原因なのかもしれない。

 シェリルだって歌が好きなだけ。魅力を感じない訳じゃないけれど、異性として見ているかというと話は別だ。…花や景色

を眺める感覚に近いかも…。

 そんな風に自分の内側を確認しながら応じると、コマザワはまた「そっか…」と呟いた。

「好みのタイプとか、ねぇのか?」

「ん?う〜ん…。無い…かな…?良く判らない」

 ピンと来なくて迷いながら応じたら、コマザワは「そっか」とまた言った。けれど、さっきより声が少し大きくなって、はっ

きりした?

「あのな。ちっと大事な話がある…」

 ちょっとなのに大事?なんて心の中で突っ込みをいれた僕の前で、コマザワは背筋を伸ばした。

「前からお前の事見てたって話…したよな?」

「うん」

 頷いた僕に、コマザワはゴクリと唾を飲み込んでから続ける。

「独りで平気そうな面してるお前が、俺にはちっと格好良く見えたんだ…。なのに、独りで居るお前が…、こう…、寒そうに

見えた」

「…寒…そう…?」

 コマザワは頷いて続ける。

「その「寒そう」って感覚は、寂しそうだって感じてる…そういう事なんだって後で判った」

 …ああ、そうかもしれない…。

 注意を向けられない僕だから誰も思わなかっただろうけれど、傍から見ればそうだったんだろう。

「その、判った後でもよ…、声をな、かけられねぇんだ、俺…。下手に関わったらお前が損しちまうと思ってよ…」

 コマザワが言う事は理解できた。今でも学校内では関わり合わないし、友達付き合いしている事だって番長達くらいしか知

らないんだから…。

「そんな風にモゾモゾやってる内によ…、俺、お前に話しかけるチャンスを探すようになってた…」

「僕に…?」

 頷いたコマザワは、耳を倒して俯いた。

「絡まれてる生徒見つけて、声かけて、それがお前だって判った時…、悪ぃけど俺な…、ついてるって思ったんだぜ…?やっ

ときっかけができた…ってよ…」

 コマザワ…。

「でもよ、やっぱ後に続けられねぇんだわ…。それで、またずっと待って…、泳ぎを教えて貰うって言い訳ができてから、よ

うやくまた声をかけられた…」

 また、唾を飲み込む音が聞こえた。

 そしてコマザワは言う。「覚えてるかよ?」と。

「連中にからまれた二回とも、お前言ったよな?金をせびられた時も、携帯を寄越せって言われた時もよ…」

 …えぇと、確かあの時は…。

「「すぐ返してよ」って…?」

 僕が確認すると、コマザワは大きく頷いた。

「あの状況でよ、ああいう風に言えるヤツってそう居ねぇぜ?普通なら刺激しねぇだろ?」

「いや、でもあれは…」

 考えなしに口をついただけなんだよなアレって…。刺激しようとか思った訳じゃなく…。そんな僕の内心に気付かず、コマ

ザワは尻尾をはたっと振って床を叩いた。

「俺な、アレでコロっとイっちまったんだわ…。独りが平気なだけじゃねぇ、勝ち目がなくても噛み付けるヤツなんだって…」

 …へ…?

 戸惑う僕に構わず、コマザワは声に熱を込めて喋り出した。

「勝てるから牙を剥くのは簡単だ。勝ち目があんのに牙を剥かねぇのはただの腑抜けだ。勝ち目がねぇから黙り込むのは普通

だ。けどお前はよ、勝てねぇのにそれでもああして言ってやった。もっと酷ぇ目に遭わされんのが判っててもよ…」

 い、いやあの…、コマザワ?僕は別にそういう大層な気構えでああ言ったんじゃなくて…、はずみって言うか…、うっかりっ

て言うか…。

「コナガイ…。俺な、あん時…」

 コマザワの目には緊張の光。買い被られて居心地が悪い僕は、どう説明して誤解を解こうか考えて…。

「お前に…、ほ…、ほっ…!惚れちまったんだっ!」

 ………。

 …?

