雷神(後編)

「チエはあっち側からか」

「合流すっとしたら山の峰だべ」

 リーダーの声に応じながら、壮年のトドは急な斜面を足早に登ってゆく。

 山狩り開始から三十分。現場に急行した調停者達は散開し、山の方々から手分けして捜索を行っていた。

 リーダーとサブリーダーの二名はいち早く山頂に登り、そこから見渡し、指示を飛ばすべく先を急いでいる。

「白いのは、居ると思うか?」

「どうだが。ただ、気は抜がねぇごった」

 リーダーの問いに応じるトドは、奇襲にも対応できるように先行する。その手に握られているのは長柄のさすまた。捕縛用

ではあるが、柄が太く、殴りつける事もできる長柄物である。

「…誰がおる」

 トドが声を発したのは、しばらく登り続けてからの事。

 リーダーは目を凝らすが、言われなければ、その闇に紛れる黒い人影を見逃してしまう所だった。

「秘書さん…?」

「でねぇ、獣人だ」

 訝しげなリーダーに応じたトドの言葉通り、それは人間ではない。

 アメフト選手のいでたちにも似た、上半身肩周りだけが着膨れしたようなシルエット。月明かりが枝葉に遮られて見通しが

悪いので、相手がボディアーマーを着用した馬獣人だとリーダーの目でも確認できたのは、かなり接近してからの事だった。

 黒いジャケットにパンツとブーツ。黒色のブレストアーマー。闇に紛れこんでしまう装束を纏うのは、屈強な灰色の馬獣人。

かなり大柄な部類に入るトドよりも背が高く、筋肉質な体型が衣類の上からでも判る。

 灰色の馬はそこに佇んでいた。

 逃げるでも、隠れるでもなく、まるで待っていたように。

(見ない顔だが、余所の新入りだろうか?)

 自分達に気付いていながらも堂々と突っ立っているので、リーダーは初め、同業者かと勘違いした。

「どうも、お互い大変ですね」

 そんな挨拶を発した直後、リーダーは足を止める。

 太い左腕を横に伸ばし、リーダーを制したトドは、さすまたの柄を右腋に挟むように保持して、軽く腰を落としていた。

 臨戦態勢。

 察したその時点で、リーダーは麻酔弾を装填した拳銃を抜き放つ。

 構えるトドの掌に、じわりと汗が滲んだ。

 メンバー中最古参。現場経験では随一。チエの父親が現役だった頃からチームを支え続けているベテランの彼だからこそ気

付いていた。

 「ソレ」は、「違う」と。

 トドが安全装置である手元のクリップバーを指で跳ね退け、現れたボタンをグッと押し込むと、さすまたは先端のU字部を

覆うフードをパージして、内側と外側に刃を持つ二叉矛に姿を変える。

 殺す気で、死ぬ気でかからなければ敵わない相手だと、トドは認識していた。

 一方スレイプニルは、構えも取らず静かに佇んだまま。棒立ちなのは余裕からでも、油断からでもない。必要性がないので

構えていない。

(この地域の調停者か。規模は?何人体制で動いている?…トールはターゲットと接触できたようだが…)

 痕跡を辿られないよう念には念を入れて、彼らは戦闘行為が予想される局面では直前に暗号通信すらも切る。

 通信を復帰させるのは、戦闘が済んだ後か、戦闘区域離脱後。

 スレイプニル自身も調停者の姿を見かけた時点で通信を遮断したが、それまでにトールから連絡が無かった以上、その時点

ではまだ片付いていなかったという事になる。

(進行中の可能性が高い。こちらに引き付けた方が良さそうだな)

 そう判断したスレイプニルは、拳銃を両手で構えるリーダーが、何気なく袖口に触れた事を見逃さない。

(仲間を呼んだか。お利口さんだな、有り難い…)

 発信された非常呼集が、散開しているメンバー全員に届く…。



(非常呼集!?リーダーだ!)