 …??

 …???

 …はい…?

 頭の中が…えぇと…、白くて…ぐるぐる…。何?何て言ったんだ今?

「み、見てくれ悪ぃ俺だけど!ワルだし乱暴だし頭悪ぃけど!」

 鼻息を荒くしたコマザワは、正座して居住まいを正すと、ガバッと頭を下げた。

「頼む!俺と付き合ってくれっ!」

 下げられた頭の赤を見ながら、混乱中の僕の口が、勝手に動いた。

「あの…。僕、男だよ…?」

「判ってる!」

 …だよね…。

 えぇとじゃあ、これってその…、…男同士の…交際申し込み…?

 ぽけーっとしている僕に、コマザワは頭を下げながら述べる。

 迷惑なのは判っている。でもどうしようもなく好きなんだ。最近じゃ寝ても覚めても僕のことばかり考えているんだ、と…。

 テレビでしか見たことがない、熱烈なラブコール…。それが自分に向けられている事も信じ難ければ、相手がコマザワだと

いう事も現実感の無さに拍車をかけた。

 呆然としている僕は、

「ずっと前から好きでした!お願いします!」

 コマザワが発したその言葉に、

「…あの…、こちらこそ…、よろしくお願いします…」

 何だか妙な返事をしてしまった。

 ガバッと顔を上げるコマザワ。その顔は戸惑って、驚いていて…。

「い、良いのか…?」

 期待と不安が滲んでいるコマザワの言葉に、僕は頷く。混乱が大きい自分の中の、奇妙な感覚を確かめながら…。

「…たぶん…。僕もコマザワの事が好きなんだと思う…」

 たぶん…。そう、あくまでもたぶんだけれど…、今のこの嬉しい気持ちと、初めて味わう感覚は、特別な物だと思いたい…。

 コマザワは気が抜けたようにほっと息を吐くと、正座を崩すなりどすんと尻餅をついた。

「へへっ…!やっと言えたぜ…!」

 笑うコマザワの顔は安心しているようで、スッキリした風で、普段とはまるで違っていて…、何だか少し、幼く見えた…。

 何故か凄くドキドキしている胸に戸惑いながら、それでもつられて微笑んだ僕は、

「それじゃあよ、早速「お勉強」だな!」

 コマザワのそんな言葉で首を傾げる。

「「お勉強」?」

「ああ。ねぇんだろ?野郎とちちくりあった経験」

「うん。無いね、男も女も」

 頷いた僕に、何故かコマザワは戸惑い顔。

「え?僕今何か変な事言った?」

「…いや、もっとこう…、恥ずかしがるかも?とか思ったんだがよ…」

「…そういう物なんだ…?」

 こういう所は筋金入りボッチだったから仕方がない。皆が異性なんかに興味を持つ頃には孤立していたから、その手の話す

らした事がないし、普通ならどういう話題で恥ずかしがるのかがどうにもピンと来ない。何も裸になっている訳じゃないし、

話くらいで恥ずかしがるのもどうなのかなぁって思う。

 そう説明したらコマザワは、

「あ?んじゃあ何だ?結構下品な話もイケるクチなのかよお前?」

 と、ちょっと拍子抜けしたように目を丸くする。

「イケるっていうか…、だからピンと来ないんだってば。経験無いから」

 コマザワは僕の答えで半眼になると、「そいつはそいつで何か物足りなくねぇ…」と、意味不明な事を呟いた。

「何が?」

「何でもねぇ…。とにかくだ!勉強見て貰う埋め合わせに、コッチの事は俺が手取りナニ取り教えてやるぜ!…へへへ…!」

「うん。よろしくお願いします」

 軽く頭を下げた僕に、コマザワはまた妙な半眼を向けた。…何だかこう…、物足りない感じの?