 手首に填めたリストバンドに触れ、チエは斜面を登っている途中で足を止めた。

 市販品のスポーツ用にも見えるそのリストバンドには薄い円形モニターが仕込まれており、非常呼集を発信、あるいは受信

して極々わずかな振動で知らせると共に、発信座標を表示し、ナビゲートする。

 普段は携帯を使ってやり取りするのだが、電源を入れた携帯端末には着信が無かった。このワンタッチで作動する緊急伝達

手段が使われたというだけで、非常事態である事が嫌でも理解できる。

(まさが、白いモン出だのすかや!?トドスケさん一緒でねぇんが!?座標…山の反対側!?んだら、このまんま稜線越えで

合流…)

 最短ルートを確認するため、視線を巡らせたチエは、

「!」

 暗がりの中に白を見つける。

 無機物のような冷たい白を。

 距離がかなりあるが、その白は、黒い格子のようになった木々の隙間から無数に確認できた。



「こ、これだ…!これが本当の使い方…!」

 秘書が引き攣った笑みを浮かべる。

 その眼下では、山水を誘導する簡易排水用のダムと、一時水を溜め置く貯水池。

 一辺4メートルにも満たない、コンクリートで作られた水槽のような貯水設備には、白いモノが蠢いている。

 一体、また一体と水から這い上り、秘書の周囲にたむろっている一団に加わってゆく。

 ありったけの薬剤を投入した貯水池から誕生したホムンクルスの数は、既に十五体に達し、まだ増え続けていた。

 握り拳に収まるサイズのアンプル一つで三体。その生産の手軽さと持ち運びの利便性、隠蔽の容易さを鑑みれば、総合性能

が驚くほど高い兵器と言える。

「これだけ居れば…!」

「秘書センセ!」

「!?」

 ハッと、男は振り返る。

 闇に目を凝らせば、斜面を疾走して来るずんぐりしたシルエット。

(さっきのヤツじゃない…?だが…、見られた以上は…!)

 一方でチエはこの状況を、「秘書が白い怪物に包囲されている」と解釈した。

「こっちゃこ!相手はこっちだ!」

 白いモノを引きつけようと叫んだチエには、「殺せ」と命じた秘書の声も聞こえていない。

 一斉に殺到する白。駆け出す秘書。

 チエは得物をそれぞれ握った両手を、駆けながら全面で合わせる。

 左手には、全長五尺、八角柱の鉄棍。

 右手には、反りの大きい三尺の太刀。

 それらが連結されて薙刀になると、波形の刃紋が浮く刃は鉄色から深紅へ色を変える。

 鬼の血が染み入って色を変じたとされるその薙刀は、この国古来のレリックウェポンの一つにして、「鬼斬り」と呼ばれる

稀有な能力を宿す一振り。

「だーっしゃ!」

 気合一閃、駆けながら水平に振るった薙刀が、最前列のホムンクルス二体から頭部を切り離す。

 得物を振り抜いた勢いそのままに旋回し、地を蹴った猪は、回転が乗せられた後ろ回し蹴りで三体目の顔面を蹴り砕き、の

けぞったその体を蹴り倒す格好で下敷きにして着地。その拍子に足裏をあてがわれたホムンクルスの首は、チエの体重と回転

をモロに受けて捻じ折れている。

「せぇや!」

 ホムンクルスの死体を踏み締め、気合の声と共に放つ三発目は、捻った体を戻す勢いが乗った長柄での殴打。これが側頭部

に命中したホムンクルスは、頭部をコミカルな程に変形させて横倒しになる。

 振りと隙が大きい薙刀の取り回しではあったが、振り抜き、捻り、戻る動作を攻撃に転化する事でそれらを軽減させている。

その回転運動と刃側も石突き側も凶器となる得物の振り回しは、多対一の乱戦で効果的だった。

 しかし数が多過ぎる。四体目を屠られても怯まないホムンクルス達は、攻撃を視認して学習したのか考えなしに飛びこまな

くなり、チエを取り囲み、散発的に、死角側から攻撃を試みる。

「ちぃっ!」

 薙刀を寝せて突き込まれた手を受け、前蹴りで相手を離しながら、チエは舌打ちした。

(秘書さんは逃げだな?よし!全部こっちさ来てる!あどはこのナマッチロい辛気臭ぇ連中ば叩ぎのめして…!)