「じゃあ、せっかくだから早速始める?」

 時間もまだあるからそう訊ねると、コマザワは「え"っ?」と声を漏らした。

「さ、早速…!?」

「うん。どんな風だか興味あるし」

「お、おおおおまぁっ!?」

「駄目?」

「だ、駄目じゃねぇけどっ、ちょっ…!急だろまた!?」

 コマザワの声が何故かおかしい。

「善は急げで、思い立ったが吉日って言うじゃないか?」

 コマザワはポカンと口を開けた後、

「お、おおおお前っ!急過ぎで極端過ぎだっつぅの!何でそんなノリノリに…、いやノリノリじゃねぇか、判ってねぇのか。

えぇい畜生っ!何で俺の方がオタオタしてんだよ!逆だろ逆!」

 何だか少し悔しげに、納得行っていないように吐き捨てた。

「あ。もしかして都合悪い?なら今度でも…」

 気を利かせた僕に、

「舐めんな!男見せたらぁっ!」

 コマザワは何故か、やたら気合が入った声で応じた。



 僕のトランクスを、ごつい手がずり下げる。

 露わになった陰茎を見下ろしたコマザワの目が、興味深そうに細まった。

「…包茎かよ…。意外だぜ」

「そう?」

 比べる相手が居ないから良く判らないけれど…、皆は違うんだろうか?