 やみくもに振り回しても当たらない。回避と防御を併用して慎重な掃討に移ったチエは、

(んあ!?)

 ここで気が付いた。溜め池から新たに這い出てくる白いモノに。

(何匹居んだオメら!?さっきな届いだ緊急呼集、もしかすっと…、別んドゴでもこいな風に…!?)

 生産されている最中だとは思いもよらないチエには、地下などに潜んでいるモノが続々現れているように感じられている。

 少しばかり手に余りそうだと歯噛みしたチエは、

「!?」

 ドォンと、唐突な轟音と共に金色の閃光が立ち現れ、貯水池を飲み込む様を目にして愕然とした。

(爆発!?爆弾が!?いや…)

 垂直に伸びる、高さ二十メートル、直径十メートルほどの光の柱は、その表面にパリパリと放電を纏っている。

 まるで筒で区切ったように、極々限られた範囲内で純エネルギーが膨大な熱と光に変換され、余波の影響を受けたその周辺

では放電現象が発生していた。

 しばしその場に出現していた光の柱は、唐突にフッと消え去る。

 眩い光が消え、一転して暗がりに戻った視界に慣れるまで、チエは数瞬を要した。

 目がようやく慣れたその時、雌猪が見た物は、

(…黒…と、金…?)

 光柱が消えたその爆心地に立つ、熊獣人の姿。

 身に纏うのは黒いジャケットにパンツ。漆黒の衣装から出た両手両足、そして頭部は、黄金を溶かし込んだような金色の被

毛に覆われている。

 突然の事に警戒したホムンクルス達が動きを止める中、チエもまた状況が呑み込めずに目を丸くする。

(だ、誰だ?知った顔でねぇげど、調停者が?)

 ホムンクルスの生成源を跡形もなく滅し、クレーター状になったそこを見下ろしていたトールが顔を上げる。

 周囲には、光柱に巻き込まれ、体の一部や半身を滅失したホムンクルスが蠢いているが、委細構わず斜面の上方へ目を向け、

逃げ去ろうとする秘書の後姿を確認した。

 そして、左手を上げ、そちらに向ける。

 人差し指と中指を揃えて真っ直ぐに伸ばし、それ以外の指を軽く握った左手は、拳銃のようにも見えた。

 直後、一条の光が闇を裂く。

 チエの位置からは、熊の手元から光の線が、秘書の方へ走ったように見えた。

 バンッと何かが破裂したような音が耳を叩き、秘書の脇で木の幹が球体状に抉れ、消失した。

「わ!?」

 驚いて転んだ秘書に降り注ぐ、木からパッと散った粉のような物は、一瞬で塵になった樹木の組織のなれの果て。

 ガタガタ震えながら首を巡らせた秘書は、斜面の下から自分に向けられた、金熊の蒼い瞳を見る。

 そして確信した。

 今のは威嚇。外れたのではない。わざと外したのだと。

(思った以上に調停者側のフットワークが良い。もう猶予はないな…)

 これ以上逃げ回らせるのは得策ではないと判断し、秘書の足止めをしたトールだったが、この時点で、チエは行動の方針を

打ち出していた。

(敵だ!)

 雌猪は確信した。金熊は白いモノの側では無いようだが、守るべき議員秘書を攻撃した事から、味方ではないと断定した。

 そして、決断から行動までが早いのは、チエの短所でもあり長所。

 金熊を白いモノ以上の脅威であり敵性存在と認識したその瞬間に、ホムンクルスの囲みを破る形で突進を開始している。

「させねぇどっ!」

 薙刀を振りかざし、駆け寄るチエに、

(…まずは、こっちの排除か…)

 トールが、静かに向き直る。



 一方その頃、スレイプニルは…。

「ぜぇ…、ぜぇ…!」

 さすまたを構え、肩で息をするトドと、棒立ちの姿勢で対峙していた。

(馬鹿な…)

 弾切れを起こした銃にカートリッジをセットするリーダーの顔も、脂汗に濡れている。

 呼吸を形ばかり整えたトドが、二叉矛となったさすまたを突き込む。

 しかしその刃先は空を切る。

 棒立ちから迎え撃つ格好で前進し、足を大きく踏み出したスレイプニルの右手がさすまたの内側に滑り込み、柄をそっと撫

でるようにして外へ軌道を逸らしつつ、左手はトドの懐へ…。

「フンッ!」

 灰馬の吐息と共に、トドの体が浮き上がる。

 スレイプニルが踏み締めた足元が、ズシンと周囲へ震動を伝える。

 唾液と胃液を吐き散らし、トドが片手で腹を押さえ、崩れ落ちた。

 息切れ一つ見せず、棒立ちの姿勢に戻ったスレイプニルは、跪きながらも得物を離さないトドを見下ろす。

 拳で思い切り殴りつけた訳でも、勢いをつけた掌を当てた訳でもないが、トドに送り込まれ、体内に残る衝撃は、鍛え抜い

た筋肉を纏う獣人でもダウンするほど。

 発勁。

 超常の力などではなく、れっきとした物理現象。

 力を発し、正しく導き、伝播させる。それらが噛み合い、作用した結果がこれである。

(馬鹿な…!)

 リーダーの手元が細かく震えた。

 今の交錯、一瞬の間に、サウンドサプレッサーを装着した拳銃は麻酔弾を三発撃っている。

 その全てがかわされていた。回避と迎撃を必要最小限で行なうスレイプニルに。

 使ったのは能力でも、レリックでもなく、体術。武装した調停者ふたりが、武器も使わない灰馬に、体術だけで軽くあしら

われている。

 しかし、スレイプニルは感心すらしていた。

(立てない程度に、そして死なない程度に調節しているつもりだが…、動けなくするつもりが、二度もしくじった。随分タフ

なトドだ。…やれやれ、便利だと思ったがなかなか難しい。後でまたトールにコツを訊かなければ…)

 この技能は、スレイプニルが前々から備えていた物ではない。ここ数ヶ月で取り入れたばかりの物だった。それでも、武装

した調停者を真っ向勝負で手玉に取れる。

 震える膝を叱咤して、トドが立ち上がる。

 若い頃のようには流石にいかないが、それでも未だ現役。一対一の模擬戦闘ではチエ以外に勝ちを譲らない、メンバー中で

も屈指の戦闘技能を持っている。

 逆に言えば、自分が敵わない相手にリーダーが敵うはずもない。一対一で闘わせたら瞬時に制圧されてしまう。

 タフなトドを前に、スレイプニルは「ふむ」と頷いた。

(仕方がない。ここは手慣れた手段…、拳骨で昏倒させるか)