「コマザワはどうなの?」

 ボクサーパンツ一丁のコマザワの股に目をやりながら尋ねたら、「剥けてるぜ」と応じてゴムに手をかけ、太腿まで一気に

ずり下ろす。

 下から現れたコマザワの陰茎は確かに剥けていて、亀頭まで露出している。ついでに言うとビンッとそそり立っている。

「あれ?もう勃起しているんだ?」

「うるせぇよ!」

 早いなぁと感心しながら言った僕に、コマザワは何故か怒ったような反応を見せた。

 ブツブツ、「…いちいち調子狂うぜ…」とか漏らしながらパンツを脱ぐコマザワ。僕もそれに倣って、膝の所で止まってい

たトランクスから足を引き抜いた。

 コマザワのソレは、僕の物より大きい。長さは少し僕の方が短いだけだけれど、かなり太い。ごっついコマザワ本人の体躯

と良く似ている。

「じゃあ始めるぜ?本当に良いんだな?」

 念を押すコマザワに、僕は「うん。お願いします」と繰り返した。

「…ちっとは恥じらうとか緊張するとかしろよお前…。何でそんな落ち着いてんだよ…」

「え?恥ずかしいよ?それに緊張もしているし…」

「嘘つけ!」

 …嘘じゃないんだけれどなぁ…。緊張と恥ずかしさで顔がちょっと火照り気味だし…。

「と、とにかく…、最初はアレだ、キスからいってみるか?」

「うん」

「即答かよ!迷い無しかよ!ちょっとは恥ずかしがれよ!」

 不満げなコマザワ。だから、僕は本当に恥ずかしがっているのに…。

 コマザワはそっと顔を寄せて来ると、鼻先を触れ合わせる格好で、口の先をチョンとつけた。

 …くすぐったい…。鼻息が、顔を撫でる…。

 サワッと、僕の背で被毛が軽く逆立った。ゾクゾクるする…。変な感じ…。

 コマザワは僕の反応を確かめるように少し止まっていたけれど、やがて合わせた唇の隙間から舌を入れて来た。

 鼻息とは比べ物にならないこそばゆさ…。耳の後ろへ、首筋へ、寒気にも似たゾワッという感覚が走り抜けて、僕は「ん!」

と鼻を鳴らす。

 コマザワの舌が、僕の口の中を撫でて行く…。途中で顔を斜めにして、口を深く合わせて、より奥へ…。

 舌と舌が絡む。体中の毛が逆立ってゾクゾクする。まるでこそばゆさが、口の中から周りに伝染して行くよう…。

 しばらく口付けを続けた後、コマザワは顔を離した。

「へっ…!良い顔になったじゃねぇか?」

 耳を倒した、嬉しそうな顔…。

「男同士だし、経験もねぇから、最初はかなり抵抗あるかと思ったんだけどよ…、本当に嫌じゃねぇんだな?」

「う、うん…。嫌じゃないよ…。気持ち良かったかも…」

 素直に感想を伝えると、コマザワはちょっと目を大きくしてから、細くした。

「キス一発でとろけ顔になりやがって…。随分感度良いんじゃねぇか?」

 そう言ったコマザワの手が僕の股間に伸びる。反射的に腰が引けそうになったけれど、我慢して留まったら、いつの間にか

硬くなっていた僕の陰茎が、分厚い手でそっと握られた。

「カッチカチだなオイ?」

 嬉しそうなコマザワ。むず痒さを覚えるほど硬くなった僕のソレは、筒になったコマザワの手で軽くさすられた。

 途端に、陰嚢の下辺りから下腹部に、心地良い疼きがジワリと上がって来る…。

 どうしたんだろう僕…。自分で性処理する時は、こんな気分になった事ないのに…。

「コマザワ…」

 囁いた僕の口から、熱くなった息が漏れる。

「お願い…、もう一回キスしてくれない…?」

 胸がトクトク言う…。切ない…。もっとくっつきたい…。

 僕の懇願に、コマザワは少し意外そうな顔を見せた。けれど、笑みを浮かべて照れくさそうに耳を倒し、頷いてくれた。

 再び重なる僕らの口。コマザワの舌が入ってきて、さっきより激しく動く。

 体が火照る…。ゾクゾクが止まらない…。コマザワ…、もっと…!

 けれど、僕のそんな心の声に反して、コマザワは動きを止めてしまった。

 気付けば僕は、縋り付くようにしてコマザワの背に腕を回していた。

「コナガイ…」

 驚いているような、意外そうな、コマザワの声…。

「コマザワ…」

 名を呼んだきり、僕は言葉が続けられなくなった。

 どうして欲しいのか判らない。どうしたいのか判らない。

 けれど、コマザワは僕を抱き返して教えてくれた。僕にも判らなかった僕の願望を。

 ああ、そうか…。

 僕はこうしてくっつきたかったんだ。

 初めて経験する快感で、少し怖くなって…、軽く触れるだけじゃ不安で…、感触が物足りなくもあって…、しっかり触れあっ

て、抱いて欲しかったんだ…。

 堅肥りしたコマザワの体は、僕より少し背が高いだけなのにボリュームがあって、逞しくて、僕の身体とはまるっきり別物

だった。上辺の脂肪…、特に浅い部分は思いのほか柔らかくてムチッとしている…。

 喧嘩で負けない、何人も纏めてやっつけてしまう、頑丈で力強い体…。なのに僕を抱く腕は力強くも優しくて、胸板は分厚

く頼もしくて、ちっとも怖くなくて…。

 内に詰め込まれた筋肉と、乗った脂肪の柔らかさ…、厳つい外見に愛嬌を秘めたコマザワ自身のような、相反した物が同居

する感触…。

 知らなかった…。誰かと寄り添うのって…、触れ合うのって…、こんなにも気持ちいい事だったんだ…。

「コナガイ…」

 コマザワが耳元で囁く。熱を帯びた吐息が首筋をくすぐり、僕は身震いしながらも応えるように息を吐き出す。

「悪ぃ…、もう我慢できねぇ…」

 籠った欲求が感じられる、喉の奥に何か詰まったような、熱っぽい声…。

「「お勉強」は、また今度な…」

 そう言うなり、コマザワは僕の股間に手を伸ばした。

 触れられた瞬間にビクンと腰が逃げる。けれど背に回った腕が僕を逃がさない。

「嬉しいぜ…。お前もヌルヌルじゃねぇか…」

 囁く声に、微かに嬉しそうな笑いが混じった。かと思えば、コマザワはキツめに僕の陰茎を握り、包皮も剥かずにしごき始

める。

「あっ、あっ…!ん…!」

 自分で弄るのとは全然違う、恥ずかしさとこそばゆさ、そして申し訳なさが混じった…、快感…!