 拳を握ったその直後、灰馬の耳がピクンと反応する。

「予想外に早かった」

 呟いた灰馬の手が、胸の前でパンと合わされたとほぼ同時に、プシュシュシュッ、と、銃三丁が火を噴いた。

 カキキキン…と涼やかな金属の音。発砲したのは、非常呼集を受けて急行した調停者チームのメンバー三名。

 トドが敵らしき獣人と対峙している事を確認した彼らは、考えなしに突っ込まず、お互いの位置を確認した上で同時狙撃を

敢行していた。

 だが…、

「外した…!?」

 体格のいい若い調停者が、リーダーの背後から駆け付け、トドの横を固めて前衛につく。

 残る二名もスレイプニルの左右斜め後方からじりっと距離を詰め、近接戦闘用のハチェットと、ナイフと棍を結合した手槍

を構える。

 着弾はしていない。

 総勢五名となった調停者達は、異形のシルエットとなったスレイプニルを凝視する。

 スレイプニルの背面左右、そして両肩上側から、四本の腕が伸びている。同時に、ゴツいプロテクターはそのシルエットを

大きく変え、電磁変色が解けて艶の無い灰色へ…スレイプニル自身の体色に近い色合いに変色していた。

「良いコンビネーションだ。米軍特殊部隊真っ青だな」

 涼しい声に称賛すら滲ませるスレイプニル。そのプロテクターは基部であるハーネス状のフレームを灰馬の逞しい胴に残し

た、体にフィットしたスリムな形状に変貌すると同時に、装甲状に変形収納していた四本のアームを伸ばしている。そのアー

ム先端に二本ずつ交差して向き合う形に配された四本の指が、三発の銃弾を摘み取っていた。

 四本のアームは作業用のロボットアームのように、金属柱と関節部の組み合わせでできている。肩に基部を収納していた二

本は胸筋を象ったような胸部装甲を、背面に基部を持つ二本はショルダーアーマーを、それぞれ小型の盾として前腕部に装着

する格好。

 自身の腕と合わせて六臂となったスレイプニルは、合掌するように胸の前で手を合わせたまま、四本のアームを広げる。

 ラグナロクの誕生以前に、その土台となった組織により製造されたこの疑似レリックは、起動させた際のその姿から、こう

名付けられている。

 マルチプルウェポンプラットホーム、阿修羅王(あすらおう)と。

(これだけ引きつければ充分か…)

 合掌していたスレイプニルの手がすっと離れる。

 その足元に、アームが摘み取っていた弾頭がパラパラと落とされた。



 ビョウ、と風を切る薙刀の刃先が、ホムンクルスの胴を半ば以上両断し、二つ折りにする形に仰け反らせる。

 胸に引きつける形でたわめられた金色の腕が、一転して撃ち出され、白い頭部がひしゃげる。

「ぜぇりゃっ!」

 猪が繰り出す掬い上げの一刀が、白い体躯を両断し、その切っ先を金熊の眼前へ迫らせた。

 対してトールは半歩引く。しかしただ下がった訳ではない。鼻先を掠めるような一刀を瞬きもせず回避し、退いた足でズン

と地面を踏み締め、背後から迫ったホムンクルスの胸部へ肘を打ち込み、胸骨を粉砕させつつ吹き飛ばす。

(強ぇ…!コイヅ相当な手練れだ!)

 自分の攻撃を難なくかわし、ついでに易々とホムンクルスを屠って見せられ、舌を巻くチエ。

 猪と熊の戦闘は、殺到するホムンクルスを捌きながらのものとなっている。その中で最も危険な存在はこの金熊だと、雌猪

は確信していた。

 何せ、徒手空拳でホムンクルスを易々と殴殺している上に、先程の射撃や爆撃を見るに、何らかの能力か武器を持っている

のは間違いない。

 殺すつもりで、そして死ぬ気でかからなければ危うい強敵…。今日この日までに相対した犯罪者、危険生物、全ての中でも

飛び抜けて厄介だと、経験と本能が警鐘を鳴らす。

 さらに、保護対象である秘書は、先の威嚇射撃で腰を抜かしてへたり込んでいる。金熊をフリーにしたらどうなるかは、火

を見るより明らかだった。

(んだがら、何としてもぉっ!)

 振り抜いてホムンクルスを上下に両断した薙刀を返し、石突きで別の一体を捉えるチエ。そのまま金熊の方へ倒し込み、掬

い上げ気味に得物を振り戻す。

 押し遣ったホムンクルスごと切り捨てる気で放つのは、柄を脇に挟み、体躯を捻転させ、渾身の力を加えた横薙ぎの一閃。

 白いモノが紙切れのように分断され、勢いをいささかも落とさずに赤い刃が金色の熊に迫る。が…。

(止まっ…!?)

 ギッ…、と、金属音と軋み音が混じり合った、耳障りな不協和音。

 猪はホムンクルスを両断して金熊に当たった薙刀を、そしてそれを受けた相手の腕を見つめた。

 刃はトールの腕に接触していない。被毛から1センチほどの隙間があり、そこに燐光の幕が見える。

(エナジーコートが!?)