 コマザワがくれる未体験の刺激が、あっという間に僕を頂きへ導いて行く…!

「だ、め…!コマザワ…、僕…、興奮し過ぎて…!」

 快楽に身を任せたい欲求に逆らって、僕はコマザワに訴えた。イッてしまう前に…、前にっ…!

「僕も…、コマザワ…の…!」

 コマザワの手が止まった。驚いたように。

「お前、本当に未経験かよ…?」

 苦笑混じりなコマザワの声は、何故か嬉しそうだった。

 肩に手をかけられた僕は、押さえ付けられるようにして促されて、身を屈めたコマザワと共に床に座る。正座するような格

好で、大きく股を開いて…。

「じゃ、俺のも頼むわ」

 ニッと笑ったコマザワは、自分のモノを指し示した。

 怒張して血管が浮いたコマザワのソレは、予想していたほどグロテスクに感じない。

 太く逞しいソレにおずおずと手を伸ばし、キュッと握ると、コマザワが「ん…」と鼻の奥で小さく唸った。

 熱い…、硬い…、真っ赤に充血してパンパンに膨れている亀頭は、先走りですっかりぬめっている…。

 コマザワの手が再び僕の陰茎を握り、しごき始める。

 誘われるように僕もコマザワの逸物をキュッと強めに握り、自分の物を弄る時とは違う感覚に戸惑いながら、ぎくしゃくし

ながらしごく。

 気持ち良くさせようと肩に力が入って、緊張したけれど、そんなのはすぐに消えた。

 コマザワの手がもたらす快感で、気を遣うどころじゃなくなってしまって…。

「は…にゃ…!ひふ…!」

 半開きになった口から、妙な声が漏れて、止まらない…。

 ブルブル身震いする僕は、コマザワの太腿に空いた手を置き、丸まってしまいそうな体を支える。

 指が脂肪に食い込んで、奥の筋肉を感じる。コマザワは「へっ」と笑った。

「なかなかノリが…、いいじゃねぇか…!可愛い声…出てんぜ?んん?」

 野生の獣のような荒々しい息遣いに誘われて、僕は体温を上げ、はかはかと浅く息を吐きながら手を早める。コマザワの声

に余裕が感じられて、申し訳なく思ってしまった。僕はやっぱり上手くやれていないんだろうと感じて…。

「お…、は、激し…!」

 コマザワの声が揺れて、僕のモノをしごく手が動きを早めた。まるで競い合うように…。

 乱れた熱い吐息が、僕らの間で絡み合う。

 下っ腹に響く刺激に耐え兼ねて、僕は徐々に体を折る。

 けれどコマザワは僕を支えるように、自分も前傾して胸を浅く合わせて、肩に僕の顎を乗せてくれた。

 コマザワの顎も僕の肩に乗り、重みと熱を首筋に伝え移す。

「こ…、コマ…ザワ…!僕…、も、漏れそう…!」

 堪らなくなって、心細くなって、僕は空いた方の手をコマザワの脇腹に伸ばす。腹回りは他よりも贅肉が厚いのか、それと

も筋肉だけならくびれているからなのか、やけに柔らかくてムチッとしていた。

 くすぐったかったのか、コマザワの口と鼻から咳き込むような笑うような、大きな息が一度漏れて、僕の背中を撫で降りて

行った…。

「コナガイ…、さ、最初にしちゃ…、はぁ…!なかなか…だぜ…!?」

 …ほ、本当…?良かっ…、あっ!