 自身の生命力をエネルギーに変える能力。能力の中では比較的ポピュラーだが、大半はあくまでも瞬間的な耐衝撃レベルで

の使用に留まる。

 一点集中の斬圧をこれだけ薄い膜で防ぐ…。それだけではなく、先の狙撃や爆撃もこれによる物…。それらを鑑みれば、並

の能力者とは出力も応用力も段違いだった。

 金熊は刃を、そして自分の腕を見つめた。

 トールの腕を覆う燐光の膜は、刃との接触面でチリチリと音を立て、そこから光の粒子が立ち昇る。

(鬼斬りの刃…?)

 異相フィールド特効型レリック。単純な原理のエナジーコートでも破壊の対象外ではない。一撃で貫通されはしなかったが、

受けていれば消耗は促進され、斬撃にさらなる勢いがあれば綻びから刃を押し込まれかねない。

 チエが持つ薙刀の、刃となっている剣の名は、元は大通連(だいとおれん)と言う。

 かつて、鬼殺しの鬼「鈴鹿御前」が所持していた宝剣が、箱根の鍛冶師によって加工され、生まれ変わった姿がこの薙刀、

「猪丸(ししまる)」である。

(こんな所で「天敵」と遭うなんて…。運命なのか、それとも天に見放されたのか…)

 トールは払い除けるように腕を振り、刃の圧す力を逸らして力比べを終わらせる。

 切っ先を脇へ逃がされたチエは、しかしそこから再度、柄を逆の脇に手挟み、

「唐紅にぃ…!」

 体の捻転を利用して、横薙ぎ気味のアッパースイングで薙刀を振るった。

「しぶき散れっ!」

 右の脇腹、目星を付けた肋骨の隙間に叩き込む、皮も肉も骨も臓腑も断ち斬るための渾身の一刀は、しかし…。

「え!?」

 金熊の胴に、届かなかった。

 眩い金色が、チエの目に映る。

 トールが腰に帯びた刀が、鞘から半分、その黄金の刀身を覗かせていた。

 逆手に握った柄を引き上げる形。トールは半分引き抜いた太刀の腹で、重い薙刀の一撃を受け止めていた。

(な、何で折れねんだ!?こいづもエナジーコートされでんのが!?それとも遺物!?)

 動揺するチエ。日本刀はこんな使い方を前提とした造りになっていない。どんな名刀であろうと、この位置関係で、しかも

腹で薙刀を受ければ無事では済まない。それなのにこの金色の刀身は撓みもしなかった。

 渾身の一刀で太刀が折れない。金熊本人も一歩も揺らがない。対して、受けられたチエは薙刀が弾かれて戻る、一瞬の隙を

晒した状態。そしてトールの空いている左手は五指を軽く開き、煌々と、眩い輝きを灯している。

 薙刀を止めた太刀の、その接触点を支点にする格好で、金熊が左脚を踏み出して半身になる。

 その踏み出しに伴う左腕の一振りを、チエは咄嗟に得物から右手を放し、両腕を交差させて胸の前でガードした。

 瞬間、燐光を纏ったトールの左手…その手の甲側でパヂッと光が弾ける。

 ズン…と、衝撃が抜けた。

 チエの目が見開かれ、体が震える。薙刀が足元に落ち、ガゴンと鐘のような音を立てる。そして、一拍置き…。

「…げうっ!」

 雌猪は嘔吐し、膝から崩れ、俯せに倒れ込んだ。

 掌打は防いだ。目に見える傷を含め負傷は無い。だが内臓と脊椎を経由して背中まで貫通した衝撃により、体が動かない。

 だが、それだけではなかった。

(い、今コイヅ…)

 ガクガクと痙攣しながら、チエは涙が滲んだ目を金熊に向ける。

(わざど…!わざど胸狙った…!)

 隙は、腹にあった。腹部を狙われたら腕でのガードは間に合わなかったし、打ち込まれたのがホムンクルスを容易に殴り殺

せるあの拳打だったなら、内臓破裂は免れなかった所である。
なのに金熊は、わざわざチエがガードできる所へ掌打を放り込

んだ。

「げほっ、かふっ…!」

 弱々しく咳き込むチエ。弱っている事が判るのだろう、すかさず左右から襲い掛かったホムンクルス二体は、しかし大きく

開いたその口でチエにかぶりつく事はできなかった。

 その首が、トールの大きな両手に掴まれている。

 金熊はそのままホムンクルスを吊し上げると、勢い良く頭部を打ち合わせた。

 濃厚過ぎるキスを無理矢理交わさせられたホムンクルスは、ブヂャリと顔面を陥没させ合い、機能停止する。

 それを無造作に放り出したトールは、視線を一巡させてホムンクルスが全滅した事を確認しようとした。が…。

(一体か二体、足りない…?)

 初撃でバラバラにした物もある。そもそも一見での数の把握にズレがあったのかもしれないが、違和感があった。

(…もし残っていたとしても、調停者が対処する、か…)

 別に動いているメンバーや、他の調停者チームが駆けつけても面倒。トールは探し出して処分する事を諦め、秘書の方へ向

き直った。

 斜面を登り、ガタガタと震えている秘書へ近付くトールを、身動きもままならないチエは阻めない。

 やがて、秘書の傍に立ったトールは、へたり込んでいる彼を蒼く冷たく輝く目で見下ろし、おもむろに屈んでその左足を、

履いている革靴ごと左手で掴んだ。

 そして右足を膝の上にひたりと乗せる。

「や、やめ…」

 意図を悟った秘書の声を無視して、トールは右足に少しずつ体重をかけてゆく。

「ひ、ひ、ひいいいっ!ああああああっ!」

 苦痛で漏れる秘書の声は、どんどん高くなる。

 地に伏したまま、這いずる事も出来ず、チエが呻く。

「や…め…!」

 やがて、腐って湿った木の枝を踏み折ったような音に続いて、絶叫が、森の闇を震わせた。



「…目標を捕えたか」

 灰色の馬は足を止め、耳をピクピク震わせた。

 本来ならば聞こえない程の距離があるものの、スレイプニルの聴力は遠く響いた悲鳴を捉えている。

 スレイプニルは先ほどまで居た位置よりも高い場所に居る。周囲に調停者の姿は無く、アスラオウは既にアームを収納し、

元の通り胸部と肩を覆うアーマーに擬態し、表面を偽装で黒色に変えていた。

 灰馬は携帯端末を取り出し、通信を再開する。

「スレイプニルだ。トールを迎えに行ってほしいのだが…、現在位置は?」

『真上だ』

 短く応答したのは、低く太い中年男性の声。

 灰馬は天を仰ぎ見る。

 雲の多い夜空には変わった所も見られないが…。

「相変わらず手際が良い…」

 灰馬は一点に視線を止め、口の端を僅かに上げる。

「合流するには距離があり、猶予が無い。俺はこのまま残る調停者を攪乱し、車を回収して離脱する。採魂は任せた」

『了解』



 滑稽なほど、捻れていた。

 肘に膝、いずれも反対側に向かって折れ曲がり、四肢の一本としてまともな形状をしておらず、それぞれ関節が三つか四つ

は増えているような曲がり方をしている。

 手の指は全て折られ、内出血で紫に染まり、丸く膨れ上がっている。

 よだれを垂らす口元は、もう悲鳴も上げられない。喉が掠れてヒュウヒュウと鳴るばかり。

 ポタポタと地面に垂れるのは血ではなく、激痛に耐え兼ねて失禁した秘書の尿。

 血の一滴も流れていないせいで、ひどく現実味が薄い。

 そんな状態の秘書が、頭を掴まれて宙づりになっている。執拗に、丁寧に、全身の骨を折り、潰し、砕いたトールの手で。