 褒めて貰ってほっとしたら、気が緩んだせいか、僕の陰茎の根本…付け根よりもっと奥、深い位置から、ジンッと何かが突

き上げて来た。

「だ、駄目っ!駄目だもうっ!僕…!」

 声が途切れた。高鳴った心音で何も聞こえなくなった。一瞬、頭の中が空っぽになる…。

 腹の底の底、腰骨の内の内、尿道の奥の奥から、快楽に導かれてソレがこみ上げる…。

「はぁ…、あ…!ああ…!んぅっ!」

 ビピュッ…、と迸った、僕の精液…。白く濁ったソレが、コマザワの腹にかかって手を汚す…。

 ブルブルと震える僕の陰茎から、繰り返し飛ぶ白濁液…。

 快感の訪れは一瞬で、頭の芯の熱はすぐに冷めて、心地良い疲労と気怠さが僕の内側を満たす…。

「ごめ…、ごめん…コマザワ…、汚しちゃった…」

 謝る僕は、ぼーっとしたまま、慣性が働いているように手を動かし続ける。

「…お、お前な…!そんな風に可愛くなんの…、ずりぃだろ…!?」

 動揺しているようなコマザワの声。手の中の逸物がググッと反り返りを強めるのを、僕はぼんやりと感じ取る。

「は…?あ、あぐっ!?こ、コナガイ!お、俺もそろそろっ…!」

 コマザワの熱を帯びた、少し焦っているような声…。

「も、もっとだ!もっとキツくしごいてくれっ!」

 求める声が、僕の手を誘う…。

「い、イくっ…!イくぞっ!いっ…、いぐふっ!」

 コマザワの声が切れて、息が止まる。コマザワの身がビクンと震えて堅くなったかと思ったら、ぶるるっと身震いするのを

感じて、次いで…、僕の胸から腹にバタタッと、何かが勢いよくぶつかってきた。

 ばたっ、ぱたぱた、繰り返し体と手にかかるそれは、コマザワの精液…。

「はっ…!はっ、はっ、はっ!はふっ…、はっ…!」

 荒い息…。まるで全力疾走した後のよう…。

 コマザワが、僕の手で射精してくれた…。

 どういう心理によるものか判らなかったけれど、何だかそれが、とても嬉しかった…。



 しばらくお互いの体に寄りかかったままでいた僕らは、どちらからという事も無く床へ崩れるように横になった。

 手足を投げ出したコマザワに、僕が左向きで寄り添い、足を絡めて腕枕して貰う格好…。

 肉付きの良いお腹が案外好感触で、ついつい撫でてしまっている。

 被毛が精液でベタついているけれど、不思議とあまり気にならない。

 まんざらでもないのか、コマザワの尻尾が開いた足の間で時々ハタッと振れていた。

 気怠さが体を満たす、性処理後の独特な気分…。

 でも、普段とは少し違う。あの徒労感がなくて、満足感が強い…。相手が居るせい…なのかな?

「気持ち悪くねぇか?」

「平気…。って言うか、気分いいかも」

「そっか」

 コマザワが笑って、はずみで体が揺れる。

「あのさ、コマザワ…」

「ん?」

「…本当に僕なんかでいいの?普通で、何の取り柄もなくて、面白味もないのに…」

「くでぇよ」

 鼻で笑うコマザワ。

「お前だから良いんだって。…こういうの何回も言わすんじゃねぇよ…!恥ずかしいじゃねぇか…!」

 顎を引いて頷いた僕は、コマザワの体温を感じながら思う。

 コマザワは僕を買い被って、好きになってくれた…。

 なら僕は、せめてそれに少しは近い姿勢で居られるように、背伸びしてみよう…。

 幸せな気分…。このまま眠ってしまいたいのはやまやまだけれど…、

「…シャワー、浴びてこねぇと…」

「…うん…」

 お互いに精液で体が汚れているっていう、この状況がそれを許さないわけで…。

「浴びたらよ」

「うん…」

「飯、どっか食いに出ようぜ」

「うん」

「お祝いだ、パーッとよ!」

「うん!」

 僕らはくっついたまま笑いあう。

 カップル誕生のお祝いか…。

 何でもない今日は、記念日になった。僕が初めてコマザワの寮に来た日であると同時に、僕らが友達を越えた関係になった

記念日…。

「何食いに行く?」

「ウニは生に限るよね?」

「へっ!決まりだな!」

 好みに合わせる形で言ったら、コマザワは額のMマークにキスしてくれた…。



 それから一時間後…。

 寮の食堂にひとが集まっているのか、騒がしくなった寮の階段を降りて、玄関エントランスホールへ向かう。

 出寮時刻を外来者名簿に書き込んだ僕は、コマザワに促され、まだ湿り気が薄く残る体に外からの風を心地よく受けながら

玄関をくぐった。

「あ」

 外に出るなり、先を行くコマザワが声を漏らした。

 僕は彼が視線を向けている相手の姿を目に映して会釈する。

「お出かけ?」

 今帰って来た所なんだろう、制服姿の愛らしいレッサーパンダ…バンダイさんが微笑む。

「うす!今日は外で飯食います!」

「うん。門限に遅れちゃいけないからね?カードは持った?」

 ニコニコしながら訊ねるバンダイさんに、「ばっちりです!」と応じるコマザワ。

 …そういえば、寮生はキーも兼ねるカードで外出時刻とか帰寮時間が記録されるとか言っていたっけ…。門限午後十時は早

過ぎるとも…。いや、十分じゃないかな?

「ところで…」

 バンダイさんは縞々の尻尾を優雅にくねらせて目を細める。何か思い出すように。

「アイロンの調子はどうかな?」

「もう大丈夫みてぇっすよ。お手数かけました!」

 …ん?

「気を付けてね?もう制御プログラム側にツイート用キーワード入力しちゃいけないよ?」

「あ、あはは…!気ぃつけます…!」

 ………!?

「それじゃあごゆっくり。コマザワ君も、またね」

 バンダイさんが寮に入る。けれど僕は挨拶をするのも忘れて呆然と見送ってしまった…。

「んじゃ行こうぜ。…ん?どうかしたか?」

 僕を促したコマザワは、訝しげに眉根を寄せた。

「…あの…、アイロン…って…?」

 掠れた声で尋ねる僕に、「ん?」とコマザワが首を傾げる。

「ああ、服にかけるアレじゃねぇぞ?ツイッターのさ、ボットってヤツだ」

「ツイッターの…」

「おうよ。バンダイさんがああいうのに詳しくて、聞いてる内に興味出てな。俺はあんまマメに弄らねぇから普通には使って

ねぇけど、去年の春にボット作って貰って、気に入った言葉とか、初めて聞いた珍しい言葉とか、メモするみてぇに打ち込ん

で喋らせてんだ。バンダイさんに意味とか教えて貰ったり、調べたりしながらな。おかげで国語の成績ちょっと上がったんだ

ぜ?あと、バンダイさんと二人で山ほど言葉を覚えさせたから、俺より頭良いんだわ、アイロン」

 僕の動揺に気付かないまま、コマザワは説明する。

「な、何で…?」

「ああ、何で「アイロン」かって?俺よぉ、地元のダチなんかには「ノリ」って呼ばれてんだわ。ソイツをアルファベットに

して、ひっくり返して、アイロン」

 コマザワは…、気付いてない…?僕だと知っていてフォローしていた訳じゃないのか…?

「どうした?意外か?」

 笑うコマザワ。僕は自分の顔を指さす。

「僕…、アイロン知ってる…」

「お?マジか?」

「フォローして貰って…、去年から…」

「なら呟き読んだ事あるかもな。何て名…」

 コマザワの言葉が途切れて、視線が僕の首…ヘッドホンに向く。

「…もしかして…「ヘッドホン」…?」

 頷いた僕の顔を映すコマザワの目が、ビックリしているように丸くなった。

「マジ…か…!?」

「まじ…みたい…」

 記念日に、一つ追加…。

 今日は初めて部屋に上げて貰った日で…、カップルになった日で…、そして…、アイロンの「本当の正体」を知った日…。

 何だろうねこれ?前々から間接的に友達だった…っていう事なのかな…?

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