 拷問ではなかった。金熊は何も問わず、命乞いも聞き入れず、淡々と、粛々と、秘書の体を破壊して行った。

 痛めつける事こそが目的としか思えない、恐怖と苦痛をひたすらに与え続けてゆく金熊と、助けを求めて泣き叫ぶ秘書。そ

の一部始終を目撃していたチエは、その光景のあまりの凄惨さに加え、己の無力さからくる悔しさと怒りの余り、嘔吐を繰り

返している。

 やがて、トールは顔を上に向けた。

 それまでチエも気付かなかったが、木々の上に何かがあった。

「天踏虫(てんとうむし)…?スレイプニルは?」

 呟くトールの蒼い目が、宙に浮かんでいる大きな物を見つめる。

 それは、下から見上げると楕円形で、上部はゆるやかなドーム状に盛り上がっており、手足を甲羅に引っ込めた亀のような

形をしている。

 その上に、人影があった。

「距離があるんでな、わしが代理の迎えじゃ」

 謎の物体の上からトールに応じる屈んだ影は、恰幅の良い中年肥りの雄熊。

 黒色のジャケットに黒色のパンツ、トールやスレイプニルと同じいでたちで、腰には全長50センチ程のチタン合金製メイ

スを吊るしていた。

 特筆すべきは白い毛。露出した頭部と両手は白い被毛に覆われている。

 ただし北極熊ではない。ツキノワグマと思われる顔付きだが、毛だけが白い。

「そら」

 ドーマルというらしい中年熊が何か放り、トールは秘書を左手で吊し上げたまま、右手でそれを掴み取る。

 受け取ったのは、野球のボールほどの大きさの、赤い宝玉だった。

 それを確認したトールは、視線を秘書に向け直し…。

「や…め…ろ…!」

 チエが呻くその苦鳴に、秘書の喉が漏らした「カペッ!」という妙な声と、やけに軽い、バキキッ…という音が重なった。

 トールの左手が、一瞬で、反時計回りに捻られていた。秘書の頭を鷲掴みにしたまま。

 鋭い手首の捻りだけで頸椎を折られた秘書の体が、首を直角に曲げたまま、ブランブランと揺れる。

 それをどしゃりと地面に落とすと、トールは腕を伸ばし、死体の上に赤い宝玉を翳す。

 そして程なく、宝玉が脈打つように鈍く輝くと、トールはドッと地面を蹴って木の幹に足を掛け、そこから別の木に跳び移

り、跳ね回るボールのように樹上へと移動し、白い熊が待つ飛翔体の上へ着地する。

「う、ううう…、ううううっ!」

 見送る事しかできないチエが唸る。

 身のこなしを見ても判った。やはり自分は、手加減され、見逃されたのだと…。

「ご苦労さん」

「ん…」

 トールから宝玉を受け取ったドーマルは、それをベルトポーチに収納しながらチエを見下ろした。

「わしらはミョルニル。覚えておけ、お嬢ちゃん」

 朗々と大声でそう告げると、ドーマルは金熊に顔を向けた。

「ロキは既に会食場じゃ。このまま直行するが、構わんか?」

 トールが頷くと、飛翔体は高度を上げ始める。

 そして、ドーマルの足元…右足のズボンの裾とブーツの間から、濃紺に濁った半透明のチューブが生え、黒い煙のような物

が噴霧された。

 それは風に流される事もなく、彼らとその足場に纏わりつくようにして姿を覆い隠し、夜空と同じ色に変色する。

 しばらくはその輪郭が陽炎のように揺らめいていたが、やがてその姿は夜空に紛れて識別できなくなり、チエは完全にふた

りを見失った。

「ちくしょう…!ちく…しょ…!」

 か細い声を漏らすチエの目から涙が零れ落ちる。

 重軽傷者六名。殉職者ゼロ。犠牲者、地元議員とその秘書の二名。

 後に、チエからの報告で監査官から照会を受けた観測班は、いかなる飛翔体も現場の上を飛行してはいなかったと回答した。

 光学カメラは勿論、ひとの目も含め、彼らの足取りを追えた物は一つも無かった。


・エピローグ・